面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

センス

2006年12月23日 | ニュースから
「こんな事態来ると思ってた」 たかじん氏敗訴でTV局(朝日新聞) - goo ニュース

やしきたかじんの番組での発言が裁判沙汰になっていたが、損害賠償請求が認められる判決が出た。
たかじんの、いつもの調子の言いたい放題が度を越してしまった、というところであるが、これで各局とも一斉に腰が引けておとなしい番組ばかりになってしまわないことを祈るばかり。
また、これがキッカケとなって、政治家や国家に対する発言を封じ込める動きにつながらないだろうか、という心配が杞憂で終わることを祈る。

と言いながらも、芸能人本人に対する発言はともかく、その相手がいわゆる一般人である場合は配慮すべきではある。
また、発言が全て面白いわけでもなく、下品で不愉快なものもあり、その選別には“センス”が必要となってくる。
生放送はどうしようもないところがあるが、今回の裁判沙汰になった番組のような収録ものの場合は特に、編集者の“センス”が問われる。
局関係者には今後この“センス”を磨いて、本当に面白い番組作りを目指してほしいものである。


「父親たちの星条旗」

2006年12月23日 | 映画
硫黄島の激戦を描いた戦争映画。
艦船や戦闘機による戦闘シーンは描かれているが決して派手ではなく、ましてや“エンターテイメントチック”な爆撃・爆発シーンは無い。
クリント・イーストウッド作品らしく、過剰な演出はなく、ある意味淡々とスクリーンの中をストーリーは進んでいく。
しかし、淡々と映画が進む中、負傷兵の痛々しい傷や、自決した日本軍兵士の目を背けたくなる遺体が映し出される場面が、脳裏に強烈なパンチを見舞ってくる。
息を呑みながら最後までスクリーンに引き付けられ、観終わってしばらくすると、じわりとこみ上げてくるものがある秀作。

第二次大戦末期の日本軍において、本土から遠く離れた島々に置かれた各拠点が次々と玉砕という名の全滅に追い込まれていく中、1ヵ月以上に渡って戦い続けた硫黄島の事実について、この映画を観るまで知ることはなかった。
物量において、硫黄島の日本軍をはるかに凌駕する米軍。
当初5日で済むとタカをくくっていた米軍をてこずらせたのは、地下に張り巡らされた基地を利用してのゲリラ戦であった。
ベトナムで米軍が散々苦しんだのと同じ戦法が、第二次大戦において既に機能していたのである。
数十年前に辛酸を舐めた米軍が、時空を超えて再びインドシナ半島で苦杯を喫しているのだ。
この一事をもってしても、戦争がいかに愚かなものであるかが分かる。

もう一つ、6人の兵士が硫黄島に星条旗を立てようとしている写真。
この写真自体は知っていたが、それがアメリカ国内における戦時国債の販売促進のプロモーションに活用されていたとは知らなかった。
写真に登場する兵士のうちの3人が国債販促のキャンペーンのために本国へ返され、旅を続ける毎日を送る。
華々しい戦歴があるわけでもない無名の若い兵士が、突然国家の英雄としてもてはやされ、その実政府に徹底的に利用される。
一人は戦場で亡くなった戦友達への思いが募り、自分一人が英雄視されることにいたたまれず酒に溺れて身を滅ぼし、一人はそれをキッカケにのし上がろうとするが戦争が終わるや“過去の人”として見向きもされずに不遇をかこつ。
“たまたま”写真に写りこんだがために翻弄される3人の兵士たち。
無名と言っていい俳優陣を起用することにより、英雄に祭り上げられることに対する本人達のとまどいがより鮮明に描写され、世間の熱狂ぶりとそれをリードするプロパガンダの恐ろしさが際立つ。

硫黄島における日米両軍の攻防がいかに重要なものであったかを知らしめると同時に、戦争の“裏側”にある唾棄すべき事実と最前線の兵士達の空しい境遇に思いを馳せることができる逸品。

父親たちの星条旗
2006年/アメリカ 監督:クリント・イーストウッド
出演:ライアン・フィリップ、ジェシー・ブラッドフォード、アダム・ビーチ、ジェイミー・ベル、バリー・ペッパー