面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

なかなか

2006年12月24日 | ニュースから
「談合は必要悪」と発言 知事選、そのまんま東氏(共同通信) - goo ニュース

いよいよ宮崎知事選が本格化してきたようだが、出馬を表明しているそのまんま東が面白い談話を残したようだ。
報道陣の取材に応じて、民間同士の一般談合が無くなってしまうと中小零細企業にとって大きな打撃となる、と談合を容認するような発言をしたとか。

東京圏のような大都会ならいざ知らず、地方へ行けば行くほど、地元の事業者が生き残るためには、ある種の談合は彼が言うように「必要悪」であると考える。
とにかく安く、そしてレベルを下げずに入札を行えば、必然的に地元の中小零細企業は淘汰され、大手ゼネコンや一定規模以上の大企業ばかりが落札することになる。
そして落札した価格に見合う発注が出されて下請けにしわ寄せが及び、一番下位で仕事を請け負う事業者が割りを食うことになる。
結局は、地元あるいは地元以外の中小零細企業が泣きをみて、それらの企業はコスト削減を図るために人員整理を図って結果的に自社の技術力を落とすことになり、自分たちの首をしめる。
そして人員削減に伴って雇用が減ることになると、回りまわって安い価格で落札したと喜ぶ自治体の住民税収入が減ることとなって、その自治体は活力を失っていくこととなる。

「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな話ではあるが、「和を以って尊しと為す」としてきた日本文化を象徴するかのような談合を完全排除してしまうことで、最終的にはいわゆるグローバルに事業展開をするほどの超大企業の寡占を許すことにつながるのは必定ではないだろうか。
そうなると最後に勝つのは…?
「Winner takes all」の世界が本当に幸せな世界と言えると皆が考えているとは思えない。

今の情勢においては中々勇気のある発言だが、個人的には一理あると考える。
これが地元の業界団体等を意識しての発言だとすれば結構したたかな戦術だが、この発言をきっかけに、宮崎知事選にいっそう興味が沸いてきた♪


センス

2006年12月23日 | ニュースから
「こんな事態来ると思ってた」 たかじん氏敗訴でTV局(朝日新聞) - goo ニュース

やしきたかじんの番組での発言が裁判沙汰になっていたが、損害賠償請求が認められる判決が出た。
たかじんの、いつもの調子の言いたい放題が度を越してしまった、というところであるが、これで各局とも一斉に腰が引けておとなしい番組ばかりになってしまわないことを祈るばかり。
また、これがキッカケとなって、政治家や国家に対する発言を封じ込める動きにつながらないだろうか、という心配が杞憂で終わることを祈る。

と言いながらも、芸能人本人に対する発言はともかく、その相手がいわゆる一般人である場合は配慮すべきではある。
また、発言が全て面白いわけでもなく、下品で不愉快なものもあり、その選別には“センス”が必要となってくる。
生放送はどうしようもないところがあるが、今回の裁判沙汰になった番組のような収録ものの場合は特に、編集者の“センス”が問われる。
局関係者には今後この“センス”を磨いて、本当に面白い番組作りを目指してほしいものである。


「父親たちの星条旗」

2006年12月23日 | 映画
硫黄島の激戦を描いた戦争映画。
艦船や戦闘機による戦闘シーンは描かれているが決して派手ではなく、ましてや“エンターテイメントチック”な爆撃・爆発シーンは無い。
クリント・イーストウッド作品らしく、過剰な演出はなく、ある意味淡々とスクリーンの中をストーリーは進んでいく。
しかし、淡々と映画が進む中、負傷兵の痛々しい傷や、自決した日本軍兵士の目を背けたくなる遺体が映し出される場面が、脳裏に強烈なパンチを見舞ってくる。
息を呑みながら最後までスクリーンに引き付けられ、観終わってしばらくすると、じわりとこみ上げてくるものがある秀作。

第二次大戦末期の日本軍において、本土から遠く離れた島々に置かれた各拠点が次々と玉砕という名の全滅に追い込まれていく中、1ヵ月以上に渡って戦い続けた硫黄島の事実について、この映画を観るまで知ることはなかった。
物量において、硫黄島の日本軍をはるかに凌駕する米軍。
当初5日で済むとタカをくくっていた米軍をてこずらせたのは、地下に張り巡らされた基地を利用してのゲリラ戦であった。
ベトナムで米軍が散々苦しんだのと同じ戦法が、第二次大戦において既に機能していたのである。
数十年前に辛酸を舐めた米軍が、時空を超えて再びインドシナ半島で苦杯を喫しているのだ。
この一事をもってしても、戦争がいかに愚かなものであるかが分かる。

もう一つ、6人の兵士が硫黄島に星条旗を立てようとしている写真。
この写真自体は知っていたが、それがアメリカ国内における戦時国債の販売促進のプロモーションに活用されていたとは知らなかった。
写真に登場する兵士のうちの3人が国債販促のキャンペーンのために本国へ返され、旅を続ける毎日を送る。
華々しい戦歴があるわけでもない無名の若い兵士が、突然国家の英雄としてもてはやされ、その実政府に徹底的に利用される。
一人は戦場で亡くなった戦友達への思いが募り、自分一人が英雄視されることにいたたまれず酒に溺れて身を滅ぼし、一人はそれをキッカケにのし上がろうとするが戦争が終わるや“過去の人”として見向きもされずに不遇をかこつ。
“たまたま”写真に写りこんだがために翻弄される3人の兵士たち。
無名と言っていい俳優陣を起用することにより、英雄に祭り上げられることに対する本人達のとまどいがより鮮明に描写され、世間の熱狂ぶりとそれをリードするプロパガンダの恐ろしさが際立つ。

硫黄島における日米両軍の攻防がいかに重要なものであったかを知らしめると同時に、戦争の“裏側”にある唾棄すべき事実と最前線の兵士達の空しい境遇に思いを馳せることができる逸品。

父親たちの星条旗
2006年/アメリカ 監督:クリント・イーストウッド
出演:ライアン・フィリップ、ジェシー・ブラッドフォード、アダム・ビーチ、ジェイミー・ベル、バリー・ペッパー

ホワイトカラー・エグゼンプション

2006年12月22日 | ニュースから
「規制撤廃は過労死促進」 元管理職らの批判広がる(共同通信) - goo ニュース

このブログでも何度か取り上げた「ホワイトカラー・エグゼンプション」が、厚生労働省の審議会において導入に向けて結論を出す見通しになったとか。
過労経験のある元管理職や、夫や息子の過労死、自殺の悲劇を体験した遺族の皆さんは、厚労省に導入撤回を申し入れた他、抗議活動を展開しているとのこと。

労働者側の意見を収集する機会は一切無いまま、導入を前提にした議論がなされるとは言語道断。
審議会のメンバー構成が気になるが、長期間に渡る過労を招くほどの業務を経験したことのない御仁ばかりに違いない。
いよいよ日本が「Winner takes all」の時代へと、本格的に突入し始めた。

「和を以って尊しと為す」という精神や、今いずこ。
この言葉を時代錯誤と笑うのは、既に日本人としての精神構造を持たないことの証しである。
それでいいのか?日本国…


合掌

2006年12月21日 | ニュースから
漫才コンビ「カンニング」の中島忠幸さん死去(朝日新聞) - goo ニュース

カンニングの中島が亡くなった。
相方の竹山はさぞショックのことだろう。
怒りキャラで売ってはいるものの、根は優しい男であり、悲しみは隠せないのではないだろうか。
面白いコンビだったのに、もう漫才を見ることがないのも残念である。

また、青島幸男氏が亡くなったのも大変驚いた。
この年の瀬にバタバタと芸能人が亡くなって、寂しい限りである。
皆さんのご冥福を祈る。

合掌

個人情報流出

2006年12月20日 | ニュースから
4万4千人分の個人情報入りPC盗難 「goo」(朝日新聞) - goo ニュース

会社から顧客情報をデータで持ち出し、自宅のパソコンで仕事しようとしていたところを空き巣にそのパソコンを盗まれた。
このテの事件が後を絶たない。

同情の余地が大いにある。
職場で仕事を処理しきれないからだ。
自席で作業をしようにも、電話は鳴る、何か尋ねられる、打ち合わせの声がかかる、上司が報告を求める、急な来客がある etc.
平日の職場で、それも終業時間内に「作業」をしようとすると、無数の障害物が立ちはだかる。
そこで、勤務時間外に自宅でやってしまおうということになる。
ジャマが入らないので、仕事がはかどるからだ。

こういう事件が発生すると、とにかく「データを持ち出さないようにする」ための方策をあれやこれや打ち出しては「そんなことをするな!」ということになる。
ところが、いくらデータを持ち出すな!と言っても本人次第でいくらでも持ち出しは可能である。
その根本のところ、すなわち自宅にデータを持ち帰らなければ仕事にならない、という勤務状況を改善しなければ、真に事件を防ぐことはできない。

経営陣、幹部、管理監督者は、事の本質を真剣に考えてもらいたいものである。

モノを作るということについて

2006年12月19日 | ニュースから
NEC製のパソコンが発火 1万5千台を無償修理へ(共同通信) - goo ニュース

NECのパソコンが発火事故を起こした。
こないだもソニーが同じような障害を起こしていたが、「Made in Japanese」が急速に信頼を失っているような気がする。

まあ日本製と言っても、近年では部品のほとんどが海外製で構成されており、純粋な「Made in Japanese」の製品は望むべくもない状況にある。
今回の事故も、本体の電源ユニットに使っているコイルの材料不良に起因していたが、そのコイルは海外部品メーカーから購入した部品であった。

日本製が良くて海外製が悪いとは一概には言わないが、かつての日本の製造業ではまずありえなかったことだ。
日本の製造業が世界トップレベルの技術力を誇り、各国がその技術力に合わせていればこんなことにはならなかっただろうに、いわゆる「グローバルスタンダード」によってレベルの高度化が図られなくなっている結果ではないだろうか。

完璧を目指して技を磨く、日本の職人気質という古き良き伝統こそが、「グローバルスタンダード」であるべきものだと考えることは、決して右翼的思想ではない。
そこにあるのは職人としてのプライドであり、「物を作る」ということに対する畏敬の念である。
職人気質を非効率として否定する考え方には、人間に対するリスペクトは無い。
それが「グローバルスタンダード」であるならば、全人類相互のリスペクトを否定する、実に野蛮で低次元のスタンダードだ。


なんじゃそら!?③

2006年12月18日 | ニュースから
痴漢でNHK職員を逮捕 電車で大学生の尻触る(共同通信) - goo ニュース

電車内で男子大学生の尻を触ったとして、東京都迷惑防止条例違反の現行犯でNHK職員が逮捕された。

「痴漢」であるから、もちろん男である。
つまりはモーホーの痴漢ということだが、容疑者は
「不眠症で薬を飲んでいて、頭がボーっとしていた」
などと言っているようであるが、ボーっとしていたのならなおのこと、本性そのままが出た行為ではないのか?
思いきりモーホーかいっ!と思ったところで、ふと最近の男子学生には、ヒョロっとして色白長髪で、しかもキレイに眉なんか手入れが行き届いていて、一見したところでは男か女かすぐには判別できないヤツがいることに気付いた。
もしかしたら容疑者は本当にボーっとしていて、女性と勘違いして触ってしまったのか?
だとしたら、本人は全くもって「とほほ…」なことであろう。
どうせなら、ちゃんと女性に痴漢行為をはたらいて逮捕されたかったのでは!?
不謹慎千万蒙御免!

なるほど~

2006年12月18日 | ニュースから
今年の人は「あなた」 米誌タイム(共同通信) - goo ニュース

アメリカの「TIME」誌は、年末恒例「パーソン・オブ・ザ・イヤー」を発表したが、世界中の各個人がインターネットを通じて情報や動画を自由に発信し、世界に大きな影響を与える時代に入ったとして、一般市民を指す「あなた」を選んだとのこと。

なるほどなぁ、と思う。
特にブログが果たした役割は大きいのではないだろうか。
この「よもやま遊山船」もそうだが、誰もが簡単に不特定多数に向けて“発信”できるようになったというのは画期的である。
インターネットが普及し始めた当初は、そういう場は自分でホームページを立ち上げるか、どこかの掲示板を利用するしかなかったが、ホームページは立ち上げるのに結構手続きが必要であるし、掲示板は意見などを書き込んでも他人が書き込めば自分の記述はトップで表示されなくなってしまうのが難。
ブログは、その両方の不便をなくしたなかなか画期的なシステムだと思う。

そんなこんなで“今年の人”は「あなた」。
店頭に並ぶ「TIME」最新号の表紙にはパソコンが描かれていて、画面部分には反射する素材を使用し、手に取った読者の顔を映すことで「今年の人」が「あなた」自身であることを示す工夫をしているとのこと。
こりゃ一度、書店で見てみたいもんだ。


不手際の話から

2006年12月17日 | ニュースから
ヤミ金返済、近所迷惑なら転居…警察が上申書書かせる(読売新聞) - goo ニュース

またしても警察の対応能力の低さを露呈した小さな事件が発生した。
ヤミ金(サラ金のキッツイヤツですわな)の取り立てが苛烈となり、近所の人達に「お前が肩代わりして返せ」とワケのわからない取立てをやったことから警察に苦情が入り、あろうことか借金している本人(違法な取立ての犠牲者)を呼び出して今後同じことがあったら転居する旨の上申書を書かせたという。

警察は誰を守るためにあるのか!
単純にそう憤るだけで収まるコトではない。
昨今、日本という“国”自体が、そこに住まいいる“国民”を守らなくなってきたと感じるのは自分だけだろうか?
先に取り上げた「ホワイトカラー・エグゼンプション」(年収400万以上のホワイトカラー系労働者に対して残業代を出さない)が頭に浮かぶが、削減される一方の福祉政策費はその象徴ではないだろうか。

いや、国民を守らなくなったわけではない。
確かに一部の国民は手厚く保護され、守られている。
しかし、大部分の国民は遺棄されているというのは穿ち過ぎか?
そんな中で教育基本法は改正された。
高らかに愛国心を謳いあげるその内容に違和感を感じることを非国民と呼ばれるなら甘受する。
本当の愛国心とは、いちいち国から「愛国心を持て!」と言われるものではない。
国民の教育の根幹を為す法律に、わざわざそう謳わなければ国民が愛国心を持てないような国は終わっている。
ただそう思うだけのこと。

…ニュースからは話がそれてしまった。