面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

そらいかんわ。

2008年08月17日 | 野球
日本、韓国に敗れ2敗=9回、岩瀬3失点-野球〔五輪・野球〕(時事通信) - goo ニュース


帰宅してテレビをつけたら2対2。
先制した直後、和田が四球を出して一発打たれて同点になっていた。

迎えた9回表の韓国の攻撃。
岩瀬が攻め込まれて瞬く間にランナーを塁上にためてピンチを招く。
日本ではほぼ考えられない左の岩瀬に左の代打。
しかしこの策が見事にハマッて同点打をくらってしまった。
このバッター、なかなかミートが巧そうな、ねちっこい感じのバッティングスタイル。
左対左は不利というセオリーに従うより、ランナーが得点圏まで来たのだから長打は必要なく、バットに当てるのがうまくて右打者よりもセーフになりやすい左打者を持ってきた韓国のベンチワークに押し込まれた感じだ。

そして1点獲られて集中力が落ちたのでもあるまいが、しょうむない守備を連発して追加点を許して万事休す。
サード村田の守備は相変わらず悪いし、事前に守備対応の確認を自ら行いながら二塁へ走ったランナーを刺そうとして暴投した阿部もまだまだ甘い。
国際試合に限らず、どこで行われるどんなレベルの試合であっても、大事な試合になればなるほど守備のミスが命取りになることは明々白々。
丸刈りにして試合に臨んだって、結果に結びつかなければただのパフォーマンスでしかない。

ここからは無敗を目指して、もっと気合いと集中力を高めて試合に臨んでもらうしかない。
それにしても9回裏のG.G.佐藤の不甲斐無さはヒドかった。
今後の試合に向けて、日本で見せる「キモティー!」のパフォーマンスに何となく“痛さ”を感じていた自分のカンが当たっていないことを祈るばかり…


エエのとちゃいますか。

2008年08月16日 | ニュースから
銅いらねえ!表彰式でメダル投げ捨てる(サンケイスポーツ) - goo ニュース


試合を見てないし、レスリングのこともよく知らないが、このレスリングに限らず、オリンピックにおける審判の判定に対する不信感は高まっているような気がするが、気のせいか?
特に格闘技系での判定がグダグダな気がするが、選手出身で、そのスポーツに精通した人間にのみ審判の資格を与えるくらいに厳しくした方がよいのではないだろうか?

野球でも試合を面白くもつまらなくもするのは審判だが、どのスポーツにおいてもしっかりと納得のいく判定をくだせるよう、“審判の品質”をしっかりさせてもらいたいものだ。


国の威信をかけて【その2】

2008年08月15日 | ニュースから
開会式の足跡花火映像は合成=北京五輪〔五輪〕(時事通信) - goo ニュース


そうそう、過剰演出と言えばもう一つの話題。
テレビ中継で話題になった、開会式が始まる際に、遠くから「鳥の巣」まで巨人があるいているかのように見せた“足型の花火”が、実はCGだったという。
それもチャン・イー・モウの演出だったのか…?
「鳥の巣」内でのセレモニーそれ自体で十分に見せることができていたのだから、そこまでせんでもよかったんとちゃいますやろか!?


国の威信をかけて

2008年08月15日 | ニュースから
開会式「微笑みの天使」は口パク、容姿でふるいに非難続出(読売新聞) - goo ニュース


オリンピックの開会式で9歳の少女が革命歌を歌っていたが、この少女が実際には「口パク」で、歌声は別の少女のものだったという。
関係者曰く、口パクの少女は容姿抜群、声の少女は歌声が抜群という理由で、2人を組み合わせたのだとか。

莫大な費用を湯水の如く使い、各国元首をまるで中国に「朝貢」に来たかのような扱いをして、国家の威信をかけた北京五輪開会式。
見た目と歌声とをベストの“組み合わせ”で全世界に発信することくらいあるだろう。
まあ、演出過剰ではないかとは思うが、そこは「白髪三千丈」の国。
客をもてなすとき、客が食べきれないほどの食事を用意するのが礼儀。
終わる頃にはゲップも出ないほどになっているかも!?


あべしずえ

2008年08月14日 | よもやま
会社への道すがら、若者3人のグループとすれ違った。
中の女の子があべしずえにそっくり!
思わず頭の中に「みずいろは~♪」と歌が流れたくらい。

でも、その女の子は、確実にあべしずえより若い。
そして、もしかすると、あべしずえを知らない。
たぶん、グループのメンバーもあべしずえを知らない。
なので、彼女に
「あんた、あべしずえに似てるね!」
と言う人間は、周りにいないかもしれない。
もしかすると彼女自身、そう言われても「誉め言葉」だとは分からない。

でも、彼女はあべしずえにそっくりだった。

北島はホンマに凄かった。

2008年08月13日 | ニュースから
展開完ぺき、進化を証明=北島、世界新で2連覇〔五輪・ハイライト〕(時事通信) - goo ニュース


スポーツニュースで見たが、この金メダルの泳ぎはホンマに凄かった。
とても平泳ぎとは思えないあのスピード。
自分がクロールで必死こいて泳いでも、とても追いつけない。
(当り前や、ちゅうねん)

イッパイイッパイとか切羽詰って追い詰められて…といった悲壮感の無い様子に、200mも大いに期待が持てる。
羽ばたけ!蛙王!!


「遊山船」 by紫亭京太郎 in落語Kタイム

2008年08月11日 | 落語
8月11日(月)夜10時(翌日朝10時再放送)
インターネットテレビ net channel KYO
「落語Kタイム」

本日は「遊山船」にてご機嫌を伺います。

夏の夕涼みと言えば、江戸は両国の川開き、京都は鴨川の床、大坂は大川の夕涼みが並び称されていた頃の、大坂でのお噺。
本ブログにて、以前にストーリーを丸々ご紹介いたしましたので、敢えてこちらではご案内をいたしません。

いつものように「ほほぉ、こんな噺もあるんや」と興味をもっていただき、プロの話芸へ手を伸ばしていただければ幸いです。
大阪在住の皆さんには、ぜひ天満繁昌亭へ足をお運びいただければと存じます。

まずはごゆるりと、お付き合いください。

アクセスはこちらまで!

http://www.nc-kyo.com/

☆ ご覧の際に ☆
アクセスしてしばらく、何も映らない黒い画面が表示されることがありますが、しばらくすると音声と映像が流れますので、そのままお待ちください。

「ラストゲーム 最後の早慶戦」

2008年08月10日 | 映画
1943年。
戦争が激化する中、練習に励む早稲田大学野球部の選手たち。
“敵国の国技”とされた野球に対する風当たりが強くなり、当時絶大な人気を誇っていた六大学野球は廃止された。
更に、学業優先とされていた大学生に対する徴兵猶予も停止されることとなり、彼らはボールを手榴弾に、バットを銃に持ち替えなければならなくなったのだった。
そんな中、顧問の飛田穂洲(柄本明)のもと選手たちは、出陣のその日まで野球を続けると誓っていた。
部員の戸田(渡辺大)は、厳格な父親から「敵国のスポーツにいつまでうつつを抜かしているのか」と叱責されながらも、軍隊に志願した兄から、
「戦争は俺に任せて、お前は野球をやれ」
という言葉を胸に、野球部の寮で合宿生活を続けていた。
そんなある日、慶應の小泉塾長(石坂浩二)が、飛田のもとに早慶戦を申し入れに来た。
「学徒出陣」を控えた学生達に、せめてもの餞として、この「伝統の一戦」を実現したいと言う小泉の提案に心打たれた飛田は実現に向けて動き出したが、思いもよらぬ反対にあい立ちすくむ。
早稲田総長・田中(藤田まこと)が絶対反対を唱えたのである…

太平洋戦争が激化すると、野球は、敵国アメリカの国技であるという理由で、軍部から目の敵にされることになった。
そのあおりを受けた六大学野球は解散を余儀なくされ、追い討ちをかけて学生の徴兵猶予も廃止された。
“死地”に赴く前の最後の願いとして行われた「出陣学徒壮行早慶戦」の話は知っていたが、その実現までの紆余曲折を初めて知り、改めて「学生野球の父」と呼ばれた飛田穂洲(とびたすいしゅう)と、教育者として名高い小泉信三の偉大さに心を打たれた。

両校の学生にとっての誇りである伝統の一戦を、軍部の反感を少しでも逸らせようと「出陣学徒壮行早慶戦」と銘打ったことには、忸怩たる思いがあったかもしれない。
しかし、もう二度と見ることができないと思っていた一戦が実現することになった喜びに比べれば、取るに足らないささやかなことであったか。
「これが最後の試合」と、この一球、この一振りに思いを込めてプレーした選手たちと同じく、スタンドを埋めた学生たちもまた、一つ一つのプレーを脳裏に焼き付けていったに違いない。
この日、試合が行われた早稲田のホームグラウンドである戸塚球場に集まった学生達は皆、自分は間違いなく早稲田・慶応の人間である!という誇りを胸に刻み、戦地へと向かう恐怖を乗り越えようとしたのではないだろうか。
その胸中を思うと、スクリーンは涙でにじんだ。
そして試合終了後、スタンドに陣取った両校学生によるエールの交換に、溢れる涙を止めることができなかった…

私事で恐縮であるが、小学生の頃から「週刊ベースボール」を愛読していた自分は、早慶戦に燃える神宮球場に身を置きたくて、早稲田に憧れたことがある。
もちろん(?)力及ばず入学することは叶わなかったが、関西の某伝統校に入学した際、早慶戦と同様、ライバル校との対戦がイベント化されていることを知り、その“伝統の一戦”の応援に某野球場へ行ったときは、結構感動したものだった。
「…高らかに叫べ、誇りの歴史。いざ立て友よ、勝利は待てり。白熱の意気、敵無し♪」
試写会からの帰り道、最寄駅から自宅までの間、気がつけば母校の応援歌を口ずさみながら自転車をこいでいた。

「野球(ベースボール) - 生きて我が家(ホーム)に還るスポーツ」
冒頭、スクリーンにこの言葉が現れた瞬間、心を鷲掴みにされた。
最後の早慶戦を戦った選手達だけでなく、多くのプロ野球選手も戦場で散ったあの時代に、なんと意味の深い言葉であろうか。
神山監督が、またひとつ、ヒューマニズム溢れる感動作を世に送り出した。


ラストゲーム 最後の早慶戦
2008年8月23日公開/日本  監督:神山征二郎
出演:渡辺大、柄本明、石坂浩二、藤田まこと、富司純子、柄本佑、原田佳奈

謝辞

2008年08月09日 | ニュースから
タモリの手には白紙…あふれる感謝そのままに(スポーツニッポン) - goo ニュース


先の日記でも書いたが、タモリの弔辞が“アドリブ”だったのではないかと話題になっている。
文章にできなかったのではないか?と書いたが、それ以上に、芸人として芸能界に時代を築くことができた最大の恩人である赤塚不二夫に捧げる謝辞として、アドリブによる弔辞という“芸”を故人に披露した、ということだったのではないだろうか。

<感動の弔辞全文>

弔辞

 8月2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。

 われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第1世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクター、私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりからわれわれの青春は赤塚不二夫一色でした。

 何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていた時に、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。終わって私のところにやってきたあなたは、「君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションにいろ」と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。

 それから長い付き合いが始まりました。しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。他のこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。

 赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。麻雀をする時も、相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。

 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんの額をぴしゃりと叩いては、「この野郎、逝きやがった」と、また高笑いしながら大きな涙を流していました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。

 あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。

 今、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が、思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外への、あの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

 あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。あなたにとって死も1つのギャグなのかもしれません。

 私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今、お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の1つです。合掌。

 平成20年8月7日、森田一義