やうちのブログ

gooの仲間と語り合う

ぼけ防止・昭和を振り返る-⑳

2016-11-03 10:34:50 | 昭和史
昭和23年-4

【巷の装い】

○ 流行語  うん~~思い出すな~↓
    
    「サマータイム」 「斜陽族」 「鉄のカーテン」 「ノルマ」 「ニュールック」 「男娼」 「主婦連」
    「こんな女に誰がした」 「老いらくの恋」 「冷たい戦争」 ほか

○ 歌  この年は 今も残る名曲の数々が生れている。
  
   「君待てども」  ♪君待てども 君待てども・・・(平野愛子)
   「懐しのブルース」 ♪古い日記の ページには・・・(高峰三枝子) 
   「東京ブギウギ」  ♪東京ブギウギ リズムうきうき・・・(笠置シヅ子) 
   「長崎のザボン売り」 ♪鐘が鳴る鳴る マリヤの鐘が・・・(小畑実)
   「フランチェスカの鐘」 ♪ああ あの人と別れた夜は・・(二葉あき子) 
   「流れの旅路」   ♪赤いマフラを いつまで・・・(津村謙) 
   「三百六十五夜」 ♪みどりの風に おくれ毛が・・・(霧島昇・松原操) 
   「湯の町エレジー」  ♪伊豆の山々 月あわく・・・(近江俊郎) 
   「異国の丘」  ♪今日も暮れゆく 異国の丘に・・・(竹山逸郎・中村耕造) 
   「憧れのハワイ航路」 ♪晴れた空 そよぐ風・・・(岡晴夫)  ほか

・NHKラジオの「のど自慢素人演芸会」でシベリアからの復員兵が「異国の丘」を歌い巷にヒット。
・ブギブーム-・・・服部・笠置のコンビで「東京ブギウギ」などセンセーショナルを巻き起こす。
・古賀メロディーの代表作「湯の町エレジー」が40万枚以上の売れ行き。
・毎日新聞掲載の“闇の女”の投書から生まれた「星の流れに」が発表から1年ぶりに大流行となる。

○ 映画
  「酔いどれ天使」(東宝)「手をつなぐ子等」(大映) 夜の女たち」(松竹) 
  「わが生涯の輝ける日」(松竹)「破 戒」(松竹)「風の中の牝鶏」(松竹) 
  「王 将」(大映)「第二の人生」(東宝) ほか

○ ベストセラー
 「斜陽」太宰治・「新書太閤記」吉川英治・「罪と罰」ドストエフスキー米川正夫訳 
 「親鸞」吉川英治・「この子を残して」永井隆  ほか

などなど  諸兄の想いは如何に・・・

 独断と偏見で綴る 「昭和23年-4]である。(23年・完)   24年に つづく 

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ぼけ防止・昭和を振り返る-⑲

2016-11-01 13:34:40 | 昭和史
昭和23年-3

続いて出来事一覧の【社会・文化】 ※印の検証 から

※3「帝銀事件」のこと・・・初老の坊主刈りの男

1月21日、同行推名町支店で「進駐軍の命令」と言って 行員らに青酸毒物を飲ませて14名を毒殺した男がいる。

その男は初老の坊主刈りの男で、応対した支店長代理にこう言った。
「すでにご承知と思いますが豊島区長崎二丁目の相田という家の共同井戸を使用している所から四名の集団赤痢が発生した・・・・その家の同居人が、今日この銀行に来ている

このことがすでにGHQに報告されていて、後から消毒班が来ますが、私に先に行ってこの予防薬を皆さんに飲んでおくように命令されました。これはGHQから出た薬で非常によく効きます」云々・・・
こうして18名の行員中14名を毒殺し、現金16万4千円と小切手額面1万7千円一枚が奮れている。

8月に至り犯人とされる平沢貞通を逮捕している。
12月の第一回公判では「取り調べられた検事に催眠術をかけられた」と犯行を否定。

昭和25年のの一審判決で、死刑を言い渡され、翌年の二審でも同じく死刑。
そして最高裁は、昭和30年4月6日、上告却下の判決を下し、死刑が確定している。

横山大観の弟子だった平沢は、死刑確定後も獄中で、支援者等から画材の差し入れをうけて絵を描き続けていたとある。

最終的に法務大臣も死刑執行命令にサインしないまま・・・何故なのだろうか?・・・今も疑問の符あり。
1987年(昭和62年)5月10日、午前8時45分、平沢は肺炎を患い八王子医療刑務所で病死した。95歳没。   


※4「東宝争議」のこと・・・米軍機・戦車など出動 

「空には飛行機・陸には戦車・・来なかったのは軍艦だけ

砧(きぬた)撮影所の仮処分に武装警官2000人、米軍機3機、戦車7輌、騎兵1中隊が出動している。
スト発生から4ヶ月目の8月19日のことである。

争議は4月8日、270名のクビ切りから発展し、その後もクビ切りは日劇ダンシングチーム、管弦楽団、営業部門など更に240名に及び、4月30日には撮影所のロックアウトを会社が宣言、映画製作は完全にマヒしてしまう。

東宝当局の強硬方針にはストの背景にある映画、演劇人の日映演組織の息の根を止める狙いがあったようだ。
その背後には”容共政策から反共政策”に転換したGHQの方針が見え隠れしている。

 独断と偏見で綴る「昭和23年-3」である。   つづく

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ぼけ防止・昭和を振り返る-⑱

2016-10-31 11:16:23 | 昭和史
昭和23年-2

先ずは出来事一覧【政治・経済】 ※印の検証 から

※1 「昭電事件」

化学肥料会社昭和電工が
復興金融金庫の融資を受けるために政界に多額の贈賄を行った事件である。

1948年6月以後、昭電社長をはじめ芦田均首相など44名が起訴され,
政、官、経済の各界にまたがったこの疑獄は、当時の芦田内閣を崩壊せしめた。

この事件が表面化したのは、
同年4月27日の衆議院・不当財産取引調査特別委員会で、野党の民主自由党(当時)・代議士が
「芦田首相や栗栖長官らは、昭和電工への復興金融不当融資に関係がある」と暴露したことから始まる。

芦田内閣は総辞職するも、閣僚クラスは全員無罪となっている。  
 

※2「極東国際軍事裁判判決」

昭和23年11月12日、東京市ヶ谷の極東国際軍事法廷では、1週間にわたった判決文の朗読が終わり、戦争犯罪人として起訴されたかっての指導者25名の被告に対し、刑の言い渡される日が来たのである。

本裁判は開始以来既に2年余が過ぎ、裁判日数423日とある。
年よりの多い被告たちにとって、市ヶ谷と巣鴨プリズンとの往復は決しては短いものではなかったことだろう。

判決は、昭和6年(1947)満州事変に始まり、太平洋戦争に至る日本の全軍事行動を戦略戦争と断じている。
そして「被告たちが、ドイツ。イタリアと組んで世界支配を企て、東アジアや、太平洋からインド洋に至る地域のを目的として共同謀議の立案、遂行にあたった」云々・・・判決は検察側の論告を支持するものであった。

次に刑の宣告であるが、12日の午後に行われている。
アルファベット順に名前を呼ばれて法廷の中央に進み、刑の宣告を聞くというものである。

この光景は高齢者のお方なれば今までに映画やテレビで脳裏にしみこんでいる場面である。
プリズンメント=フォア=ライフ」(終身刑)・・・ウェッブ裁判長の声が響く。

 ・絞首刑=東条英機ら7人(12/23執行)  ・終身刑=荒木貞夫ら16人 
 ・有期禁錮=重光葵ら2人 ・判決前に病死=松岡洋右ら2人  ・訴追免除=大川周明

 独断と偏見で綴る「昭和23-2」 である。  つづく

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ぼけ防止・昭和を振り返る-⑰

2016-10-29 12:01:07 | 昭和史
昭和23年-1

童謡歌手・川田正子が ♪みかんの花が 咲いていた~  と唄った
あの「みかんの花咲く丘」がラジオから流れている。 

あなたのお生まれになった年では?・・・
早速、この年の「時代背景」と「出来事」からみてゆく。

【時代背景】

米国の占領政策が“日本を非軍事化から反共の壁”へと転換しはじめ、
その後の講和や対日政策が具体化してゆく年となる。

そんななか 巷では、1月早々に「帝銀事件」と「寿産院事件」の
二つの大量殺人事件が起こり世間を吃驚させている。

一方庶民の暮らしぶりを見ると、
乗り物は殺人的な混乱で列車の座席をとるのに半日も一日も改札口に行列をつくらねばならなかった。

そこで登場したのが「ダブ屋とショバ屋」である。
ダブ屋からプレミアム切符を購入し、ショバ屋にたのんで席をとって貰う仕組みである。

また着る方ではアロハシャツが大流行し、女性の方はロングスカートが受け戦後の「洋装ブーム」の到来となる。その為洋裁学校に入学志願者がおしかけて、いくら教室を作っても追いつかなかったそうな。

何故洋裁学校なのか?・・
“一義的には着物からの洋装ブームへ、第2に戦争未亡人の内職の手段、第3に結婚後の手職を身につける”ことなどがその理由のようだ。
他にも、従来の着物から洋装に変ったことで、新たに小道具の天然ゴム製のバストマットが登場し、ブラジャーの普及が進むことになる。

そして11月に極東国際軍事裁判の判決が下り、東条英機らA級七戦犯の絞首刑が執行されている。

なおこの年元旦、二重橋が23年ぶり開放され国民の一般参賀が許可されている。

【政治・経済】

 1月 米陸軍長官ロイヤル、サンフランシスコで日本を全体主義に対する防壁にすると演説
 2月 GHQ、農地改革を連合国の至上命令として実施することを指令
    社会党内の左右対立事情により片山内閣総辞職
 3月 芦田内閣成立   ・ドレ-イバ-賠償調査団来日月 
 5月 海上保安庁設置・軽犯罪法公布
 6月  昭電事件、昭和電工社長贈賄容疑で逮捕 ※1
 7月  改正刑事訴訟法・改正民事訴訟法公布.
    GHQ,新聞の事前検閲廃止.
    国民の祝日に関する法律公布(天皇誕生日・文化の日など)
10月 芦田内閣総辞職  → 第二次吉田内閣成立.
11月 極東国際軍事裁判判決(東条英機ら7人が絞首刑・・12/23執行) ※2
12月 GHQ,経済9原則発表.
    吉田 内閣不信任案可決,衆院解散.
    GHQ,岸信介らA級戦犯19人を釈放.

【社会・文化】

1月 寿産院事件・もらい子103人を餓死させた寿産院院長夫妻逮捕.
   帝銀事件・行員12人毒殺(「進駐軍の命令」と云って行員等に青酸毒物・・) ※3
   関西汽船「女王丸」瀬戸内海で触雷沈没・死者・不明183人.
4月 新制高校発足.
   GHQ,祝祭日の国旗掲揚を許可.
   夏時刻法公布・日本初のサマータイム実施(4~9月).
5月 美空ひばり・美空和枝の名で前座歌手でデビュー.
6月 作家太宰治・玉川上水で山崎富栄と心中.
   文部省・一府県に一大学設置の原則を発表
   福井震災,死者3895人.
7月 改正刑事訴訟法・改正民事訴訟法公布.
   GHQ,新聞の事前検閲廃止.
   国民の祝日に関する法律公布(天皇誕生日・文化の日など).
   第14回オリンピック・ロンドン大会開催(日本の参加は不許可).
8月 プロ野球初ナイターを横浜で開催(巨人×中日)
   マッチ、8年ぶりに自由販売となる
  東宝争議で米軍機・戦車など出動「こなかっったのは軍艦だけ」 ※4
9月 アイオン台風(死者・不明2838人). 主婦連合会結成.  
   日本学生自治会総連合(全学連)結成.
   上野動物園におサルの電車開通.
11月 小倉市で初競輪(4日間で5万5千人).
12月 べネディクトの「菊と刀」ベストセラー

なおこの年元旦、二重橋が23年ぶり開放され、国民の一般参賀が許可されている。

※印は次回に検証  

 独断と偏見で綴る「昭和23-1」である。    つづく

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ぼけ防止・昭和を振り返る-⑯

2016-10-26 08:59:54 | 昭和史
昭和22年-3

【巷の装い】

○流行語
     
   「不逞の輩」 「オンリー」 「額縁ショー」 「アプレゲール」
   「集団見合い」 「学校給食」 「代用食」

○歌
 
   「とんがり帽子」     ♪緑の丘の 赤い屋根・・・・・・(川田正子) 
   「セコハン娘」      ♪みなさんどなたも 私のことを・(笠置シズ子) 
   「啼くな小鳩よ」    ♪啼くな小鳩よ 心の妻よ・・・・(岡 晴夫) 
   「夜霧のブルース」  ♪青い夜霧に 灯影が紅い・・・・(ディック・ミネ) 
   「山小舎の灯」     ♪黄昏の灯は  ほのかにともり・(近江俊郎) 
   「夜のプラットホーム」♪星はまたたく 夜ふかく・・・・(二葉あき子) 
   「星の流れに」     ♪星の流れに 身を占って・・・・(菊地章子)
   「雨のオランダ坂」  ♪こぬか雨ふる 港の町の・・・・(渡辺はま子)
   「港が見える丘」   ♪あなたと二人で来た丘は・・・・(平野愛子)
   「誰か夢なき」     ♪想いあふれて 花摘めば・・・・(竹山・藤原)
 
・NHKの連続ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌「とんがり帽子」が大流行 
 ・笠置シズ子が3月東京日劇で、9月大阪梅田劇場で「東京ブギウギ」を歌い大ヒット 
 ・平野愛子のデビュー曲「港が見える丘」が大ヒット

○映 画
  「安城家の舞踏会」 「今ひとたびの」 「銀嶺の果て」 「女優」 「戦争と平和」

○ベストセラー:夏目漱石全集・人生論ノート・キュリー夫人伝

などなどである。

この年天皇は、「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、
単ナル神話トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ・・・」との詔書を発し、全国巡行をされている。

庶民はやっと 『天皇も人間である』 ことを知った年である。

独断と偏見で綴る 昭和22年である。(完) 23年につづく

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ぼけ防止・昭和を振り返る-⑮

2016-10-25 07:26:20 | 昭和史
昭和22年-2

前回の「政治・経済」に続き、今回は巷の様子などを見てみる。

巷では、カストリ雑誌が氾濫し、パンパンガール、ストリップなるものが出現している。
六大都市のネオン街には街娼が4万人にも達したそうな。

(^^♪星の流れに身を占って  何処をねぐらの 今日の宿
                     ・
                     ・
              こんな女に 誰がした~
  である。

一方家庭では、電力不足の為にロウソク・ランプが大人気の年となる。

【社会・文化】

 1月 東京・新宿帝都座で初の額縁ヌードショー開演 (別記‐1)   
 2月 八高線(埼玉県)で列車転覆脱線・・死者184名・負傷者495人
 3月 教育基本法・学校教育法公布(六・三制を規定・国民学校→小学校)
     全国的に主食遅配(ヤミ取締り強化)
 5月 天皇、日本人記者と初会見
 6月 石坂洋次郎の「青い山脈」、朝日に連載はじまる(青少年に希望を与える)   
 7月 「鐘の鳴る丘」のラジオ放送はじまる
 8月 古橋広之進,400メートル自由形で世界新記録(フジヤマの飛魚出現)   
 9月 キャスリン台風来襲(関東地方大水害・死者2247名)  
10月 山口良忠判事、配給食糧を厳守し栄養失調で死亡、(別記‐2)
11月 多摩川畔で集団見合大会・、以降各地で流行 (別記‐3)     
     第一回共同募金(赤い羽根運動)はじまる
12月 100万円宝くじが売り出される(10人の百万長者が誕生)

※別記-1  「ヌードショーの登場」

この年の秋に、新宿でヌードショーがはじめて登場して大評判になっている。
趣向は、舞台の真中に大きな額縁を立て、泰西名画に見立てたモデルが乳房と上半身をあらわすだけのことだったそうな。

もし動いたら風俗取締りに抵触するので、わずか5~6秒だけだったそうである。
その後、一枚ずつ脱いでゆくストリップショーへと移ったのである。

※別記-2  「判事・ヤミを否定して栄養失調死」


この出来事は、食糧難に苦しんだ当時を如実に物語っている。
安い給料では食えぬ”と、判事・検事がぞくぞく弁護士に転職するなか、山口良忠判事だけは「いまこそ、判検事は法の威信に徹しねばならぬ」と、一切のヤミを拒否して配給生活を守り続け、極度の栄養失調で亡くなっている。

彼は「食糧統制法は悪法だ」と・・。しかし、「法律である以上国民はこれに絶対服従せねばならない」との想いからだったのである。
この信念は責任感が強いと評するよりも、判事という職務を考えて、死を覚悟していたとの見方が高い。

主食の配給が遅配し、物価が倍々式に上がった年である。

※別記-3  「集団見合大会」

大勢の兵隊さんが復員して、昭和21~22年にかけて結婚ブームが起こっている。
一方内地でも、結婚適齢期の女性達のなかには、売れ残る者も多かったようである。

そこで ある雑誌社が「花婿・花嫁の見合い大会」なるもの主催したところ、300名にも及ぶ適例者が集まり、胸に名札をぶら下げた男女がわれ先にと、花婿・花嫁さがしを展開したのである。

やがてマスコミの話題となり、各地で集団見合いの催しが流行している。今はやりの”合コン”のはしりである。

 独断と偏見で綴る「昭和22-2」である。    つづく

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ぼけ防止・昭和を振り返る-⑭

2016-10-24 10:43:10 | 昭和史
昭和22年-1  

        (^^♪緑の丘の 赤い屋根  とんがり帽子の 時計台
        鐘が鳴ります キンコンカン  メイメイ仔山羊も 鳴いてます
          風がそよそよ 丘の家  黄色いお窓は おいらの家よ~

            <「鐘の鳴る丘」(主題歌:とんがり帽子)>

【時代背景】

戦争や空襲で両親を失なったり、親とはぐれた少年・少女が浮浪児となり、街に氾濫していた。
冒頭の歌の如く この子等が収容された施設を描いた <ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」> が この年を物語っている。

巷では、ひもじい生活がまだ続いていた。そんななか、占領政策の労働組合奨励策によって、組合の結成が勢いづく。

そして2・1ゼネスト計画が出てくる。
しかし、マッカーサー司令官の命令で、直前にストは中止に至る。

このことが、革新勢力の主導権争いにも影響し、共産党は後退し社会党を有利にした。4月の両院選挙で社会党が第1党になり、6月に社会党を首班とする片山哲内閣が誕生する。
だが、民主・国協両党との連立のため、革新政権らしさを打ち出せず、大衆の夢を裏切っている。

早速、出来事からみてゆく。

【政治・経済】

 1月 吉田首相・年頭の辞で労働運動指導者を「不逞の輩」と非難 ※-1
     全官公庁労働共闘会議2月1日無期限ゼネストを宣言(→マッカーサー中止命令)
 2月 マッカーサー・吉田首相へ総選挙実施を指示
 3月 主食供出に警察力による取締り始まる
 4月 第23回総選挙・・・第一回知事・市町村長選挙。労働基準法公布。独占禁止法公布
 5月 日本国憲法施行される。 吉田内閣総辞職
 6月 片山内閣成立(社会・民主・国民協同の3党連立、自由党不参加) ※-2
 7月 公正取引委員会発足
 8月 広島で平和式典開催
10月 国家公務員法公布・改正刑法公布(不敬罪・姦通罪廃止) ※-3
11月 第1回共同募金開始。職業安定法公布。
12月 警察法公布。内務省廃・臨時石炭鉱業管理法公布(炭鉱国家管理)
     改正民法、改正戸籍法公布(「」制度廃止)

※印の項目詳細をみる。

※1-吉田首相の「不逞の輩」発言

ワンマン首相の異名を持つ彼が、「二・一スト」を目前の昭和21年の年末に、労働攻勢が高まり、デモの波が首相官邸や国会議事堂を包囲する事態となる。

吉田首相は元旦の放送で労働攻撃を激しく非難・・・「かかる不逞の輩が、我が国民中に多数あるとは信じない」とぶちあげ、労働運動へ挑戦するとともに、一般国民の賛成を求めるも、「不逞の輩」発言には、混乱のこ時代には民衆から不評を買っている。何故なら、インフレと食糧難が国民を追い詰めていたからである。

何れにしても 後世に残した彼の放言の一つであろうか?。

※2-片山内閣成立(社会・民主・国民協同の3党連立、自由党不参加)

4月25日、第23回総選挙が行われている。その結果、社会党が143人で第一党となり、自由党の131人を凌いだ。続いて民主党122、国民協同党29、共産党4、諸派・無所属で38となる。

一党で絶対多数を占める政党が無いため多種の連立構想が浮上、結果的に5月23日の国会での首班指名で自由党議員の投票も得た片山内閣の誕生となる。
組閣では自由党を除く社会・民主・国民協同3党連立でここに片山内閣が成立している。

※3-改正刑法公布(不敬罪・姦通罪廃止)

この年の5月に新憲法が施行され、これに伴って刑法や民法の一部も改正されている。刑法では不敬罪が廃止され、これまでの天皇に関することは重い刑を科せられていたものが、以降は一般人と同じく名誉毀損罪で裁かれることになる。

また、新憲法の男女平等の原則により、これまで妻だけに適用されていた姦通罪も廃止されている。 

 独断と偏見で綴る「昭和22年-1」である   (つづく)

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ぼけ防止・昭和を振り返る-⑬

2016-10-22 11:47:49 | 昭和史
昭和21年-3

前回の「政治・経済」に続き、今回は巷の様子などを見てみる。

【社会・文化】

   1月 南朝と名乗る「熊沢天皇」が出現 ※(別記)
       NHK「のど自慢」放送始まる(「のど自慢素人音楽会」)
       GHQ、「公娼制度」廃止を指令
   2月 東京の「ヤミ市露天」約6万店に達する
   4月 マッカーサー 米兵に日本女性との醜交を自重せよと要望
       漫画「サザエさん」夕刊フクニチに連載開始
   5月 第17回メーデー(5/1)11年ぶりに復活
       皇居前で「飯米獲得人民大会(食糧メーデー)」※(別記)
       東京六大学野球復活
   6月 東宝・第一回ニューフェス選抜審査会に約4000人が応募(三船敏郎・久我美子など)   
   7月 人口甘味「ズルチン」販売される
   8月 警察官のサーベル廃止・警棒に変わる
       全国中等野球大会復活
   9月 住友財閥令嬢誘拐される
  10月 女生徒の頭髪にDDTの強制散布
  11月 第一回国民体育大会(秋季大会)開催される

※南朝と名乗る「熊沢天皇」が出現

天皇の人間宣言の後 「我こそは正当な天皇なり」と称し世間を騒がす輩が続々とでてきた。
なかでも 名古屋で洋品店を営む熊沢寛道は「自分は南朝の正当な子孫であるからして 現天皇を退位させ 自分が天皇の位につく・・・」

などと各方面を説いてまわったそうだが 昭和26年に「現天皇不適格確認」の訴訟起すも 東京地裁で却下されている。

※飯米獲得人民大会(食糧メーデー)

終戦一年目の主食の配給は 大都市で大人ひとり一日2合1勺(一食茶碗一杯分)とある。
これでは身がもたず 主食代用にジャガイモ・サツマイモ・豆かすなどが配給され 副食の魚などは4日に一度の小魚一匹である。

これでは栄養失調で死ぬしかない。 よって5月16日に「食糧メーデ」が行われている。
この日デモ隊の一人が 「国体はゴジされたぞ・朕はタラフク食ってるぞ・ナンジ人民飢えて死ね」と書いたプラカードを掲げたので不敬罪に問われている。 その可否をめぐり議論が行われたが 不敬罪の廃止後 無罪になっている。

【巷の装い】

○流行語
    「アッそう」 「アプレゲール」 「隠匿物資」 「カストリ」 「ニューフェース」 「ご名答」 
    「オフリミット」 「公債」 など

○歌
    「リンゴの歌」   ♪赤いリンゴに くちびるよせて・・・(並木路子・霧島昇)
    「東京の花売り娘」 ♪青い芽を吹く 柳の辻に・・・・・・(岡 晴夫)
    「別れても」    ♪空になるこがらし 雨戸をうつ吹雪・・・・(二葉あき子)
    「悲しき竹笛」   ♪ひとり都の たそがれに・・・・(近江俊郎・奈良光江)
    「かえり船」    ♪波の背の背に 揺られてゆれて・・・(田端義夫)
    「青春のバラダイス」 ♪晴れやかな 君の笑顔・・・・・・(岡 晴夫)   など

○映 画
    「わが青春に悔いなし」 「はたちの青春」 「あるよるの接吻」 
    「歌麿を巡る五人の女」 「七つの顔」  など

○文 芸: 文芸雑誌・一般雑誌続々創刊
   「腕くらべ」永井荷風 ・ 「愛情はふる星の如く」尾崎秀実  など

○おかし: 芥川製菓、中村屋、モロゾフがチョコレート生産開始(グルチョコ)
   
この年は、宝くじ・三角くじ・スピードくじなどがすさんだ庶民の心をつかんだのか、売上が10億円に達したと言う。

更に六大学野球・全国中等学校野球・プロ野球なども復活するも、選手はフカシ芋を持参しての試合であったそうな・・。

独断と偏見で綴る「昭和21-3」である (つづく)

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ぼけ防止・昭和を振り返る-⑫

2016-10-20 11:08:44 | 昭和史
昭和21年-2

先ずは 昭和21-1の続きである。

【政治・経済】・・・前回の気になる ※印項目から見てゆく

※天皇の人間宣言(神格化否定の詔書)

当然のことながら連合国の間では 先の戦争での天皇の戦犯問題や 退位問題が議論されていたに違いない。そうした情勢を背景に「天皇の人間宣言」が行われたものと愚考するが マッカーサーの示唆があった?ともある。

この日の宣言を国民は平静に受け入れ 一切の権力を一身に体現していた「神聖不可侵」の天皇も 新憲法で否定され ここに象徴天皇が生れたのである。

※金融緊急措置令公布(総合インフレ対策として新円発行・旧円封鎖)

政府はインフレに対処するため2月17日に新円切り替えを行い預金の一切を封鎖し 所帯主は新円で一ヶ月に300円、所帯員は一人100円しか引き出されなくなった。また月給の現金支払いも500円までで あとは封鎖となり 旧円の流通も3月6日で打ち切られている。

但し封鎖の対象は10円札以上で “小銭はその限りにあらず”とあり 皆な小銭あつめに駆け回ったそうである。

更にこの封鎖でとんだ悲劇?も起きている。”亭主に内緒でこつことヘソクリを貯めこんだ奥さん“亭主にはバレる”は 出すに出されぬ預金通帳を恨めしそうに眺めるばかりであったそうな。

※極東国際軍事裁判所開廷される(東京市谷)

時は4月29日(天長節)、場所は市谷(陸軍士官学校あと)。国際検事団は28人の被告に対する長文の起訴状を読み上げている。

日といい場所といい 全くもって演出されたこの設定に驚く。 さもあらん、軍国主義の悪に挑戦するが如く一種の見世物として 民衆の印象を強める必要があってのことだったのだろう。

戦犯の逮捕は占領直後の前年9月11日の東条英機大将から始まり、11月19日発表された戦犯名簿に皇族の梨本宮をはじめ 天皇の側近であった近衛文麿や木戸幸一らがあり 天皇の身に戦犯追及が及ぶとみられたが 天皇の逮捕は行わず 国際軍事裁判所は東条以下28名を起訴し 昭和21年5月3日東京裁判が始まっている。


※新日本国憲法公布(平和憲法) 

昭和21年11月3日 盛大な歓呼のうちに公布されている。
当時の式典の様子を伝える記事では以下のようにある。

『天皇は、午前11時、議会に行幸して、公布の勅語を読まれた。都内では小学生の旗行列が行われ、皇居前の祝賀都民大会には、約10万人の市民が集まった。

そして午後2時、都吹奏楽団の“千代田の空を仰い”の演奏で式典がはじまった。式辞、祝賀文の朗読が終ると、演奏は“君が代”に代わり,10万人の合掌がとどろいた』 とある。

憲法が示した三大原則は「国民主権主義」・「基本的人権の尊重」・「平和主義」である。

現憲法が占領軍から押し付けられたものにあるにせよ その誕生までに幾多の生みの苦しみがあったようだ。殊に制定にあたっては「天皇の地位」・「戦争放棄」・「封建制度廃止」が争点であったことは言うまでもない。

あれから70年、そして今 その改憲にむけての議論が活発化している。
一度 命をかけて誓ったあの9条はどうなるのだろうか?・・・との想いがしきりなり。

※シベリア引揚げ第1船・舞鶴入港

終戦のとき 海外にいた日本人は軍人・軍属が約300万人一般邦人が約350万人合計650万人とされている。

引揚げがはじまったのは終戦の翌月からで 21年8月末には 中国・満州・南朝鮮・中部太平洋・比島などから既に440万人が故郷の土を踏んでいる。

ソ連地区は 終戦時の治安混乱の為 状況不明で引揚げが遅れたが 12月5日に函館に樺太からの第一船が入港したのをはじめ 大連・北朝鮮・シベリア各地からも帰国がはじまっている。

しかし シベリアからの引揚げのピ-クは昭和24年6月20日にずれ込み、舞鶴港に入港した高砂丸は「赤い引揚船」として当時話題になっている。 
 
 独断と偏見で綴る「昭和21-2」である (つづく)

  
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ぼけ防止・昭和を振り返る-⑪

2016-10-19 09:46:08 | 昭和史
いよいよ戦後編である。
先ずは昭和21年から25年までをみる。

昭和21年-1

2007年問題としてクローズアップされた「団塊の世代」の皆さんが お生まれになった初年度である。
新時代の幕開けの年であり、出来事も多岐にわたるので複数編でこの年を検証する。

   (^^♪ 赤いリンゴに くちびるよせて
          だまって見ている 青い空
        リンゴはなんにも 言わないけれど
           
             ・
             ・     
     (リンゴの歌 並木路子・霧島昇 歌)

戦後の日本は「リンゴの歌」で明けた。
この歌は映画「そよかぜ」の挿入歌だそうな。
1945年10月10日に公開された佐々木康監督によるもので 松竹大船撮影所の製作なり。
戦後のGHQの検閲を通った第1号映画として知られる。 
勿論「リンゴの唄」は 大ヒットとなっている。

先ずは、

【時代背景】

支那事変に端を発し太平洋戦争へと進んだ15年戦争も漸くにして昭和20年8月15日の玉音放送をもって太平洋戦争が終結し、ここにアメリカの占領下で新生日本のはじめての正月を迎えた年である。

この正月には天皇から 日本国民に思いもよらぬプレゼントがあった。
即ち天皇の「人間宣言」である。

天皇が自らその神格を否定することを宣言したのである。

このことは神武天皇から続く天皇観をひっくり返し 日本国民の歴史観と価値観を大きく変換させたものであった。

一方、GHQの指導のもと、軍国主義者の公職追放や不穏団体の解散・農地解放・労働組合の結成など民主化が急テンポで進みだし新選挙法による総選挙が行われ、11月には日本国憲法が公布されている。

しかし巷では、食糧危機は益々深刻になり“米よこせ”デモが全国的に広がり 戦争のキズはまだ国民生活に深く突き刺さったままであった。巷のことは別に綴ることとする。

【政治・経済】
     1月 天皇の人間宣言 (神格化否定の詔書) ※
        GHQが軍国主義者の公職追放・超国家主義団体の解散を指令      
        琉球列島・小笠原諸島の日本行政権・アメリカに移る
        GHQ、公娼制度廃止を指令
     2月 金融緊急措置令公布(総合インフレ対策として新円発行・旧円封鎖)※
        臨時財産調査令・隠匿物資等緊急措置令公布
        天皇が戦後初の地方巡幸 (神奈川県など各地)     
     3月 物価統制令公布施行
        政府がマッカーサー草案の趣旨に基づく憲法改正草案要綱
         (主権在民、象徴天皇、戦争放棄を規定)を発表
     4月 幣原反動内閣打倒人民大会 (デモ鎮圧に米軍・警官出動)       
        新選挙法による第22回衆議院選挙・男女平等初選挙(女性39人当選)  
        幣原内閣総辞職 
     5月 極東国際軍事裁判所開廷される(東京市谷) ※
        第一次吉田茂内閣成立 ※
        飯米獲得人民大会(食糧メーデー)
        天皇 家族国家の伝統に期待し“食糧難を克服せよ”と放送
     6月 米首席検事 ワシントンで“天皇を戦争犯罪人としない”と言明
     8月 経済団体連合会(経団連)発足
        全日本産業別労働組合会議結成大会
     9月 生活保護法公布
         労働関係調整法公布
     10月 戦時補償特別措置法・金融機関再建整備法など公布
        農地調整法改正、自作農創設特別措置法公布    
     11月 新日本国憲法公布 ※
     12月 内務省、特殊飲食店(赤線)指定を指示
        シベリア引き揚げ第1船、舞鶴入港
        近畿、四国を中心に南海地震発生(死者1300人以上)

次回は ※印項目の細部から見てゆくこととする。     

 独断と偏見で綴る昭和21-1である。 つづく

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ぼけ防止・昭和を振り返る-⑩

2016-10-14 11:46:53 | 昭和史
昭和20年-2

ここで「太平洋戦争」を今一度おさらいしておく。

【戦い済んで日が暮れて~】

昭和16年12月の「開戦」から3年9ヶ月、昭和12年の「日中戦争」から数えれば9年、さらに昭和6年の「満州事変」まで遡ると実に15年に及ぶ長い戦争が日本の大敗北でようやく終っている。

ここに、“日出る国・日本帝国”は崩壊したのである。
では、「日本敗北の要因」は何であったのだろうか?・・・

第一にその戦争計画の無謀極まる失策にあるように思う。日中戦争の泥沼に踏み込んだまま、貧弱な経済力を無視して、我が身の丈の十倍以上の経済力を有する強大国家との長期に及ぶ対決を余儀なくされたことである。

具体的には、潜水艦や飛行機による海上交通の封鎖日本商船は壊滅し、日米両国の戦争能力の不均等を拡大させ、やがては日本経済を破綻に追い込んだ。

他方、封鎖と並行する連合国の軍事作戦の圧力は、日本の陸海空戦力を次第に消耗と崩壊の一途をたどらせるに至ったのである。

専門書によると、「戦争の帰結は本土爆撃以前の(昭和19年末)に、既に太平洋上または外郭防衛線上に決定されつつあった。本土空襲は日本敗北の基本的原因ではなく、日本の敗戦は本土戦略爆撃が開始される以前に既に確定的となっていたのである。

加えて、連合軍の潜水艦と飛行機の攻撃による日本商船の莫大な損失、日本軍の陸海空三方面における相次ぐ軍事的敗北原爆と通常爆弾による空からの攻撃、ドイツの敗北ソ連参戦の衝撃など、一切が相合して日本に降伏を余儀なくさせた」とある。

では、この戦いによるバランスシートはどうなっているのだろうか?・・以下の如しなり。

【太平洋戦争・負債勘定】

1、人的損害 ・・・全戦没者310万人以上(日中戦争死没者18,9万人含む)   
  ① 軍人・軍属の戦死・行方不明:240万人(陸軍約183万人・海軍約57万人)    
  ② 空襲・その他による一般市民の死者:70万人(うち原爆による死者:32万人)

2、物的損害 ・・・兵器の損害は当時の価格で700億円 
  ① 軍事的損失:航空機52,700機 ・ 艦艇870
  ② 商船被害:損失814万トン・大破75万トン

3、戦  費 ・・・当時の価格で総額7,559億円(日中戦争以降の総軍事費)    
  ※昭和19年度における軍事費の歳出予算に占める比率は85,5

4、物的資産被害 ・・・被害総額は当時の価格で653億円   
    建物・家財道具・港湾・運河・船舶・鉄道・車両・通信設備

とある。

「おわりに」

三百十万に及ぶ人命の損失、おびただしい国富、その他物的の莫大な犠牲や巨大な戦費を注ぎ込んだにもかかわらず、日本は無条件降伏に至っている。壮大な大東亜共栄圏のことも夢のまた夢で終り、辛うじて残された日本本土、そして外地の軍人、軍属及び居留民約七百万人が引き揚げねばならなくなった。  これが敗戦当時の日本の姿である。

“こんな無謀な戦争は決して二度と繰り返してはならぬ” 
太平洋戦争の最大の教訓である。

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ぼけ防止・昭和を振り返る-⑨

2016-10-13 10:42:35 | 昭和史
昭和20年-1

この年は 暮し向きでも戦前戦後の境をなす一年となった。

ガソリンの代用品「松根油」のため 松の根っこ堀に精を出していた日々も、8月15日正午の天皇陛下の「終戦詔書」の放送が仕切り線となったのである。

玉音放送を聞き入る大人達の虚脱感はいかばかりであっただろうか?・・・

当時の小生は、♬皆で体操うれしいな~国民学校一年生~であり、
幼な心にも、大人たちから貰い涙をしたことを覚えている。
これでコウリャンの団子でなく、白いお米のおにぎりが食えると・・・

【戦 局】

太平洋戦争の敗色はいよいよ濃くなり、3月10日には、B29が東京を大空襲して12万余の死傷者を出し、更に12日には名古屋、14日には大阪、17日には神戸、その後米軍は各地方都市の無差別攻撃を仕掛けることになる。

6月に入り最後の砦とした沖縄守備軍が玉砕し、広島・長崎がピカドンに見舞われ、果ては満州国境を越えてきたソ連軍の参戦でもう後退り叶わぬ日本は遂に連合国のポツダム宣言を受託無条件降伏している。


【そして終戦】

8月30日には 連合国軍最高司令官マッカーサー元帥が厚木に到着 9月には、ミズーリ号上で降伏文章に調印を行うこととなる。

この日より日本の行く末は 大本営に代わりGHQに委ねられることとなった年である。

【戦 後】

新宿の焼け跡にヨシズ張りのマーケットができ、これが各地の闇市のハシリなる。

ハシリついでに 立川基地では発疹チフスを媒介する“シラミ”退治に空からDDTが散布され,以後全国の学校や街頭で強制的に散布されることとなる。

復興の第一歩は,第1回宝くじの発売、そして天上の焼け落ちた国技館での大相撲本場所の再開、更にプロ野球の再開(東西対抗試合)などである。

また東京では、「輪タク(幌かけ三輪自転車)」が登場し、大阪には「ぬくもり屋(焚き火にちょっとあたると50銭)」なるものが出現している。

また上野駅では、日々餓死者が出る一方、外地からは復員がはじまるのである。

【流行語】  

  「一億玉砕」「ピカドン」「進駐軍」「四等国」「パンパン」「肉体の防波堤」
  「戦犯」「浮浪児」「タケノコ生活」など

【出来事】

  1月  米軍・ルソン島に上陸
  2月  ヤルタ協定成立・ソ連対日参戦を決定
  3月  硫黄島の日本軍全滅
  4月  小磯内閣総辞職・鈴木貫太郎内閣成立 ・陸海軍特別攻撃隊・連日沖縄に出撃
      戦艦大和・徳之島沖で沈没(戦死者2500人とも2700人とも)
  5月  米軍・沖縄本島に上陸
  6月  沖縄の日本軍守備隊玉砕(戦死者=日本軍9万人・一般国民10万人) 
  7月  ポツダム宣言発表(鈴木首相、ポツダム宣言黙殺を表明)
  8月  広島・長崎に原子爆弾投下 ・ソ連が日本に宣戦布告
      ポツダム宣言受託・無条件降伏   玉音放送
      鈴木内閣総辞職   東久邇稔彦内閣成立
  9月  ミズーリ号上で降伏調印  第一次戦犯容疑者逮捕
 10月  GHQ設置
 11月  財閥解体指令出る
  12月  新選挙法成立(婦人参政権) 農地改革指令出る  労働組合法公布

【歌・映画】

 <歌>  「お山の杉の子」
  ♬むかし むかしの その昔 椎の木林のすぐそばに
       小さな小山が あったとさ あったとさ

              ・
         (安西・加賀美・寿永・唄) 
 
 <映画>  「勝利の日まで」「伊豆の娘たち」「そよかぜ」

などなど・・・。  

     独断と偏見で綴る昭和20年-1である。  (つづく)

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ぼけ防止・昭和を振り返る-⑧

2016-10-09 09:59:23 | 昭和史
 昭和19年   

(^^♪かわいい魚雷と いっしょに積んだ  
       青いバナナも 黄色くうれた
        男所帯は 気ままなものよ 
    ひげも生えます ひげも生えます 不精ひげ~
  
           (轟 沈)

【世 相】

街中は「進め一億火の玉だ」の標語があちこちに目に付く。
隣保班では 竹槍訓練が始まり、学校では 学童集団疎開が開始された年である。

で、竹槍のことであるが、「竹槍では間に合わぬ」と書いた毎日新聞の記者が東条首相の逆鱗にふれ 懲罰招集に発展している。誰が見ても“竹槍では敵機は落とせず”、当たり前のことを言った者が罰せられたご時勢である。

一方巷では、一人一杯20銭の雑炊食堂が大人気となる。但し店によっては汁ばかりなので、丼に箸を立てて倒れなければ合格と定めている。また、酒は配給制となり一所帯月2合(2級酒1升8円)とのこと。

そのうち中学生以上の学徒全員動員が発せられ、14~25歳の女性を女子艇身隊として軍需工場などに動員することになる。そして11月24日には、70~110余機のB29による東京初空襲が行われている。 

ここにきて いよいよ「神風特別攻撃隊」の出番となるのである。
       
       ♪燃料片道 テンツルシャン  涙で積んで  
      行くは琉球 死出のたび  エーエ 死出のたび~ 
  
             (特攻隊節)
【時 局】

この年1月、大本営はビルマにいた第15軍に「国境越えしてインドのインパールを占領せよ」との指示を出している。目的は、インドから蒋介石救助のルートを断つものである。

しかし、結果は食糧・弾薬とも不足のなかの強行行軍であり、7月に至り73,000人の死傷者をだす「自滅戦」で終っている。

開戦当初の中国大陸からは、
   
    ♪春まだ浅き戦線の 古城に香る梅の花  
    せめて一輪母上に 便りに秘めて 送ろじゃないか~


と、軍事郵便が届いたのに この年の6月に入り、白梅の代わりにグラマンが本土初空襲を行うに至る。

一方海上では、マリアナ沖海戦に敗北してからサイパンが陥落し、陸海あわせて31,000余のほとんどが玉砕している。なかでも哀れなのは 一般市民25,000名のうち4,000名があのマッピ山から身を投げて死んだことである。

こうなっては東条内閣も遂に総辞職に追い込まれ、東条の独裁体制は崩れたのである。しかし、後任の小磯・米内連立内閣もなんら方針も持たず、 戦争完遂を叫ぶばかりでこの期の対応になっていない。

その後の戦況ではグァム島の玉砕、そしてレイテ沖海戦での敗北と 各地の日本軍は次第に戦力を失っていったのである。  (数字は資料によりバラツキ有り)

【出来事】

  1月 大都市に疎開命令(東京・名古屋で空襲に備え建物強制取り壊し決定)
  2月 決戦非常措置要綱決定
  5月 国民総決起運動中央総会開催
  6月 マリアナ沖海戦・B29中国基地から北九州を攻撃(日本本土初空襲)
  7月 サイパン島の日本軍玉砕  ・東条内閣総辞職→小磯・米内内閣成立
  8月 グァム島の日本軍玉砕 ・学徒勤労令・女子艇身隊勤労令公布
     竹槍訓練始まる  ・学童集団疎開開始
 10月 レイテ沖海戦 ・満18歳以上を兵籍に編入 
 11月 米爆撃機B29、111機による東京初空襲

【歌・映画】

  <歌> 
 「月夜船」 ♪おおい そこゆく のぼり船  今夜は月夜だ・・(波平暁男・唄)
 「轟 沈」 ♪かわいい魚雷と いっしょに積んだ 青いバナナ・(楠木繁夫・唄)
 「ああ紅の血は燃ゆる」♪花もつぼみの若桜 五尺の生命ひっ・・(酒井・安西・唄)
 「突撃ラッパ鳴り渡る」♪勝って逢おうと 誓って往った 友の・(楠木・三原・唄)
 「いさおを胸に」♪いろはのいの字は 命のいの字  誰も忘れ・(楠木・松原・唄)
 「特幹の歌」♪翼輝く 日の丸に  燃える闘魂 目にも見よ・・(藤原義江・唄)

 <映画> 「三尺左吾平」「加藤隼戦闘隊」「小太刀を使う女」

などなど・・・。独断と偏見で綴る昭和19年である。 (つづく)

     

ぼけ防止・昭和を振り返る-⑦

2016-10-08 10:46:55 | 昭和史
昭和18年-2

破局への道 「大東亜共栄圏の崩壊」

東條首相は、第79議会で「大東亜の各民族をして、日本帝国を核とし、共栄共存の秩序を確立しょう」と演説し、八紘一宇の精神により「大東亜共栄圏」を作り、『米英帝国主義』の圧迫からアジアの諸民族の開放をさけんだ。 

即、「大東亜省」が作られ、満州・中国の汪(おう)政権・タイ・仏印などの政治・文化・経済を管轄している。

s18年8月のビルマ、10月のフィリピンの独立承認、自由インド仮政府承認など、日本は一応の承認を認めるも、「共栄共存」とは、実際には各地に軍政が引かれ、日本による東南アジアの資源確保が目的である。

石油・ゴム・スズ・ボーキサイトなどの原料を略奪するための三井・三菱・住友などと大資本による現地人を無視した経済開発が進められたようだ。

またフィリピンでは日本軍により、サトウキビ畑を綿花畑に変えさせて住民の生活を破壊し、ベトナムでは、水田をジュート畑に変えさせたことで、食料不足をきたし、そののち200万人もの餓死者を出すなど、東南アジア経済に与えた影響は大きかった。

そのうえ、占領各地では、日本語の授業と君が代の斉唱を押し付けたのは言う間までもない。まことに迷惑至極な話である。

このような日本の占領に対し、ベトナムでは16年にホーチンらによるベトナム独立同盟が結成され、翌年にはフィリピンで抗日人民軍ができ、マレーでもシンガポールの中国人殺害ゲリラが起こり、インドネシアでは共産党が抗日地下組織を作り日本軍に抵抗している。

一方、朝鮮語を奪われ名前を変えさせられた朝鮮では、人民革命軍が日本支配を悩ませ、台湾でも動きがあったそうな。

このようにみると「大東亜共栄圏」とは かくの如きものだったのである。

「国民の強制労働」

資産・財力・労力のすべてを軍事産業優先としてきたものの、アメリカの反攻作戦は、南方からの資源輸送を困難にし、生産性は次第に衰えてゆく。

そのうえ、労働力の不足は著しく、国民の大動員がはじまる、
s18年を境に、徴兵と同じく、男子に徴用が課せられ、学徒による大動員がかかる。

さらに、家族制度崩壊の恐れありと反対のあった「女子挺身隊」の徹底的な強化拡大で労働力不足をおぎなったとある。

一方、農村部は?と みると、若者を戦場に取られて労働力不足で農業の荒廃がひどく、食料不足が深刻化し、米の配給も一人当たり一日2合5勺から2合1勺と減り、麦・高粱・芋などの代用食となる。

蛇足ながら小生も終戦直後にコーリャンの団子を食してる。

こうなってくると、
物資が不足すればするほど物価は高騰し、闇ルートの取引が行われ、

 “世の中は、ホシ(陸軍)にイカリ(海軍)に、闇に顔”  となるのである。

 独断と偏見で綴る 昭和18-2 である。 (つづく)

 
  

ぼけ防止・昭和を振り返る-⑥

2016-10-07 11:07:29 | 昭和史
   (^^♪ 見よ少量の皿あけて まだ食い足りぬ芋の粥
       哀れな子らにハラハラと 涙は落ちる親同士
       おお欠乏の朝ご飯 そびゆる富士の姿ほど
      米・味噌積んでゆるぎなき わが日本に早くなれ~

           替え歌・愛国行進曲より)

開戦3年目に入ると ♬見よ東海の空あけて~も、歌の文句とは裏腹に、♪金甌無欠揺るぎなき~ はずが多いに揺らぎ、替え歌の如き事態となり、これよりジリ貧が加速する年となるのである。

【背 景】

前年6月のミッドウェー海戦を転機に日米の勢力は逆転し、アメリカ軍の反抗は日ごとに強まり、ガタルカナルを中心とするソロモン海が主戦場となる。

ガタルカナル島には、日本海軍陸戦隊230名と飛行場建設人夫2000名がいて飛行場の建設にあたっていたが、ガ島の戦略的価値を高くみたアメリカ軍の奇襲上陸により、設営隊はジャングルに追いやられ、救援のかの一木支隊・川口支隊も全滅し、この年の二月に、大本営も敗北を認め撤退している。

しかし、大本営は国民向けには「転進」と発表し、その後の大本営発表はマユツバものとなる。そんななか、四月に山本五十六連合艦隊司令長官がソロモン群島で作戦中に、ガ島から発進した米軍機により撃墜され戦死している。

そして五月には、大本営より「アッツ島玉砕」の発表があり、国民は「全滅」ではなく,「玉砕」の道を歩んだ2千数百名の守備隊を“武士道の鑑”と賛美している。ここから玉砕が相次ぐことになろうとは、国民の思いもよらぬ戦局となるのである。

また、“足らぬ足らぬ”は戦闘機や工夫だけではなく、日中戦争以来の戦闘で軍隊に於ける下級指揮官の大量不足となって、その不足を補う為に「学徒動員」の緊急勅令が公布され、従来の大学・専門学校生の徴兵が満26歳まで猶予されていたのが、理科系を除く法文科系学生の徴兵猶予が取り消しとなっている。よって10月21日には、秋雨の降る神宮外苑で戦場に赴く学徒兵の壮行会が行われたのもこの年である。

【出来事】

  2月 ガタルカナル島撤退開始
  5月 アッツ島日本守備軍全滅
  6月 学徒動員計画発表
 11月 大東亜会議開催
 12月 第1回出陣学徒が入営する。徴兵年齢1年引き下げ(19歳)

日本は物資の無いままこの戦争をはじめたのだから「国民総力戦」であることは誰の目にも明らかである。その影響はもろに国民の消費生活にはね返って表題のごとく、「替え歌・愛国行進曲」が歌われている。

また、蓄・米英語はご法度となり、「サンデー毎日」→「週刊毎日」、「キング」→「富士」、「オール読物」→「文芸読物」の如くになる。

更に、ご婦人の服装についても大日本婦人会が長袖の女性に“決戦です!すぐお袖を切って下さい!”と、カードを渡す「長袖追放街頭運動」なるものを展開している。

一番庶民を苦しめたのは「米の買出し厳罰令」である。違反は“10年以下の懲役または5万円以下の罰金”となる。因みに米1升の公定価格が50銭でヤミ米が3円くらいの頃である。

さらに可愛そうなのは動物園の猛獣達である。空襲に備え「薬殺、餓死」となったからである。

【歌・映画】

 <歌>  
「同期の桜」 ♪貴様と俺とは同期の桜 同じ航空隊の庭に咲く・・・(歌手多数) 
「若鷲の歌」 ♪若い血潮の予科練の 七つボタンは桜に錨・・・(霧島・波平・唄) 
「加藤隼戦闘隊」 ♪エンジンの音轟々と 隼は往く雲の果て・・・・(灰田勝彦・唄) 
「勘太郎月夜唄」 ♪影か柳か勘太郎さんか 伊那は七谷糸ひく・・・(小畑・藤原・唄)

 <映画> 「無法松の一生」「伊那の勘太郎」「マライの虎」

などなど・・・。

独断と偏見で綴る昭和18年である。   (つづく)