やうちのブログ

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新幹線で東京さ・行って来ました~(2)

2016-05-30 16:31:45 | 
第二日目  <浅草寺参詣・江戸東京博物館・靖国神社参拝>

東京浅草「リッチモンドホテル」での目覚め。
早速窓のカーテンを開くと左手前には「浅草寺五重塔」、右後方に昨夜上った「スカイツリー」がある。
ホテルより電車で10分余りのところにそびえたつ勇姿なり。

シャワーをして身を整えて食堂に出向く。既にたくさんの方々が着席されていた。
ここでも外国人の方が多数いらっしゃるな~・・流石首都なりの想い。

9:00今日の行動開始、 先ずは「浅草寺」へ・・・
チエックアウトは12時なので手ぶらでの参詣なり。
     
浅草寺参拝は10数年ぶりなり。仏様にお線香を手向けねんごろにお詣りする。
帰り道に朝の仲見世通りを散策し、ホテルをチェックアウト。

江戸東京博物館」に移動である。
予てより見学しててみたいと思っていた施設である。 
  
目下”真田丸”の特別展開催中、時間をかけてゆっくり観賞したいが侭ならず、3時間余で移動なり。※なお特別展は撮影禁止につき 写真はありません。

最後に「靖国神社」に詣でる
亡きじいちゃんは (^^♪上野駅から九段まで 勝手知らないじれったさ~でお詣りしたと聞いていたが、自分は息子の案内で九段坂もすいすいと…ただ、猛暑で汗だくの参拝となる。
        
時計は既に4時近く。>帰りの新幹線時刻まで40分余り~と息子がせかす。
急いで東京駅へと引き返す。
        
こうして「新幹線に乗って東京スカイツリー見学」の夢を叶えることができたのである。

新幹線で東京さ・行って来ました~(1)

2016-05-29 15:38:59 | 
先週の21日(土)~22日(日)です。
息子夫婦に引率された夫婦2組の旅でした。

北陸新幹線は開業から2年、東京スカイツリーは既に4年目の体験でした。

第一日目  <スカイツリー見学と家族揃っての夕餉> 

上野着AM11:34 東京メトロ銀座線(5分)で銀座駅~スカイツリ-ライン(3分)でとうきょうスカイツリ―駅に到着、ソラマチで昼食とする。どこも人ひとの波でした。


( スカイツリー入館)
PM1:30タワーヤード4Fから正面エントラスへ、予約時間2:00~2:30の入場である。
事前にセブンイレブンで入場券引換券を購入していたのでスムーズに展望シャトル(エレベータ)へ搭乗で来た。
   
先ずは展望台(展望デッキ350m・展望回廊450m・エレベター)へ。
展望デッキで展望回廊の入場券を購入して450mに上る。

展望回廊を一廻り(445→450)すると、
かの石川五右衛門、京都南禅寺の門に上り発した“絶景かな~絶景かな”~の名セリフの如し。
されば 島倉千代子の ♬ここがスカイツリ― 記念の写真を 撮りましょね~となる。

あちこち回るうちに予定の時刻も迫り お土産を注文して宅急便に託し浅草駅に帰る。
   
(家族揃っての夕餉)
浅草雷門前で6時に東京在住の次男と合流しました。
この時間帯 仲見世通りは土曜日ということもあり込み合っていました。

程なく次男が到着、お正月以来の再会です。
元気な息子の顔を見て安堵する親、世の常なりです。

世話役の長男夫婦の案内で宴会場の『今半』につく。
食卓のメインは特上牛の「すき焼き」次男の好物なり。美味いうまいと食してくれて嬉しい。
一座敷2時間はあっという間に過ぎ、次男を見送り今夜のお宿リッチモンドホテルに入る。

部屋よりの窓越しのスカイツリーと浅草寺の五重塔が何とも言えない眺めなり。


つづく
     

城崎温泉の旅-2

2010-10-06 12:57:22 | 
「城崎温泉」

城崎温泉(きのさきおんせん)は兵庫県豊岡市城崎町にある。
平安時代から1300年の歴史をもつ。江戸時代には『海内第一泉(かいだいだいいちせん)』と呼ばれていたそうな。

江戸時代の温泉番付では西の関脇にランクされ、ライバルの有馬温泉は西の大関とある。第二次世界大戦中の温泉街は、軍人病院となっていた。

温泉街は七湯ある外湯めぐりが主体の温泉である。このせちがないご時世に、自分の所に来たお客様を他所に回すなんて考え難いが、ここではどの旅館でも外湯めぐりを進めるから合点が行かない土地柄である。

城崎温泉駅前から7つの外湯につながる大谿川沿いに温泉街を形成されていて、川べりの柳に風情がある。知名度の割りに、歓楽色の少ない閑静な情緒を感ずる。冬はカニ料理に人気があるが、今回のカニ料理は期待外れだった。

泊まった旅館は温泉街の外れにポツリとある「深山楽亭」と言う旅館である。中に入ると古き佳きレトロな情趣を醸しだす。ここには3年前にも泊まっていて二度目となる。

一風呂浴びてお目当ての宴会である。お酒の方は男性9名なので当たりも良い。しかし、皆なさん昔の勢いはどこえやら、ピッチが鈍くお互い歳を感ずる。むしろ女性軍の方が数も多いだけ元気があった。

2次会のカラオケは歌より雑談が弾む。束の間の楽しいひと時を過ごす。
飲むのに忙しく、温泉街の写真を撮れなかったのが心残りなり。


「天橋立」

日本三景の一つ天橋立は、宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる全長3.6キロメートルの砂嘴である。一帯には約8,000本の松林が生え、東側には白い砂浜が広がる。砂嘴の幅は20メートルから170メートルに達するところまであるそうな。

傘松公園まではリフトでで登り、「股のぞき」「かわらけ投げ」に興ずる。

帰りはロープウエーで下る。

“股のぞき 四角い世間 丸く見せ”

の心境なり。

こうして、一泊二日の楽しい「城崎温泉の旅」を無事終えたのである。 


城崎温泉の旅-1

2010-10-04 17:54:19 | 
過日、会社OB会の1泊2日の旅行に参加した。
この旅行は毎年行われているが5年ぶりの参加である。

行き先は、城崎温泉・舞鶴・出石・天橋立などである。

このコースは他の会で3年前に行っているが、
今回「舞鶴引き揚げ記念館」が見学コースに入っていたので参加した。
参加者は、総勢24名(男9・女15)の面々である。

以下、散策雑記

「舞鶴引き揚げ記念館」

先の大戦の終結にともない、当時海外に取り残された日本人660万人余の方を引き揚げさせるべく、舞鶴港は引き揚げ港の一つとして昭和20年10月の第一船入港から、昭和33年9月の最終船まで実に13年間の長きにわたりその使命を果たしている。そんなことから「引き揚げの町・舞鶴」が全国区となり、同館は昭和63年4月に開館されている。

館内には、「激動の歴史年表」「引き揚げ船模型」「収容所の悲惨な生活模型」「各種写真」、そして双葉百合子さんの「岸壁の母」のモデルとされる「端野イセさん」の写真にも面会した。なお、同館周辺は「引き揚げ記念公園」として整備されている。↓


「出石(いずし)散策」  
          
出石は但馬の小京都ともいわれている。室町時代には山名時氏が但馬を制圧、その子時義が此隅山に本拠を構えたことにより、但馬の中心として繁栄している。下って宝永3年(1706)に信州上田から仙石氏が入り5万8000石の城下町となる。仙石氏は七代にわたり出石藩を治め明治を迎えている。そんな関係でこの地の名物は「出石皿そば」である。

辰鼓楼(しんこうろ)          

毎朝、藩士の登城時間、辰の刻(御前8時)を告げる太鼓を打ち鳴らしていた見張り櫓である。明治以降は大時計に付け替えられ、今は三代目の時計が時を刻んでいる。今は町のシンボルとなっている。→

宗鏡寺(すきょうじ) 
元和2年(1616)に沢庵和尚が再建したことから沢庵寺とも呼ばれている。代々出石城主の菩提寺となっている。境内には沢庵作の庭園や和尚に纏わる品が数多く残る。

沢庵和尚は三代将軍家光に厚遇を受けたが、名声を好まない沢庵は出石に帰り、漬物の沢庵漬けを広めている。前回訪れた時に買いそびれた沢庵漬けを今回は土産に買ってきた。さすがに旨い!

つづく