「皇太子さまお生まれなった」
♪日の出だ日の出に 鳴った鳴った ポーオポー
サイレンサイレン ランランチンゴン
夜明けの鐘まで
天皇陛下お喜び みんなみんなかしわ手
うれしいな母さん 皇太子さまお生まれなった〜
1933(昭和8)年12月23日、今上天皇陛下(当時・明仁親王)がお生まれになっている。
4人の皇女様しかお生まれになっておられなかったので、日本国中がそれはそれは喜びでわいた年である。 これで自ら側室制度を廃止された昭和天皇も安堵されたのである。
この年は1月に山海関(中国万里の長城の東端にある要塞)で日華両軍が衝突し、3月には満州国を認めない国際連盟を脱退して一匹狼になった年でもある。
また国内では、三陸地方に地震・津波ガ発生して死者3,000人に達している。
こんな年の暮れを明るくしてくれたのが皇太子さまのご出生で、この慶事は全国津々浦々にサイレンで告知されたそうである。人々は旗や提灯を持って街を行列して祝ったそうな。
今日は天皇の誕生日を祝う国民の祝日である。
♪日の出だ日の出に 鳴った鳴った ポーオポー
サイレンサイレン ランランチンゴン
夜明けの鐘まで
天皇陛下お喜び みんなみんなかしわ手
うれしいな母さん 皇太子さまお生まれなった〜
1933(昭和8)年12月23日、今上天皇陛下(当時・明仁親王)がお生まれになっている。
4人の皇女様しかお生まれになっておられなかったので、日本国中がそれはそれは喜びでわいた年である。 これで自ら側室制度を廃止された昭和天皇も安堵されたのである。
この年は1月に山海関(中国万里の長城の東端にある要塞)で日華両軍が衝突し、3月には満州国を認めない国際連盟を脱退して一匹狼になった年でもある。
また国内では、三陸地方に地震・津波ガ発生して死者3,000人に達している。
こんな年の暮れを明るくしてくれたのが皇太子さまのご出生で、この慶事は全国津々浦々にサイレンで告知されたそうである。人々は旗や提灯を持って街を行列して祝ったそうな。
今日は天皇の誕生日を祝う国民の祝日である。
今日は 去る4日公示の第46回衆院選の投票日である。
その前に街なか中継-2から 今日までを見る
12/09 衆院選・街なか中継③
(しょう) (ひ) (ぜ) (い)
“勝負の決め手は日替わりメニュー 全国津々勇み足”
/10 衆院選・街なか中継④
“どんぶり勘定の員数合わせ 質より量だけ欲しい票”
/11 衆院選・街なか中継⑤
“党則厳しい評議の縛り 迂闊に動けぬ病歴者”
/12 衆院選・街なか中継⑥
“ジョークも疎らな浮かない民主 正義の味方は今何処”
/13 衆院選・街なか中継⑦
“攻める自民に守りの民主 そうはさせじと竹の子党”
/14 衆院選・街なか中継⑧
“民主諦め自民に乗ろか ここが思案の口車”
/15 衆院選・最終日
(しゅう) (ぎ) (いん) (せん)
“終盤近づき疑問の時間 因果なことだよ選挙戦”(A候補)
“選挙資金がどっさり届く あとは寝て待つ果報だけ”(B候補)
“可愛がられた原発なれど 病持ちでは脱か卒”(C有権者)
そして今日は
/16 衆院選・投票日
“すったもんだの謎かけごっこ 何方に応えるこの一票”
(あ) (じ) (さ) (い)
“あまた候補の陣取るなかで さてさて何方が射るお席”
バラならぬ「紫陽花」を胸にするのは?・・・
“開票待たれる その宝船”~である。
その前に街なか中継-2から 今日までを見る
12/09 衆院選・街なか中継③
(しょう) (ひ) (ぜ) (い)
“勝負の決め手は日替わりメニュー 全国津々勇み足”
/10 衆院選・街なか中継④
“どんぶり勘定の員数合わせ 質より量だけ欲しい票”
/11 衆院選・街なか中継⑤
“党則厳しい評議の縛り 迂闊に動けぬ病歴者”
/12 衆院選・街なか中継⑥
“ジョークも疎らな浮かない民主 正義の味方は今何処”
/13 衆院選・街なか中継⑦
“攻める自民に守りの民主 そうはさせじと竹の子党”
/14 衆院選・街なか中継⑧
“民主諦め自民に乗ろか ここが思案の口車”
/15 衆院選・最終日
(しゅう) (ぎ) (いん) (せん)
“終盤近づき疑問の時間 因果なことだよ選挙戦”(A候補)
“選挙資金がどっさり届く あとは寝て待つ果報だけ”(B候補)
“可愛がられた原発なれど 病持ちでは脱か卒”(C有権者)
そして今日は
/16 衆院選・投票日
“すったもんだの謎かけごっこ 何方に応えるこの一票”
(あ) (じ) (さ) (い)
“あまた候補の陣取るなかで さてさて何方が射るお席”
バラならぬ「紫陽花」を胸にするのは?・・・
“開票待たれる その宝船”~である。
今日の暦には、「針供養の日」とある。
針の供養は江戸時代から、針の労をねぎらい裁縫上達を祈る祭りとして広まったそうである。昔の針仕事は女性にとって大事な仕事の一つであったのである。
一方、暦には載っていないが、71年前の1941年(昭和16年)12月8日は、「太平洋戦争開戦日」である。
人間、得てして嫌なこと、悪しきことは忘れ去りたく、良いこと、楽しかったことは何時までもよく覚えているものである。しかし、71年前の今日の日のことは、我々の年代ですら忘れがちである。
ましてや若い世代では、未履修のこともあり、ほとんどの方は頭の片隅にもないのでは?・・・もっとものことである。このせちがない時代を生き抜くことは至難なことであり、過去のことより、“今この時をどう生きるか”のご時勢である。
そのことを知りつつも、敢えてその日を紐解く。
勿論、私も乳飲み子であり、この日のことは知る由もなく、長じて知った出来事である。
当日の再現である。朝から、ラジオの勘高い声が鳴り響く.
“臨時ニュース・臨時ニュースを申し上げます”
―帝國陸海軍は本八日未明西太平洋において米英軍と戰鬪状態に入れり―
(大本營陸海軍部發表・十二月八日午前六時)
陸軍は 英植民地のマレ―・コタバルへ敵前上陸、
海軍は ハワイ・真珠湾へ奇襲攻撃を同時に敢行している。
(時差の関係で陸軍が早い)
ここでは、「真珠湾攻撃」をみる。
日本海軍は空母6隻(飛行機353機)で奇襲攻撃、敵戦艦4隻を撃沈するなど、アメリカ太平洋艦隊に大打撃を与えている。
この報は、暗電・トラ・トラ・トラ(ワレ奇襲ニ成功セリ)で本国にもたらされているが、それさえ聞けずに名誉の戦死を余儀なくされた兵士達が居たことを忘れてはならない。
なかでも、この作戦で用いられた特殊潜行艇(全長:24m・全幅:1.85m)5隻(2人乗り)に乗り組んだ九軍神たちである。(1人は捕虜)
結果として、彼等の現場での戦果は皆無であるも、本戦争における両国民の意識高揚の小道具となったのでる。
即ち、日本では、大本営による「敵艦アリゾナ轟沈」の小道具に使われ、国民の熱狂を誘引することとなる。
一方、米国では、座礁で捕虜となったS少尉の特殊潜行艇を市中引き回しならぬ、全米本を土引き回して、ルーズベルト大統領の軍事国債発行に係る正当性の小道具に使われている。
”帰艦かなわぬ軍神たちはトラトラトラを黄泉で聞く”
後に彼等は軍神と崇められ、4ヶ月後に日比谷公園で海軍合同葬を営んで貰ったとあるが、そのご遺族には、12月8日は“痛恨の極み”の一日であったに違いない。
そして昭和20年8月15日、全戦没者310万人(軍人・軍属230万人、民間人・800万人)に及ぶ尊い人命の犠牲をもって漸く終戦を迎えたのである。
針の供養は江戸時代から、針の労をねぎらい裁縫上達を祈る祭りとして広まったそうである。昔の針仕事は女性にとって大事な仕事の一つであったのである。
一方、暦には載っていないが、71年前の1941年(昭和16年)12月8日は、「太平洋戦争開戦日」である。
人間、得てして嫌なこと、悪しきことは忘れ去りたく、良いこと、楽しかったことは何時までもよく覚えているものである。しかし、71年前の今日の日のことは、我々の年代ですら忘れがちである。
ましてや若い世代では、未履修のこともあり、ほとんどの方は頭の片隅にもないのでは?・・・もっとものことである。このせちがない時代を生き抜くことは至難なことであり、過去のことより、“今この時をどう生きるか”のご時勢である。
そのことを知りつつも、敢えてその日を紐解く。
勿論、私も乳飲み子であり、この日のことは知る由もなく、長じて知った出来事である。
当日の再現である。朝から、ラジオの勘高い声が鳴り響く.
“臨時ニュース・臨時ニュースを申し上げます”
―帝國陸海軍は本八日未明西太平洋において米英軍と戰鬪状態に入れり―
(大本營陸海軍部發表・十二月八日午前六時)
陸軍は 英植民地のマレ―・コタバルへ敵前上陸、
海軍は ハワイ・真珠湾へ奇襲攻撃を同時に敢行している。
(時差の関係で陸軍が早い)
ここでは、「真珠湾攻撃」をみる。
日本海軍は空母6隻(飛行機353機)で奇襲攻撃、敵戦艦4隻を撃沈するなど、アメリカ太平洋艦隊に大打撃を与えている。
この報は、暗電・トラ・トラ・トラ(ワレ奇襲ニ成功セリ)で本国にもたらされているが、それさえ聞けずに名誉の戦死を余儀なくされた兵士達が居たことを忘れてはならない。
なかでも、この作戦で用いられた特殊潜行艇(全長:24m・全幅:1.85m)5隻(2人乗り)に乗り組んだ九軍神たちである。(1人は捕虜)
結果として、彼等の現場での戦果は皆無であるも、本戦争における両国民の意識高揚の小道具となったのでる。
即ち、日本では、大本営による「敵艦アリゾナ轟沈」の小道具に使われ、国民の熱狂を誘引することとなる。
一方、米国では、座礁で捕虜となったS少尉の特殊潜行艇を市中引き回しならぬ、全米本を土引き回して、ルーズベルト大統領の軍事国債発行に係る正当性の小道具に使われている。
”帰艦かなわぬ軍神たちはトラトラトラを黄泉で聞く”
後に彼等は軍神と崇められ、4ヶ月後に日比谷公園で海軍合同葬を営んで貰ったとあるが、そのご遺族には、12月8日は“痛恨の極み”の一日であったに違いない。
そして昭和20年8月15日、全戦没者310万人(軍人・軍属230万人、民間人・800万人)に及ぶ尊い人命の犠牲をもって漸く終戦を迎えたのである。