やうちのブログ

gooの仲間と語り合う

大晦日

2011-12-31 23:18:32 | 日記
今年も残すところ10時間を切った。
 (おお)    (み)           (そ)          (か)
“多く託した見果てぬ夢を そっと混ぜ込む鏡餅”

当家では、天神様にもお出ましを願った。


◆ご 挨 拶◆

お仲間の皆様、アクセス下さった皆々様、 
この一年間 ご贔屓を賜り誠にありがとう御座いました。

新しき年を迎えるに当たり、 
皆々様のご健勝とご多幸を祈念申し上げます。

よいお年を!

今年の10大ニュース

2011-12-24 19:43:25 | 日記
共同通信社・選


【国 内】

(1)東日本大震災と東電福島第1原発事故

(2)菅首相が居座りの末退陣、ドジョウ野田内閣誕生

(3)サッカー女子W杯、なでしこジャパン世界一


【国 際】

(1)北朝鮮の金正日総書記が急死、世界に波紋

(2)欧州の財政危機拡大、政権交代相次ぐ

(3)中東に民主化の波、リビアのカダフィ大佐死亡


で 私の重大ニュース

(1)禁煙続行中 

今年もあと10日・・・

2011-12-21 16:38:01 | 日記
2011年はどんな年だったのだろうか?・・・振り返る。

年明け早々各地で豪雪。
そんななか、児童養護施設に匿名で寄付を行う「タイガーマスク運動」が全国に広がる。
そして菅第2次改造内閣発足した。
チュニジアでは23年間の独裁制を敷いていたベンアリ大統領、国外へ脱出し政権崩壊した。

2月には、大相撲の八百長疑惑で春場所の開催中止。
ニュージーランドでは、マグニチュード6.3の大地震が発生し、邦人を含む28人が犠牲となる。

3月には東北大震災(M9.1)が発生し、これにより福島第一原子力発電所で事故。死者・行方不明者数は2万人以上となる。
海の向うでは多国籍軍が、リビアでの飛行禁止空域の設定を目的として軍事介入が始まる。

4月には焼肉チェーン店でユッケを食べた男児が腸管出血性大腸菌O111に感染し死亡。
他店でも同様の集団食中毒が発生、福井県と富山県で計4人が亡くなられている。

5月には大相撲の八百長問題で中止された夏場所に代わり、技量審査場所が始まる。
オサマ・ビン・ラディンをパキスタンのイスラマバード近郊で殺害とアメリカ政府が発表。

6月には、あの悪名高きお方に内閣不信任決議案が提出されるも、数に頼んでそれを否決る。

7月には岩手県・宮城県・福島県を除く地域でのアナログテレビ放送がデジタル化。
スーダン南部が独立し、アフリカで54番目の新国家が誕生する。

8月には民主党代表選挙で、野田佳彦が民主党代表に選出される。

9月には台風15号が大暴れ、東海地方を中心とした日本各地で多大の被害が出る。
また、東北新幹線の東日本大震災に伴う「暫定ダイヤ」が震災前のダイヤに戻る。

10月には秋篠宮家の眞子内親王が成年になった。

11月にはオリンパス粉飾決算が発覚。

12月には今年の漢字が発表され、当年は絆に決まった。
そして一昨日、北朝鮮の金正日総書記が病死 した。

残り10日間、何事も無く過したいものである。




初雪

2011-12-17 17:07:21 | 暮し
いよいよ雪となる。

例年より8日遅れで、昨年より5日早い初積雪である。

さもあらん。師走月も既に70年目の太平洋戦争「開戦日」も過ぎ、赤穂浪士の「吉良邸討ち入り」も終り、今年の漢字も「絆」に決まった。

そして昨日、野田首相は首相官邸で記者会見し、事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所の原子炉が、安定化の目安である「冷温停止状態」を達成し、事故収束を目指した工程表のステップ2を完了したと宣言した。

これで本当に「明日待たるるその宝船」、となるのだろうか?・・・

♪早くこいこいお正月~ である。


太平洋戦争史-(完)「戦いすんで日が暮れて」

2011-12-10 10:15:31 | 太平洋戦争史
太平洋戦争は今から66年前の昭和二十年八月十四日、日本は連合国に「ポツダム宣言」の受託を通知し、日本の無条件降伏でその幕を閉じている。

振り返れば、昭和16年12月の開戦から3年9ヶ月、昭和12年の日中戦争から数えれば9年、さらに昭和6年の満州事変まで遡ると、実に15年に及ぶ長い戦争が日本の大敗北でようやく終っている。

ここに、“日出る国・日本帝国”は崩壊したのである。


以下、「太平洋戦争・負債勘定」である。

 1、人的損害・・・全戦没者310万人以上(日中戦争死没者18,9万人含む)   
    軍人・軍属の戦死・行方不明:240万人(陸軍約183万人・海軍約57万人)   
    空襲・その他による一般市民の死者:70万人(うち原爆による死者:32万人) 
 
 2、物的損害・・・兵器の損害は当時の価格で700億円 
    軍事的損失:航空機52,700機 ・ 艦艇870隻
    商船被害:損失814万トン・大破75万トン

 3、戦  費・・・当時の価格で総額7,559億円(日中戦争以降の総軍事費)    
    昭和19年度における軍事費の歳出予算に占める比率は85,5%

 4、物的資産被害 ・・・被害総額は当時の価格で653億円   
    建物・家財道具・港湾・運河・船舶・鉄道・車両・通信設備

◆おわりに◆

三百十万に及ぶ人命の損失、おびただしい国富、その他物的の莫大な犠牲や巨大な戦費を注ぎ込んだにもかかわらず、日本は無条件降伏に至っている。

壮大な大東亜共栄圏のことも“夢のまた夢”で終り、辛うじて残された日本本土、そして外地の軍人、軍属及び居留民約七百万人が引き揚げねばならなくなった。

これが敗戦当時の日本の姿である。
“こんな無謀な戦争は決して二度と繰り返してはならぬ”太平洋戦争の最大の教訓である。

                (完)

12月6日から五日間に亘り 幣拙文にお付き合い戴き 有難うございました。

太平洋戦争史-④ 戦況編(昭和16~20年)

2011-12-09 11:32:09 | 太平洋戦争史
お手数でしょうが各年次をお開き下さい。↓(私の別ブログです)

【昭和16年(1941)】
http://www.seniorcom.jp/community/diary_show_d.php?prgId=889&id=58301&user_id=12498

【昭和17年(1942)】
http://www.seniorcom.jp/community/diary_show_d.php?prgId=889&id=60882&user_id=12498

【昭和18年(1943)】
http://www.seniorcom.jp/community/diary_show_d.php?prgId=889&id=54890&user_id=12498

【昭和19年(1944)】
http://www.seniorcom.jp/community/diary_show_d.php?prgId=889&id=60924&user_id=12498

【昭和20年(1945)】
http://www.seniorcom.jp/community/diary_show_d.php?prgId=889&id=56779&user_id=12498

戦況編(完)

続く

太平洋戦争史-③ 開戦・「真珠湾攻撃」とマレー「コタバル上陸」

2011-12-08 10:07:19 | 太平洋戦争史
今年は「太平洋戦争・開戦70周年」で、今日はその日である。

奇しくも、今朝のNHKニュースでは、「太平洋戦争末期に激戦地となった硫黄島で、先月29日から、今年度初めてとなる発掘調査を行い、およそ1週間で155人の遺骨を収容しました」と報じている。

早速、昭和16年12月8日にタイムスリップする。

昭和16年12月8日朝7時、ラジオは突然臨時ニュースのチャイムを鳴らした。
以下、その日を再現する。

「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申上げます。大本営陸海軍部午前6時発表。帝国陸海軍部隊は本八日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」

♪守るも攻むるも くろがねの  浮かべる城ぞ たのみなる
 浮かべるその城 日の本の  皇国の四方を 守るべし
 真鉄のその艦 日の本に  仇なす国を 攻めよかし~ 
 
                (軍艦行進曲)  

この日のラジオは、一日中数々の軍歌にのせて開戦ニュースを流していたそうである。

太平洋戦争はハワイ、マレー、フィリピン、香港、グアム等に日本が先制攻撃を行なって始まっている。

大本営の作戦では、ハワイ空襲開始とマレー上陸開始の相互関係については特に熟慮して同時攻撃を行っている。何故なら、一方が先行すれば他方の急襲が失敗に終わる恐れがあったからである。

早速「真珠湾攻撃」を見る。

ご案内のとおり、昭和16年(1941)12月8日(ハワイ現地時間12月7日)に、日本海軍の機動部隊が航空機を主力にハワイの真珠湾にある米海軍基地(アメリカ太平洋艦隊と航空基地)に対して行った奇襲攻撃のことである。

この作戦は、連合艦隊司令長官山本五十六の構想の下に行われ、これによりアメリカ・イギリスに宣戦して太平洋戦争へと突入、この時点で日本とアメリカも第二次世界大戦に参戦することとなる。

作戦経緯をみると、11月に日本海軍機動部隊は真珠湾攻撃に備え、千島列島の択捉島単冠湾に集結し、26日に、連合艦隊命令により、ハワイ沖に向け出航している。

機動部隊は、12月3日に山本長官の激励の電報を受け、12月7日 0700(現地時間1230)旗艦赤城のマストに、 「皇国の興廃この一戦にあり 各員一層奮励努力せよ」の信号を掲げ、オアフ島からの敵飛行哨戒圏内に突入して行く。

これとは別に12月7日夜 開戦時の配備についた先遣部隊のうち特別攻撃隊の特殊潜航艇5隻は、同夜真珠湾外において各々母艦を発進している。

その後、特別攻撃隊はラナイ島の西方海面で収容配備についたが、発進した5隻の特殊潜航艇は1隻も帰艦することはなく、♪トラトラトラ(我レ奇襲に成功セリの暗号電)を黄泉で聞く~こととなった。

なお、この奇襲攻撃で軍事施設以外を攻撃しないように目標を限定したため、一般市民に与えた被害は少なかったようである。

この奇襲攻撃の戦果は、 戦艦・巡洋艦など船舶の撃沈・大破が18隻、航空機が200余機、戦死・行方不明2,400余人、戦傷2,380余人。

一方、日本軍の損害は、飛行機では、喪失機29機・要修理機122機、特殊潜航艇5(乗員9名戦死 1名捕虜)、戦死搭乗員55名。とある。

しかし、その日の真珠湾には米国主力艦隊はここには居なかったので無傷で残り、その後の戦いに日本軍は窮地に追い込まれることになるのである。

次に マレー「コタバル上陸」↓ である。

http://www.seniorcom.jp/community/diary_show_d.php?prgId=889&id=54521&user_id=12498

こうして太平洋戦争は、旧日本軍の「真珠湾奇襲攻撃」と、ここマレー半島の「コタバル敵前上陸」をもって開戦したのでる。


この先 玉砕・本土空襲の悪夢の日々が続くことになろうとは、誰もが思わないいままに暮れた12月8日である。

太平洋戦争史-②「開戦への経緯」

2011-12-07 14:51:07 | 太平洋戦争史
何事もそこに至るには それなりの要因がある。
太平洋戦争に至った要因を挙げるなら その時の時代背景ではなかろうか?・・・。

昭和12年(1937)に勃発した盧溝橋事件の後、日本は、アメリカ・イギリス・オランダ等との間で対立が深まっていた。双方は以前から中華民国(支那)における利権を巡り対立していたのである。

日本は当時、中華民国領へ侵出していた。
これに対しアメリカ、イギリス、支那、オランダ等は日本に対して中華民国領への侵出を停止することを求めていた

そんななか、なをも申し入れを拒む日本に、四ヶ国は、遂に「石油と鉄鋼の輸出制限」などの措置をとる様になってきたのである。(現在の北朝鮮が置かれている立場に類似しているかも・・)

このことは自国に対する挑戦であると反発した日本は、ドイツ・イタリアと「日独伊三国軍事同盟」を締結し、発言力を強めようとしたが、かえって日独伊と英米などとの対立を一層深める結果となったようだ。

苦境に立つ近衛文麿内閣は、昭和16年4月から関係改善を目指してワシントンでアメリカと交渉を開始したが、7月に日本軍がフランス領インドシナへ侵出すると、両者の関係は決定的に悪化し、アメリカは「在米日本資産の凍結」、日本への「石油輸出の全面禁止」などを通告している。こうなっては近衛内閣もお手上げである。

10月に近衛内閣から代わった東條英機内閣は、11月20日アメリカに対する交渉最終案を用意して来栖三郎特命全権大使、野村吉三郎大使等にハル国務長官に対し交付させ、以後の最終交渉に当たらせた。

しかし日本の行動を快く思わない蒋介石や、チャーチルの働きかけもあるなか、11月26日朝、アメリカ海軍から“台湾沖に日本の船団の移動”との報告を受けた(実際は輸送船であったがアメリカ海軍による故意の過大報告とも?)ルーズベルトは両案とも拒否し、中華民国・インドシナからの軍、警察力の撤退や日独伊三国同盟の否定などの条件を含む、いわゆるハル・ノートを来栖特命全権大使らに提示してきたのである。

これを日本に対する最後通牒と受け取った東条内閣は12月1日の御前会議において日本時間12月8日の開戦を決定している。

こうして運命の昭和16年12月8日を迎えるのである。  続く

太平洋戦争史-①「神の国」のこと

2011-12-06 12:21:46 | 太平洋戦争史
未履修科目・日本史のうち「神の国」をみる。

神の国とされた日本の戦史を辿ると、古くは、文永(1274年)・弘安(1281年)の二度に亘る蒙古来襲も神風?が吹き、フビライの元軍(モンゴル)に不戦勝したのである。

それ以来、明治維新を終えて富国強兵を図った明治期には、♪日清談判破裂して〜品川乗り出す東艦〜と、征清歌を唄った「日清戦争(明治27〜28年)」では、清国海軍主力艦・定遠をも撃破して勝利を収めている。

更にその10年後には、今度は当時の軍事大国・ロシア、♪一列談判破裂して 日露戦争はじまった〜の、世紀の一戦「日露戦争(明治37〜38年)」に臨む。

この戦いでは、世界最強とされたバルチック艦隊を有するロシアに、東郷平八郎元帥率いる日本連合艦隊が、T字作戦を用いてこれまた撃破している。(NHK「坂の上の雲」参照)

よって乃木大将(当時は中将)が、わが息子等を犠牲にして悪戦苦闘した不落の要塞・203高地を漸く陥れることとなる。

これより以前、広瀬中佐の♪轟く砲音飛び来る弾丸〜荒波洗うデッキの上に~と、唱歌で唄われた、数次にわたる旅順港閉塞作戦も侭ならずの果てに、この203高地陥落で、漸くにして旅順港の敵艦隊を全滅に至らしめたのである。

この報に日本国中は、♪日本勝った〜日本勝った〜ロシァ負けた〜ロシァの皇帝腰ゃ抜けた〜と唄い、各地で提灯行列が行われている。

しかし、ここまで負け知らずの神の国ではあったが、昭和期に入るや、その神話も崩れ、米英などからなる連合軍に嫌と云うほど叩きのめされ、漸く悪しき夢から目が覚めたのである。続く

もう直ぐ12月8日・・・

2011-12-06 11:49:52 | 日記
12月8日って何の日?・・・

>う~ん あなたの誕生日?・・・

あぁ~御事納、針供養の日だ、暦に書いてある。

しかし、暦には載らない「太平洋戦争・開戦日」でもあるのです。

今年は、太平洋戦争開戦70周年だそうです。

この戦争には、皆様のおじいちゃん。そして私には父や兄貴が召集されました。

あれから70年。

太平洋戦争を知る年代も数少なくなり、過去の出来事の一つとなりました。

また、学校でも余り取り上げられない未履修科目となり、若い人達にもピンと来ない。

今は平成の御世となり、平和ボケの今日では、当時のことはすっかり忘れられてしまいました。

よってこの日を迎えるに当たり、当時のことを紐解いて見たいと思います。

興味のあるお方は 独断と偏見で綴る「太平洋戦争史」をご一読願えば幸甚である。

先ずは「神の国」からである。