やうちのブログ

gooの仲間と語り合う

この歳で初体験

2009-05-21 15:26:05 | 雑感

と言っても、“七つ八つでいろはを習いはの字忘れていろばかり”のことではなく、「大腸検査」のことである。

以前より、時々右腹部に鈍痛を感じることがあり、その都度腹部エコーで診て貰うもなかなか分からない。よって、以前から医師に進められていた大腸検査を受けることにした。

その大腸検査であるが、痔のため肛門よりの内視鏡挿入の苦痛と、生まれつき♪男度胸は鋼(はがね)の味よ~ とは程遠く、臆病で、文字どおりケツの穴の小さい人間なるが故、ためらってきた。

しかし今般、意を決して検査を受けることとした。以下、その奮戦記である。

まず手始めに医師の勧めで、「S状結腸」フッァイバーに挑戦することにした。

この検査は、直腸と下部結腸に対する検査で、受験準備も朝食を抜くだけで億劫さはない。事前にファイバーの肛門通過が可能?か否か、触診で確認してあるので幾分平常心で受けられた。

医師の説明で、映像に映し出される自分の大腸内壁をはじめて見ることができた。
検査では、悪いところも見当たらず、詳細は次回の大腸検査に託すこととなる。

それから一ヶ月後、本番の「大腸検査」である。

・検査前日の食事ポイントから始まる。
(あさ) トースト・1枚(約160KCal)+ポタージュスープ +目玉焼き 

(ひる) 茹でうどん・1玉(約250KCal)+プリン
(よる) おかゆ・茶碗1杯半(約220KCal)+梅干ペースト(少量)+ヨーグルト
                <夜九時以降絶食>
・検査当日
何時もなら ♪一杯のコーヒから 夢のはじまることもある~ 朝であるが、
八時半に入院手続き(これも初体験)を済ませ、病室へと案内される。

病院衣に着替え、一旦ベットで休息。暫くすると看護士さんがボトルとグラスを持って入ってくる。よく見ると、何時もキープしているボトルとは程遠い、不細工な2リットル入りの薬液ボトルである。これを2時間かけて飲み干せと言う。話には聞いていたが、いざ飲むとなると難儀である。

飲み方にも工程があり、最初の1/4は15分で、残り3/8は45分で、そして後半の1時間で全部空けて欲しいとの事、これが第一関門なり。そして、点滴が始まり飲み始めて1時間、そろそろ燗がつく。

室内便所に通うこと5~6回、無色透明の便滴に変わり、検査可能の状態になる。ここまでくれば後は医師任せ、覚悟を決めて検査室に入る。

担当医は?と見ると、前回の「S状結腸」をして貰った先生だったので安堵し、緊張も幾分弱まり検査がスタート。胃カメラとは違い、ゲブゲブはしないが、ファイバー挿入時に肛門に激痛が走る。

なんとか痛みと不快感を耐え、直腸からS状結腸、下行結腸、横結腸、上行結腸の全てをファイバーで観て貰うも、ポリープも見当たらず、ピンク色の綺麗な腸壁に太鼓判を押して貰う。

この間約30分余りなり。検査後は、病室までベットで運んで貰い、約3時間の休息を経て無罪放免となる。

もしポリープがあれば即切除で、病院での一晩泊となり、♪覚悟を決めたわが身でも~であったが、甲種合格を貰い、やれやれの想いである。

途端に祝杯とゆきたいところだが、当夜は酒とタバコは厳禁とのことで、ぐっと堪えた一日となった。

以上が初心で遅咲きの初体験記である。


小沢丸・轟沈

2009-05-13 16:50:56 | 世相
天に代わりて不義を討つ 忠勇無双のわが兵は~

と 民主軍団を率いて お国のために奮闘してきたあの御仁が一昨日、
軍団総帥をやぁめた~と言った。

先の流れ弾で負傷した時ですら やめようとしなかったのに、
この時期に突如の辞任とは?・・・

巷スズメは、
今日予定されていた“ステッセル将軍”との会見が重荷だったのか?
との囁きも・・・

いや、
タマは飛びくる マストは折れる ここが命のネ 捨てどころ~
と悟り、

この後は、鬼を集めてネ 相撲とる ダンチョネ(院政)の 想いかも?

で 一方の、“ステッセル将軍“の方は、これで
轟沈 轟沈 凱歌が上りゃ つもる苦労も 苦労にならぬ~
と なれるだろうか?・・・

何れにしても 日本丸の船長さんには、
名こそ惜しめ つわものよ  散るべき時に 清く散れ~
で あって欲しいものである。


この藤のように・・・

大型連休が終わった

2009-05-08 13:34:28 | 雑感
”連休終わって身体が重い 軽くなるのは財布だけ”


年から年中大型連休の身なれど、
ゴールデンウィークは格別の想いがある。

今年は連休の前倒しで信濃路に出かけたので、 
期間中は近間の行楽地で我慢する。

それでも (しま)の財布が空になる~ である。

されば、北信五岳の飯綱山に住む「飯綱三郎天狗
 
に頼んで 万札を降らしてもらうしかない。
彼なれば、日本八大天狗の一人であるので何とかしてくれるだろう。
 
信者に富を与え、病を除き、長寿を全うさせ、火難・盗難を除き強敵を降伏させる等、庶民に親しまれているそうだから・・・

善光寺に詣でるー②

2009-05-02 14:15:43 | 雑感
善光寺を後に >♪訪ね来たりし信濃路を~ 往く

「松代」・・・松代藩10万石の城下町である。
JR長野駅前からバスで30分の所にある。

お目当ては、松代象山地下壕であったが、時間の関係で今回も見れず残念哉。
真田宝物館・真田邸・松代藩文武学校など見学。
画像

元和8年(1622)に真田信之が上田から松代10万石の藩主として移り、以降真田氏10代・約250年間、信濃の雄藩として納めている。

「上田市」・・・六文銭でお馴染みの真田氏発祥の地である。
JR長野駅前から、しなの鉄道・小諸駅行きに乗ること約35分の所にある。
画像

ここでは、上田城址公園を散策し、博物館、池上正太郎の真田太平記館など見学する。

城下町・上田は、天正11年(1583) に真田昌幸が上田城を築いてから城下町が形成されてゆく。家康をして二度も苦杯をなめさせた城である。しかし、関が原の戦いで西軍に組した昌幸・幸村父子は高野山ろくに蟄居。戦後徳川方に組した長男信之が父の上田城を与えられ、その後松代10万石に栄転する。以降、上田城は仙石氏、松平氏の居城となってゆく。

さて、信州と言えば蕎麦である。
”信州信濃の新そばよりも 私ゃ貴方のそばがいい”

と、言っていた家内と一緒に 十割蕎麦に喉越しを楽しむ。

「別所温泉郷」・・・旅の締めくくりは温泉で
上田駅より、上田交通・別所線で約30分の所にある。

この地には「北向観音堂」と、国宝・八角三重の塔がある「安楽寺」を見学した。北向観音堂は文字どおり北を向いていて、南向きの善光寺をお参りしてここを参らないと“片参り”となるので、今回はこの地にも足を伸ばした。
画像


また、別所温泉郷は十七軒の旅館があり、浩宮さまお泊りの旅館や、道端の花木が目を愉しませてくれた。なお温泉あがりの宴は殊のほか銚子が進んだ。

こうして恙無く夫婦就楽旅行を終え、帰路につく。

以上、 かのお方肝入りの「定額給付金」使途に係る復命書とする。 (完)