やうちのブログ

gooの仲間と語り合う

政局・やぶにらみ-8

2011-08-27 12:58:16 | 政局

2011/8/27「民主党代表選」-2

今日は党代表戦の告示日である。
届け出たのは前原誠司前外相・馬淵澄夫前国土交通相・海江田万里経済産業相・野田佳彦財務相・鹿野道彦農相の5人である。新代表は29日午前の両院議員総会で党所属国会議員398人による投票で選出される。
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2010年の代表選挙では、菅直人氏が小沢一郎氏を破り再選された。

10/09/16「九月半ば」
民主党の代表戦が終わった途端に厳しい猛暑も影をひそめ、朝夕に冷気さえ覚える昨日今日である。さて、今年の猛暑は何だったのだろうか? 内には円高に泣かされ、外では、お向いから領海侵犯紛いの挑発を受け、歯がゆい限りである。
こんな時こそ、家の親父は頑とした威厳を示すことが肝要なり。

♪勝ちたる者も 負けつるも  皆打ち解けて 明日よりは
   今の日本を 語らわん〜
 の時である。 

明日は 菅改造内閣の組閣と聞く。この危機をを早く脱却できる強力内閣を乞い願うものである。さすれば日本列島も正常に立ち返り、実りの秋を迎えることが出るのである。 明日は 菅改造内閣の組閣と聞く。この危機をを早く脱却できる強力内閣を乞い願うものである。
さすれば日本列島も正常に立ち返り、実りの秋を迎えることが出るのである。

10/09/25「腹の立つことばかり」
昨今、肝心なものが起たなくて 腹の立つことばかりなり。
外では、尖閣諸島を巡る中国のいいがかり,内では、直して貰ったばかりの冷蔵庫がまた故障。どれも悠々しき出来事である。

先ずは尖閣諸島沖の漁船衝突事件である。昨日、かの中国人船長を突如無罪放免とした。
この事件に関し中国は、これまでに日本にいろんな報復手段とも思える行動をとってきた。
それなのに今、何故拘留期限を残しての釈放なのか?・・・とんと合点がゆかぬ。
これでは相手はつけあがるばかりと思うが・・・日本固有領土の尖閣諸島は、今や日本か中国かの選択諸島になっている。

11/01/29「政局雑感」
国会は昨日、衆参両院での3日間の代表質問を終えた。
これより舞台は衆院予算委員会に移り、2011年度予算案について、財務相による提案理由説明を行い、審議入りした。日程は、31日と2月1日に行うそうだが、自民、公明、共産、みんなの党は、小沢一郎元代表の証人喚問に対する同党の姿勢が曖昧で明確でないことなどを理由に、31日からの審議も拒否する構えのようだ。波乱含みの再改造内閣の初仕事である。

さて、再改造人事で注視すべき人は、”たちあがれ”と言っていながら、向いの座敷にちゃっかり”すわり込んだ”御仁のことである。元の同志達もあきれて”たちくらみ”をしているのでは?・・・奇奇怪怪の世界である。

同氏は、2009年の衆院選に自民党公認で東京1区から出馬し、同党の比例ブロックで復活当選した。その後、離党し、たちあがれ日本を経て、乞われて現ポストにに就任している。自民党東京都連では、議員辞職の意思を問う公開質問状を送付したそうな。自分にはどうでもよい事ではあるが、異教党から乞われて大臣になったのだから、“スカートの裾を踏まれてやめさせられた方”のことを思えば大した御仁である。

それから間なく、菅内閣は、空前の3・11「東日本大震災」の対応に追われることとなる。何分にも想定外の自然の猛威と、福島原発事故で海外からの救援を受け漸く今日に至る。

そして昨日は、「一定の達成感を感じている」と漸く退陣の弁を述べた。しかし、3カ月の居座りによってどれだけ国政や外交に弊害を与えたか・・・・被災地の方がた、国民の顔が見えなくなったのは何故か?、巡礼に出てよく考えて貰いたいものである。


政局・やぶにらみ (完)


政局・やぶにらみ-7

2011-08-26 08:55:19 | 政局

2011/8/26「民主党代表選」
報道では、注目のあの軍団長は前原候補を支持しない方針とある。

10/07/31「文月末」
梅雨明けと同時に 猛暑続きの七月も月末となる。
今月はいろんな出来事があった。
参院選、宮崎の口蹄疫騒ぎ、問題の大相撲名古屋場所、集中豪雨災害、熱中症などなど・・・
なかでも 参院選での民主党惨敗は、
 (ふ) 袋小路の 
 (み) 右手の先は
 (づ) ずっと点いてる 
 (き) 黄信号
で、この先 我々の生活がどうなるのだろうか?

こんなん不安を和らげてくれたのが 「小惑星探査機 はやぶさ」である。
イトカワから持ち帰った玉手箱に 夢を膨らませながら葉月を迎えることが出来る。
>「世界で1番じゃないといけないんですか?・・2番ではいけないんですか?」と言ったご仁に物申す! 1番じゃないといけないんです!!

10/08/30「息抜き」
 “猛暑止まないこの時期に 円高までが止まらない” 

 “世上じゃ能なし殿様を 蹴落としおい等が代わるとの”
 
 “息巻く家老が登城する 傍で後押し先の殿”  
 
 “三頭立ての馬車でさえ 猛暑に勝てずただの駄馬”
   
 “あぁ~この先この国は どこに舵切るその行く手”   

 “神も仏も無いものか 教えたもれよ閤魔殿”

10/09/06「九月・何がどう変わる?」

十四日は任期満了に伴う「民主党・代表戦」、菅VS小沢の対決である。
我が国の首相を選ぶ選挙となる。と言っても国民は蚊帳の外。

連日マスコミを通じて両者のパフォ-マンスがが喧伝されている。テレビ討論、街頭演説などなど。
昨日の大阪・梅田の街頭では、現首相:「党運営オープンに」  挑戦者:「予算の方針を見直す」

残り一週間の選挙戦の結末は?・・・何れが華と散ろうとも 双方男子の本懐であろう。
しかし、蚊帳の外の国民には 散るに散れない想いの残るご時世である。

つづく


政局・やぶにらみ-6

2011-08-25 07:00:21 | 政局

民主党・菅内閣誕生
2010年6月2日、鳩山首相の辞任を受け党代表戦に出馬。
脱小沢を掲げ党代表(首相)となる。

10/06/24「参議院選挙・公示」
今日 第22回参議院選挙が公示された。7月11日の投開票に向け、各党の論戦がいよいよ始まる。
昨年9月の政権交代後、初の本格的な国政選挙であり、民主党政権のいわば中間テストとなる。
民主党は先発・鳩山投手が米軍普天間飛行場の移設問題や「政治とカネ」の問題でノックアウトされた。
急遽中継ぎの菅投手は「消費税10%」なる変化球を投じ、与野党協議を呼びかけるなど各打者を揺さぶる構え。

一方、打席に立つ自民党などの野党は、民主党の試合運びの混乱や昨年の衆院選でのブロックサイン違反を追及する策のようだ。ベンチ入りの国民新党と合わせて与党が過半数(非改選を含め122議席)を維持できるかどうかも この試合の争点となりそうである。

10/07/07「参院選・斜め詠み」「選挙戦はじまる」
 “梅雨のしじまに静寂やぶる 参院選挙のウグイス嬢”
  (あ) あまた候補の (し)仕掛けどころを
  (じ) 陣取るなかで  (ょ) 読めないまんま
  (さ) さてさて何方が (う) 動き始めた  
  (い) 射るお席    (ぶ)舞台裏 
”自民あきらめ民主に乗れど 今度は思案のリニア車”

「選挙戦も折り返し]
 “あれもこれもと食欲あおり 試食できなマニフェスト”
 (せん)宣戦布告の  (とぅ) 党則厳しい
  (き)  巨砲が響く  (ひょ) 評議の縛り
  (ょ)  寄せ手撃退   (う) 迂闊に動けぬ 
 (せん) 戦利品     (び)  病暦者
“選挙資金がどっさり届く 後は寝て待つ果報だけ”

「選挙戦追込み」
“すったもんだの謎かけごっこ どなたに答えるこの一票” 
(さん) 算数で解けない (しょう)勝負は決め手の
(ぎ)  疑問の符は   (ひ)  日替わりメニュー   
(いん) 隠ぺい思考の  (ぜ) 全国津々浦
(せん) 千日手      (い)  勇み足
“どんぶり勘定の員数あわせ 質より量だけ欲しい票”

10/07/13「参院選・雑感」
“サッカー終わった選挙も済んだ 残るはトバクの大相撲” このところテレビにくぎずけの日々が続いた。南アW杯での 日本勢の大活躍、大相撲の 野球賭博問題、そして 第22回参議院選挙である。
以下参院選の斜め詠み総括である。
”運動選手やタレントまでも 昔顔して乗るお駕籠”
                  ↓           
”たちあがろうにも立ち上がれない 老舗暖簾の厚い壁”
                  ↓
”ドント方式魔法のランプ トント見えない主の顔” 
                  ↓            
”一番人気が肘てつ喰らい 第三男のひとり勝ち” ”足らぬ足らぬの工夫の先は 当世流行の嫁探し”
                  ↓
"ふかすアクセル手元が狂い ブレーキあわてた消費税”
                  ↓
”赤白分かれた綱引き競技 戦いすんで日が暮れる” 

の 想いである。

つづく


政局・やぶにらみ-5

2011-08-24 10:33:45 | 政局

前原氏が出馬表明
29日の民主党代表戦へ立候補を表明した。
曰く、「日本の危機を救うため、挙党一致で国難を乗り越えていく。その先頭に立ちたい」
お見事な決意である。強力なリーダシップで沈没寸前の日本丸を 無事対岸までつけて欲しいものである。

2010/05/27「鬼門の五月」
普天間基地問題、ここにきて あのお方(鳩)は大忙し。明日は、季節外れの節分会を催す由。そこで 福は内〜とはならず、 福は外〜も辞さない かのお方(福)。
やはり、 “女は乗せない 戦車隊〜”と なるのだろうか?・・・
はたまた“五月末だと滑った口が もとい~五月は来年も” との想いなのだろうか?・・・

五月と言えば、かっては「時は今 天が下知る 皐月かな」と 起ったこの人は、 ↓
   「順逆二門に無し 大道心源に徹す 五十五年の夢 覚め来れば 一元に帰す」                            
“土岐は今ぞと皐月に起きて 三日でしおれた桔梗花” と、なっている。 ご用心のほど!

10/05/31「皐月に想う」
”俺の悩みはちっちゃなものだ 辺野古や日向の牛よりも”今月もいろんなことがあった 先ずは、「辺野古」のこと。

“最低でも県外”発言は侭ならず、三党連立から一抜けたの社民党・・・八月子(やつきご)との評もあるが、十月十日(とつきとうか)を待ったとしても 「辺野古」の問題は簡単には解決できるものではなく、社民党と袂を分けることとなる。また、自身金にまつわる問題もあり、辞任のやむなきに至る。

【鳩山由紀夫】 第93代内閣総理大臣
2009(平成21)年9月16日、内閣総理大臣となる。
民主党・国民新党・社民党からなる三党連立内閣を組閣。高支持率でスタートしたが、自身の政治資金問題や、普天間基地移設問題で大混乱を引き起こしていることが批判を受け、2010年6月2日、辞任に至る。なを、母からのお小遣い1500万円/月額は、国民の羨望の的となる。

つづく


政局・やぶにらみ-4

2011-08-23 11:03:56 | 政局

菅首相は23日午前の閣僚懇談会で、「30日に内閣総辞職をすることになるだろう」と述べた。よって代表選は27日告示、29日選出、30日にも首相指名のもよう。

それまで少し時間が有るので 自公政権から民主党政権に至る経緯、及び現在までの政局の歩みを、幣日記帳より時系列で復習しておく。

10/04/12「あぁ〜情けなゃ・このご時世」
鳩山内閣発足から約半年、我々の暮らし向きはどう変わったのだろうか?
いろいろあったが、一番気がかりなことは 今もって「大学は出たけれど〜」の状況が続いていることである。
 ♪運転手は君だ 車掌は僕だ あとの四人が電車のお客   
   (鳩山)         (小沢)          (亀・福・菅・他) 
     お乗りはお早く  動きます ちんちん~       
       (国民)
   この電車に乗ったことは乗ったが さて?・・・

 ♪運転手は上手 電車は早い 次は上野の公園前だ 
  (迷走運転)  (不支持上昇)   (沖縄基地前)
     お降りはお早く動きます ちんちん〜        
       (国民)
婆さんや~ 次の停留場で降りよぅかの
          「電車ごっこ」(尋常小学唱歌・第一学年用)より

10/05/12「電車ごっこ・雑感」 
♪運転手は君だ 車掌は僕だ あとの四人が電車のお客~・・
   (鳩山)       (小沢)              (亀・福・菅・他)
運転手が交代してから既に半年余、しかし
 “日に増しおかずのまずいにつけて 元の主人を思い出す” 昨今である。
確かに元の主人とは献立も味付けも変わり、
 “ついておいでよこの提灯に けしてくろうはさせやせぬ” を信じた俺だが、
今夜の飯台を見るにつけ
 “酒の肴に夕刊出され 見れば世間のアラばかり” で、釈然としない。
勿論、運転手も
 “井戸の蛙が空うち眺め 四角なものだと議論する” 日々が続く。
あの日から我が家でも 晩酌までが
 “運転手に託したおい等の暮らし 仕分けされつつ日が暮れる”こととなる。
また、懸案の5月末問題(普天間基地)を聞くにつけても
 “旅行ファッションなんでも出来て お約束だけが出来ぬ人” は、
 “軒に吊られたわしゃ風鈴よ なるも鳴らぬも風次第” では、なんとも心もとない。
確か あの時
 “今更苦労で痩せたと言えぬ 命までもと言った口” は どうなったのだろうか?・・
一方、車掌の方は、
 “面の憎さよあのきりぎりす おもい切れ切れ切れとなく” のである。
“咲いた桜になぜ駒繋ぐ 駒が勇めば花が散る” の道理は乗客全員の感ずるところであろう。
よってこの電車の遅延は
 “こうしてこうすりゃこうなるものと 知りつつこうしてこうなった” 次第ある。
こんな電車に 乗客は
 “諦めましたよどう諦めた 諦めきれぬと諦めた” の 今日この頃である。

つづく


政局・やぶにらみ-3

2011-08-22 10:47:15 | 政局

民主党政権発足
2009年9月16日、衆参両院の首班指名選挙で鳩山由紀夫が、国民新党・社民党を連立与党として第93代内閣総理大臣となる。

09/11/20「国会では」
<深夜の強行採決>
このお方は、”慌てしゃんすな審議も半ば 東ゃ晴れれば西ゃ曇る”と仰っている。
しかし かの御仁は、”にまたがり〇の尉は 笠深々ポッポ”と 鼻歌を唄ってなさる。そして、  (国民は)         (与党は)             
           ↓               ↓
 ”立ち場変わればお前もやるか これが今流民主主義”                  ↓
   自民・公明  我々の専売特許だったのだが?・・・

「献金騒ぎ」
(けん)       (きん)      (さわ)         (ぎ)
”嫌疑晴れない近況訊けば 触られたくない疑問の符”   
予算委員会での「偽装献金問題の質疑」での答弁・・・?

「事業仕分け」
(じぎょう)     (し)         (わ)         (け)
”事業あまたのしがらみ予算 枠にはめこみ削るなた”

※”自民食堂の甘口メニュー 板長代わって辛口に”諸兄の想いは如何に・・・

09/12/05「臨時国会・雑感」
4日間延長された臨時国会も、昨日40日間の会期終え、閉幕した。
会期中、政府提案の「郵政株凍結法」など、10法案を成立させた。
”めでたし、目出度し” と、したいが、この採決には自民党が ”東雲のストライキ” では、いささか気になる。で、ストライキの理由は、民主党が、党首会談を受け入れなかった?とのこと。この世界の駆け引きには??だらけ。さて、「郵政株凍結法」にはこのお方の”遺恨知ったか民営の乱を ”江戸の仇は長崎で”の、想いがひしひしと伝わってくる。この勢いを借りて追加経済対策でも、与党案の2兆7千億円を、”足りない足りない 工夫が足りぬ”と、10兆円以上の大型補正の必要性をぶち上げた。

一方あのお方は、沖縄基地問題で、これまた存在感を示す。
”吠える亀さんなだめる鳩は 季節外れの福は内” 三国同盟の維持も大変である。

やれやれ、“呉越同舟船出はしたが 天気晴朗波高し”である。

つづく


政局・やぶにらみ-2

2011-08-21 13:18:31 | 政局

麻生総理大臣が遂に天下の宝刀を脱ぎ、政局は新たな展開となる。

 

 09/08/18第45回衆院選・公示」

 

いよいよ始まった。“お盆過ぎれば何時もの今日が 天下分け目の衆院選” 

第45回衆院選は今日公示され、自公連立政権の継続か、民主党主体の新たな政権転換か・・・。
自民、民主二大政党を軸にした政権の行方を懸けた政治決戦がスタートしたのである。街中は、朝から既に熱気を帯びた第一声が耳に響く。
12日間の運動期間を経て30日に投開票となる。

 

09/08/31「自民轟沈・民主に凱歌」

 

今回の選挙は前評判どおり民主党が300議席超を獲得し、政権交代を果たした。

 片や自民党は1955年結党以来初めて獲得議席が110台に落ち込み、衆院第1党の座から陥落した。“驕る自民,久しからずや”の想いである。

   ♪勝ちたるものも 負けつるも  みなうち解けて 明日よりは
   今のご政道 語らわん  子育て医療 年金も
 自民は今しも 山蔭に落つ  民主に響く 庶民の声が
  新生日本の 船出となりぬ 万歳 万歳 万万歳

   この上は、日本丸の舵取りを担うこととなった民主党中心の政権には、

   数に頼ることなく謙虚な気持ちで国民の付託に応えて貰いたいものである。

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【麻生太郎】92代総理大臣

 2008(平成20)年9月24日、行き詰まった福田内閣の後をを引き継ぎ、日本を明るく強い国にする」 麻生内閣を組閣。しかし、自民党は既に国民離れの中、本内閣は選挙管理内閣に過ぎなかった。

 

よって最後の切り札である解散権を行使し、民主党との一騎打ちを挑むも大敗し、ここに長らく続いた自民党政権が終焉す。2009年9月16日総辞職。  民主党政権へ

 

つづく


政局・やぶにらみ

2011-08-20 19:37:56 | 政局

“猛暑一服 お盆も過ぎた あとはあの方 辞めるだけ”

今月十日に退陣を明言したあのお方、余すところあと十日余り。
退陣3条件のうち、残る2法案が月内に成立する見通しとなったからである。

党内では、次期民主党代表を目指す面々が続々名乗りを上げている。

しかし甲子園では今日優勝戦が終わったが、あの方の野球は未だ9回1アウトである。
この先、”野球は2アウトから”と粘られると事である。

ゲームセットまで少し時間が有るので自公政権から民主党政権に至る経緯、及び現在までの政局の歩みを、幣日記帳より時系列で復習してゆく。

09/07/15「永田町・夏の陣」

昨日、関東・甲信越地方が梅雨明けした。いよいよ夏本番となる。
しかし、永田町では、気象庁の梅雨明宣言より一足早く、既に夏本番となっている。

ここにきて漸く錆付いた宝刀(解散権)を抜く かの御仁(麻生総理大臣)そして都議選敗北の責任を取ると言って突如やめた〜と言った あのお方・・・長年続いた老舗(自民党)も、内輪の商い方針・不一致と、不景気風にあおられ、経営危機に陥っている。これで長年続いた暖簾を降ろすことになるのだろうか?・・・

片や後発の量販店(民主党)、この機に老舗の顧客までも取り組み、販路拡大に躍起である。
しかし、安かろ、まずかろではいけない。どこまでお客さんの意を汲んだ商いをやってくれるかが問題である。消費者は、これから始まる両店の、お大売出し期間中の折込広告をよくよくチェックすることが肝要である。

8月30日第45回衆院総選挙)・・・「問屋の只今」は聞き飽きた !

つづく


終戦の日-9(戦い済んで日が暮れて~)

2011-08-18 13:33:00 | 出来事

太平洋戦争は今から66年前の昭和二十年八月十四日に、日本は連合国に「ポツダム宣言」の受託を通知し、日本の無条件降伏でその幕を閉じている。

振り返れば、昭和16年12月の開戦から3年9ヶ月昭和12年の日中戦争から数えれば9年、さらに昭和6年の満州事変まで遡ると実に15年に及ぶ長い戦争が日本の大敗北でようやく終っている。ここに、“日出る国・日本帝国”崩壊したのである。

では、「日本が敗北した要因」は何であったのだろうか?・・・
第一には、その戦争計画の無謀極まる失策にあるように思う。日中戦争の泥沼に踏み込んだまま、貧弱な経済力を無視して、我が身の丈の十倍以上の経済力を有する強大国家との長期に及ぶ対決を余儀なくされたことである。

具体的には、潜水艦や飛行機による海上交通の封鎖で日本商船は壊滅し、日米両国の戦争能力の不均等を拡大させ、やがては日本経済を破綻に追い込んだ。他方、封鎖と並行する連合国の軍事作戦の圧力は、日本の陸海空戦力を次第に消耗と崩壊の一途をたどらせるに至ったのである。

専門書によると、「戦争の帰結は本土爆撃以前(昭和19年末)に、既に太平洋上または外郭防衛線上に決定されつつあった。本土空襲は日本敗北の基本的原因ではなく、日本の敗戦は本土戦略爆撃が開始される以前に既に確定的となっていたのである。そして、連合軍の潜水艦と飛行機の攻撃による日本商船の莫大な損失、日本軍の陸海空三方面における相次ぐ軍事的敗北、原爆と通常爆弾による空からの攻撃、ドイツの敗北、ソ連参戦の衝撃など、一切が相合して日本に降伏を余儀なくさせたとある。

「太平洋戦争の負債勘定」

1、人的損害 ・・・全戦没者310万人以上(日中戦争死没者18,9万人含む)   
  ① 軍人・軍属の戦死・行方不明:240万人(陸軍約183万人・海軍約57万人)   
  ② 空襲・その他による一般市民の死者:70万人(うち原爆による死者:32万人)
2、物的損害 ・・・兵器の損害は当時の価格で700億円 
  ① 軍事的損失:航空機52,700機 ・ 艦艇870隻
  ② 商船被害:損失814万トン・大破75万トン
3、戦  費 ・・・当時の価格で総額7,559億円(日中戦争以降の総軍事費)
    昭和19年度における軍事費の歳出予算に占める比率は85,5%
4、物的資産被害 ・・・被害総額は当時の価格で653億円   
    建物・家財道具・港湾・運河・船舶・鉄道・車両・通信設備

「おわりに」

三百十万に及ぶ人命の損失、おびただしい国富、その他物的の莫大な犠牲や巨大な戦費を注ぎ込んだにもかかわらず、日本は無条件降伏に至っている。壮大な大東亜共栄圏のことも夢のまた夢で終り、辛うじて残された日本本土、そして外地の軍人、軍属及び居留民約七百万人が引き揚げねばならなくなった。  これが敗戦当時の日本の姿である。
“こんな無謀な戦争は決して二度と繰り返してはならぬ” 太平洋戦争の最大の教訓である。

太平洋戦争史・完 結


終戦の日-8(戦況⑤・昭和20年)

2011-08-17 10:57:44 | 出来事

♪燃料片道 テンツルシャン  涙を積んで
  行くは琉球 死出の旅  エーエ 死出の旅~

本土の各都市ではB29の焼夷弾による無差別攻撃が始まり、沖縄ではあらゆる特攻兵器が投入され、10万を越える沖縄県民までもが巻き込まれて、尊い命が犠牲になろうとは・・・。しかし日本は、ポツダム宣言を黙視、業を煮やしたアメリカは、広島、長崎に原爆投下に至る。

【戦 況】

1/09 「アメリカ軍、ルソン島(リンガエン湾南岸)に上陸」

2/03 「アメリカ軍、マニラに侵入」・・一ヶ月に及ぶ市街戦へ
   04 「ヤルタ会談(米・英ソ)・ソ連対日参戦を決定」
   19 「アメリカ軍、硫黄島上陸」・・3/17・日本軍守備隊玉砕

3/25 「アメリカ軍、沖縄・慶良間列島に上陸」

4/01 「アメリカ軍、沖縄本島に上陸」
   07 「戦艦大和・徳之島沖で沈没」
    ※この頃陸海軍の特別攻撃隊、連日沖縄に出撃
 ♪泣くな嘆くな必ず帰る 桐の小箱に錦着て ああ 逢いに来てくれ 九段坂~

6/23沖縄の日本軍守備隊玉砕・・戦死=日本軍9万人・一般国民10万人

8/06 「広島原爆投下」 

中部太平洋のテニアン基地から飛来した米戦略爆撃機B29エノーラ・ ゲイは、広島に原子爆弾<リトル・ボーイ>を投下した。爆弾は上空580mで炸裂、一瞬にして広島を廃墟の町に変えた。爆心地から半径500mにいたほとんどの人々が即死し、1950年までに、原爆症も含め約24万7,000人が原爆のために死亡している。

8/08 「ソ連、対日宣戦布告」
※ヤルタ協定によってソ連は対日宣戦を通告。翌日、ソ連極東軍がソ連国境を越えて進攻し、中国東北地方全域を制圧

8/09 「長崎に原爆投下」 

アメリカは長崎にも原子爆弾を投下。熱線と熱風は川沿いの工場・学校・教会、そして爆心地から南へのびる街々を破壊し、約7万人の命が奪われた。今なお多くの人々が原爆後遺症で苦しんでいる。  

8/14 「ポツダム宣言・受託」
※ポツダム宣言は、7月発表の米・英・中3国の対日共同宣言である。軍国主義の絶滅、領土制限、民主化促進などを終戦の条件とし、無条件降伏を勧告。日本政府は8月14日これを受諾。戦後、占領政策の基点となった。

こうして太平洋戦争(大東亜戦争)は終ったのである。          

戦況編(完)


終戦の日-7(戦況④・昭和19年)

2011-08-16 12:19:18 | 出来事

昨日は終戦の日であったが、残りの太平洋戦争史を完結させる。

    空に飛び行く 翼に祈り  沖をすぎ行く 煙に誓う
 国を挙げての この戦に  湧いて来る来る 撃ちてし止まん
 我等はみんな 力の限り  勝利の日まで 勝利の日まで~ 

            (勝利の日まで)

この歌にある撃ちてし止まんは、神武天皇が八十建(やそたける)を誅滅した時に久米部の武人に歌わせた一節にある。

昨年2月のガタルカナル撤退以降は、ラジオで必勝の歌が多く流れるようになる。歌の各節の末尾は、どれもが撃たでやまじの血がをどるで結ばれる歌である。

即ち我々は、この天皇の大御歌にならい、米英をうちてし止まむと叫ばねばならない」と説き、標題の歌をもって必勝の想いを鼓舞する狙いではあったが、はたして戦況は?・・・

【戦 況】

 2/01「アメリカ軍、クェゼリン・ルオット両島(マーシャル群島)に上陸」 2/6・日本軍玉砕  
   17「アメリカ機動部隊、トラック島大空襲」 
   29「アメリカ軍、ロスネグルス島に上陸、ラバウル孤立」

 3/08「インパール作戦開始」 
   31「アメリカ機動部隊、パラオに来襲」

 6/15「アメリカ軍、サイパン島に上陸
   19「マリアナ沖海戦」(米軍は対空射撃やレーダーによって日本軍を圧倒)
    「アメリカ軍マリアナ諸島に上陸」以降、B29の本土空襲の出撃基地となる

 7/04「大本営、インパール作戦を中止」   
   07「サイパン島陥落」(死者:軍=3万・住民=1万)
     島の北端へ後退していた日本守備隊は、最後の万歳突撃をして玉砕
       (共に後退していた非戦闘員達の多くは兵士と共に死を選んだ)
   21「アメリカ軍、グァムの上陸」8/10・日本軍玉砕   
   24「アメリカ軍、テニアン島に上陸」8/3・日本軍玉砕
 

 9/10「拉孟(雲南)日本軍守備隊玉砕
   15「アメリカ軍、ペリリュー島に上陸」

10/10「アメリカ機動部隊・沖縄空襲」
   20「アメリカ軍、レイテ島に上陸」 
   24「レイテ島沖海戦」日本の連合艦隊と米太平洋艦隊が戦闘開始。
    25「神風特別攻撃隊、アメリカ艦に突入」同隊の敷島隊が、レイテ沖海戦に出撃。 米空母に体当たりし、一隻撃沈、一隻大破させる。以降、終戦までに290回出撃し、2,500人以上の犠牲者を出す。

11/01「マリアナ基地のB29、東京初偵察」    
   24「B29七十機、東京初空襲」

12/09「大本営、レイテ地上決戦の方針を放棄」

【関 連】・・・「戦時下の国内の様子」 

 30 決戦非常要綱により、歌舞伎座など閉鎖
     04   宝塚歌劇、この日限り休場
     05  警視庁、高級料理店・バー・待合などを閉鎖
     06   全国の夕刊廃止


 
401 国鉄、一等車・寝台車・食堂車全廃(旅行には統制官の承認が必要となる)
     07  大都市の国民学校で給食開始

 507 那須戦時疎開学園開園
 
718 東条内閣総辞職  7/22 小磯・米内内閣成立
 804 東京の国民学校児童、集団疎開開始
    22 沖縄からの疎開船・対馬丸撃沈される。

昭和19年はこうして戦っている。

つづく


終戦の日

2011-08-15 10:20:14 | 出来事

太平洋戦争は昭和二十年八月十四日、日本は連合国に「ポツダム宣言」の受託を通知し、日本の無条件降伏でその幕を閉じている。

  ♪海行かば 水漬くかばね  山行かば 草むすかばね
    大君の 辺にこそ死なめ  かえりみはせじ〜

今から66年前の今日(昭和二十年八月十五日)、正午のラジオ放送では「玉音放送」が流れてる。

NHKの和田信賢放送員によるアナウンスが先ずあり、続いて下村宏情報局総裁が天皇自らの勅語朗読である事を説明し、君が代の演奏。

その後4分余りの勅語朗読(昭和天皇の肉声録音盤)が放送されている。

放送において、

「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ・・・朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」

と、国民に日本国の敗戦を発せられ、ここに、“日出る国・日本帝国”は崩壊したのである。


顧みれば、

三百十万余に及ぶ人命の損失、おびただしい国富、その他物的の莫大な犠牲や巨大な戦費を注ぎ込んだにもかかわらず、日本は無条件降伏に至っている。

大東亜共栄圏の壮大な夢は空しく敗れ去り、辛うじて残された日本本土、そして外地の軍人、軍属及び居留民約七百万人が引き揚げねばならなくなった。

これが敗戦当時の日本の姿である。

“こんな無謀な戦争は決して二度と繰り返してはならぬ”

太平洋戦争が残した最大の教訓である。

 

今年も 全国戦没者追悼式が日本政府主催で日本武道館で行われる。

黙祷・合掌


もうすぐ終戦の日-6(戦況③・昭和18年)

2011-08-14 10:30:29 | 太平洋戦争史

♪刃も凍る北海の  御楯立ちて二千余士  精鋭こぞるアッツ島
       山崎大佐指揮をとる  山崎大佐指揮をとる~
            
              (アッツ島決戦勇士)

戦局はこの年から「撤退」・「玉砕」へと加速することになろうとは・・・

【戦 況】

1/2  「ニューギニア・ブナの日本軍玉砕」
東部ニューギニアでは、連合軍の猛攻で日本陸海軍は撤退をくりかえし、戦局は敗色が濃くなった。

・2/1  「日本軍、ガタルカナル島から撤退」
太平洋南西部のガダルカナル島からの撤退を開始。7日、撤退完了(11000名・死者25000名)

・4/18 「連合艦隊指令長官海軍大将・山本五十六がソロモン群島で戦死」
ソロモン上空で乗機を撃墜され戦死(享年59歳)。海軍兵学校を卒業以来、39年間の海軍生活を送り、真珠湾奇襲攻撃の成功で国民的英雄とされた。
その後、米軍がソロモン諸島に次々と上陸し、日本軍に対する反攻作戦を展開してゆく。

・5/9  「アメリカ潜水艦、北海道幌別を砲撃」  
・5/12 「アメリカ軍、アッツ島に上陸」
冒頭の歌(アッツ島決戦勇士)の如し、5月12日、力尽き玉砕している。

・6/30 「アメリカ軍、レンドバ島(ソロモン群島中部)に上陸」
・7/29 「日本軍、キスカ島から撤退」
・9/4  「アメリカ軍、ラエ・サラモア(ニューギニア)に上陸」
・10/2 「コロンバンガラ島(ソロモン群島)の日本軍撤退」
・11/1 「アメリカ軍、ブーゲンビル島(ソロモン群島)に上陸」  
・11/21「アメリカ軍、マキン・タラワ両島(ギルバート諸島)に上陸」 11/25に日本守備玉砕軍

・11/22 「米・英・中によるカイロ会談」
ルーズヴェルト、チャーチル、蒋介石による日本の戦後処理についての討議。日本の無条件降伏、日本が獲得した太平洋の島の放棄、中国東北地方と台湾の中国への返還、朝鮮の独立などを規定している。そして、11/27~12/1に「カイロ宣言」として発表。


「戦時下の国内の様子」

 ・学校教育は、そろばん、読み書きは勿論のこと、国民学校の校庭では、模型飛行機による木製の操縦かんを操作、そして飛行機の絵を瞬間的に見て当てる訓練まで行っている。

 ・陸軍航空整備学校では、学童による空の体験入隊が行われ、所沢の陸軍航空整備学校に一日入校も行われている。

 ・動員学徒による兵器増産戦力増強のために、軍需生産工場で工作機械を操作しながら戦車を製造し、造船所でもボルトをしめて船体の組み立て作業を、そして飛行機工場では、プロペラ取り付け作業が行なわれている。

 ・国民生活は、国民精神総動員本部が東京市内に置かれ、「ぜいたくは敵だ」という立看板を配置し、装飾品や生活用品や文房具など販売制限された。

 ・「学徒出陣」のこと 太平洋戦争の激化に伴い、学生の徴集延期制度が撤廃され、1943年10月21日、神宮外苑競技場で、見送りの家族など6万5千人を動員して出陣学徒壮行式が挙行されている。

昭和18年はこうして戦っている。

つづく


もうすぐ終戦の日5(戦況②・昭和17年)

2011-08-13 13:25:30 | 太平洋戦争史

 往くぞ 往くぞ ガンとやるぞ~ と、 
歓呼の声に送られて 今ぞいでたつ父母の国~で あったが、 

一番乗りを やるんだと  力んで死んだ 戦友の
 遺骨をだいて 今入る  シンガポールの 街の朝 

(戦友の遺骨を抱いて)

に、なろうとは・・昭和17年の主な戦況をたどる。

102「日本軍・マニラ占領」台湾から3日連続の空襲を行い、米軍機の大半を撃破。
 /29  「日本軍ラバウル占領」

208 「シンガポール総攻撃」 日本軍がシンガポールの英軍に対し総攻撃を開始。冒頭の「戦友の遺骨を抱いて」は、その時を唄ったものである。
 /15「シンガポール陥落」 山下泰文司令官が、英軍司令官パーシバルと会談、降伏を確認している。

3/01 「日本軍・ジャワ島上陸」
 
08 「日本軍・ラングーン占領、ニュギニア上陸」

409 フィリピン・バターン半島の戦い」米軍が日本軍に降伏。後に日本軍は、捕虜に収容所までの約100kmを炎下徒歩で行軍させ、多くの死者を出し、後々問題になったあのバターン死の行進」である。          

18「米陸軍機本土初空襲」 B25・16機によって日本本土(東京・名古屋など)が初めて空襲される。

501「日本軍・ビルマのマンダレ-占領」

07「マニラ湾コレヒドール島の米軍降伏」 

05 「ミッドウェー海戦」 4月の本土空襲をきっかけに、日本は太平洋正面の防衛強化のため、この日ミッドウェー島攻略を行った。その結果虎の子の空母4隻を喪失し、アメリカの海・空軍戦力の優勢が決定的になった。

07「アリューシャン戦線」 日本軍は防衛線拡大のためアリューシャン作戦を行っている。一時期アッツ・キスカ両島を占領するも、次々と撤退を余儀なくされた。以降各地の離島で日本軍は玉砕の運命をたどることとなる。

808 「第一次ソロモン海戦」  24 「第二次ソロモン海戦」

21「ガダルカナル島で、上陸した一木支隊潰滅」

912 「ガダルカナル島で、川口支隊攻撃開始、同14日に中止」

1112 「第三次ソロモン海戦」ガダルカナル島周辺の制空・制海権は連合国側に移り、同島は孤立状態になる。

1231 「大本営、ガダルカナル島撤退を決定」

つづく


もうすぐ終戦の日-4(戦況①・昭和16年)

2011-08-13 13:05:39 | 太平洋戦争史

1208

日本時間2時、日本軍マレ-半島に敵前上陸開始。

 同3時19分、第一航空隊ハワイ真珠湾に空撃開始。

4時、野村・来栖両大使、ハル長官に最後通牒手交。               

6時、大本営開戦を発表  

1140分、宣戦詔書発布

 

こうして太平洋戦争(大東亜戦争)の幕が切って落とされたのである。
    

1210
「マレー沖海戦」
日本軍はマレー沖海戦でイギリス東洋艦隊の主力戦艦である、プリンス・オブ・ウェールズなど2艦を撃沈。これにより、東南アジア海域の制海権は日本海軍の手中に入った。そして英軍撤退により、日本軍がマレー半島西部ペナン島を無血占領し、続いて東岸のクワンタンを占領、半島を横断しクアラルンプールへ向かった。この時の日本軍の進軍は戦車でなく自転車だった。
日本軍、「グァム島を占領」、ルソン島に上陸。

1225
「日本軍 香港占領」
第23軍を主力とした日本軍が、香港ルートによる列強の中国支援を断ち切るべく、イギリス防衛軍を破って香港を攻略。以後45年8月の日本の敗戦まで香港は日本の軍政下にあった

※「関連」
12
11:日独伊三国協定終結・単独不講和をとり決め。
   12:閣議で、戦争の名称を「大東亜戦争」と決定(支那事変も含む)。
   16:呉海軍工廠で戦艦「大和」が竣工。

以下、終戦までの戦況をみてゆく。