秋のバラがそろそろ見頃と聞き、近隣のバラ園に行ってきた。
しかし、六月に行った時より開花はいまいち。
秋のバラは春のバラに比べて色合いや香りが豊かだそうで、
訪れた人は顔を近づけて香りを楽しんでいました。
11月上旬まで楽しめるそうな~
秋のバラがそろそろ見頃と聞き、近隣のバラ園に行ってきた。
しかし、六月に行った時より開花はいまいち。
秋のバラは春のバラに比べて色合いや香りが豊かだそうで、
訪れた人は顔を近づけて香りを楽しんでいました。
11月上旬まで楽しめるそうな~
なる催しが 過日行われた。
万葉の歌人・大伴家持が、越l中国守として赴任してから2年目の748年(天平20)、家持は初めての管内視察に出る。
その時の出で立ちを再現するイベントである。
「行程」
春は 越中の西部から東部めぐり、秋は 能登半島を巡行して各地で九首を詠んだとされている。
「歌碑」
①春の巡行・越中(富山県)
”雄神川(をかみがわ) 紅(くれなる)にほう 娘子(おとめ)らし 葦附(あしつき)取ると 瀬に立たすらし”(大伴家持 巻17 4021)
神通川が一面に赤く照り映えている。あでやかな少女たちが葦附を取るために瀬にたっているらしい。
②秋の巡行・能登路(石川県)
”珠洲(すす)の海に 朝開(あさびら)きして 漕ぎ来れば 長浜の浦に 月照りにけり”(大伴家持 巻17 4029)
珠洲の海に朝早く舟を出して漕いで来ると、長浜の浦にはもう月が照り輝いていた。
「土地の民謡」
♪里の名勝はエーコリャ~ 大伴家持国司さんコリャ~
歌詠み 歌詠み公家さん ナントコリャ~
都はなれて 浮世はなれて 布施の海 エーコリャ~
(家持さんは、どちらかと言うと行政マンではなく、湖水に舟を浮かべ、一首詠むのが向いていたようです)
なお、国司として初めて越中に赴任したキャリア組の大伴家持の最後の赴任地であり、終焉の地となったのは、東北大震災のあった宮城県多賀城市だそうである。
”お医者ごっこの先生役も 今じゃ患者がはまり役”
幼少よりの健康優良児を自負する俺も、
ここにきて 身体のあちこちに異状を感じ始める。
今までに、これと言う大病にも冒されること無く過ごさせて貰ったのに、古稀の里に着いてから 戸惑うばかりなり。
始まりは数年前からの肩痛で、
今も 月に一度の通院治療と投薬である。
まぁこれくらいの病なら“一病息災”でやむ得ないか・・・
の心境なれど、今度は頻尿に悩まされる始末。
よって泌尿科からも薬を貰い 毎日服用すうることとなる。
こうなると情けない話であるが小便が心配で、今までのようにあちこちの出歩きが億劫になり、ついつい家に篭もり勝ちとなる。
加齢とともに頭も尿も切れが悪くなり、この先が思いやられる。
困った!
考えるおじさん