やうちのブログ

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神無月

2013-09-28 12:16:28 | 季節
暑かった長月をどうにか切り抜け 今日より神無月を迎える。

   “やっと長月どっこい過ごし 
                長寿弁当で神無月”


お昼は 嬶ぁが買ってきた「長生き弁当」を二人で食べた。↓

これで寿命が延びそうだ~

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三連休明け

2013-09-17 16:34:10 | 季節
今日は 台風一過の青空が来た。

被害に遭われた方々に、衷心よりお見舞い申し上げます。

今度の台風18号で 先ごろ気象庁が策定した新メニュー「特別警報」なるものが早くも3府県に発せられた。

数十年に一度体験するかしないかの〝災害警報”である。

〇〇警報と聞けば 高齢者には 悪しき時代の「空襲警報」を思い出す。

どちらの警報も ただちに命を守る行動をとってください”とのお達しである。

しかし、今年を振り返ると“数十年に一度“どころか、毎年どこかでこれくらいの災害に見舞われるような気がする。

昨日の午後、台風北上中の千葉県で震度3の地震が有り、福島第一原発では暴雨風で汚染水の拡散が心配されたのである。

奇しくも9月16日といえば昭和36年に第2室戸台風が襲った日だったそうな。

なお、4人に1人が65歳以上の「敬老の日」は この台風騒ぎでかすんでしまった想いなり。

(けい)      (ろう)        (の)          (ひ)  
"計算外れの老後の日々は のほほん暮しで火の車”


"タンス預金も底つくこの日 青息吐息の出る旗日”

※敬老の日:“老人を敬愛し長寿を祝う” 日なのである。

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「むぎや祭り」を観てきました。

2013-09-15 12:21:04 | おでかけ
二百二十日の風も難なく過ぎた昨日、富山県南砺市城端の「むぎや祭り」を観てきました。

城端(じょうはな)町は 越中の小京都と呼ばれています。
 
何時もは長閑な街も、今日ばかりは哀愁を帯びた音色に包まれました。
      (むぎや節・歌詞)
約800年前、権勢と栄華を極めた平家一門は屋島・壇の浦の合戦に敗れてついに滅亡。日本各所へ落ちのびた平氏の中に、人里離れた越中五箇山を安住の地とした人々がいました。慣れない山仕事や農作業の合間に落人たちが都を偲んで唄い踊ったのが麦屋節の始まりだと言われています。 哀調を帯びた旋律にのせて描かれる落人たちの切なる心模様。凛とした気概を映し出す風格ある舞い。その独特の魅力は富山県を代表する祭として、人々の心を魅了しつづけているそうです。
   
併せて、むぎや節などの五箇山民謡を自由にアレンジした曲に合せ、創作した踊りを披露するストリートパフォ‐マンス「じゃんとこいむぎや」
  
も開催され、祭りは大いに盛り上がった。

 日程 9月14日 ~15日

 交通/東海北陸自動車道福光ICから車で3分
     JR城端駅から徒歩10分

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買出し

2013-09-13 13:53:26 | 雑感
午前中は嬶ぁのアッシー君、近間のスーパへ食料の買出しである。

“レジの支払い嬶ぁを待つ間 既に心はブログうち”
  (早く家に帰り ブログ書きたいな~)

何時もの日課であるが、スーパに来る毎に思い出すのは、
戦時中、母親に連れ立って田舎に食料を買出しに行っことである。

“ないない尽くしのドタバタ時代 母の着物が米に化け”
  (物々交換・・・紙幣では米が手に入らない)

同じ買出しでも

今は、金さえ払えば好きなものがマイバックに詰められるが、

当時は、母の大切な着物で、米や芋でリック八分目に膨らますのが関の山であった。

あんな時代は二度と御免である。
よき時代に感謝しつつ「戴きま~す!」の 昼食である。

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団子と談合

2013-09-07 11:35:38 | 新聞記事
中秋の名月には
少し間があるというのに 談合騒ぎが取り沙汰されている。

国交省所管の「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」が発注した北陸新幹線の融雪設備工事などで、談合を繰り返していた疑いがつよまったとして、公正取引委員会は4日、刑事告発を視野に独禁法違反で融雪設備工事の10数社を強制捜索した由。

新幹線工事で公正取引委員会が強制捜査に踏み切るのは初めてとのこと。

この報に 新幹線を待ち望む地元関係者は
「開業に水差さぬよう」との想い。

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また竜巻が

2013-09-04 16:55:09 | 季節
一昨日から連続の竜巻である。
今度は栃木県矢板市と鹿沼市で発生してる。

先ほどのテレビ報道によると4日午後1時頃、同市内で竜巻と見られる突風が発生し、小学校の窓ガラスが割れたり、トタン屋根が飛ばされたりした由。

負傷者も数人出ている模様。

また、同県鹿沼市などでも、民家など7棟が全半壊したほか、工場や車庫の屋根が吹き飛ばされたとのことである。

一方台風第17号は、温帯低気圧に変わったが、5日にかけ本州付近には前線が停滞し、台風が持ち込んだ非常に湿った空気の影響で、前線の活動が活発となっている。

210日~220日は台風の好む期間、お静かにお通り願いたいものである。

        

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竜巻大暴れ

2013-09-03 16:26:43 | 季節
昨日、埼玉、千葉で竜巻が発生し、住宅の屋根が飛ばされたり、窓ガラスが割れたりし、多数のけが人が出た由。また建物損壊は540棟を超えたともある。

毎年この時期は台風シーズンであり、富山市八尾では、立春から二百十日の風封じと五穀豊穣を祈り、9月1日より3日3晩にわたって踊りや唄を繰り広げる「越中八尾おわら風の盆」が行われている。

去年は前夜祭に行って来た。


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北陸自動車道を往く-4

2013-09-02 12:30:10 | おでかけ
【第二日目】
昨夜は旨い酒に酔いしれ スッキリ気分の起床である。
朝飯前にひと風呂浴びて朝食もきっちり戴き9:30チェックアウト。

今日は城めぐりの第三弾として「丸岡城」と、国民栄誉賞受賞の「松井秀喜ベースボールミュージアム」を廻る。

粟津温泉郷を出て再び北陸自動車道の加賀インターに乗り、丸岡インタ-に向う。同所より約5分で到着である。

「丸岡城」 福井県坂井市丸岡町霞町1丁目59
丸岡城は現存12天守閣のうち、最古のもので国の重要文化財となっている。

築城は天正4年柴田勝家の甥勝豊である。以降、安井家清、青山修理、同忠元、今村盛次、本多成重以下4代、有馬清純以下8代の居城を経て明治維新となる。大正中期より昭和の初期にわたり濠は埋められ、今は本丸と天守閣と僅かに石垣を残すのみである。

歴代藩主にあって本多成重の“一筆啓上火の用心 お仙泣かすな馬肥やせ”の 日本一短い手紙が有名である。↓(手紙文面)

かっては国宝であったが、昭和23年福井地震で倒壊した。昭和25年重要文化財の指定を受け、昭和30年に修復再建されたものである。   

帰路は小松インターに降りて 次男お目当ての
「松井秀喜ベ-スボ-ルミュ-ジアム」(石川県能美市山口町)
に立ち寄る。

夏休み中とあって 明日の松井秀喜を目指す若者達がたくさん入館していた。
また、展示品には国民栄誉賞をはじめ、数々の品々が展示してあった。(ここで紹介できないのが残念)

これで予定していた箇所の見学は全て終え、帰宅の途に着いた。
  
                 (完)

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北陸自動車道を往く-3

2013-09-01 15:48:08 | おでかけ
【第一日目】③

「福井城址」 所在:福井県福井市大手3−17−1
現在は福井県庁・福井警察本部などがあり、その一角にある。

福井城は柴田氏が天正3年(1575年)に築城した「柴田氏北ノ庄城」と、後、その跡地に結城氏によって慶長6年(1601年)に築城または改築を受けた「結城氏北ノ庄城(後に福井城に改名)」とがあるらしい。現地に結城秀康の顕彰像があるので結城氏北ノ庄城(福井城)をみる。

江戸時代には福井藩主越前松平家の居城・城下町として栄える。
1600年に家康の次男である結城秀康が68万石で北ノ庄に入封されると、翌1601年より天下普請による築城を開始する。1604年に秀康が松平氏を名乗ることを許され、名実共に御家門の居城にふさわしい城となるよう、全国諸大名の御手伝普請で約6年の歳月をかけて完成する。完成した城は2km四方に及んだ。5重の水堀が囲む本丸には4重5階の天守が建てられていたが1669年に焼失し、以後藩財政の悪化や幕府への配慮などから再建されることはなかった。幕府から再建の許可が下りなかったとの説あり。

1624年に福井藩第3代藩主松平忠昌によって、「北」の字が「敗北」にあたり不吉であるとして「北ノ庄」から「福居」に改名され、さらに後に「福井」と改名された由。

これで第一日目の行動を終え、宿泊地の粟津温泉「法師」に向う。
道順は福井インターに出て加賀インターまで31Km戻り、その先小松バイバスに出て粟津温泉街である。

粟津温泉「法師」 石川県小松市粟津町
石川県には山中・山代・片山津、和倉、そして粟津温泉と名の知れた温泉郷がたくさんある。
なかでも粟津温泉は開湯1300年(西暦700年)とされる歴史の古い湯で北陸で遍く信仰された泰澄大師が白山権現のお告げによって発見されたと伝えられる。
そして今夜のお宿「法師」は開湯と同時に出来た旅館で、老舗旅館である。

ゆっくり温泉に浸かり、ご馳走を戴き第一にて目が終わる。つづく

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