就学や就職で一旦故郷を離れた後に久し振りに帰省すると生まれ育った町が小さくなったと感じる、それはほとんど誰もが経験することらしい。道幅は狭く、通い慣れた学校は「もう少し遠くにあると思っていたが、案外近かったんだな。」という感慨を抱く。ところが今回久々に信州を訪れて、私はこれとは全く逆の経験をしたのである。 私は学生時代の五年間(1年落第)を松本で過ごした。その内の大部分を思誠寮というところで暮らしたのだが、そこは現在は「あがたの森公園」の一部となっている。あがたの森は松本駅から一直線の目抜き通りの終点にあり、駅を出ると正面に見えるヒマラヤスギの森がそれである。
駅近くのホテルに荷物を置いて、早速私はあがたの森を目指したて歩き出した。「松本の街も昔に比べて随分小ぎれいになったなぁ」などという感慨に浸りながら歩いていたのであるが、その内奇妙な感覚に襲われたのである。なかなか着かないのである。あがたの森は見えているのに、歩いても歩いても近づいてこない。「こんなに遠かったのだろうか?」 学生の頃は軽く散歩感覚で歩いていた距離である。
これはやはり自分が老いたということなのだろうという結論に落ち着いた。老いれば体力も知力も低下する、行動範囲も思考範囲も狭くなる、つまり人は老いると小さくなるのだろう。さびしいことだが受け入れるしかないことである。
(松本駅からあがたの森を見る)