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遊ぶ

子供は遊ぶのが仕事です。しかし、最近の子供たちは遊びが下手になりました。ひとつにはみんなで外で遊ぶ場所がなくなってしまったことに原因があります。お父さんやお母さんたちの時代は多分、まだ家の近くには空き地も森もあったでしょうから、木登りもしたし、かくれんぼもできたでしょうが、今の子供たちはあまりそういう遊びをしていないように思います。また、6年生から1年生までが連帯になって遊ぶということも目にしなくなりました。昔は6年生のガキ大将がいて、1年生の面倒をみてくれたものですが、学校で新1年生をお世話する仕事はあるにしても、日常でそういうことはあまりやらないようです。
 これは子供たちの成長にとっては、あまり好ましいことではありません。そういう上下関係は、ひとつの社会体験であって、こういう経験が少ないから子供たちが幼くなっているようにも思えるのです。
 
 息子が友達をつれてきたときも、ちょっとびっくりしました。子供が5人いたのですが、3人はテレビゲームの前にすわっていて、2人はマンガを別々に読んでいるのです。おせっかいなおじさんが
「いつも、こんなふうにして遊ぶのかい?」
と聞くと、
「そうだよ。」
と、簡単に言われてしまいました。
「公園とかで、遊ばないの?」
「公園?だって野球もできないし、サッカーもやっちゃだめだし。」
「公園ではできないのかい?」
「おじさん、何も知らないね。バットもボールもつかっちゃいけないんだよ。小さい子供にぶつかると、いけないから。」
「じゃ、君たち、野球はやったことないの?」
「学校ではやるけど。野球やりたい子は野球部にはいるんだね。」
「サッカー部もあるし。」
そうか、そうか。うーん。

そういわれてから、私はひまをみつけて、子供たちを郊外に連れて行くようにしました。サッカーボールをけっても、キャッチボールをしても怒られない場所というのは、結構少ないものですね。

 でも、子供はいろいろ遊びは見つけているようです。そういう環境につれてくれば、後はけっこういろいろなことをやってくれます。

 塾で合宿があるのですが、以前、とにかく広い野原を探そうというので宿の近くの牧場にお願いして、1日子供たちをそこにつれていきました。どこから見つけてきたのか、ダンボールの紙をそりにして、丘をすべりおりるグループ、おにごっこをやるグループ、サッカーを始めたり、野球を始めたり、もういろいろですが、あきもせず、一日中遊んでいました。子供たちにはそういう力が最初から備わっているのですね。

 子供たちが外で遊ばなくなってから、私は子供たちがおこす社会的な問題が増えてきたように感じているのです。昔はそこらじゅうで、子供たちが創意工夫をしながら遊んでいました。しかも小さい子から大きい子までいっしょに遊んでいます。だから、地域の子供たちのことをみな良く知っていましたし、学年が上の子供たちが小さい子供たちの面倒をみていました。こういう遊びの中で子供たちは社会性を身につけていったものです。また子供たちの社会が今にくらべて広いですから、それにかかわる大人の数も多くなります。だから大人が他人の子供をしかる光景もたくさんありました。

 ところが遊ぶ場所がなくなり、子供たちが家の中で遊ぶようになってから、子供たちの孤立が始まったように思うのです。その結果、子供たちはたくさんの人間関係から離れて、ごくわずかの人間関係だけで過ごすようになりました。

 受験ということになると、子供たちは遊びを制限されます。塾にも行くし、家に帰ってからも宿題をしなきゃならないし。でも、とにかく時間を見つけて遊べるようにしてあげてください。1日中ずっと勉強するのは、あまり効果があるとはいえません。多少のメリハリがないと、効率も落ちるものなのですから。



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第一志望を決める

 私のいた塾では6年生から学校別のクラス編成になっていました。希望の学校別にクラスを編成するのです。といっても、すべての学校にあわせるわけにはいきませんから、知識重視の学校や、選択肢の問題が多い学校、あるいは記述式の多い学校など出題傾向にあわせた形でクラスを編成していました。したがって5年生の秋には第一志望は決まっていないといけなかったので、秋の保護者会ではこんなお話をしていました。

 「そろそろ第一志望を決めていただきたいと思います。秋は学校説明会や文化祭などもありますから、それらも参考にしていただいて、決めていただきたいと思います。ただし、今の成績は度外視してください。今の成績を考えると、多分、第一志望は決まりませんから。」

だいたい、ここで失笑がおきます。

「今の成績では受からない、と思われているお母さんも多いと思います。私もそう思います。ただ子どもたちは同じところにはいません。毎日成長します。来年の今ごろ、同じような子どもではないということは、よくおわかりいただけると思うのです。成績のことは、度外視、もし、どこに入ってもいいよと言われたら、どこに行きたいか、どこに入れたいかを考えていただきたいのです。大切な目標を決めるということです。」

これに関しては、ずいぶん違う指導をしている塾もあろうかと思います。6年生の秋の成績を見るまでは、志望校は特に決めず、秋の成績で第一志望を決めるという考え方も当然あると思うのです。しかし、私は、第一志望だけは早めに決めてしまった方が、子どもたちの勉強にプラスになると思っています。なぜでしょうか?

受験勉強は負担をともないます。遊びに行きたいのを我慢しなければならないこともあるし、見たいテレビを見れないときもあるでしょう。でも、あそこに入るためだったら、がんばろう、そういう目標を持っていることは、非常に大切なことなのです。あの学校に行けば、クラブで野球をやろう、とか、女の子であればあの制服を着たいとか、そういう気持ちをもってもらえれば、いいのです。

 ところが、お母さんは、そういうときに突如、現実的になります。
「今の成績じゃ、だめね。」
この言葉は非常に、効果があります。ただし逆効果。子どもががんばろうとする気持ちを台無しにしてしまうことが多いのです。お母さんは、どちらかといえば、悔しいと思ってがんばるだろうくらいに考えることが多いのですが、子どもはそうは思いません。
「僕ってなんてかわいそうなんだろう。いやな親に生まれたな。」
今の子どもたちは、そんな感じです。

夢を持つ、あるいは目標を持たなければ、努力はそうは続きません。何の成果もなく、ただがんばるなんてことは、とても難しいのです。ですから、子どもたちの夢をまず作ってあげることにしましょう。

では具体的にどのようにして第一志望を選んでいけばよいでしょうか?

これについては、いくつかのステップがあります。まず大学受験校を選ぶのか、付属校を選ぶのか、ここはご家庭の教育方針だと思います。私は息子には大学受験をさせたいと思っていました、しかし本人はぜったいに付属校に行きたいといいます。

「受験はこれで、おしまいにしたい。それよりは好きな勉強をしたい。」

というのが、彼の主張でした。

「でも入った学校に、そのあと行きたい学部がなかったらどうするの?」
「そのときは、そのときで考える。」
「うーん。なるほど。」

 結局、私は彼の言うとおりにしましたが、それは息子の性格を考えて、それが妥当かなと思えたからです。

 大学受験がいいか、付属校がいいか、それぞれにメリットとデメリットがあるので、一概にこちらが良いとはいえません。そのあたりはまずご家庭の教育方針として決めていただければよいと思います。

 それが決まったら、次は自宅からの通学時間を考えます。中学1年生はまだまだ小さいですから、早朝からの電車通学は大変です。まずは1時間以内を目安にしてください。その中でいくつか候補が決まってくると思いますので、それらの学校の文化祭や学校説明会にでかけてみてください。このとき、なるべく子どもを連れて行ってください。もちろん、出かけるまでの間に、ご両親として納得のいく学校を選択して、その中から子どもたちに見せてあげてください。というのも、子どもたちは実に単純な動機で学校を選びます。サッカーの好きな子どもだと、中学校でサッカーの練習をしているだけで、「ここ!」と言い出したり、女の子だと、石のチャペルがあったりしただけで惹かれてしまうことが多いからです。ご両親として納得のいく学校を見せてあげてください。そして最後は、あくまで本人が決めたのだということをよく、子どもに認識させておくことです。勉強がつらくなると、

「だって、お母さんが受験しろ!っていったんじゃないか。僕がしたいわけじゃない。」
ということが始まってしまいます。しかし、本人が決めたのなら、それはあなたの責任でしょと親は言うことができるのです。

 おわかりいただけていると思いますが、この議論の中に成績は入っていません。成績は上げるものです。行きたい学校がしっかりすれば、そこに向けてしっかり勉強すればよいだけのことです。今の段階から子どもの可能性にふたをしてしまう必要はありません。1年後にはまた成績が出てきます。そのとき、そのレベルにまで達していないことはあるかもしれません。

 そのときはそのときで、もう一度考えてみる必要があるかもしれませんが、ここは受験勉強をするための大事な動機をつけるところなのですから、子どもたちに大きな夢を持たせていただければと思います。

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ノート

小学校では、学習に際して、ノートの作り方を指導している例はほとんどないのではないかと思います。つい、この間まで勉強法がブームでしたが、しかし、勉強の仕方を学校で教えるということが、意外に行われていないようです。
 塾に最初にくる子供たちのノートは、あまりしっかりしていません。もちろん例外はあるのでしょうが、ほとんどの子供がたとえば計算帖のような感じになっています。ホワイトボードに書いてある板書すら書かないケースがあります。これはきちんと指導しないと、なかなか身につかないものです。
 
  以前、よくお母さんからもらったクレームに、やはりノートがとれていないというのがありました。お母さんは子供のノートをごらんになって、何も書かれていないことに愕然となさったのでしょう。

「どうしてノートをとらないの?」

「だって聞いているうちに、先生、消しちゃうんだもん。」

板書を写すということだって、4年生の子供たちには大変な作業です。まして自分の創意工夫の中でポイントをうまく書き取るという芸当は、ある程度練習しなければできないものなのです。だから最初の段階では、

「では、ここで写してください。」

と板書を写す時間を作っていたものです。みんなが写すので、自分も写さなければいけない、、少なくともそう思ってもらえれば、まず最初の一歩は踏み出したことになります。その上で、今度は復習をしてもらいます。ノートというのは、あとで勉強するために用意するものであって、授業が終わって何もしなければ、必要ないものです。で、復習をしてもらうと、自分が何を書いているのか、まったくわからなくなります。

「今日は何を教わったの?お母さんにも教えてくれる?」

あくまでやさしく言ってください。お母さんに教える!すごい、よし、ちょっと待ってね、子供はノートを取り出して、一生懸命読み出します。でも、自分の書いていることがなんだかわかりません。

 お母さんはここで怒ってしまってはいけません。

「あら、じゃあ、もう一度先生に聞いてみたら?」

ここでうなずく子供はなかなかよい子でしょう。しかし、ここでぐずる子供もいます。

「やだ、はずかしいもん。」

ほら、また怒りがフツフツと湧いてきましたか?ここでも怒ってはいけません。

「そう、じゃあ、お友達に教えてもらってくれば?同じところを写させてもらいましょうよ。」

これは比較的簡単にできるようです。さて、写してきても、どうもわからない場合があります。

こういうときは、一度いっしょに解読してあげて、思い出させてあげましょう。そうすると、子供は、ノートの意味がようやくわかります。

「あとで読んでみて、わかるようなノートを書かなきゃ、いけないな。」

指摘をしなくても、わかれば、OKです。次から本人が工夫し始めるでしょう。でもそう一朝一夕にうまくいくものではありません。何回も失敗があり、やり直しがあって、ようやく、ノートの書き方が身についてくるのです。

 前にもお話したと思いますが、頭のよい子はノートを書かない傾向が強いようです。問題を解いていても、頭の中でどんどん先行してしまっていますから、ノートを書くのが面倒になるのです。

 これがどこまで続くかによって、子供の頭の良さを計ることもできます。私が今まで教えた子供の中で、中学受験で最後までそれで通した子供が二人います。二人とも、天才肌でした。どんどん頭の中で解けていって、ノートは計算用紙と同じ。ガチャガチャ書いて、最後に答えだけでてくるのです。二人ともトップ校にラクラク合格していきましたが、でもそういう例は稀です。どこかでノートを書かないと、考えが整理できない段階がくるものです。それに人の話を聞きながらメモをとるということは、後々非常に役に立つ力ですから、これを鍛えておくに越したことはありません。


 ノートをとらない!と叱るより、ノートの取り方を教えてあげることが大事なのです。

ではどうやって、ノートをとればいいのでしょうか。板書を別にすると、やはりキーワードを並べて書いていくということになります。
 ノートというのは、あとから見て思い出せればよいのですから、文章にして書く必要はありません。キーワードと矢印、図などを利用しながら、どんどん書いていくことです。このとき、大事なことは、ノートを大胆に使うということでしょう。細かい字でつめて書くことは避けましょう。後からいろいろ書き込めるようにしておくのです。

 そして、帰ってきたら整理しますが、ここで新しいノートを作る必要はありません。キーワードをつなげていって、多少忘れても大丈夫なように、枝葉をつけておくのです。ここはこういう話だったなといつでも思い出せる程度まで、くわしくしておきます。

 よく中学生の女の子たちが、一度とったノートを清書して作り直していますが、あれはあまり効率が良くないでしょう。

 字はほどほどにきれいであればよいのであって、天然色でカラフルにする必要もありません。勉強は、むしろそのノートを何回読み返すかということの方が重要なのですから。

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社会の勉強の仕方

子供にも文系と理系があって、算数の好きな子は社会が嫌い、逆もまたよく見受けられます。思うに、算数の好きな子は覚えるのが嫌い、社会の好きな子は、覚えるのが得意ということなのかもしれませんね。
 さて知識を覚えるということで、よく使われるのがノートです。教科書や参考書をノートにまとめるという作業、学生のころやられた方は結構多いのではないでしょうか。ところが、これには落とし穴があるのです。ノートができたところで、おしまい。本当はノートができたところから、何度も読み返して、大事なところをマークしていくなどするべきなのですが、ノートができたところで満足してしまうケースが少なくないのです。
 今は参考書もテキストもたくさんありますし、効率よくまとめてある図表も多いので、むしろノート作りをするよりも、こういうものを利用して、とにかく覚えていくことが大切です。

 覚えるにあたっては、それこそいろいろな記憶術が言われていますが、要はとにかく覚えるということにつきるのです。カードをつかっても、連想しても、とにかく覚える。私のいた塾では、はやあげというのが主流でした。
 
 先生は、クイズ番組の出題者です。
「ついに、やってまいりました。史上最強の歴史マンは誰か!恐怖のはやあげ大会!(なぜここで恐怖がつくのかわかりませんが。)
それでは第一問、鎌倉幕府ができた年は?」
といってどんどん問題を出していきます。ゲームのやり方はクラスを2つに分けて、勝ち抜き戦にしたり、すごろくを書いてコマを進め、早くゴールした人が勝ちとか、もういろいろでした。
 子供たちはこのクイズ大会で勝ち残るために、一生懸命覚えるのです。もちろん、ごほうびも用意されていましたから、みんな気合をいれてやってきます。(ちなみに、一番人気があった賞品はマグドナルド食べ放題でした。)

 つらくやっても勉強ですが、楽しくやっても勉強です。どうせやるなら楽しいほうがいいというのが私のいた塾の考え方でした。これはそのとおりだと思います。

 でも、このやり方にひとつだけ欠点があります。それは字。漢字で答えるというチェックができないのです。それで、あわせてよく100問テストなどをやっていました。これも多分、それぞれの塾で工夫があると思います。どちらかといえば、日本の塾は、「我慢優先」「鉢巻しめてがんばろう」的な部分がありますが、そういうストイックな努力は今の子供たちにはなかなかできませんし、また長続きするものでもありません。むしろ、楽しくおもしろく、やってくれる塾がよいでしょう。そういう工夫に親も乗っていけばよいのです。

 社会にも最近、記述式が増えてきました。ちょっと小論文的な問題です。例えば「ゴミの工場を作るのは、社会に必要なことですが、工場の近くの人は環境が脅かされると反対しています。これについてあなたはどう考えますか。自分のことばで400字以内で答えなさい。」
こういう問題は、どう対策すればよいのでしょうか。

 文章を書くということ自体については、国語のところでお話したとおりです。社会だからといって、何もかわりません。ただ問題について、考える力があるかというと、こればやはり日頃から機会を与えておかなければならないでしょう。

 前にも述べましたが、こういうところで親子の会話が非常に大事になってきます。別に入試のために会話するというのではないですが、子供といろいろな話題で話し合っていると、こんなときに子供の力が発揮されてきます。

 新聞、ニュース、いろいろな話題をとらえて、お父さんやお母さんが子供たちと話をしていると、子供たちには自然考える力がついてくるのです。この際、決して子供たちの話を最初から否定しないこと、大事なルールですからここでも守ってください。

 地理について、地図はとても大事な勉強です。特に日本地図を描く作業は、早くからやっておくと効果的です。

ポイント
ノートは作らず、よくまとまった参考書を利用する。
とにかく覚える。どうせ覚えるなら楽しくやろう。
記述問題は日常の会話から。いろいろな話題を親子で話そう。
地図はどんどん描こう。



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理科の勉強の仕方

理科は、知識が中心となる生物や地学の範囲と計算が必要な物理、化学の範囲とに大別できます。といっても物理や化学の範囲でも知識は必要になります。社会もそうですが、知識は覚えなければならないもので
「そんなの、社会に出たって役に立たない!」
と捨ててしまってはいけないのです。

 さて、知識の覚え方については、社会の方で述べるとして、原理の理解から始めましょう。
 例えば、天体について考えてみましょう。
 月の公転周期は27.3日、満ち欠けの周期は29.5日です。

さて、この周期は覚えるしかありません。でも満ち欠けの原理は、理論的に説明できないといけませんから、周期のように簡単にはいきませんね。

 これは図を書いて、例えば右から太陽があたったら、影はどうできるから、ここから見ればこの月は三日月で…というような説明ができなければならないのです。これはなかなか徹底できませんでした。だから月の満ち欠けでも6年生のときで平均年4回か5回くらいは説明したでしょうか。そういうものなので、繰り返して勉強させてください。子供が先生になったつもりで説明する練習をさせるとよく覚えるようです。

 こういう理論的な説明は、習った方が早いので、塾で教えてもらって、それを復習するというやり方が効果的でしょう。簡単にポイントを説明する技術は、塾がすでに持っているノウハウですから、それを使わない手はありません。

 で、このような復習中心の学習をまずやります。ところが、これだけでは点数はとれません。やはり問題練習をこなさないといけないのです。ただ中学入試の場合は、あまり心配いりません。理科の問題はやはり出るものが限られます。これは算数と違って非常に、勉強しやすいと思います。単元ごとに入試問題を整理してみると、似たような問題が並びます。出題の先生方はそれなりに工夫されていますが、でも、範囲が限られていますから、おのずと限界があるのです。ですから、問題をやっていくうちに、子供たちもよく出る範囲を何回も繰り返すことになり、広範囲だと思っていた理科の範囲が以外に小さいということに気がつくはずです。

 入試は、よく出る問題があります。これはみんなができる問題ですから、落としてはいけないので、そういう範囲を集中して学習してください。

 次は計算問題です。最近は、少し少なくなってきました。力学の範囲が狭くなったことも原因でしょう。これも、やはりよく出る範囲が決まっています。しかも、やり方も決まっていますから、似たような問題を繰り返せば、習得できます。ここは算数と違ってパターンで学習した方が効果的です。
 例えば、中和の問題はアルカリ性である水酸化ナトリウム水溶液を固定するか、酸性の塩酸を固定するかしかありません。水酸化ナトリウム水溶液を固定する場合は、いくら塩酸を入れても蒸発してしまいますから、残る固体は変わりません。すべて食塩です。逆に塩酸を固定すると、固体の増え方が途中で変化します。そして残る固体は水酸化ナトリウムと食塩がまじったものになります。このどちらかが出題されるのですから、それぞれの解き方をパターンとして覚えてしまった方が早いのです。
 
 振り子の問題も最近よく出題されますが、振り子の周期は支点からの距離によって変化し、おもりの重さは関係ありません。ですから、距離以外の要素はすべて排除できるので、これもパターンで覚えることができます。

 このようなノウハウは各進学塾が熱心に教えてくれますから、そのポイントを整理しておくことが重要です。こればかりは、参考書には載っていないので、うまくいかないときは理科の先生に相談されることが、一番でしょう。

ポイント

理論の説明は塾で習う。復習中心主義。

出題されるものは決まっている。直前は問題集で。

パターンを覚えよう。


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国語の勉強の仕方

国語の勉強はとてもむずかしいと思います。母国語ですから毎日使っているので、何が足りないのかわかりにくいからです。

 今までの経験で言うと、国語のできない子にはボキャブラリー不足の子が多いようです。よく国語の授業でやったことなのですが、文章を読みながら、このことばはわからないかなと思うと、子供たちに質問します。
「敷地ってわかるかい?」
「土地のこと!」
とすぐ、答が返ってくれば先に進みますが、そうでなければ、その場で説明します。これを自宅でやるのがとても難しい。だって辞書を引かなければならないからです。多くのみなさんが語学で挫折するのは、この辞書引き。面倒ですからね。私もそのひとりかもしれません。ですから、このときはぜひ力を貸してあげてほしいのです。子供たちが国語の問題集をやるときは、なるべきそばにいてあげて、知らないかもしれないという言葉はその場で教えてあげてください。

 辞書を引くのは、もう少しあとになってからでよいと思います。特に3年生、4年生あたりまでは辞書をひいたけれど、その辞書にでてくる別のことばがわからない、それでまたそのことばを辞書でひくと、もとにもどってしまったということが多々あるものなのです。そうやってわからないことばを一通り、理解できたら文章もそこそこわかってくるでしょう。

 そこで問題をといてもらいます。ここでも、またひとつ壁がでてきます。子供たちは記号を選択したり、ことばを書き抜く問題は比較的よくやりますが、自分の文章で答えるということは、あまりやりたがりません。

 国語力は3つの要素からできています。1つが読む力、1つが考える力、もう1つが書く力です。読んで、考えられれば、記号式は答えられます。でも、記述式の問題になると、書く力が備わっていないとだめなのです。最近の入試問題では、記述式が増えました。大学の入試でも小論文が多く出題されています。自分の考えを自分の文章で述べるということは、社会に入ってからもとても重要です。したがってこの力を養っていかなければならないのですが、これは好き嫌いがあります。

 女の子は、日記を書いたり、手紙を書いたり(最近はe-mailをやる子供を多いですね。)するので、文章を書くことに抵抗感があまりないようですが、男の子はそうではありません。私も今まで、何人も記述式の問題の前でピクリとも動かない子供たちを見てきました。

 ただ記述式の問題に対応する力は、どの子供にも備わっています。こと語学に関して言えば、小さい時から使いなれている言葉ですから、それなりの文章力は身についているのです。ただ、それを文章にする練習をしていないので、抵抗感が出てきてしまいます。不得意だと思っている子供もたくさんいるでしょう。でも心配はいりません。書けない子供はいないのです。

 ではどうすればよいでしょうか。うまく書こうとするから、失敗するのです。私がよくやった指導は、字数制限なし。なるべくたくさん書いた子供ほどごほうびが大きいというやり方でした。クラスでやると、
「400字突破!」
とか
「3枚書いたよ」とかいう声に乗せられて、とにかく書き始めます。

となりで読むと、なかなかすさまじい文章であることが多いのですが、それでもかまいません。文章を直すのは、十分書きなれるようになってからでよいのです。それに不思議なことですが、書きなれてくるとすさまじかった文章が、だんだんこなれてきます。私が、量をかけるようになった子供たちに注意することは3つだけ。

1 1文は短く。1つの文は1つのことを言えばよい。

2 字をていねいに。

3 結論は先に書く。


3は入試だからいえることですね。本来結論は最後にくることが多いのですが、子供たちは最初答えを考え付いても、文章を書いていくうちに、どんどん離れてしまうことが多々あるのです。ですから、結論を先に書いて、その説明をあとから書いていくようにすると、そこから大きく離れていくのを防げるのです。

 この練習の効果はかなりありました。たいていの子供たちはこれで書けるようになります。でも、それでもピクリとも動かない子もいるものです。

「まだ、書けないかい?」
「うん。」
「じゃ、こうしよう。僕がいくつか質問するからさ、その答えを書いてよ。」
最初は、文章の内容を聞きます。主人公の名前は?このお話は、いつの話?場所はどこ?
お母さんはどんな人などなど。ひとつ聞いてはひとつ書く。そうやって書いていくうちに、書いた内容がたまってきます。そしてここが大切ですが、
「おや、ずいぶん書いたね。」
このとき、うしろの誰かが
「すげェ、書いた!」
なんて言ってくれたらしめたものです。もうおわかりだと思いますが、書けないと決めているのは、本人だけなのであって、書ける力は備わっているのです。教育は教えることだと思っておられる方が多いのですが、本当は引き出すことのほうが多いのです。子供たちにはたくさんの引出しがあって、そこに可能性がいっぱいつまっています。そこから、何かを取り出してあげて、ほらと見せるだけでよいのです。

 さて、今度は記号式の問題です。うちの息子は大変、国語が苦手でした。塾の5択のテストなんて、もうメタメタ。本人はよく、
「2つにしぼるまではできるんだ。でも最後のところで間違えるんだ。」
といってました。担任の先生は
「じゃあ、これだと思った反対の方を書けば」
と笑っていたそうですが。

これはかなり感性の問題があって、同じ育て方をしたと思う娘は、結構勘どころよく、答えていました。あまり決め手はないのでしょうが、子供たちに指導していたことは、これもひとつだけ。

 「この答えだと説明できる理由が本文にあれば正解」

ということでした。母国語ですし、読むのは本人ですから、こちらがこうだと思っていても、本人がそういう読み方をしていなければ、なかなか正解にいたりません。とすれば、本人が何を根拠にそういう考え方をしたのか、明確にするしかありません。子供は勝手に読んでしまうものです。
「どこに書いてあった?」
と聞いてあげれば、間違いは自分で気がつきます。

 ポイントはそういう根拠を、知らず知らずに感じながら読めるようになるかということです。そのためには、やはり日々の練習しかありませんね。1週間に1度か2度は、ていねいに問題集に取り組む時間を作ってください。

 最後に知識問題について。最近は知識の問題は減少しています。文法もほとんど出題されなくなってきました。一番頻出するのは漢字の書き取りです。これは、どんどんやっていくことだと思います。教科書の漢字は早いうちから覚えてもらったほうがよいでしょう。学年にとらわれることなく、どんどん進んでよいのです。書き順も正確に覚えましょう。
いったん身についてしまうとなかなか、直りません。私もよく子供たちに指摘されました。


ポイント

1 子供のしらない言葉はどんどん教える。

2 記述式はまず、書くことを優先。中身の吟味は後で。

3 選択式は根拠を探す。

4 漢字はどんどん覚える。


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算数の勉強の仕方

算数の基礎はまず計算力です。九九に始まって、しっかりとした計算力を身につけることはとても重要なことだと思います。今の算数、数学教育の中でこの計算力をないがしろにする傾向はあまり良いことだと思いません。円周率を3にするというのも、賛成できません。小学校の算数の中でいちばん小数の計算を使うのが円なのです。これがなければ、子供たちが計算力を養う場はほかにはないといっても過言ではないでしょう。

 今まで算数ができていた子供たちが、突然成績が悪くなるきっかけになるのが円です。この段階で、計算力が身についていなければ、円周を求めたり、面積をもとめたりするときミスを連発します。ですから指導する上で、この単元のところでもう一度、きちんと計算の仕方を確認します。そして、正確にといていく過程を身に付けさせるのです。これは算数や数学ばかりでなく、他の教科にも必要なことです。ゆとり教育という名のもとに、本当の学力をつけるということから外れてしまう傾向が、私には理解できません。

 さて、この計算力を身につけるという作業が、結構、おもしろくないものです。誰だって計算問題を百題やれといわれれば、拷問のように感じるでしょう。ですから、計算問題はたくさん出してはいけないのです。一回につき3題から5題が適当でしょう。その代わり、絶対に間違えないようにするのです。子供はたくさんやれといわれると、どうしても正解率が悪くなります。だから、むしろ正解率に重きをおくのです。ゲーム感覚で遊んであげるのもよいでしょう。例えば10日連続正解したら、夕食はこどもの好きなメニューにするとか、どこか遊びにつれていってもらえるとか、そういうごほうびを用意して楽しみながらやってください。

 このとき、2つ守ってほしいことがあります。ひとつは、字をていねいに書くこと。計算ミスのうち、かなりの部分が自分の字を見間違えることによるからです。もうひとつは、必ずその場で見直すこと。計算が進んでいくうちに、違うことに気がつくと、後に戻るのは大変です。やったその場で確認すれば、ミスは必ず減ります。この2つを守って、ていねいに計算練習をさせてください。

 計算力をつける一方で、算数は応用力をつけなければなりません。ところが一般に、この勉強の仕方を間違えているケースが多く見られます。たとえばつるかめ算を学習していて、基本問題ができるようになった子供に応用問題をやらせたとします。この応用問題ができないとき、多くの方が基本にもどしてしまうのです。ところが実際に基本問題をやらせてみると、たいていの場合はできるはずです。これは指導の仕方が間違っています。

 応用問題というのはいくつかの要素を重ね合わせて作られています。基本問題はそのひとつの要素にすぎません。応用問題を解くためには、その要素を分解していかなければならないのです。これは応用問題を練習しなければ、できるようになりません。基本にもどっても何の効果も得られないのはこのためです。

 ではどうしたらよいでしょうか。その問題を分析するしかないのです。大学入試の時にもよく言われていることですが、解答の詳しい問題集を用意してください。そして、その解答をよく読むようにするのです。1問に対してかける時間は15分程度でよいでしょう。
それでできなければ、解答を読みます。そして、どうやって解くのか、理解するのです。理解した上で、もう一度やってみます。これをやっていけば、応用問題を構成するいくつかの要素を理解して、再度組み立てられるようになってきます。でも、この勉強は時間がかかります。できなければ1問について30分程度は少なくともかかるでしょう。だから、たくさんの問題をこなすというわけにはいきません。

 でも、たくさんの問題を解く必要は本当はないのです。よく申し上げたことですが、すべてのパターンを網羅するというような考え方は間違っています。毎年、いろいろな問題が出題されていますから、そんなことは土台不可能なことなのです。それよりは、一問一問に対する対応力を身につけさせた方がよほど効率がよくなります。ストイックに勉強する必要などありません。応用力を身につけることは、考える力を養うことであって、データ-を網羅することではないのです。

 算数の復習はとても大切な勉強です。特にできなかった問題については、きちんとやり直しておきましょう。私はこんな勉強方法を提案していました。

 塾でやった問題の中からできなかった問題をやり直します。解答は教えてもらっていますが、それを見ずに解きなおすのです。そこでできたらOKですが、できなかったら、その問題の解答をまず読み直します。そして京大型カードを出して、表に問題、裏に解答を再度書き写しておくのです。この書き写すという作業が意外に効果を発揮します。そしてそれを箱の中にいれておくのです。できなかった箱とでもしておきましょう。そして週末、その箱の中から問題を引き抜いて、もう一度やり直します。これで3回目ですから、さすがにこのときはできることが多いのですが、それでもできないときは、箱に問題を残します。すると箱の中には子どものできなかった問題だけが残りますから、これがデーターベースになるわけです。

 残った問題はまとめて長期休みなどに取り組むとよいでしょう。子どもができる問題に時間をかけるのは効率的とはいえません。できなかった問題をできるようにすることが一番効率が良いのですから、それに集中する勉強法を工夫してください。

 ノートの使い方も工夫しましょう。一問に対して1ページをさきます。そして、ていねいに式や計算を書くようにしてください。頭の良い子供ほど、これはできません。なぜなら頭の方が先に回転してしまっているからです。でも、ミスの原因を作るもとですから、少なくとも問題が難しくなった段階では、やはりていねいに書かせることが大切でしょう。

ポイント

計算力をつける。

計算問題はたくさんやらせず、正解率に重きを置く。

応用問題ができないとき、基本にもどってはいけない。

解答を読んで、考え方を理解する。

ていねいにノートに式や計算を書く。



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注意する

あるお母さんが,子供のおやつの支度をしていました。子供はおなかがすいでいたので、早く食べたかったのでしょう。「早く、早く」とせかしています。お母さんは急いで支度をしていましたが、その「早く、早く」ということばにだんだん腹がたってきました。別に意地悪をしておそくしているわけではありません。急いで支度をしているのです。でも子どもは「早く」とせがみます。どうしてがまんができないのだろう、お母さんは子どものところに行って「我慢しなさい」と怒ってしまいました。子どもはびっくりしてしまい、泣き出しました。せっかくのおやつが台無しです。

こういうことは日常、おこりがちなことです。この場合「がまんしなさい」と子どもをしつけることは大事なことです。お母さんが急いで支度をしているし、ちょっと待てばおいしいおやつを食べられるのですから。相手の気持ちにたって行動するということは、とても大切なことですね。ところが怒ってしまったことで、せっかくのしつけが台無しになってしまいました。なぜでしょうか?子どもが聞いていないからです。

大人が怒るということは、子どもにとってはとても怖いことなのです。「しまった」という気持ちから恐怖感へ心理状態が移ってしまうと、もう人のいうことは聞けません。早くこの恐怖の時間が過ぎてほしいと願うだけになってしまうのです。自分を守ること、自分を傷つけないようにすることに注意が向かいます。ですから、子どもはなぜ注意されたのか、理解しないまま終わる場合が圧倒的に多いのです。

子どもをしつけること、これは大切です。ただ子どもがその通りにならないからというだけで怒っていたのでは、ただお母さんの感情のはけ口になってしまうだけです。ですから注意する以上、子どもが納得するように注意することが一番大切です。子どものすることに腹がたつことはよくあります。しかしそれを感情だけで怒るのでは子どもには何も通じていません。ただ怖いだけですし、何が悪かったのかすらわからないかもしれないのです。

ではどうしたらよいでしょうか。まず、子どもが冷静に聞ける状況を考えます。ちゃんとお母さんと1対1で話す状況を作ります。テレビなんか見ててはいけません。そして、問題の行動について、本人の考えをたずねてください。どうしてそういうことをしたのか。はっきりいえば、多くの場合子どもは何の考えも特に持たないでやっていることが多いのです。その結果として、それをほかの人がどう思い、どう感じるかは、教えてあげなければいけません。もちろん自分がそういう経験を積んで、いやな思いをすれば、他人に対してそういうことはやめようと思うのです。しかし子どもにはそれだけの経験もありませんし、まだ知恵も回らない場合が多いのです。ですから教えてあげる必要があるのです。

教える以上、次に間違わない教え方が必要です。親のフラストレーションを爆発させることが目的ではありません。子どもにそういうことをさせないようにすることが目的です。昔は回りの大人が厳しかったので、母親が注意する前に、となりのおじさんに怒られていました。しかし、最近の都市では核家族化が進み、近所ともそれほど近い関係を持っている家は少ないので、いきおい子どもが注意される経験は少なくなっています。だから、親が教えなければいけない場面は多いのです。結果を出す注意の仕方をぜひ工夫してください。


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チーママ

上がお姉ちゃん、下が弟君、しかもちょっと年の差があいている場合、お母さんはちょっと気をつけなければなりません。弟くんがとてもだらしなくなる、あるいは非常に消極的になったり、精神年齢が幼くなるケースがでてくるのです。

 なぜでしょうか。理由は上のお姉ちゃんがママになってしまうからです。同じことはおばあちゃんがいらっしゃるうちでもありがちですが、それはお母さんが比較的気がつきやすいのです。ところがお姉ちゃんの存在はあまり気にならない、というよりかえって助かる場面の方が多いので、あまり気にしません。

 私は弟の世話をよく焼いてくれるお姉ちゃんのことをよくチーママといっていました。(あまり教育的ではありませんが。)母性本能が強い女の子に多いのでしょうが、ホントにママ以上にがんばるお姉ちゃんがいるものです。お姉ちゃんががんばると、弟君はいろいろと世話をやいてもらえますから、逆に自分でいろいろなことをする必要がなくなります。
とても簡単なことですが、自分でいろいろなことをする機会が少なくなれば、その分、子供は楽をしますから、逆に自分で何かをする能力を伸ばすことができなくなるのです

 これは過保護のところでもお話しますが、お母さんが世話をやくということは、子どもが自分でいろいろなことに挑戦する機会をうばうことです。ですから、本当は小学校前くらいから、できるかぎり自分の世話は自分でできるようにすることがとても大事なのです。もちろん、子どもができないことはたくさんありますから、取捨選択はしっかりやならければなりません。でも、なるべくなら、いろいろなことを自分でする習慣を早くから身につけさせることが大事なのです。

 特にお手伝いも大事です。家族がみんなでいっしょに生活するわけですから、子どもだけ特別扱いをする必要はありません。お父さんやお母さんが働いているのだから、子どもたちだって家族の一員としてはたしてもらう役割があってよいのです。そういうことを早くから決めておくことも大切です。たとえばお風呂の用意、食器の後片付け、掃除。子どもが興味をもっているうちに、させてしまうことが大事です。中学生になってから、そんなことをいっても、子どもはなかなか言うことは聞きません。お風呂掃除がやってみたいという年齢からはじめていけば、習慣になってくるものです。

 ところが、そういう自分でいろいろなことをやる機会がない子どもは、たいてい、精神年齢も幼く、自立する時期も遅れます。ましてママが二人いたら大変なのです。

 お姉ちゃんがいろいろなことを手伝ってくれるのはよいのです。ただ、弟の世話だけは、気をつけてください。ですから、お母さんは、弟君の世話についてはなるべくお姉ちゃんにやらせないようにしましょう。家の手伝いはどんどんやってもらっていいですが、たとえば勉強をみてもらうとか、送り迎えをしてもらうとか、そういうことが度重なってくると、だんだんママに近づいていきます。もしそういう感じがしたら、やんわりと言ってあげてください。

「これはママの仕事よ。」

不思議なものですが、これが妹になると、あまりこうならないのです。多分、女同士というのはそうなりにくいのでしょうか。お兄ちゃんが弟の世話をするのでも、これは男の子ですからママのようにていねいになるはずもないのです。やはり問題は姉、弟の関係。昔一姫二太郎と言いましたが、お母さんが忙しかったので、上がお姉ちゃんの方が親は助かりました。でも、今は子供の数が少ないので、お母さんが子供に目が届きますし、だからこそ、過剰な世話がおきてしまうわけです。ぜひ気をつけてください。

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