中学受験で疲弊しないために、親子で楽しむ受験になるヒントを綴っていきたいと思います。
中学受験で子どもと普通に幸せになる方法
ほめる
子供を育てるとき、お母さんが心がけておかなければいけないことがあります。それはほめることをなるべく多くしようということです。ところが、日常はどうでしょうか。例えば小学生が、学校から帰ってくる、ランドセルをポーンとなげて、スリッパを蹴飛ばし、ドアは開けっ放しで、冷蔵庫から何かひっぱりだして、手も洗わずに食べていたら?
「ほら、ドア、閉めて。ちゃんと靴はそろえなさい。手洗ったの、手!」
最初のうちは言うことを聞いていた子供たちも、やがてだんだん柳に風という感じになってきます。その態度がまた腹立たしくて
「ちょっと聞いてるの?」
お母さんは子供たちをいる時間が長いので、子供たちの日常の生活に細かく目が行きます。昔はそれでも、兄弟の数が多かったので、下の方は上が面倒みてくれてちょうど良かったのかもしれません。しかし最近は一人っ子と二人兄弟がだいたい8割近くになっているのではないでしょうか。いきおい、子供たちのことにお母さんはよく気がつきます。気がつく分、気にいらないところもいっぱいでてくるのです。
よく私はお父さんとお母さんがよく話し合って子育てしてくださいとお話していました。どうしてもお母さんは近視眼的になり、お父さんは遠視的になる傾向が強いのです。お母さんは近くで見ていますから、一挙一動気になります。お父さんは、あまり見ていませんから、まあ、こんなもんだろうくらいに考えて、将来はこんなふうになってほしいなということに頭がいってしまいます。どちらも大事な要素ですが、偏るとあまりよくありません。だからお父さんとお母さんのバランスが大事なのです。
といっても、最近のお父さんは忙しいでしょう。なかなかコミュニケーションとれない場合もあるでしょう。で、お母さんはどうすればよいでしょうか。
お母さんは細かいことに気がつくのなら、その分ほめるようにされたらどうでしょうか。
誉めると子供たちは変わってきます。お母さんに誉めてもらってうれしくない子供はいないのです。誉めるということは、子供の教育の上でとても効果があります。子供の心理状態を非常に積極的なものにするのです。
たとえばブロックがじゅうたんの上に散らばっているので、子供に箱の中にいれてもらおうと思います。私なら、まず自分で1個入れてニコニコしながら、パチパチと手をたたきます。自分で喜ぶしぐさをするのですね。子どもは当然、興味を持ちます。そこで1個渡して、箱を前に置きます。子どもはたいてい真似をするので、それを箱にいれてくれます。そのとき、それこそ大いにほめるのです。
喜んで、ニコニコ笑いながらパチパチと手をたたきます。するとどうでしょうか。子どもはそれから、そこらにあるブロックをどんどん、箱の中に入れ始めます。大事なことはここで、手をぬかないで、ほめてあげること。すると、子どもは最後までがんばります。
人間はほめられれば、うれしいのです。ですから、ほめてあげることを増やした方が、子どもはより良い方向に進みます。
こういうことを申し上げると、小学生のお母さんから、こんな反論が出てくるかもしれません。
「でも、図に乗りませんか?」
いいことをどんどんやるのなら、図に乗ってもらって大いに結構です。前向きに、積極的になってくれるのなら、大変すばらしいことです。多少調子に乗るくらいでちょうどよいと私は思っています。
どうぞ、ほめることばを増やしてください。
「最近、おはしの持ち方が上手になった。」
「元気よく、かえってきてお母さんはうれしい!」
ほめることはいっぱいあります。でもお母さんは、いままでけなすことになれていますから、ほめることばが恥ずかしいかもしれません。でも、それこそお母さんも勉強です。どんどん、ほめてあげてください。ほめ上手のご家庭にはとても元気なお子さんが育つものです。
「ほら、ドア、閉めて。ちゃんと靴はそろえなさい。手洗ったの、手!」
最初のうちは言うことを聞いていた子供たちも、やがてだんだん柳に風という感じになってきます。その態度がまた腹立たしくて
「ちょっと聞いてるの?」
お母さんは子供たちをいる時間が長いので、子供たちの日常の生活に細かく目が行きます。昔はそれでも、兄弟の数が多かったので、下の方は上が面倒みてくれてちょうど良かったのかもしれません。しかし最近は一人っ子と二人兄弟がだいたい8割近くになっているのではないでしょうか。いきおい、子供たちのことにお母さんはよく気がつきます。気がつく分、気にいらないところもいっぱいでてくるのです。
よく私はお父さんとお母さんがよく話し合って子育てしてくださいとお話していました。どうしてもお母さんは近視眼的になり、お父さんは遠視的になる傾向が強いのです。お母さんは近くで見ていますから、一挙一動気になります。お父さんは、あまり見ていませんから、まあ、こんなもんだろうくらいに考えて、将来はこんなふうになってほしいなということに頭がいってしまいます。どちらも大事な要素ですが、偏るとあまりよくありません。だからお父さんとお母さんのバランスが大事なのです。
といっても、最近のお父さんは忙しいでしょう。なかなかコミュニケーションとれない場合もあるでしょう。で、お母さんはどうすればよいでしょうか。
お母さんは細かいことに気がつくのなら、その分ほめるようにされたらどうでしょうか。
誉めると子供たちは変わってきます。お母さんに誉めてもらってうれしくない子供はいないのです。誉めるということは、子供の教育の上でとても効果があります。子供の心理状態を非常に積極的なものにするのです。
たとえばブロックがじゅうたんの上に散らばっているので、子供に箱の中にいれてもらおうと思います。私なら、まず自分で1個入れてニコニコしながら、パチパチと手をたたきます。自分で喜ぶしぐさをするのですね。子どもは当然、興味を持ちます。そこで1個渡して、箱を前に置きます。子どもはたいてい真似をするので、それを箱にいれてくれます。そのとき、それこそ大いにほめるのです。
喜んで、ニコニコ笑いながらパチパチと手をたたきます。するとどうでしょうか。子どもはそれから、そこらにあるブロックをどんどん、箱の中に入れ始めます。大事なことはここで、手をぬかないで、ほめてあげること。すると、子どもは最後までがんばります。
人間はほめられれば、うれしいのです。ですから、ほめてあげることを増やした方が、子どもはより良い方向に進みます。
こういうことを申し上げると、小学生のお母さんから、こんな反論が出てくるかもしれません。
「でも、図に乗りませんか?」
いいことをどんどんやるのなら、図に乗ってもらって大いに結構です。前向きに、積極的になってくれるのなら、大変すばらしいことです。多少調子に乗るくらいでちょうどよいと私は思っています。
どうぞ、ほめることばを増やしてください。
「最近、おはしの持ち方が上手になった。」
「元気よく、かえってきてお母さんはうれしい!」
ほめることはいっぱいあります。でもお母さんは、いままでけなすことになれていますから、ほめることばが恥ずかしいかもしれません。でも、それこそお母さんも勉強です。どんどん、ほめてあげてください。ほめ上手のご家庭にはとても元気なお子さんが育つものです。
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ペット
マンションなどでペットを飼うのは大変ですね。でも、子供の教育にとって生き物を飼うということをとても大切なことです。それも早ければ早いほどよいと思います。ペットを飼ことは、生命を実感することにつながります。今はテレビゲームで格闘技ゲームがはやっていますがゲームだと簡単に生き返る命も、現実はそうはいきません。そういう意味で命の尊さというものを、早い段階から身近に感じられるのが、ペットの存在なのです。
ペットを飼うと、子供たちがやらなければいけない仕事もでてきます。糞の世話や、散歩、水をかえたり、いろいろ仕事がありますね。しかも、それをさぼってしまったら、ペットの命にかかわるような問題になることだって少なくありません。だからこそ、責任感も育つのです。
小学校で飼育係というのがあるそうです。夏休みにも学校にいかなければならないので大変で、あまり人気がない係りだそうですが、こういう教育は実は大切です。どちらかといえば放送係のような係が人気があるのですが、責任をもって飼育係をやる子供は、私は非常に大切な資質を伸ばせると思います。
我が家の話で恐縮ですが、我が家ではメダカを子供が小さいときにかっていました。それから子供が池でつかまえてきたザリガニもかいました。玄関の前のたたきのところに、洋服ケースのおふるを使って水槽をしつらえ、えさをやったり、水をかえたりは子供と家内が交代でやっていました。
うちのメダカはメちゃんとダちゃんとカちゃんでした。(なんと安易な名前の付け方をするのでしょうか。ちなみにザリガニはザリちゃんとガニちゃんでしたっけ。)子供たちは、今日はメちゃんがどうだったとか、ネコがメダカをねらっているとか、よくそんな話をしてくれました。私は水は一晩汲み置きしてから、変えたほうがいいよとか、ネコに狙われるのなら、水をいれたペットボトルを並べておいた方がよいかもしれないなどと、勝手なことばかり言って、
「パパは口ばっかりなんだから。」
とよく家族から非難されたものです。しかし、子供たちがメダカが死んだときの話をしてくれたときに、意外に死というものを現実的に受け止めるのだなと感心しました。
「やっぱり、半年だったね。」
「でも、結構よく生きていた方じゃない。前のメダカは2ヶ月で死んじゃったもの。」
「お墓は作ったのかい?」と私。
「うん。木の根元にうめてあげたよ。」
別にメソメソしているわけではないのです。でも、やがて生き物は死んでいくということを何か冷静に受け止められているのには驚いてしまいました。
息子が中学1年生になったとき、学校からカイコをわけてもらってきました。夏休みだったと思いますが、観察記録をつけるのが宿題だったようです。こういうことをしてくれる学校は大変ありがたいと私は思いました。この学校はそういうのが多くて、こおろぎを卵からかえすというのも課題にありました。息子のコオロギは友達のなかでも長生きだったようで、
「けっこう、記録なんだよ。」
といってましたが、やはりきちんと世話はしていたようです。
私が若いとき、家庭教師をしていた子供は生き物を飼うのがとても好きでした。彼の部屋に入ると、昆虫やカエルがいっぱいです。勉強が始まる前に、一通り説明があって、それがすまないと授業になりません。でも、そのときの彼の顔は本当にイキイキしていました。お母さんも立派な方で、多少部屋の中がにおっても、彼のやることをみとめてくださっていました。
当然、理科の生物は得意です。きっと私より、よく知っています。
「君は、僕より生物はできるから、心配ないよ。」
私はよく彼に言っていました。得意分野ができることは、子供が自信をつけるので、より積極的になれるのです。
何も高い犬やネコを飼う必要はありません。犬に洋服を着せなくてもよいのです。でも生活の中でちがう生き物と暮らすことは子供の教育の上でとても大切なことだと私は思います。子供が池でなにか捕まえてきたら、お母さん、いやな顔はしないでください。いっしょにその生き物を飼いましょう。きっと楽しい経験ができると思います。
ペットを飼うと、子供たちがやらなければいけない仕事もでてきます。糞の世話や、散歩、水をかえたり、いろいろ仕事がありますね。しかも、それをさぼってしまったら、ペットの命にかかわるような問題になることだって少なくありません。だからこそ、責任感も育つのです。
小学校で飼育係というのがあるそうです。夏休みにも学校にいかなければならないので大変で、あまり人気がない係りだそうですが、こういう教育は実は大切です。どちらかといえば放送係のような係が人気があるのですが、責任をもって飼育係をやる子供は、私は非常に大切な資質を伸ばせると思います。
我が家の話で恐縮ですが、我が家ではメダカを子供が小さいときにかっていました。それから子供が池でつかまえてきたザリガニもかいました。玄関の前のたたきのところに、洋服ケースのおふるを使って水槽をしつらえ、えさをやったり、水をかえたりは子供と家内が交代でやっていました。
うちのメダカはメちゃんとダちゃんとカちゃんでした。(なんと安易な名前の付け方をするのでしょうか。ちなみにザリガニはザリちゃんとガニちゃんでしたっけ。)子供たちは、今日はメちゃんがどうだったとか、ネコがメダカをねらっているとか、よくそんな話をしてくれました。私は水は一晩汲み置きしてから、変えたほうがいいよとか、ネコに狙われるのなら、水をいれたペットボトルを並べておいた方がよいかもしれないなどと、勝手なことばかり言って、
「パパは口ばっかりなんだから。」
とよく家族から非難されたものです。しかし、子供たちがメダカが死んだときの話をしてくれたときに、意外に死というものを現実的に受け止めるのだなと感心しました。
「やっぱり、半年だったね。」
「でも、結構よく生きていた方じゃない。前のメダカは2ヶ月で死んじゃったもの。」
「お墓は作ったのかい?」と私。
「うん。木の根元にうめてあげたよ。」
別にメソメソしているわけではないのです。でも、やがて生き物は死んでいくということを何か冷静に受け止められているのには驚いてしまいました。
息子が中学1年生になったとき、学校からカイコをわけてもらってきました。夏休みだったと思いますが、観察記録をつけるのが宿題だったようです。こういうことをしてくれる学校は大変ありがたいと私は思いました。この学校はそういうのが多くて、こおろぎを卵からかえすというのも課題にありました。息子のコオロギは友達のなかでも長生きだったようで、
「けっこう、記録なんだよ。」
といってましたが、やはりきちんと世話はしていたようです。
私が若いとき、家庭教師をしていた子供は生き物を飼うのがとても好きでした。彼の部屋に入ると、昆虫やカエルがいっぱいです。勉強が始まる前に、一通り説明があって、それがすまないと授業になりません。でも、そのときの彼の顔は本当にイキイキしていました。お母さんも立派な方で、多少部屋の中がにおっても、彼のやることをみとめてくださっていました。
当然、理科の生物は得意です。きっと私より、よく知っています。
「君は、僕より生物はできるから、心配ないよ。」
私はよく彼に言っていました。得意分野ができることは、子供が自信をつけるので、より積極的になれるのです。
何も高い犬やネコを飼う必要はありません。犬に洋服を着せなくてもよいのです。でも生活の中でちがう生き物と暮らすことは子供の教育の上でとても大切なことだと私は思います。子供が池でなにか捕まえてきたら、お母さん、いやな顔はしないでください。いっしょにその生き物を飼いましょう。きっと楽しい経験ができると思います。
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第一次反抗期
反抗期には小学校4年生くらいからおこる第1次反抗期と中学2年生ぐらいから始まる第二次反抗期があります。第一次反抗期は、
「うるさいな。」
という言葉から始まるといっても過言ではないでしょう。今まで子どもたちは、いろいろなことをやるのに、あまり自信がありませんから、比較的良く親の言うことを聞きます。ところが4年生ぐらいになると、自分でできる自信が湧いてきて、また自分のやり方が出てくるので、今までのように親のいうことを聞くとは限りなくなります。
私は第一次反抗期が始まったら、それこそお赤飯を炊かなければいけないと申し上げるのですが、お母さんにとってはこの
「うるさいな」
が大変耳障りに聞こえるようです。誰が今まで大きくしてやったと思うという気持ちが特にお母さんには強いのでしょうね。
しかし、良く考えてみてください。いつまでたっても、お母さんのいうことばかりを聞いている子どもはかえって、気持ち悪くありませんか?
私が面倒を見ていた子どもで、こんな子がいました。6年生の男の子ですが、とてもかわいいのです。しぐさから言葉から、本当にこの子は6年生だろうかと思うくらい。一人っ子で、しかもお父さんが単身赴任をしていらしたので、当然お母さんの興味はすべてこの子に行きます。洋服の着替えから、朝学校に行く支度まで全部お母さんがかり。お風呂も当然お母さんと入るし、夜寝るのもお母さんといっしょ。
うーん。
こういう子はお母さんにしてみれば、ずっとこのままでいてほしいのかもしれませんが、残念ながら、子どもは確実に大きくなっていきます。年相応にできることがなければ、後から困るものなのです。
この子には反抗期というものが感じられませんでした。でも、それは困るのです。
さて、この反抗期が始まったら親はどう対応すればよいのでしょうか。今まで比較的何でも言うことを聞いていた子どもが「うるさい」と言い始めたら、少し本人に自信ができたのだと喜んでください。その上で少し、ほったらかすと良いのです。
「じゃ、あなたの考えるとおりやってごらんなさい。」
ここでお母さんは怒ってはいけません。自立の始まりなのですから、喜んで子どもの自立を助けてあげましょう。
たとえば、本人が選んだ洋服が気に入らなくても、もうしかるのはやめましょう。もし、もう少しドレスアップしてほしいのなら、その理由を説明してあげてください。
「せっかく、お客様がみえるのだから、かっこよくしましょうよ。」
大体、お母さんと子どもたちの会話を聞いていると、紋切り型の言葉が多くて、ちょっとした説明が不足していることが多いのです。怒気をふくまない言葉で、くわしく説明してあげれば、子どもたちも理解力が上がっていますから、それなりにお母さんの気持ちをくんでくれるものです。一番いけないのは
「何!その口の利き方は!」
と怒ってしまうこと。そうすると、もう子どもは大人の怒りが怖くなって自分のしたいことを押し黙ってしまいます。せっかく、自分が立ち上がったのに、その芽を摘んでしまうのはいかにももったいないのです。
ちょっと距離をおいてあげて、しばらく様子を見てあげてください。その距離感が大事なのです。少し親が引いてあげると、子どもは困ったときにはよってくるものなのです。どうぞ昔のことを思い出してください。お母さんだって、きっとそういう気持ちになったことが何度かあるはずですから。
「うるさいな。」
という言葉から始まるといっても過言ではないでしょう。今まで子どもたちは、いろいろなことをやるのに、あまり自信がありませんから、比較的良く親の言うことを聞きます。ところが4年生ぐらいになると、自分でできる自信が湧いてきて、また自分のやり方が出てくるので、今までのように親のいうことを聞くとは限りなくなります。
私は第一次反抗期が始まったら、それこそお赤飯を炊かなければいけないと申し上げるのですが、お母さんにとってはこの
「うるさいな」
が大変耳障りに聞こえるようです。誰が今まで大きくしてやったと思うという気持ちが特にお母さんには強いのでしょうね。
しかし、良く考えてみてください。いつまでたっても、お母さんのいうことばかりを聞いている子どもはかえって、気持ち悪くありませんか?
私が面倒を見ていた子どもで、こんな子がいました。6年生の男の子ですが、とてもかわいいのです。しぐさから言葉から、本当にこの子は6年生だろうかと思うくらい。一人っ子で、しかもお父さんが単身赴任をしていらしたので、当然お母さんの興味はすべてこの子に行きます。洋服の着替えから、朝学校に行く支度まで全部お母さんがかり。お風呂も当然お母さんと入るし、夜寝るのもお母さんといっしょ。
うーん。
こういう子はお母さんにしてみれば、ずっとこのままでいてほしいのかもしれませんが、残念ながら、子どもは確実に大きくなっていきます。年相応にできることがなければ、後から困るものなのです。
この子には反抗期というものが感じられませんでした。でも、それは困るのです。
さて、この反抗期が始まったら親はどう対応すればよいのでしょうか。今まで比較的何でも言うことを聞いていた子どもが「うるさい」と言い始めたら、少し本人に自信ができたのだと喜んでください。その上で少し、ほったらかすと良いのです。
「じゃ、あなたの考えるとおりやってごらんなさい。」
ここでお母さんは怒ってはいけません。自立の始まりなのですから、喜んで子どもの自立を助けてあげましょう。
たとえば、本人が選んだ洋服が気に入らなくても、もうしかるのはやめましょう。もし、もう少しドレスアップしてほしいのなら、その理由を説明してあげてください。
「せっかく、お客様がみえるのだから、かっこよくしましょうよ。」
大体、お母さんと子どもたちの会話を聞いていると、紋切り型の言葉が多くて、ちょっとした説明が不足していることが多いのです。怒気をふくまない言葉で、くわしく説明してあげれば、子どもたちも理解力が上がっていますから、それなりにお母さんの気持ちをくんでくれるものです。一番いけないのは
「何!その口の利き方は!」
と怒ってしまうこと。そうすると、もう子どもは大人の怒りが怖くなって自分のしたいことを押し黙ってしまいます。せっかく、自分が立ち上がったのに、その芽を摘んでしまうのはいかにももったいないのです。
ちょっと距離をおいてあげて、しばらく様子を見てあげてください。その距離感が大事なのです。少し親が引いてあげると、子どもは困ったときにはよってくるものなのです。どうぞ昔のことを思い出してください。お母さんだって、きっとそういう気持ちになったことが何度かあるはずですから。
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予習と復習のバランス
予習をするというのは、授業を聞いて理解するのに大変効果的な方法です。塾では毎週のカリキュラムがはっきりしていますから、その単元を事前に勉強しておけば、授業の理解も深まるでしょう。ただ、子どもたちは正直ですから、自分がわかってしまっていると思うと、授業に対する興味が半減するのも事実です。4年生の段階では、先にお話をした通り、いろいろなことを試しておもしろいと思ってくれることがまず大事なので、
「それ知ってる」
と思うと、他のことに興味が移ってしまう可能性があります。ですから、あまり予習に力をいれなくても良いのではないかと思います。
4年生くらいなら、まだまだ遊びたいし、そういう時間を確保してあげることもまた、非常に大切な要素です。ところが予習を勉強のスケジュールの中に入れてしまうと、それだけでボリュームが膨らんでしまい、4年生にとっては負担が大きくなってしまうと思います。
ですから、最初はむりをせず、復習中心の勉強スタイルを作ればよいのではないでしょうか。中途半端に予習に時間を割くくらいなら、むしろじっくり復習することの方が大切です。
子どもたちに復習が大事だよというと、たいていはノートを見直すということになってしまうのですが、これは、あまり効果がありません。できた問題はさておき、できなかった問題をもう一度解き直してみることが大切です。できなかった問題については、すでに授業で解説を聞いていると思いますが、その解説を見ずに、もう一度解き直してみるのです。そうすると、自分が理解していなかったところが明白になってきます。もし、わからなかったら、もう一度解説を読み直してみる、そうすることで、ポイントがつかめるようになるのです。この過程は、力をつけるのに非常に重要ですから、これに時間をかけてください。
できた問題はどうしましょうか?という質問を受けることがありますが、これは基本的にほっといていいのです。ただし、時々、チェックしておいた方が良いときがあります。子どもたちは天才的ですから、時々答えを言い当ててしまうことがあります。(いわゆるアテカンという離れ業ですが。)これだと、本当に解いてはいないので、そういう問題は、やはりやり直しておいた方が良いでしょう。
ただ、すべての問題を解きなおす必要はありません。それよりも、子どもたちがもっと自由に時間をつけることの方が大事だと思います。遊びにいったり、本を読んだり、テレビを見たり、子どもは遊ぶこともからも、たくさんのことを身につけていますから、くれぐれも受験勉強ばかりにしないように注意してください。
「それ知ってる」
と思うと、他のことに興味が移ってしまう可能性があります。ですから、あまり予習に力をいれなくても良いのではないかと思います。
4年生くらいなら、まだまだ遊びたいし、そういう時間を確保してあげることもまた、非常に大切な要素です。ところが予習を勉強のスケジュールの中に入れてしまうと、それだけでボリュームが膨らんでしまい、4年生にとっては負担が大きくなってしまうと思います。
ですから、最初はむりをせず、復習中心の勉強スタイルを作ればよいのではないでしょうか。中途半端に予習に時間を割くくらいなら、むしろじっくり復習することの方が大切です。
子どもたちに復習が大事だよというと、たいていはノートを見直すということになってしまうのですが、これは、あまり効果がありません。できた問題はさておき、できなかった問題をもう一度解き直してみることが大切です。できなかった問題については、すでに授業で解説を聞いていると思いますが、その解説を見ずに、もう一度解き直してみるのです。そうすると、自分が理解していなかったところが明白になってきます。もし、わからなかったら、もう一度解説を読み直してみる、そうすることで、ポイントがつかめるようになるのです。この過程は、力をつけるのに非常に重要ですから、これに時間をかけてください。
できた問題はどうしましょうか?という質問を受けることがありますが、これは基本的にほっといていいのです。ただし、時々、チェックしておいた方が良いときがあります。子どもたちは天才的ですから、時々答えを言い当ててしまうことがあります。(いわゆるアテカンという離れ業ですが。)これだと、本当に解いてはいないので、そういう問題は、やはりやり直しておいた方が良いでしょう。
ただ、すべての問題を解きなおす必要はありません。それよりも、子どもたちがもっと自由に時間をつけることの方が大事だと思います。遊びにいったり、本を読んだり、テレビを見たり、子どもは遊ぶこともからも、たくさんのことを身につけていますから、くれぐれも受験勉強ばかりにしないように注意してください。
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親はどこまで教えればよいか?
4年生で塾に入ると、多分、学校と若干のギャップが生じると思います。特に算数では、等しい差で増える数列(等差数列)などが、ちらほらと顔を出すので、これは大変だと思われるかもしれません。
(例題1)、
1,4,7,10、13、16、・・・・・
と数が規則正しく並んでいます。最初から40番目の数は何ですか?
というのは、よく4年生のテキストに出てきます。等差数列は高校での履修事項ですが、これは別にその公式を使わなくてもできるのです。
3ずつふえていますから、3の倍数をならべてみます。
3,6,9、12、15、・・・・・
そうすると、問題の数字とくらべて2多くなっていることがわかりますから、
40番目の数は3×40-2=118と考えるのです。
小学校の算数というのは、発見が重要なのです。どうやって発見するか、それはいろいろ試してみないと見つからないものです。だから、子どもたちが工夫して発見してくれるように指導するのがまず重要になります。
ところが、進学塾は進学が目的ですから、どうしても点数をとらなければならないと考えます。もしこういう問題が出て、できなければいけないのだから、知らなければ教えなければいけないと考えがちです。
もちろん、これを公式で教えて「覚えなさい」というのもひとつの指導法かもしれません。しかしそれでは、それ以外の問題はとけなくなってしまいます。
先の問題は、植木算の応用としても考えられます。植木算というのは、木を直線状にならべると間の数は木の数より1少なくなるということを利用する問題のことです。
1,4,7、10、13・・・・
は1から3ずつ増えていきますから、40番目までに3は39回増えるということがわかれば、
1+3×39=118と答えることもできます。
と次のような問題の考え方は簡単に思いつきます。
(例題2)
100、96、 92、 88 ・・・・・
の15番目の数は何ですか?
これは4ずつ少なくなっていることがわかりますから、15番目までには14回減るなと考えて、100-4×14=44 が答えになります。公式では難しくなりますね。
4年生の問題は、いろいろな可能性を吟味してもらうために作られています。入試ではこんな簡単な問題は出ません。すぐできるようになるか?は大きな問題ではないのです。むしろ、おもしろがって、いろいろと試せるようになってくれることが大事なのです。例題2の解き方として、15個数字を並べて書き出す子どもがけっこういます。最高ですね!もちろん立派な解答なのです。4年生から考え方を強要する必要はありません。
もし可能ならば、いっしょにいろいろ考えてあげてください。一番いけないのは、たくさんの問題を処理させようとすること。たくさんの問題を出せば、子どもはいやになるに決まっています。楽しく解いている間は、次は?と聞いてきてくれますが、やらされるようになると、どんどん能率が落ちてしまうものです。問題ができたら、必ずほめてください。できなかったら、塾で教えてもらってらっしゃいといってあげてください。今度、お母さんに教えてね?なんて言えたら、もう最高のお母さんですね。
ところが、塾にはテストがあります。特に最近は、能力別と称してテストの成績でクラスわけをする塾が多くなりました。これに親は惑わされます。やはり、自分の子どもの成績が悪いとあせってしまいます。やはり点数がとれなければいけないと、いろいろと手を変え、品を変え教えてしまいがちです。
しかし1年たてば、今までの例題はほとんどの子どもが簡単に解いてしまうものなのです。慌てて、子どもの大事な好奇心や勉強する楽しみを奪ってはいけません。まして、これで個別指導や家庭教師をつけてしまわないようにしてください。
(例題1)、
1,4,7,10、13、16、・・・・・
と数が規則正しく並んでいます。最初から40番目の数は何ですか?
というのは、よく4年生のテキストに出てきます。等差数列は高校での履修事項ですが、これは別にその公式を使わなくてもできるのです。
3ずつふえていますから、3の倍数をならべてみます。
3,6,9、12、15、・・・・・
そうすると、問題の数字とくらべて2多くなっていることがわかりますから、
40番目の数は3×40-2=118と考えるのです。
小学校の算数というのは、発見が重要なのです。どうやって発見するか、それはいろいろ試してみないと見つからないものです。だから、子どもたちが工夫して発見してくれるように指導するのがまず重要になります。
ところが、進学塾は進学が目的ですから、どうしても点数をとらなければならないと考えます。もしこういう問題が出て、できなければいけないのだから、知らなければ教えなければいけないと考えがちです。
もちろん、これを公式で教えて「覚えなさい」というのもひとつの指導法かもしれません。しかしそれでは、それ以外の問題はとけなくなってしまいます。
先の問題は、植木算の応用としても考えられます。植木算というのは、木を直線状にならべると間の数は木の数より1少なくなるということを利用する問題のことです。
1,4,7、10、13・・・・
は1から3ずつ増えていきますから、40番目までに3は39回増えるということがわかれば、
1+3×39=118と答えることもできます。
と次のような問題の考え方は簡単に思いつきます。
(例題2)
100、96、 92、 88 ・・・・・
の15番目の数は何ですか?
これは4ずつ少なくなっていることがわかりますから、15番目までには14回減るなと考えて、100-4×14=44 が答えになります。公式では難しくなりますね。
4年生の問題は、いろいろな可能性を吟味してもらうために作られています。入試ではこんな簡単な問題は出ません。すぐできるようになるか?は大きな問題ではないのです。むしろ、おもしろがって、いろいろと試せるようになってくれることが大事なのです。例題2の解き方として、15個数字を並べて書き出す子どもがけっこういます。最高ですね!もちろん立派な解答なのです。4年生から考え方を強要する必要はありません。
もし可能ならば、いっしょにいろいろ考えてあげてください。一番いけないのは、たくさんの問題を処理させようとすること。たくさんの問題を出せば、子どもはいやになるに決まっています。楽しく解いている間は、次は?と聞いてきてくれますが、やらされるようになると、どんどん能率が落ちてしまうものです。問題ができたら、必ずほめてください。できなかったら、塾で教えてもらってらっしゃいといってあげてください。今度、お母さんに教えてね?なんて言えたら、もう最高のお母さんですね。
ところが、塾にはテストがあります。特に最近は、能力別と称してテストの成績でクラスわけをする塾が多くなりました。これに親は惑わされます。やはり、自分の子どもの成績が悪いとあせってしまいます。やはり点数がとれなければいけないと、いろいろと手を変え、品を変え教えてしまいがちです。
しかし1年たてば、今までの例題はほとんどの子どもが簡単に解いてしまうものなのです。慌てて、子どもの大事な好奇心や勉強する楽しみを奪ってはいけません。まして、これで個別指導や家庭教師をつけてしまわないようにしてください。
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しつける
子供をしつけるということは、むずかしいことです。しつけるというのは、親にとって心地よくすることではありません。なにをどうしつけるべきなのか、これはこれで親としてはよく考えておかなければならないのです。
たとえば、礼儀作法で言えば、ちゃんと人様にあいさつができるようにする、これはやはりしつけておかなければならないことです。人から何か頂戴したり、あるいは何かしていただいたときに、「ありがとうございます。」と子供がいえなければ、親のしつけがだめだと思います。また、電車の中で大声で話すのは迷惑だということ、これももちろん大事なしつけです。つまり、しつけておかなければならないことは、社会で生きていく中で他人に迷惑をかけない、あるいは社会生活を営んでいく中で、他人との関係を円滑に進めていくときに、どうしてもやらなければいけないということをちゃんとしつけるべきなのです。
みなさんは、もうおわかりになっておられると思いますが、今はそういうしつけが極めてできていない世の中になってきています。たとえば、電車に乗る時、ちゃんと降りる人が降りてから乗るのがルールなのに、もう降りる人をかきわけて乗ってくる人。これは学生も大人も、よく見かけます。若い人だけではありませんね。
学校教育からいつのまにか、道徳という時間はなくなってしまいました。しかし、確かにこういうしつけを学校任せにするというのも、ちょっと考えものだと私は思います。で、さらに大事なことは、こういう社会的に必要なことは、早いうちからどんどん教えていかなければならないのです。私の個人的な目標で言えば、小学校の4年生までに、基本的なことはきちんとできなければいけないという考えでした。
ただ子供に教えるにあたって、自分がそういう無作法なことはできません。したがって、自分もまた何が人の迷惑になるのかを考えてみる必要があるのです。通勤電車の中で、これは迷惑だなと思うことはあります。私は家に帰ってきて、子供たちにこういうのを今日見た。あれは迷惑だと話すことにしていました。
すると、子供たちは子供たちでこういうのを見たとか、いろいろと話をしてくれます。子供は子供の感性の中でも感じることはありますから、それをきちんと聞いて、間違っている時は,間違っていると教えてあげなければならないのです。
幼稚園から小学校の低学年にかけては、子供たちにしつけなければならないことは、あいさつとあとかたづけでしょう。とにかくあいさつをきちんとできるようにするというのは、まず大事ですね。これはどの会社でも新入社員教育の第一歩だと思うのです。でも社会人になってまで、やはりあいさつ教育をするというのは、いかにそれだけしつけられていないかを物語る話だと思います。
あとかたづけは、私自身があまり得意ではないので、あまり大きな顔はできないのですが、それでも次に使う人のことを考えて始末することは教えてきました。私がつい忘れると子供たちの攻撃を受けますが、そういう時は素直に親も反省するべきです。わたしもごめんなさいとよく謝りました。
親が子供にあやまるということは、とても大事なことです。自分の子供といえども、それは一人の人格ですから、親が間違ったら、すぐ謝るべきです。ところが、つい、子供だからいいだろうといいかげんにあつかったり、あるいはそれを口答えだといって怒ったりする方がいらっしゃいますが、これは絶対にしてはいけないことです。親が子供に謝れば、子供もすぐに謝る子供になります。
私はよくお母さんたちにお話していたのですが、子供が何かやることの原因の大半は親にあると思っていいのです。よく子供をたたけば、子供も人をたたくようになります。子供に対してひどい口の聞き方をすれば、子供はよそでそういう口の利き方をしていると思って間違いはないのです。
子供はいろいろなことを真似て大きくなります。したがって、近くにいる大人の代表である親の真似は、小さい時は必ずするのです。
こういうことはしてはいけないと子供に注意すると、
「お父さんだってやってた。」
といわれることがあります。これはやはり、親が反省しなければならないのです。子育てやしつけは親がするものです。そして親がまた子供を通して勉強するものなのです。だから子育てはむずかしいし、また大変楽しいものです。
たとえば、礼儀作法で言えば、ちゃんと人様にあいさつができるようにする、これはやはりしつけておかなければならないことです。人から何か頂戴したり、あるいは何かしていただいたときに、「ありがとうございます。」と子供がいえなければ、親のしつけがだめだと思います。また、電車の中で大声で話すのは迷惑だということ、これももちろん大事なしつけです。つまり、しつけておかなければならないことは、社会で生きていく中で他人に迷惑をかけない、あるいは社会生活を営んでいく中で、他人との関係を円滑に進めていくときに、どうしてもやらなければいけないということをちゃんとしつけるべきなのです。
みなさんは、もうおわかりになっておられると思いますが、今はそういうしつけが極めてできていない世の中になってきています。たとえば、電車に乗る時、ちゃんと降りる人が降りてから乗るのがルールなのに、もう降りる人をかきわけて乗ってくる人。これは学生も大人も、よく見かけます。若い人だけではありませんね。
学校教育からいつのまにか、道徳という時間はなくなってしまいました。しかし、確かにこういうしつけを学校任せにするというのも、ちょっと考えものだと私は思います。で、さらに大事なことは、こういう社会的に必要なことは、早いうちからどんどん教えていかなければならないのです。私の個人的な目標で言えば、小学校の4年生までに、基本的なことはきちんとできなければいけないという考えでした。
ただ子供に教えるにあたって、自分がそういう無作法なことはできません。したがって、自分もまた何が人の迷惑になるのかを考えてみる必要があるのです。通勤電車の中で、これは迷惑だなと思うことはあります。私は家に帰ってきて、子供たちにこういうのを今日見た。あれは迷惑だと話すことにしていました。
すると、子供たちは子供たちでこういうのを見たとか、いろいろと話をしてくれます。子供は子供の感性の中でも感じることはありますから、それをきちんと聞いて、間違っている時は,間違っていると教えてあげなければならないのです。
幼稚園から小学校の低学年にかけては、子供たちにしつけなければならないことは、あいさつとあとかたづけでしょう。とにかくあいさつをきちんとできるようにするというのは、まず大事ですね。これはどの会社でも新入社員教育の第一歩だと思うのです。でも社会人になってまで、やはりあいさつ教育をするというのは、いかにそれだけしつけられていないかを物語る話だと思います。
あとかたづけは、私自身があまり得意ではないので、あまり大きな顔はできないのですが、それでも次に使う人のことを考えて始末することは教えてきました。私がつい忘れると子供たちの攻撃を受けますが、そういう時は素直に親も反省するべきです。わたしもごめんなさいとよく謝りました。
親が子供にあやまるということは、とても大事なことです。自分の子供といえども、それは一人の人格ですから、親が間違ったら、すぐ謝るべきです。ところが、つい、子供だからいいだろうといいかげんにあつかったり、あるいはそれを口答えだといって怒ったりする方がいらっしゃいますが、これは絶対にしてはいけないことです。親が子供に謝れば、子供もすぐに謝る子供になります。
私はよくお母さんたちにお話していたのですが、子供が何かやることの原因の大半は親にあると思っていいのです。よく子供をたたけば、子供も人をたたくようになります。子供に対してひどい口の聞き方をすれば、子供はよそでそういう口の利き方をしていると思って間違いはないのです。
子供はいろいろなことを真似て大きくなります。したがって、近くにいる大人の代表である親の真似は、小さい時は必ずするのです。
こういうことはしてはいけないと子供に注意すると、
「お父さんだってやってた。」
といわれることがあります。これはやはり、親が反省しなければならないのです。子育てやしつけは親がするものです。そして親がまた子供を通して勉強するものなのです。だから子育てはむずかしいし、また大変楽しいものです。
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飛び級
塾でも飛び級ができる塾とそうでない塾があるようですが、私のいた塾では飛び級を認めていました。確かに優秀な子どもはいますから、先に進んだ方が子どもの興味が続いていいという場合もあるでしょう。しかし、実は受験カリキュラムにひとつの問題があるのです。
塾ではそれぞれがカリキュラムを工夫していますが、だいたい4年生の3学期から6年生の1学期までの間に、出題される範囲を勉強し、6年2学期は入試問題を中心にしたカリキュラムが一般的のようです。ところが4年3学期と6年1学期では子どもたちにできることの差がありますから、4年3学期から6年1学期までの本カリキュラムに対して3年3学期から4年2学期までの間の予備カリキュラムを持っている場合があるのです。この予備カリキュラムは本カリキュラムの基礎版ですが、だいたい本カリキュラムができた後から付け加えられたという側面があるので、本カリキュラムのうち4年3学期から5年1学期ぐらいまでの内容を繰り返し履修するような形になっています。これを1年間かけて勉強し、また本カリキュラムに入ってから同じことを勉強するというやり方は、ある子どもたちにとってはていねいであるかもしれませんが、まどろっこしいという側面もあるのです。
したがって3年3学期からの予備カリキュラムを飛ばして、最初から本カリキュラムに入ってしまうというやり方がでてくるわけです。これはもちろん最初は大変ですが、逆に考えれば4年3学期から6年1学期までの内容を1年余分に学習することができるので、ある意味、余裕をもっているのです。予備カリキュラムを加えた学習は4年3学期から5年1学期までの間の学習を繰り返していきますが、飛び級の場合は、5年2学期から6年1学期までの間の一番入試に出題される部分を2回履修することができるというメリットがでてくるのです。ただし、それを早く勉強するために、最初が大変になるということで、もちろん全員に勧められる方法ではありません。
ところがこういう話の一部だけを聞いて
「やはり難しい学校にいれるためには、飛び級ができなければだめだ!」
という議論が出てきてしまうのです。これはまったく間違っています。無理に飛び級させてしまって、失敗する例はたくさんあります。まして飛び級は予備カリキュラムを飛ばすということに意味があるので、5年生になって本カリキュラムに入っているのに、無理に飛び級させて、本カリキュラムの一部を飛ばすなどということはまったく無意味になるのです。ですから4年生から塾に入って、4年のカリキュラムを飛ばして5年のクラスに入ることは意味がありますが、5年生から塾に入って6年のクラスに入ることは、まったくナンセンスなのです。
飛び級のデメリットは、最初が大変だということをお話ししましたが、それ以外にもあります。
5年2学期、もしくは5年3学期から原級にもどるわけですが、そのときは、さすがに先にやっていますから、原級で勉強していた子どもたちよりもできます。ところが、また同じところにもどりますから、原級で勉強していた子どもたちが次第に力をつけて追いついてきます。最初はずいぶん差があったのに、どんどん差をつめられてくるというのが実感でしょうか。これは心理的に他人を気にする子には向きません。本来は余裕をもって勉強する方法ですが、意外に子どもたちを追い込んでしまう可能性があるのです。特に熱心なご両親が、飛び級をさせて、その後、このワナにはまってしまうことがあります。
「以前はできたのに、だんだん落ちてきてしまって」
という気持ちになられるかと思いますが、みんなが追いついてくるだけなのであって、その子どもが努力していないわけでもなんでもないのです。
うちの息子は、最初この予備カリキュラムを飛ばしましたが、そのときは2教科しかやらなかったので、5年生になったとき算国は6年生、理社は5年生ということになってしまいました。したがって5年生のうちはテストを受けられませんでした。のんびり屋の彼にとっては、これが良かったのではないかと思います。5年のうちに、成績で何かいわれることはほとんどなかったのですから。6年生になって、ようやく4教科が原級にもどったので、それから試験を受けましたが、算数だけはできるようになりました。(国語は悲惨なものでしたが。)ただ本人は「算数はできる」と思ったようでこれが最後まで彼を支えた感じがします。
下の娘の場合、女の子ですから、精神年齢の成長は兄より早いので、4教科とも予備カリキュラムを飛ばして、5年生の本カリキュラムに入りました。今度は4教科そろいますので、テストを受けていましたが、だいたい全体の上から3分の1と真中の間ぐらい、偏差値で55程度だったと思います。ただ子どもをほめるのには、結構いい材料で、
「1年先をやっているのだから、たいしたもんだ」
という感じになってきて、これはこれで親として良かったと思います。成績が悪くても、仕方がないねという気になってきますから。
6年生になってからは、テストを受ける回数を減らし、大きな試験だけにしてしまいました。最初のうちは成績がいいのはわかっていても、だんだん追いつかれてしまうのは明らかなので、プレッシャーがかからないようにしようと思ったのですが、本人はあまり関係がなかったようです。逆に通塾は週2回で済みましたから、早く始めて、のんびりやるスタイルを守れたのではないかと思います。
この方法は特にお勧めするわけではありません。なぜなら、私が塾に勤めていたので、うちの子どもたちは小学校1年生から塾に通っていたからです。小学校3年生まで週1回でしたが、週1回通えば、それだけ勉強します。ずっとそういうスタイルが生活の中にあったので、特に難しさを感じずに飛び級させられましたが、ふつう進学塾は4年生から始めるのが一般的です。それでも3か月ぐらいは塾になれるのに時間がかかるでしょう。さらにそこで飛び級という負担をさせてしまうことが子どもたちにプラスになるかどうか、わかりません。
飛び級をさせても、全員が第一志望に合格したわけではないのです。子どもたちにはそれぞれ個性があり、それぞれ成長するペースがあります。それに合わせて学習法を考えてあげればよいのであって、何も画一的にこうしなければならないということはないのです。飛び級もひとつの選択肢であって、それはすべての子どもたちに向く方法ではないのです。もちろん、デメリットもあります。このあたりのことは、よく専門の先生に相談されると良いでしょう。
塾ではそれぞれがカリキュラムを工夫していますが、だいたい4年生の3学期から6年生の1学期までの間に、出題される範囲を勉強し、6年2学期は入試問題を中心にしたカリキュラムが一般的のようです。ところが4年3学期と6年1学期では子どもたちにできることの差がありますから、4年3学期から6年1学期までの本カリキュラムに対して3年3学期から4年2学期までの間の予備カリキュラムを持っている場合があるのです。この予備カリキュラムは本カリキュラムの基礎版ですが、だいたい本カリキュラムができた後から付け加えられたという側面があるので、本カリキュラムのうち4年3学期から5年1学期ぐらいまでの内容を繰り返し履修するような形になっています。これを1年間かけて勉強し、また本カリキュラムに入ってから同じことを勉強するというやり方は、ある子どもたちにとってはていねいであるかもしれませんが、まどろっこしいという側面もあるのです。
したがって3年3学期からの予備カリキュラムを飛ばして、最初から本カリキュラムに入ってしまうというやり方がでてくるわけです。これはもちろん最初は大変ですが、逆に考えれば4年3学期から6年1学期までの内容を1年余分に学習することができるので、ある意味、余裕をもっているのです。予備カリキュラムを加えた学習は4年3学期から5年1学期までの間の学習を繰り返していきますが、飛び級の場合は、5年2学期から6年1学期までの間の一番入試に出題される部分を2回履修することができるというメリットがでてくるのです。ただし、それを早く勉強するために、最初が大変になるということで、もちろん全員に勧められる方法ではありません。
ところがこういう話の一部だけを聞いて
「やはり難しい学校にいれるためには、飛び級ができなければだめだ!」
という議論が出てきてしまうのです。これはまったく間違っています。無理に飛び級させてしまって、失敗する例はたくさんあります。まして飛び級は予備カリキュラムを飛ばすということに意味があるので、5年生になって本カリキュラムに入っているのに、無理に飛び級させて、本カリキュラムの一部を飛ばすなどということはまったく無意味になるのです。ですから4年生から塾に入って、4年のカリキュラムを飛ばして5年のクラスに入ることは意味がありますが、5年生から塾に入って6年のクラスに入ることは、まったくナンセンスなのです。
飛び級のデメリットは、最初が大変だということをお話ししましたが、それ以外にもあります。
5年2学期、もしくは5年3学期から原級にもどるわけですが、そのときは、さすがに先にやっていますから、原級で勉強していた子どもたちよりもできます。ところが、また同じところにもどりますから、原級で勉強していた子どもたちが次第に力をつけて追いついてきます。最初はずいぶん差があったのに、どんどん差をつめられてくるというのが実感でしょうか。これは心理的に他人を気にする子には向きません。本来は余裕をもって勉強する方法ですが、意外に子どもたちを追い込んでしまう可能性があるのです。特に熱心なご両親が、飛び級をさせて、その後、このワナにはまってしまうことがあります。
「以前はできたのに、だんだん落ちてきてしまって」
という気持ちになられるかと思いますが、みんなが追いついてくるだけなのであって、その子どもが努力していないわけでもなんでもないのです。
うちの息子は、最初この予備カリキュラムを飛ばしましたが、そのときは2教科しかやらなかったので、5年生になったとき算国は6年生、理社は5年生ということになってしまいました。したがって5年生のうちはテストを受けられませんでした。のんびり屋の彼にとっては、これが良かったのではないかと思います。5年のうちに、成績で何かいわれることはほとんどなかったのですから。6年生になって、ようやく4教科が原級にもどったので、それから試験を受けましたが、算数だけはできるようになりました。(国語は悲惨なものでしたが。)ただ本人は「算数はできる」と思ったようでこれが最後まで彼を支えた感じがします。
下の娘の場合、女の子ですから、精神年齢の成長は兄より早いので、4教科とも予備カリキュラムを飛ばして、5年生の本カリキュラムに入りました。今度は4教科そろいますので、テストを受けていましたが、だいたい全体の上から3分の1と真中の間ぐらい、偏差値で55程度だったと思います。ただ子どもをほめるのには、結構いい材料で、
「1年先をやっているのだから、たいしたもんだ」
という感じになってきて、これはこれで親として良かったと思います。成績が悪くても、仕方がないねという気になってきますから。
6年生になってからは、テストを受ける回数を減らし、大きな試験だけにしてしまいました。最初のうちは成績がいいのはわかっていても、だんだん追いつかれてしまうのは明らかなので、プレッシャーがかからないようにしようと思ったのですが、本人はあまり関係がなかったようです。逆に通塾は週2回で済みましたから、早く始めて、のんびりやるスタイルを守れたのではないかと思います。
この方法は特にお勧めするわけではありません。なぜなら、私が塾に勤めていたので、うちの子どもたちは小学校1年生から塾に通っていたからです。小学校3年生まで週1回でしたが、週1回通えば、それだけ勉強します。ずっとそういうスタイルが生活の中にあったので、特に難しさを感じずに飛び級させられましたが、ふつう進学塾は4年生から始めるのが一般的です。それでも3か月ぐらいは塾になれるのに時間がかかるでしょう。さらにそこで飛び級という負担をさせてしまうことが子どもたちにプラスになるかどうか、わかりません。
飛び級をさせても、全員が第一志望に合格したわけではないのです。子どもたちにはそれぞれ個性があり、それぞれ成長するペースがあります。それに合わせて学習法を考えてあげればよいのであって、何も画一的にこうしなければならないということはないのです。飛び級もひとつの選択肢であって、それはすべての子どもたちに向く方法ではないのです。もちろん、デメリットもあります。このあたりのことは、よく専門の先生に相談されると良いでしょう。
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おけいこごと
最近の子供たちのスケジュールはなかなかです。以前、子供たちの学習計画を立てるにあたって1週間の生活を教えてもらったとき、これはなかなか大変だと思いました。平均すると3つくらい、何かならっている感じがするのです。
「ピアノ、バレエ、英語」というのが、女の子には多く、
「サッカー、野球、ピアノ」というのが男の子には多かったようです。
別にプロになるというわけではないのでしょうが、親としてはいろいろな可能性を高めてほしいという気持ちがあり、子供たちは興味のあることはやってみたいということで、おけいこごとは増えていくのでしょう。
私も子供のころ、ずいぶんお稽古事をしましたが、これ自体は決して悪いことではありません。むしろ、子供たちのいろいろな可能性を伸ばすために、積極的に取り組んでもらいたいなと思います。しかし一方で、親の気持ちが中心になっているお稽古は、あまり賛成できません。
例えば、最近はやっている英語。習っていて楽しいのなら、問題はないのですが、親の妙な義務感からはじめている子供たちはちょっとかわいそうに思います。語学は、やはり環境なので、1週間に1度や2度習いにいっても、まず英語ができるようにはなりません。むしろ小学生のころ、少し英語をかじっていて、中学1年生の英語くらいはできるだろうと親が高をくくっていると、がっかりする結果になることも多いものです。本当に英語がしゃべれたり、聞けたりするようになるには、英語だらけの環境においてあげないと小学生の間はマスターできません。中学、高校になれば、自分で努力もするし、学校でも勉強するから事情はだいぶちがってきますが、小学生のうちは、ほとんど不可能だと思います。だから最近インターナショナルスクールに入れる方も増えているようですが、こういう習い事はあまり意味がないのです。本人が好きなら問題ありませんが、もし、あまり好きでないのなら、ほかの習い事を考えてあげたほうがよいでしょう。
私がよく薦めていたのは絵です。これは私の勝手な思い込みだと思いますが、絵の先生はほめ上手が多いのです。小学生の間は、なるべくほめて育てることが大事で、そういう環境に育った子供はまず、積極的になります。絵の先生は、色使い、構図の作り方、筆の運びなど、その子供のよいところを引き出してほめてくれます。それに絵を習うと、空間をとらえる認識力があがりますから、プラスも大きいのです。
塾でよく相談を受けたのは、いったいいつまでおけいこごとを続けてよいかということでした。4年生ですと、週に1回か2回塾に通いますから、3つおけいこごとをしていると、週日は毎日何かあることになってしまって、これはちょっと大変です。といって、塾通いが始まったので、大好きなおけいこごとをやめてしまうというのもどうかと思うのです。
私は6年生の最後まで1つくらいおけいこごとを続けていてもかまわないと申し上げていました。特に男の子はサッカーや野球をやりたいものです。週に3日も野球をやると、それはかなり大変ですが、それでも週に1日くらい、思い切り好きなことでからだを動かすことは大事なことだと思います。むしろ、そのくらいのことがあったほうがストレスをためなくて良いのではないでしょうか。
息子は6年の夏までサッカーと剣道をやっていました。が、秋になったら、本人が両方ともやめたいと言い出しました。
「別にやってもいいんだけど。」
というと、
「勉強が間に合わなくなるのは困るから、いったんやめる。中学に入ってから思い切りサッカーをやる。」
という返事だったので、それ以上反対はしませんでした。いずれにしても6年生になれば、自分でいろいろと考えをいうでしょうから、よく聞いてあげてください。塾の教師としていえることは、おけいこごとを完全にやめなければならないということは、絶対にありません。
田中貴.com映像教材 「これでわかる力のつりあい」
「ピアノ、バレエ、英語」というのが、女の子には多く、
「サッカー、野球、ピアノ」というのが男の子には多かったようです。
別にプロになるというわけではないのでしょうが、親としてはいろいろな可能性を高めてほしいという気持ちがあり、子供たちは興味のあることはやってみたいということで、おけいこごとは増えていくのでしょう。
私も子供のころ、ずいぶんお稽古事をしましたが、これ自体は決して悪いことではありません。むしろ、子供たちのいろいろな可能性を伸ばすために、積極的に取り組んでもらいたいなと思います。しかし一方で、親の気持ちが中心になっているお稽古は、あまり賛成できません。
例えば、最近はやっている英語。習っていて楽しいのなら、問題はないのですが、親の妙な義務感からはじめている子供たちはちょっとかわいそうに思います。語学は、やはり環境なので、1週間に1度や2度習いにいっても、まず英語ができるようにはなりません。むしろ小学生のころ、少し英語をかじっていて、中学1年生の英語くらいはできるだろうと親が高をくくっていると、がっかりする結果になることも多いものです。本当に英語がしゃべれたり、聞けたりするようになるには、英語だらけの環境においてあげないと小学生の間はマスターできません。中学、高校になれば、自分で努力もするし、学校でも勉強するから事情はだいぶちがってきますが、小学生のうちは、ほとんど不可能だと思います。だから最近インターナショナルスクールに入れる方も増えているようですが、こういう習い事はあまり意味がないのです。本人が好きなら問題ありませんが、もし、あまり好きでないのなら、ほかの習い事を考えてあげたほうがよいでしょう。
私がよく薦めていたのは絵です。これは私の勝手な思い込みだと思いますが、絵の先生はほめ上手が多いのです。小学生の間は、なるべくほめて育てることが大事で、そういう環境に育った子供はまず、積極的になります。絵の先生は、色使い、構図の作り方、筆の運びなど、その子供のよいところを引き出してほめてくれます。それに絵を習うと、空間をとらえる認識力があがりますから、プラスも大きいのです。
塾でよく相談を受けたのは、いったいいつまでおけいこごとを続けてよいかということでした。4年生ですと、週に1回か2回塾に通いますから、3つおけいこごとをしていると、週日は毎日何かあることになってしまって、これはちょっと大変です。といって、塾通いが始まったので、大好きなおけいこごとをやめてしまうというのもどうかと思うのです。
私は6年生の最後まで1つくらいおけいこごとを続けていてもかまわないと申し上げていました。特に男の子はサッカーや野球をやりたいものです。週に3日も野球をやると、それはかなり大変ですが、それでも週に1日くらい、思い切り好きなことでからだを動かすことは大事なことだと思います。むしろ、そのくらいのことがあったほうがストレスをためなくて良いのではないでしょうか。
息子は6年の夏までサッカーと剣道をやっていました。が、秋になったら、本人が両方ともやめたいと言い出しました。
「別にやってもいいんだけど。」
というと、
「勉強が間に合わなくなるのは困るから、いったんやめる。中学に入ってから思い切りサッカーをやる。」
という返事だったので、それ以上反対はしませんでした。いずれにしても6年生になれば、自分でいろいろと考えをいうでしょうから、よく聞いてあげてください。塾の教師としていえることは、おけいこごとを完全にやめなければならないということは、絶対にありません。
田中貴.com映像教材 「これでわかる力のつりあい」
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口コミ
お母さんのネットワークはいろいろな情報が行き交います。実際に、塾や学校の話、参考書の話、はたまた教師の話など千差万別。真実もあれば、そうでないのもあるのですが、情報を聞くこと自体は何も問題ではありません。ただ、それをどう生かしていくのかということは、これまた別の問題だと思うのです。
入塾についても、ご父母の紹介は少なくありません。ただ、ある子どもにとって良い塾であったとしても、他の子どもにとって良い塾であるとは限らないのです。実際には塾風というか、それぞれの塾に特長がありますから、その子に合う塾を選んであげてください。例えば、成績でクラス分けをするというのは、ある意味で非常に合理的な方法です。しかし、よく考えてみると、いろいろな問題があります。例えば、4教科で分けてみると、算数ができて国語ができないという子どもは、その平均でクラスが決まるわけですから、算数も国語も実力に合わないクラスに編入することになります。算数は簡単、国語はむずかしいということがおこるわけですね。そのシステムが子どもにとって刺激的なものであれば、もちろんその塾風が子どもに合うわけですが、それが妙なプレッシャーになってしまうと、子どもの良いところが伸びなくなってしまう可能性があります。
私のいた塾では、成績の発表をペンネームでやっていました。ペンネームは子どもたちが勝手につける名前です。思わず吹き出してしまうような名前がたくさんありましたが、成績の発表は常にペンネームだけでやりました。自分の成績は自分だけが知っていればよいという考え方です。
これは先のシステムとはまったく違いますが、それが合う子どももいれば、合わない子どももいるのです。それを選べるのは、ある意味、ご両親だけですから、よく考えてあげてほしいと思います。
情報というのは、いろいろな形で伝わります。あるとき、お母さんから次のような質問を受けました。
「Aという中学校は、説明会でなるべくOBのお子さんを入れたいと説明されたのだそうですが、本当ですか?」
これは普通に考えてみれば、ちょっとありえない話です。どこでお聞きになりましたか?というと、そういう話が伝わってきたということでした。これも口コミのひとつですね。
もちろん、この話は違っていました。私どものスタッフがその説明会を聞きにいっていたので、確かめてみましたが、当然、そのような話は一切でなかったということです。
口コミで聞くと、このような情報はまことしやかに伝わります。しかし、元をたどってみれば、不確かな情報が実に多いものです。
入試に向かっていると、いろいろな話が耳にはいってくるでしょう。お母さんは基本的に子どもたちのことが心配ですから、何とかしようと思ってしまいがち。それが誤った情報で動かされてしまうと、かわいそうなのは子どもたちなのです。ぜひ、ご両親間や専門の先生などとご相談になってください。
入塾についても、ご父母の紹介は少なくありません。ただ、ある子どもにとって良い塾であったとしても、他の子どもにとって良い塾であるとは限らないのです。実際には塾風というか、それぞれの塾に特長がありますから、その子に合う塾を選んであげてください。例えば、成績でクラス分けをするというのは、ある意味で非常に合理的な方法です。しかし、よく考えてみると、いろいろな問題があります。例えば、4教科で分けてみると、算数ができて国語ができないという子どもは、その平均でクラスが決まるわけですから、算数も国語も実力に合わないクラスに編入することになります。算数は簡単、国語はむずかしいということがおこるわけですね。そのシステムが子どもにとって刺激的なものであれば、もちろんその塾風が子どもに合うわけですが、それが妙なプレッシャーになってしまうと、子どもの良いところが伸びなくなってしまう可能性があります。
私のいた塾では、成績の発表をペンネームでやっていました。ペンネームは子どもたちが勝手につける名前です。思わず吹き出してしまうような名前がたくさんありましたが、成績の発表は常にペンネームだけでやりました。自分の成績は自分だけが知っていればよいという考え方です。
これは先のシステムとはまったく違いますが、それが合う子どももいれば、合わない子どももいるのです。それを選べるのは、ある意味、ご両親だけですから、よく考えてあげてほしいと思います。
情報というのは、いろいろな形で伝わります。あるとき、お母さんから次のような質問を受けました。
「Aという中学校は、説明会でなるべくOBのお子さんを入れたいと説明されたのだそうですが、本当ですか?」
これは普通に考えてみれば、ちょっとありえない話です。どこでお聞きになりましたか?というと、そういう話が伝わってきたということでした。これも口コミのひとつですね。
もちろん、この話は違っていました。私どものスタッフがその説明会を聞きにいっていたので、確かめてみましたが、当然、そのような話は一切でなかったということです。
口コミで聞くと、このような情報はまことしやかに伝わります。しかし、元をたどってみれば、不確かな情報が実に多いものです。
入試に向かっていると、いろいろな話が耳にはいってくるでしょう。お母さんは基本的に子どもたちのことが心配ですから、何とかしようと思ってしまいがち。それが誤った情報で動かされてしまうと、かわいそうなのは子どもたちなのです。ぜひ、ご両親間や専門の先生などとご相談になってください。
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