おととい娘を訪問すると、おや? マメが補聴器をつけていません。
ん? なになにどうしたの?
娘に聞くと、
「きのうまでは普通につけてたけど、なぜか今日は朝から拒否してる」とのこと。
えっ?
2ヶ月まえにも同様のことがあって、そのときは大パニックになったわたしです。
ろう学校担任の先生に、すがりつくように相談したのでした。
先生はおっとりとほほえんで、
「おばあちゃま、こんなことは <補聴器あるある> ですよ」
「大げさに考えなくて大丈夫」
「マメちゃんだって、たまには補聴器のない生活をしてみたいのかもしれませんよ」
なので、今回はあわてずさわがず、マメの意志を尊重することにしました。
補聴器をつけないマメをそのまま受け入れて、一日過ごしたのです。
もちろん、いつもの音量で話しかけても聞こえません。
良い方の(大きい)右耳に口を近づけて話すと、何とか聞こえるようです。
とても不便です。
(マメ自身はいつもと変わらずペチャクチャしゃべるけど、自分の声は聞こえているのかなあ。)
補聴器のありがたさを改めて感じました。
マメがもし、機械文明が遅れた未開の地で生まれていたら、
江戸時代とかに生まれていたら、
子の難聴に気づかないうかつな親のもとに生まれていたら、
マメは3歳をすぎた今でも、言葉のない世界に生きていたかも...。
補聴器をつけないまま、
図書館に行ったり、近くの公園で水遊びをしたり、一日楽しく過ごしましたが、
あとで考えて、マメの「動機」に思い当たりました。
その日マメは、斜めがけしたポシェットに、なぜかマスク(幼児用)とメガネ(おもちゃ)を入れていました。
そして、ときどき顔につけてうれしそうにしていました。
「この暑いのに何でマスク?(メガネ?)」と突っ込みましたが、「いいのいいの」とニコニ顔。
思うにマメは、
補聴器に引っかかる心配なしに、マスクやメガネをつけてみたかったのかな?
外で、人のいるところで(おおやけの場で)、そのふたつを装着してみたかったのかな?
(小耳症の左耳は小さいなりに耳の形があるので、多少不安定ながら、マスクもメガネもかけられます。)
そういえばマメは日ごろ、
<帽子のゴムなどが補聴器に引っかかる> ことを、けっこうストレスに感じているみたいだったなあ。
その日(おととい)は、そのまま寝るまで補聴器なしで過ごしたようです。
翌日(きのう)は難聴教室の日。
娘宅に着いたとき、やはり補聴器をしていませんでした。
その状態で「本読んで」と言うので、大きな声を張り上げて何冊も読んで、のどが痛くなりました。
出かける時間がせまってきて、
「マメちゃん、新しい学校に行くよ、さあお耳さんつけよう」
「うん」
難聴教室では補聴器が必須なことを理解して、素直にママに補聴器をつけてもらうマメでした。
補聴器に関して、マメなりにいろいろ思うことが出てきたんだなあ...。