自立(子の精神的自立)2

2006-09-06 10:48:12 | 自立の定義
義務教育を過ぎた年齢の子の精神的自立・・・

何故、義務教育年齢を境界にするのかという科学的根拠はありません。
ただ、以前にも書きましたように、中学校までは、「教育→教え育む:教師が主語」側に責任が大きいが、高校以上は「学問→学び問いかける:生徒が主語」に責任が大きい。・・・という私見です。制度的にも両者は必要条件と任意条件の範囲が区別されるように思えます。

さて、思春期頃から、自我の芽生えから確率される時期:学び問いかける姿勢がより重要である時期・・・と認識して話を進めましょう。

確たる将来の目標を持って生きる姿勢は、残念ながら身近に多くはない、ように見えている気がします。(少なくとも親や大人の目にはそう見えます。自身がそうであったことと照らして)
だからと言うことでもないでしょうが、亀田親子の希(まれ)に耳目が集まる、学び問いかける強い姿勢を見ているような気がします。目標を持って何かに集中する姿勢に憧れたり、賞賛したり、感動したり・・・

この学び問いかける姿勢は、その後、生涯続く・・・人もいれば、忘れる人もいます。(この学び問いかける姿勢は青春のエネルギーと言えなくもないので、若さの源と言ってもいいかも)

話を戻すと、この学びの方向付けが、精神的自立と関わることになりますね。
当然、何かのカリスマや神のような存在がいれば絶対服従で方向付けできますが、学びの方向は、個人によって、生まれ育ち家庭環境、その他接する社会環境などによっても異なります。
しかし、個人差は何かの基盤の上にあるべきもの・・・その基盤とは?

ん~っとね・・・「社会適合が結論できる行動規範」なんてのは、どうかな?
人が生きるということ・・・一人我がままに生きることで世間の嫌われ者になって、「人は人」とうそぶく生き方を自立と言わない。
周囲の迷惑や忍耐に支えられていることなので、社会に依存する度合いが高いからです。

そうね、これ!
社会に依存する行動ではないかと常に自らを反省しながら、行動しようとする姿勢が多くなれば、社会適合する・・・かも。
「自立」の反意語は「依存」・・・・・・・・・・・・・だよね。

まぁ・・・昔のおじいちゃん、おばぁちゃんは、口をそろえて言いましたよね。
「お人様に迷惑をかけちゃだめ」
それは社会に依存しているということで、自立してほしいという気持ちの表現でもあるわけで・・・

精神的自立の定義は・・・あはっ!簡単なのね。
「お人様に迷惑をかけないこと」

・・・で、周囲と、とりわけ自分を見つめてみますと・・・
あぁ~ぁ・・・・自立してない行動や言動がいっぱい・・・未成年でなくても。

相手に損害を与えたり、相手が迷惑に思うことをすることは、相手に依存して生きているということ。自立・・・分かりやすい言葉の定義にたどり着きました、ね♪

学ぶ方向はその基盤にある限り、無限に発展するもの・・・