人の見方:愛情表現

2010-12-08 16:50:14 | 人の見方
愛情表現の方法、人によって、相手によって、関係によって、違うんでしょうか


その人のことが、好きで好きで、何でもかんでも、とにかく好き
その人のためなら何でもしてあげたい
その人は「愛してる」と言うのでしょうか

ストーカーも、確かそういう心理と思いますが、それって愛情?
独占欲、支配欲・・・どっちかって言うと、そういう・・・

しかし、確かに愛情表現には結婚を申し込む、という形があるわけですが
結婚という制度によって、他の人を愛することに制約を与える。
相手を束縛することで、独占欲、支配欲のようなものを充足させる。
と、言えなくもない。

どうも、愛情表現は様々な角度からの説明がありそうです。
何かに焦点を絞り込む必要がありそうです。

好きになっている相手がいる。
好きな人には自分を犠牲にしても何かをしてあげたいと思う。
プレゼント、相手が喜びそうな金品?
百の褒め言葉があっても、生活するための金品がない。
甘い言葉はないけど、経済的な苦労が一切ない。
愛情は具体性がないとね。

はたまた、少なくともこの議論は、経済的な問題がなく、生活環境の充足がある、
という前提で考えることなんでしょうね。

お金がすべてではない、と言いますが、程度の問題です。
ただし、経済力のあるなしは、将来も含めてのことで、
財産は労働の成果として蓄積していくものなので、現在それがなくても
勤勉であれば条件を満たしている。
つまり、勤勉は財産なのである。

まとめ
その人を幸せにしたいと思えば、生活力、経済力が必要で、それは勤勉が産みだすもの。

したがって、勤勉が愛情表現と言い得る。


どんなものでも例外はあるのですが、

言葉で愛を繰り返しても、怠け者は相手を幸せにできません。


「愛情表現は勤勉」
ここから議論は始まる。
その視点で、相手の人と自分を考えること




人の見方・コミュニケーション力

2010-12-08 12:19:11 | 人の見方
コミュニケーション力

漫才だけじゃなく普通の会話においても、ボケとツッコミ、あります。
ボケは相方のツッコミがあるものとしてボケます。
ボケたのにツッコミがないと、会話やその場の空気がぎくしゃくすることがあります。


ボケとツッコミ両者に「了解」があるわけです。
こうきたらこうやって返すよ、みたいな了解です。

コミュニケーションはこの「了解」があるとないで、姿かたちも内容も変わります。

信頼とか相互理解とか、相手を理解しているわけですね。

もちろん、初対面の相手との会話でも、
相手の意図を読み取って、言葉を返すのです。

この・・・「了解」や相手の意図を読み取ることがコミュニケーションなんでしょう
コミュニケーションというより、対話とか会話なのかもしれません。

自分の言いたいことだけ言うとか、相手の気持ちを無視して主張することと比較して
尺度を「良好さ」とするならば、良好さの度合いが低いと言えるかもしれません。

人の見方、あるいは、人の見え方という視点では
良好な対話・会話ができるかどうか
良好な対話・会話のための「了解」「相互理解」があるかどうか
「了解」「相互理解」があるためには、どのような関係構築が必要か
それは、おおざっぱには、相手を傷つけるような言動をしないということか・・・

などと、どんどん根の先を探すように掘り下げていくと、
相手だけでなく自分も見えてくるはず、
こうしたい、こうあるべきだ、というような自省でしょうか

では、会話、言葉での表現力というのは、人によって違う
上手な人とそうでない人、上手な人が良い人とは限りません。
口下手でも良い人はたくさんいます。

相手の意図を読み取るのは言葉だけではないということを承知しておくことになります。
弁舌が巧みな人、魅力的ですが、表面ではなく、その真意に善悪があること、
であれば、言葉足らずの自己主張であっても、大切なのはその真意である。

人を知る、というのは、そういう思考で体験を重ねることなんでしょうね