テレビのトークバトル:死刑制度

2010-12-30 00:34:06 | 時事報道放談
ビートたけしのトークバトル
国会議員、この制度に反対する福島議員と亀井議員と菊田弁護士が
死刑制度反対

賛成側は、おなじみ政治評論家の三宅さんと 大谷さん 勝谷さん

という面々で

どうも、第二の殺人とか報復感情とかで是非を議論している次元では
結論は出ないはず。
そもそもの立法の定義はこうであるという理解がないままの反対論である。


では、立法の精神や定義とは何か・・・知りません、が、推測はある。
人の報復感情は「あるもの」として、私刑を禁じた。
その代わりに公刑で公平に平等に量刑を行い執行する。
人によって異なる報復感情を公平に取り扱う意味もある。
結果として、
制度が抑止力となって働くような機能制度であることを目指す。

この制度に変更の必要があるというならば、世界ではどうだという論拠は理由を知らないものが使う論法ではない。制度がある国の事情も並べて説明できなければならないはず。

さて、
死刑を廃止した場合の社会全体の想定議論がなかったのが残念ですが、
視聴者には、反対論者の浅薄さ、とも見えてしまいました。
なんだ、ただの自己満足なんだ、みたいな感想です。
人の命というものをより大切に思っているのは、まだ、制度存続論者のような気がします。

抑止力は時代の背景によって変化していくもののように思えます。
件数が多くなる、あるいは、高度な情報化社会では多いように思えてしまう、など時代環境が異なれば変わっていくかもしれない。
実際に厭世感から死刑を望むような犯罪もあり、
抑止力とはならない事例である。

よくおこなわれる議論では、死刑は残酷な刑なのかどうか
「残酷」は執行者側の市民社会が思うことなのか、
受刑者が思うことなのか
閉所恐怖症の人もそうといい得るか
終身刑や無期懲役刑が死刑より残酷でないといい得るか

抑止力というが、死刑だけではないはずで、死刑の抑止力を説明するには
他のすべての種類の罰則等の抑止力が説明されなければならないはず。

たとえば、
刑法など量刑の適否の判断は定期的に行うという制度を作ったとしよう。
市民社会への法の浸透を促し、税法のように毎年である必要はないでしょうが
定期的に周知を促す議論が沸き起こる、結果としてそれが抑止力となろう。

さて、死刑制度というワンポイントにだけ議論があるように思われる事は
間違いである。

盗みは、暴力や恐喝は・・・それが原因で自殺した場合の量刑はどのような経緯で決定するのか、
などというように、個別事例を周知されることが行われなくては、
市民社会の法律とは言い難い。武家社会などの階級社会における統治者側の都合を優先する法ではなく。


盗んだものを返さなくてもよい:
盗まれた者は返還や賠償の請求権はあるが、加害者が自発的に賠償する法はない、
返還と賠償の方法も法にはない。

真実の隠蔽や嘘をついてもよい

反省の演技をすることは量刑判断に有利にはたらく

・・・などの解釈ができる現行制度の齟齬が修正されないことと、
修正しようとする法律家がいない失望感

死刑廃止議論はすそ野が広い
人の命を議論するには遠く及ばない:多数の納得を得られないという意味
法務大臣を人殺しと言う偽善に刃を向けるとか、
余計な議論を生じるだけの議論でした。


賛成論者というより、維持論者は、反対論者の論拠が虚弱なために
正論でなくともよくなる外観のトークバトルでした。