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人の見方:本質

2010-12-17 20:32:58 | 防犯論議
本質

それは何だ!って言われてもね

本当は優しくないけど、優しさを一生演技したら、
それは演技じゃなくなる
優しくないが本質か優しいが本質か
なんてね

似たような例えで
性欲と理性みたいな

答えは
性欲も理性も本質
ま、そりゃそうだ
両者は牽制しあって調和の結論を導くような関係の本質的要素
などと言えるかも


良きパートナーを見極めるための人の本質論は、
繰り返しになりますが
過ちを直すことができるという性格があれば
おおよそプラスの未来予測ができます。
直すという行動は、前進や向上を意味しているからです。

嘘と言い訳を嫌い、誤りは客観的に認識して修正する。
根はそこから始まる気がする。
人にやさしいとか、思いやりがあるとか、
勤勉であるとか、誠実であるとか

悪事は隠したいものなので嘘をつく・・・悪事に悪事を重ねることになります
悪事は、たいてい、怠けです。
怠けたからできないので、できないと興味関心が薄れるから、進捗しない
で、苦しくなるからまた怠ける。
他の人ができて自分ができないことは恥ずかしいから、
できない言い訳をする、嘘をつくことになる。
怠けを隠す言い訳と嘘


さて、人の本姓は 怠け

この怠けを自覚して修正しようとする。
大なり小なり克己心とか忍耐で直そうとするわけです。

そういうような心情といいますか、人の姿勢、行動規範を好ましいものとして
認識しているはずです。
それが人を見る目ですね

人として恥ずかしいことは怠け・・・何となく、そうかなと思う教訓ですが

人は怠けるもの、自覚した時に正すことができないのは、恥ずべきこと
と言いかえたい。

直す・正す力が、人の本質

人の見方:過ちを直す姿勢

2010-12-17 14:53:15 | 人の見方
過ちを直す姿勢

そんなのあたりまえ
なんですけどね
人によってその解釈は違う場合もある、かも

人の見方として、その姿勢を見るということは
姿勢は考え方であり、信条ともいえる

そうです、
何を正しい、または正しくないと認識するか、
人によって異なる、場合もある。

人が生きる=対人関係
と考える場合においての話です。

夫婦で、恋人で、親子で、家族で・・・
挨拶してますか、
返事をしていますか

こんなシンプルなことにも、正しい正しくない、がある場合があります。
相手の呼び方もそうかも、
おい、おまえ、あんた・・・夫婦では気にならない場合も、
子が親にだったら、正しいと、皆が思うだろうか。

正しいの自覚や認識はそうしたことも含むのです。

挨拶や返事、相手の呼び方は基本的動作ですが
その方法によっては、自尊意識が背景にして、
上下・主従関係の表現である。
この関係性を背景にしている言語表現を認識したうえで
それが正しいかどうかという判断をする。

そして、それを直す、正す、なのである。


暴力的な言動で悩んでいる夫婦や親子、すべての対人関係
正しい正しくないという認識がないまま、
暴力的な言動を「直す、正す」ことができないで関係が継続していれば
悩みます。

それが正しいと思うのか
正しくないことは自分でもわかっているなら、直せばよい

過ちは直しましょう

となれば、いいのですが