これも昨年の感想の積み残し・・・
栗本薫こと中島梓さんの最後の闘病日記「転移」を読みました。
あまりにもストレートでらしくないタイトルなので、没後につけられたものなのかと思ったら、本人によるものだったんですね。意外でした。
しかし、amazonのレビューを見たら、作品を読んだことのないお医者さんがタイトルにひかれて読んだとか書いてあったので、インパクトのあるタイトルなのかな・・・やっぱりさすが、なのかもしれません。
この本を読むに当たって、すごく気になっていたことがありました。
ホームページとか、亡くなるかなり直前に書いたグイン127巻のあとがきなどを読んでも、なんだかあまりにも「いつもの感じ」で、拍子抜けしたんですよね。
あれが本音なのか、それとも外向けに明るく書いていたのか、そこのところが知りたかったのです。
冒頭のプロローグで、最初はエッセイ風に書こうと思っていたけれど日記形式にした、と書いてありましたが、実際日記形式にした方が、本音に近いものが書かれていたように思いました。
「ガン病棟のピーターラビット」もそうでしたし、後書きやホームページの日記もそうですが、どうも人に読まれることを前提とした、営業っぽい書き方・・・と言ってしまったら言い過ぎですが、本心とは違う、外向けのこと書いてるかな、と思えるところがありました。
確かに、日記形式になって、「外向け」な感じがやや薄くはなってましたが、本当にこれが本音なのかな・・・という疑問は残りましたね。結局は出版されるつもりで書いていたんだろうし。
時々、旦那さんに向かって当たってしまった、というようなことが書いてあったりして、やっぱり本当に鬱々としたり取り乱してしまった時には書いてないんだろうな・・・と思いました。ある程度体調も気持ちも落ち着いた、「書く気」になった時に書いていたんだろうなと。
最初のうちはほぼ毎日書かれていて、まだ体調もさほど悪くないのか、書いていることも以前のエッセイと似たような感じがあります。
読んでいて、とにかく食べることに執着していることに驚いたのですが・・・これは「ガン病棟のピーターラビット」でもそうでしたが。
少しでも食べられるものを試行錯誤して食べようとするのは、生きようとする執念なのかもしれませんが・・・
でも、ちょっと調子が良くなるとステーキとか焼きそばとか食べようと思うのがすごいなーと(汗)「今日はこんなものが食べられた」ということが書いてあると、「病人がそんなこってりしたものを?」というような料理が挙げてあってびっくりです・・・
多分、食べるのがとても好きで、食べられなくなったことが相当ショックだったのかなあと思いました。「ガン病棟のピーターラビット」でも、自分が食べられないのに病院の向かいの築地市場ではグルメを求める人たちが群がっていて・・・なんて書いてましたが、自分が具合が悪くなって食べられなくなった数少ない経験を思い起こしても、食べられない時には食べ物のことなんか考えたくもなかったけどなあ・・・父も食べられなくなっても全然食べ物には固執してなかったし。
ご本人も摂食障害が・・・と書いてましたが、拒食方面にも過食方面にもそういうのがあったのかなあと思いました・・・
そんなこんなで前半の日記は、まださほど悲愴感もなく、ご本人も前向きに書いていて、その分鼻につくところもあったりして・・・多分、本当に自分が死ぬかも、という実感はなかったのかもしれません。
しかし、2009年が明けて検査の結果がかなり悪かったあたりから、いよいよ本当に死を覚悟したような悲愴感が漂いだし、読んでいて胸がつまりました。
ほぼ毎日書いていたのが、次第に間隔が空くようになり、その間隔がどんどん広くなり・・・書くのは全く苦じゃない人でしょうから、相当体調が悪かったことが窺われます。
それでも日々好きな着物を出来るだけ着て、できれば好きなところへお出かけして、ライヴをやって、料理をして、部屋を飾り、針仕事をし・・・一日一日を、出来る限り自分らしく生きようとする姿に、生きたいという壮絶な気持ちを見るようで、胸がつまりました。
最後に入院するかなり直前までライヴをやっていたのはホームページで知っていましたが、まさかあんな体調でライヴやっていたとは・・・びっくりしました。
それにしても不思議な闘病記だなあ、と思います。死を覚悟した人の悲愴感漂う手記でもなければ(それでもさすがにそれなりの悲愴感はありますが)、死を嘆くお涙ちょうだいの手記でもない。
正直、作家の最後の闘病記ということで、死を目の前にしての哲学的な思索とか、そんなものが読めるのかなと思っていたのですが・・・
その点では確かに拍子抜け、だったかもしれませんが、ああ、中島梓という人にとっての生きるということはこういうことだったのか、ということがひしひしと感じられる、ある意味壮絶な闘病記とも言えるな、と思いました。書いていることは淡々とした日々のことではあるけれど。
これは年末の記事にも書いたのですが、一昨年あたりから、中島梓さんもそうだし、樋口宗孝さんもそうですが、今までずっと「いて当たり前」だった方たちが早逝され、「生きる」ということについて考えるようになりました。
この闘病記は、その一つの答えを与えてくれたような気がします。一日一日を、自分らしく生きていくことが、生きていることの証なんだと。
以前飼っていた犬や猫のことを思い出すと、彼らには病気や死の概念がないので、体が動く限りはできるだけいつもと同じように過ごそうとするんですよね。本当に動けなくなるほんの前日まで普段どおりにしていたりするんです。
少し具合が良くなると、また少しでもいつもと同じことをしようとして・・・
人間は死への恐怖も、病気への恐怖も知っているから、その分生きていくのが辛いよな、と思います。それでも、一日一日を懸命に生きることが、生きていくということなんだなあ・・・と思いました。
そういう視点で読んでいると、死を見つめながらも嘆くこともなくもがくこともなく、日々を懸命に生きようとしていたこの人は、とても強い人だったのかもしれない、とも思いました。(楽観的な性質もあったとは思いますが・・・)
それにしても、ちょっと気になるのは、見事に自分のことしか書いてないな・・・ということですが・・・旦那さんや息子さんへの思いのようなことも少しは書いてあるのですが、大部分が自分自身のことなんですよね。陳腐なお涙頂戴の闘病記にしたくないという思いもあったかもしれませんが、どうも自分自身が一番大事な人だったんだな、と思えてしまいますが・・・
それとも、本当に死を目前にすると、皆そういうものなのでしょうか・・・
そう言えばamazonのレビューでも、ファンのことは全然考えてくれてなかったのがショックだった、と書いている人がいますが、確かにそうなんですよね・・・グインのラストまでのプロットを残しておくとか、そういうことは全くしようともしていない。
実際、結構いきあたりばったりで書いていたようなので、プロットの残しようもなかったのかもしれませんが。それとも、そういう形で自分の死を認めたくなかったのかも・・・
とにかく、死を前にして、自分が生きるということを何よりも優先していたのだな、なんてことも思いました・・・
入院してからは、ちゃんとした日記は1回しか書けず、手書きの判読し難い日記を2ページ、さいごにはPCで「ま」という一文字だけを残していました。その壮絶さにさすがに泣けてしまいました・・・最後の最後まで書こうとしていたんだなと。
最後の長文の日記の中で、いよいよ余命を宣告されたことを書き、「でもこれからこそ書かなければ」と書いていたのが胸を衝きました。
それでも、それ以上書けなかったのですね・・・朝日新聞に追悼の記事が載った時、ご主人の今岡清さんが「ノートに手書きで書き始めたけれど2ページで断念し、書くことができなくなってとても悔しがっていた」と言っていたと書いてありました。さぞ無念だったでしょう。私も本当に死を覚悟した、そこからの日記を読みたかったです・・・
読後には色々な感想が錯綜する感じではありますが、紛れもなく一人の人間が死を目前にするまでを綴った、壮絶な記録だと思いました。