ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

ゲド戦記(ネタバレ)

2006年08月26日 | 映画
さて、話題のというか問題の(汗)「ゲド戦記」ようやく見てまいりました。
原作のネタバレも含みます。
見終わった直後は、特に終盤の展開が許せなくてぶーぶー文句言ってましたが(笑)その後考えてみて、まあ発想はそんなに悪くなかったかもなと・・・
いや、お世辞にも名作とは言えませんがね(汗)
アレンの設定の違いですが、ハブナーの王として華々しく帰還するよりも、罪をつぐなうために帰国する方がいいかな、と思いました。
まあ、原作の場合、アレンが華々しく帰る影に、魔法を失ったハイタカという存在があるわけですが・・・こう思うと、3巻の主役はやっぱりハイタカだなあと思いますねえ。
アレンの影の設定が原作1巻のハイタカの影とは違いましたが、あの光の方が追っていた、というのも悪くないかな、と思いました。
テルーに真の名を教えてテルーと一緒に・・・というのもいいかなと。
突然父親を刺して逃走してしまうアレンには、最近多い親を刺したり放火したり・・・という若者や子供たちの姿がかぶるようにも思いました。この脚本書いていた時にはそこまでは考えていなかっはずで、時代を読んでいたと言えるかもしれません。
でも、だからアレンに共感できないのかも(汗)理解を超えすぎてるような。「ハウル」の自分が好きになれなくて自信がないソフィーは理解できたんですけどねえ。
このあたりは表現の稚拙さにも原因があると思われますが・・・それはまた後で。
前半の淡々と旅しているのも、発想は悪くないと思うんですよね。原作の3巻でも、大きな出来事があるわけでなく、淡々と旅が進んでいる感じで、そこが結構好きだったので。
・・・ただ、原作のようにその淡々さが好きと思えたかと言うとそれは・・・(汗)
発想は悪くなかったと思うんです。ただ、その表現が稚拙だったと・・・
まずは作画と背景ですね~(汗)いやジブリであんな雑な絵が見られるとは思ってもみなくてびっくりでした。
「もののけ姫」も「紅の豚」も、話は好きじゃないけどまあ映像だけでもお金払う価値はあったかな、と思ったものですが・・・「ハウル」も評判悪かったけど、話は嫌いだけど映像は美しかったと思った人が多かったはず。
しかしこれではねえ・・・(汗)
動画はまだしも、動かない背景まで今ひとつだったのはどういうわけでしょう・・・
アレンが影に捉われた時の表情なども、もっと綺麗な絵でもっと微妙な表情だったら、もう少し違ったのではないでしょうか。
もうひとつ、粗い作画に加え、やはり演出力不足でしたね・・・
前半の淡々とした旅も、何かしみじみとしたものを感じさせる力がなかったですね・・・やり方によってはそういうものにできたかもしれないのに。
テルーの歌の場面も、もうちょっと上手くできたのでは。歌はいいのに・・・アレンが涙を流す気持ちがわかるなあ、くらいの場面にして欲しかった。
(余談ですがあの歌、アカペラだと最後のコード進行の変化がないので、歌が完結しないような印象になりますねー。あ、これは良くない原因ではないですよ)
なんか、上手くやればもっといいものにできたのではないかなーと思うのですよね・・・やはり監督が素人だったのが(汗)
あと、予算削られてたのか?というくらい悲しい映像がね・・・

しかし、脚本に問題がないわけでもなかったです。見終わった後にぶーぶー文句たれてしまったくらいで(汗)
特に終盤がね~・・・
世界の均衡が崩れたのはクモのせいだったのか? それってスケールが小さくないか?(汗)
と思ったら、見た人のほとんどがあれで世界の均衡が取り戻せたとは思ってないようで(汗)まあちょっとホッとしました!?
でも、それなら余計に問題ありですな・・・(汗)
ゲドの影が薄いというのもよく言われているようですが、脇役になっているのはまあいいんですよ。それにしたって、ハイタカのもう少し自己犠牲的な部分を出して欲しかった・・・
アレンに自ら真の名を告げるところとか。(まああの映画のアレンに真の名を教えるのは危険すぎますが(汗))
何よりも、ハイタカが魔法を失うところをやって欲しかった。世界を救うためでも、アレンを救うためでもいいから。(アレンを救うためなら1巻の大賢人の行為にもつながりますし。余談ですが、この1巻の大賢人の死の印象のおかげで、ハリポタで誰か死ぬらしいと聞くたびに「ダンブルドアでしょ」と思っていました(笑))
そうしたら、終盤活躍しないことにも誰も文句は言わなかったでしょうし、力を失ってテナーたちと一緒に暮らすなら自然だし。
テルーが龍になるのも、原作を知っているなら自然に見られましたが、知らない人はびっくりしたみたいで・・・
原作では、竜になる人間がいるらしいとか、「ゴントの女」の予言とか、アイリアンの存在とか、先に色々と布石が敷いてあって、「テルーもドラゴンなのでは」と思わせるものがありましたが、あれでは唐突だし訳がわかりませんよね・・・
しかも元に戻って普通に暮らしてるし(汗)竜になって行ってしまうのが切なかったのに・・・
原作ではカレシンが迎えに来たりして、人間の世界でははぐれ者だったテルーが「本来の世界と仲間のところに戻る」という意味合いもあったのに・・・
原作と違っていても良ければ許容範囲な私ですが、このあたりは納得行かなかったですね。「原作と違うけれどそれもまたいいかな」と思えないと。(「ハウル」なんかは私的にはそういう感じなんですが。まあ「ハウル」は原作にさほど思い入れなかったですけどね・・・)
あと、これは細かいところですが、テナーたちが暮らしていたのはやっぱりル・アルビのオジオンの家であって欲しかったです。まあ、ル・アルビにクモの城があるのはやだけど・・・(汗)

テルーは予告を見た限りではいかにも宮崎アニメな感じがして、やだなーと思ってたんですが、意外に平気でした(汗)声が子供っぽい素直な声だったのもよかったかも。やっぱりホンモノの10代は違いますね(笑)
ハイタカのことを「タカ」と呼んでいたのがちょっと嬉しかったかな。
ハイタカの声は最初は「うっ」と思いましたが(汗)慣れました(笑)でも髪型も体型もあんまり魔法使いらしくなかったなあ・・・特に体型はもっとひょろっとしたイメージだったんですが。あれでは「ちょっと頼りない」と言われても「どこが?」と思ってしまう(汗)
あ、服装がいかにも宮崎アニメ風なのは、事前にさんざん見て免疫つけたので・・・諦めてます(笑)
岡田准一の声は思ったほど違和感なかったです。キムタクよりは上手いのでは(笑)
田中裕子は「もののけ姫」では下手だなーと思ったのですが(汗)今回は役柄に合っていたのか、気になりませんでした。
クモって性別女にしたのかと思ったけど、設定は男のままだったんですね???
でも全体的にあんまり上手くない人が多すぎだったかな・・・香川照之は唯一上手かったです(笑)でもあのキャラクターはなあ・・・

やはり、あれだけの観客動員する作品ではないですね、本来。皆ジブリブランドと「テルーの歌」に騙されてる・・・(汗)しかしこんなに評判悪いのに皆観に行くのがまたすごいと思いますね・・・
この作品をあれだけ全力で宣伝してしまうジブリもちょっと詐欺だよなー(汗)
もっと宣伝されるべき作品があるのになあ・・・なぜかミニシアター公開だったRENTとか・・・

てなわけで今年見た映画の順位。
1.ナルニア国物語第一章ライオンと魔女 / 2.RENT / 3.僕の大事なコレクション / 4.ロード・オブ・ウォー / 5.フーリガン / 6.V・フォー・ヴェンデッタ / 7.ローズ・イン・タイドランド / 8.スタンドアップ / 9. ヒストリー・オブ・ヴァイオレンス /10.キングコング / 11.ハリーポッターと炎のゴブレット / 12.DOOM / 13.サイレントヒル / 14.プロデューサーズ / 15.パイレーツ・オブ・カリビアン2デッドマンズ・チェスト / 16ゲド戦記 /17.アンジェラ / 18.ダ・ヴィンチ・コード / 19.PROMISE / 20.フライトプラン
最初は「パイレーツ~」より上にしようかと思ったんですが、感想書いてるうちにやっぱり完成度低すぎだよな・・・と(汗)「アンジェラ」よりは一応上にしてみました(汗)
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

LotRサントラの浸透度?

2006年08月26日 | 指輪物語&トールキン
先日話題の(問題の?(汗))「ゲド戦記」を観て来ましたが(感想は映画カテゴリーで後ほど)、サントラで時々合唱とオーケストラを使っているところが出てくると「LotRみたい」と思ってしまいました。
これ、私だけのことではないようで、ネット上でもちらほらそういう感想を見ますね。サントラがところどころLotRみたいだったという。
ハワード・ショアのLotRサントラ、見ていても映像の邪魔をしなくてあまり印象に残らない、ジョン・ウィリアムズなどのサントラに比べて地味なサントラ、と思っていましたし、アカデミー賞獲ったわりにはそんなにサントラも世間に浸透してないなあと思っていました。
むしろアカデミー賞獲ってないけれど、「パイレーツ・オブ・カリビアン」の1作目のサントラの方がよく使われるし、世間的には浸透しているように思います。
私自身、FotRを最初に見た時、サントラの記憶はホビット庄近辺以外全くなかったんですよ。「指輪は南へ」も「一行の離散」も全く記憶になし(汗)それくらい印象に残りにくい地味なサントラだと思ってました。
それなのに、いつの間にかじわじわとLotRサントラも世間に浸透して行っているということでしょうか。
あまり映画のサントラには詳しくないのですが、合唱+フルオーケストラというのはLotRが初めて使った手法ではなかろうと思うのですが・・・でもやはりそんなに多くはないのでしょうか。フルオーケストラに大人数の合唱を揃えるにはかなりの予算が必要でしょうし。
にもかかわらず、合唱とオーケストラの音楽を聴くと「LotRみたい」と思うようになってしまいました。どうやらそれも私だけではないらしい、というのが「ゲド戦記」のおかげでわかりました。
まあ多数派ではないでしょうが。1回映画観た程度の人はやはりそんなにLotRのサントラの印象は覚えてないと思われますので・・・
しかし、余計なお世話なんですが、LotRサントラが有名になったことで、ショアも仕事やりにくくなってないかなあと。
今までも多数の映画音楽を手がけて来ているショアですが、自身のサントラがこんなにメジャーになったのは初めてじゃないかと思うので・・・
残念ながら「キングコング」のサントラは聞くことができませんでしたが、「ヒストリー・オブ・ヴァイオレンス」のサントラは妙にLotRを連想させるものでしたし、韓国のゲーム音楽「SUN」のサントラも同じファンタジーということもあってかなりLotRを連想させるものでした。
「アヴィエイター」とかは全然そんなことなかったんですが。作品にもよるかもしれませんが、クローネンバーグ作品までLotRに似てると思えてしまうのでは・・・
今後LotRサントラの印象をどの程度払拭できますかねえ。って本当に余計なお世話なんですが(汗)
まあとにかく今は10月下旬発売らしいTTT完全盤サントラが楽しみです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミュンヘンのトーマス・マンめぐりその1

2006年08月25日 | 旅行
発熱しながらも無事にLotRシンフォニーも聴き終わり、朝起きたら熱下がってるといいな・・・と思ったのですがなんだかまだ調子悪い(汗)あんなに好きだったドイツパンも、シンケン(ハム)もチーズも食べられず・・・(パプリカを刻んだのが周りについてるチーズ好きだったのに・・・)なんとかフルーツとヨーグルトだけは食べました。
もう一日ニュルンベルクに滞在して休むか・・・とも思ったのですが、列車で座って移動するだけだし、頑張ってミュンヘンまで行っちゃえ! というわけでミュンヘンまで移動しました。
観光案内所で紹介してもらったホテルは、UバーンのOdeon Platzの近く、シュヴァービング地区のとっかかりにあるこじんまりしたホテルでした。中庭や窓からオシャレなシュヴァービングの家が見えてちょっと素敵だなーと思いました。近所のお店のおじさんはものすごいミュンヘン訛りでした(汗)
1時間ほど部屋で横になったあと、少し良くなってきたかな・・・? ということで、トーマス・マンめぐりを開始することを決意。

オックスフォードでトールキンの家をめぐった時も「何回引っ越したんだ・・・」と思いましたが、ミュンヘンのトーマス・マンの旧居はそれを上回る、なんと13軒! しかもその後亡命してスイスやアメリカにも住んでるんだもんなあ・・・
トーマス・マンのミュンヘンの住所は日本語での資料がほとんどなく困っていましたが、某質問掲示板で聞いたところ、ドイツ語に堪能な方がドイツ語のサイトを探してくださり、なんとかめぐることができました~
オックスフォードと違って、ほとんどの家が当時の建物ではなかったようですが・・・

まずはホテルから一番近いTheresien Str.82番地の家へ。このテレジエン通りが長くて、かなり端っこまで歩きました(汗)ピナコークとか通りましたね。全然入る暇なかったけど(汗)

この家には1898年4月から5月まで、なんと1ヶ月しか住んでません(笑)

そのまま、2ブロック北のシェリング通りに出て、ルートヴィヒ教会に向かいます。ここはトーマス・マンの短編「神の剣」で主人公ヒエロムニスが入った教会ですね。ちょうど作中でもシェリング通りから教会に向かっています。
トップの写真がルートヴィヒ教会ですが、石造りの珍しい教会ですね。ミュンヘンの教会は、ビザンティン風の丸屋根の塔の教会が多いのですが、とんがり屋根なのも珍しい感じ?

ヒエロムニスが清めに使った?水盤と教会内部。お祈りしている女性が一人と、明らかに休憩に来ていた東洋系の女性が一人だけの、静かな内部でした。


続いてRamberg Str.2番地の家。この通り、地図だと名前出ていません(汗)事前にマッピングサイトで調べておいたのをガイドブックの地図に「このへん」と印をつけておきました(汗)
この家にはリューベックから移ってきた1894年から1897年まで3年間住んでいたようです。ここで「ブッデンブローク家の人々」を書き始めたようです。


ここも地図だと名前が出ていないKonrad Str.11番地の家。1902年11月から1904年1月まで、1年ちょっと住んでいます。ここに住んでいるとき「ブッデンブローク家の人々」が出版された・・・のかな?
追記:年表で確認したら「ブッデンブローク家」が出版されたのは1900年なので、全然違いますね(汗)
さらに追記:ここに住んでいる時に「トニオ・クレーゲル」「トリスタン」を含む短編集が出版されたそうです。

この次にフランツ・ヨーゼフ通り25番地の家に行ったのですが(ちなみにエリザベート通りとつながっています(笑))、ここにはトーマス・マンの旧居だということを示すプレートがあるはずなのに、ない・・・
後で番地が変更になっていることがわかり、翌日リベンジしましたので写真はまた後で。


コンラート通りの後に移って1905年まで約一年住んでいたAinmiller Str.31番地の家です。
追記:ここに住んでいる時に婚約してます。


Herzog Str.3番地の家・・・のはずなのですが、ホテルになってます(汗)ここには1897年から1898年まで1年間住んでいました。先のドイツ語サイトによると母親のユーリアと一緒に住んでいたようです。
まあトーマス・マンの旧居跡のホテルに泊まるのもいいかもね、なんて思っていたのですが、帰国してからネットで確認したら、違う家の写真が・・・もしかしてここも番地が変更になっていたのでしょうか・・・

トーマス・マンめぐり、まだまだ続きますよ~(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダンス・オブ・ヴァンパイア(ネタバレ)

2006年08月25日 | ミュージカル・演劇
帝劇のダンス・オブ・ヴァンパイア、ようやく観て来ました。Wキャストは泉見アルフレート&大塚サラ。
これ、昨年たまたまハンブルクで本場を見てしまったのですが、それがなかったら見に来なかったかも・・・いや市村さんが出てるから一応見に来てたかな。
覚悟はしてましたが、やはりドイツより何もかもが大幅にスケールダウンしてました。思ったよりは大分マシでしたが。
もともと、私的にはハマるタイプの作品ではないのですが、ドイツではとにかくスケールに圧倒されて「すごい!」と思ったものですが、そういう感覚は得られませんでしたね。ドイツ版はまた機会があったら観たいと思いますが、日本版は1回でいいや(汗)
一番気になったのは実はオケ(汗)いや覚悟はしてたんですが。前から下手だとは思ってたし(汗)
しかし、オープニングの音楽で「うわあ」と来なかったのはもうどうしようもありませんね(汗)なんかドラムの音も変だし。これもいつものことなんだけど・・・あのドラムの音でロックナンバーやられてもなあ・・・
スケールダウンその2は舞台装置ですね。これも覚悟はしてたのですが、もう少し豪華にはできなかったものか・・・。私は別にらせん階段には思い入れはなかったのですが(汗)それにしてもなんだか寂しげというか安っぽい装置でした・・・
後で一緒に行った友達にハンブルクの写真を見せたら「全然違うね・・・」と言ってました。
教授がひっかかるところも「結構低いじゃん」と・・・ハンブルクでは「飛び降りたら絶対死ぬ」くらい高かったですけど、あれは飛び降りられそうでした(汗)
回り舞台の中心のあの四角いのも邪魔でしたねー。帝劇の舞台が狭く感じるとは(汗)SHIROの時なんて「でかすぎる」と思ったものでしたが・・・
特に墓場のシーン、あそこはずらっと並んだ墓石から続々とヴァンパイアが出てくるのが怖かったのに・・・墓石少なすぎ(汗)人数は充分なので、逆に舞台が狭かったですねー(汗)
そしてスケールダウンその3はやはりアンサンブルのダンスかな・・・充分上手いとは思うのですが、ドイツで感じたまでの迫力はありませんでした。単純に体格差なのかなあ・・・
ドイツで見ていた時、1幕は「ふーん」という感じで見ていて、サラとヴァンパイアのダンスでちょっと「おっ」と思い、城に入ったとたんの雰囲気の違いに圧倒され、そして2幕のCarpe Noctem(アルフレートの悪夢)でやられた、という感じだったのですが・・・
サラが振り回されるダンスは日本版もなかなかでしたが、ドイツはサラもっと振り回されてたよなあ・・・もちょっと官能的だったし。まあここはいいんですが・・・
ドイツで私が最も「ガツーン」と食らったCarpe Noctemがねえ・・・ドイツでは「ヴァンパイアというかオバケがどんどん出てきて怖い~」とものすごくインパクトのあったシーンなんですが、なんかヴァンパイアが出てきたというよりは、「アンサンブルの人たちが踊ってるね」としか見えなくて・・・衣装とかメイクの問題なのかもしれませんが・・・照明が明るすぎたとか?
日本で幕が開いて以来、このシーンの評判をあまり聞かない理由がわかりました・・・
ただ、このシーン、歌も心配してたんですが、歌は良かったです! ちょっと姿形は
KISSのコスプレしてる日本人て感じでしたが(汗)コーラスもよかったし。ホントアンサンブルのレベル上がったなあと思います!
日本版のCD買うつもりはないんですが、このシーンだけはもう一度聞きたいかな・・・もともと音楽的にも、「悪夢の後の夜明け」といった雰囲気がぴったりで好きだったりするし。
そしてラストのヴァンパイア・ダンスですね。ドイツではアンサンブルが踊るのみで、アンサンブルだけなのにも驚きましたが、その迫力たるや素晴らしかったです。圧倒されました。
日本版はそこまでではなかったなあ。上手いんですけど。ダンサーの技術的なことなのか、体格差なのか、振り付けなのか、そのあたりはわかりませんが・・・なんかドイツはもっと激しかった印象なんだけどなあ。
日本版では伯爵以外の主要キャストが出てくるのは、逆に出て来ないと締まらないかなーというのもありますね(汗)阿知波さんまで出てきたのはなんだか嬉しかったけれど。
がっかり、だったのはそんなところですが・・・結構主要なところががっかりだったかなー(汗)
メインキャストの歌も全体的にドイツよりはスケールダウンでしたが、ダンスや装置ほどのがっかりではなかったかな。
一番がっかりだったのは、シャガールはおいておいて(汗)マグダでしたね。まあ予想どおりでしたが(汗)キャラクター的にはぴったりなんだけど、あのナンバーはもっとパンチのある歌い方でないと。シルビア・グラブとかぴったりだったと思うけどなあ。
ロックでないところが大変心配だった伯爵ですが(汗)意外と声量を聞かせる曲が多かったみたいで、まあOKでした。
まあ最大の心配だった16ビート裏拍の曲は、全然16ビートでも裏拍でもなかったけど(汗)なんとか違和感ない程度にこなしていたのでまあOK。本来シンコペーションなところも全部音を短く切ってテンポどおりに収めるという荒業やってましたが(汗)本当はテンポは16で細かく感じながらも朗々と歌う曲なんだけどなー。
でも「モーツァルト!」や「エリザベート」ほどの違和感はなかったので、やっぱりシルベスター・リーヴァイの曲の方が難しいんだなあと思いました。今回の曲は皆結構昔の曲なので、単純なのは当然かもしれませんが。
泉見アルフレートは歌も良かったし、とってもかわいくて良かった(笑)髪型もホビットまではいかないけど一応くるくるパーマにしてたし。
ドイツのアルフレートよりもかわいいので、さらに「かわいい人」といわれたり、ヘルベルトに惚れられたりするのも納得という感じでした(笑)
教授とのコンピもかわいかったし(笑)
サラはかわいかったし、まあ良いのでは。でもポスターとか見ていたら、剣持たまきさんのサラも見ればよかったなと思いました・・・ドレス姿とかメチャクチャきれいで・・・
ドイツのサラはほとんどお尻まで見せていたので(髪長くして隠してたけど)、どうするんだ・・・と思ってましたが、さすがに日本ではそこまでは見せませんでしたねー(笑)
教授は、ドイツ版では脇役に思えましたが、ドイツ版とほとんどやってること一緒なのに存在感が増していたのが不思議でした。
ドイツの教授は御茶ノ水博士みたいなハゲかつらだったんですが、さすがにハゲかつらではなかったですね(笑)
チャップリンのようなかわいい教授で、「初めての役柄」とか言ってたけどまるで昔からこういう役やってたかのように何の違和感もなくハマってました(笑)
歌唱力的にはやはり・・・でしたが(宿屋の前での早口のシーンは本来もっと歌で笑わせるシーンなはず)、その後のカーテンコール?での貫禄ぶりなど、やはり市村さんならではでした(笑)あれはドイツではやってなかったよなあ?
駒田一さんのクーコルは勿体無いなあ・・・と思ってましたが、それなりに個性を出してましたね。でもドイツのクーコルはもっと四足に近いような獣っぽい歩き方でしたが、なんだかフツーに歩いてましたねえ(汗)
休憩中のクーコル劇場は、噂には聞いてましたが面白かった(笑)「屋根の上のヴァイオリン弾き」バージョンでしたが、あれ駒田さんが昔ヴァイオリン弾きだったこととか知らないと笑えないのでは・・・かなりマニアックでしたね。
キャストで最後になりますが、唯一「ドイツよりいい!」と思ったのが吉野圭吾さんのヘルベルトでした~。いや笑えました(笑)
ドイツでヘルベルトが登場した瞬間に「吉野圭吾・・・」と思ったらそのとおりのキャスティングだったのですが(笑)予想を超えるヘルベルトをやってくれて楽しかったです(笑)

日本語の歌詞を聴いて「あ、そんなこと言ってたのか」というシーンもありましたが、概ねドイツ語で見ていた印象と変わらなかったので、そんなものかなーと(笑)
なんで「ニンニクニンニク」と騒いでるのかと思ったら、ニンニク料理が名物だったんですねー。
あと、マグダがシャガールの死を悲しんで歌っていたのも初めて知りました(笑)
伯爵の嘆きの内容も初めて知りましたが、でも言葉わからなくてもなんとなくわかりましたね、あれは。
あ、伯爵が墓場でソロを歌う場面、ドイツではダンサー出てこなかったですよねえ? 歌だけで持たせるには長すぎると思ったのかな。確かに私もドイツで見ながら「ここまで歌上手くなかったらちょっと長すぎるよな」と思ったものでしたが・・・

とまあそんな感じで、私には今イチでしたが、ハマってリピートされてる方も多いようで、まあ良かったんじゃないかと。
でも、日本版気に入った方も今ひとつだった方も、機会があったらぜひ一度ドイツ版、ウィーン版見てみてくださいませ、とお勧めしたいですね。今度ベルリンでやるんでしたかね?

追記:図書室の場面に出てきた地球儀、まさか少年ルドルフが乗っかってたやつではないですよね・・・?(笑)
そうそう、あと、アルフレートの鏡のシーンがなかった、ですよね! 鏡の向こうでアルフレートの影が動くシーン。あれすごいなあと思ったのに・・・技術的にむずかしかったのでしょうか・・・
舞踏会の鏡も、二階席で見たせいなのか、結構ヴァンパイアの皆さんの本当の影が映っちゃってて「んんー?」でした・・・
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

BBCラジオドラマ聞き返しその18

2006年08月25日 | 指輪物語&トールキン
ラジオドラマ、キリス・ウンゴルの階段の場面を聴きました。
スクリプトなしで聴いた時から、原作とは違うな・・・と思っていたのですが、やはり・・・でした。
眠っているフロドとサムのところにゴラムが来ますが、ここでいきなり「あのしと」に二人を食べさせる計画について独り言を言い出します。
その後に、「Poor little hobbits...」と弱々しく言い出し、原作どおりにフロドの膝に触るか何かしてサムを起こすのですが・・・
うーん、ここもう少し原作どおりにはできなかったのでしょうか・・・ラジオドラマでそのまま再現するのが無理としても、ナレーションで地の文を読み上げることもできたと思うのですが・・・
映画での改変に憤っていた私ですが、原作のここが感動的だと思うのは必ずしも一般的ではないのでしょうか。なんだか自信なくなります~
しかし、その後、「何をコソコソしてたんだ」と言われたゴラムが拗ねるのに、「悪かっただよ」と謝るサムの声が・・・なんだかやさしーサムの根っから冷たくはなれない、人の良い素朴な暖かさを感じます。ビル・ナイ素晴らしい!
なんだか声が似ているだけに、映画のサムって冷たいというか偉そうというか・・・と思ってしまいます(汗)
しかし「スメアゴルこそこそやね」という瀬田訳はものすごい名訳だなあと思いました(笑)
その後目覚めたフロドは、ゴラムの訴えに、どちらかというとゴラムの肩を持ってサムをたしなめます。と言っても、とても鷹揚で優しい感じ。フロドが何の邪心もなくゴラムを信じていることと、同時にサムへの信頼も揺るぎはしないことを感じさせます。
ラジオドラマのこのシーンを聞いていて、なんで映画ではあの感動的なシーンがレンバス事件に摩り替わってしまったのかがわかったような気がしました・・・PJはこのシーンから、フロドがサムよりもゴラムの肩を持ったということをクローズアップしたんですねえ・・・
いやあ、私はこの3人の会話なんてほとんど気にもとめてませんでした。さすが目の付け所が違いますね、PJは。(ものすごいイヤミ・・・(汗))
原作では、ゴラムの「善い心」が悪意に取って代わることができなかったのは、別にサムにいじめられたせいじゃないですよね。
もちろんあの階段で目覚めた時にサムがあんなことを言わなければ、というのはあったけれど、あれは本当にわずかなタイミングの差というか運というか・・・「運命のいたずら」とでもいうような、本当に僅かなすれ違いだったと思います。それが悲しくも哀れだったのだけれど・・・
いや、PJはそういう「運命」によって話が動くのは嫌いなんでしたね(汗)だから滅びのき裂でもフロドとゴラムを格闘させたわけですから。
なんか、ラジオドラマのおかげでキリス・ウンゴルの階段のシーンがあんなになった原因が見えて来たように思います。面白いものですね(笑)
それにしても、根が優しいサムと鷹揚なフロドの声を聞いていると、ホッとするというか・・・ちょっと原作どおりでなくて残念な部分もありますが、やっぱりラジオドラマはいいですねえ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニュルンベルクのナチス遺跡その2

2006年08月21日 | 旅行
さて、他のナチス関連建造物も見てみたくなった私は、Docu Zentrum内で見た当時の地図を思い出しながら、現在の地図を見てみました。
地図にはナチスがどうこうとは書いてないのですが、何やら大きな建造物らしき形はみられます。そしてその中にツェッペリン・フィールドという、ドキュ・ツェントルムで何度も見た地名が出ていたので、よしここだ! ととりあえず行くことにしました。
ちなみにこのツェッペリン・フィールドという名前は、ツェッペリン伯爵の飛行船が着陸したことがあるからだそうです。
地図で見ると、ニュルンベルクFCの本拠地、フランケン・シュタディオンがすぐ近くで、最寄り駅もSバーンのFranken Stadion。ここは先日のW杯で日本対クロアチア戦も行われましたね。
ナチス台頭の当時、このあたり一体にはスポーツスタジアムなども建設され、スポーツも利用しようとされていたそうです。そんな場所にあのスタジアムは建っていたのですね。昔のスタジアムも全く同じ場所ではないと思いますが・・・
Docu Zentrumからトラムで1駅行き、ちょっと歩いてSバーンでまた1駅。本当は歩けないこともない距離だし、実際Sバーンの本数が少ないので歩いた方が早い可能性もありましたが、夜にはコンサートも控えていたし、なるべく体力温存しようと・・・(汗)

駅からスタジアム方面に歩いて行くと、やがて右手に階段状の大きな建造物跡が見えてきます。
現在は道路で寸断されて工事中、簡易トイレが並んでいたりしますが(汗)この大階段の中央におそらくヒトラーが立って演説なりしたのでしょう。
この建物も保存状態はあまり良くなく、落書きもひどかったりしました・・・お金かけて保存はしてないって感じですね。
なぜか歩いているそばから工事のフェンスが立てられて行き、となりのブロックに行くのに一度下まで降りて行かないといけなかったりして・・・ここ工事してどうするのかなあ?
一応この場所の説明のプレートはありましたが。(昨日upしていた集会場にもありました)
数人でガイドツアーで訪れているらしきグループが2つ3つありました。

真ん中の一番高いところから撮ったフランケン・シュタディオン。こんなに近いんですね。クロアチア戦を観に行った方はここにも来たでしょうか?

階段状と道路を挟んで向かい側に広がる建造物跡。昔はここがずーっと広場みたいになってたんですね。ここも工事中。しかしすごい大きさです・・・

裏から入れないかなーと思ったけどフェンスが建っていてダメでした。

この先に池というか湖というか、があり、その先にさきほど見て来た大集会場が見えました。トップの写真がそうです。昔は湖に面した壮大な建物、だったんでしょうね。

この他にもDocu Zentrumの導入映像で見た建物があったはずで、湖のそばの地図を見ると、どうやらコンサートがあるマイスタージンガーハレのすぐ隣のルイトポルト公園にあるようでした。
どうも、ルイトポルト公園~Docu Zentrum~ツェッペリンフィールドというコースを歩くのがナチス遺跡めぐりの正しいコースだったようで・・・湖周辺も公園になっているんですよね。歩くには持ってこいかも。
時間切れでとりあえず市内に戻ることにして、時間がありそうだったらコンサート前にルイトポルト公園に行こうかなと思ったのですが、この後発熱し、結局ギリギリまで横になっていたので行くことはできませんでした。

たまたまコンサート会場が近かったために行くことになった今回のナチス遺跡めぐりですが、実物を見たことで急に興味が・・・
この後ミュンヘンでも行くかどうか迷っていたダッハウの強制収容所跡に行くことになりました。この話はまた後日に。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ケリン・アムロスの丘

2006年08月21日 | 指輪物語&トールキン
最近RSSリーダーのキーワード検索で素敵なブログに出会いました。トールキン関連本を読むというブログです。
トールキン関連本の情報から興味深い考察まで、素晴らしい情報がめじろおしで、これからゆっくり読ませていただこうと思っているところですが、今日はその最新記事からのお話です。
この話の出所は、トールキン研究者?のRichard E. Blackwelderという人を偲んでの記念論文集だそうで、もちろん英語です。自力では永久に出会うことないであろう本ですが(汗)、内容はとても面白そう・・・
その中で寄稿しているRichard C. Westという人が、アラゴルンとアルウェンの物語について書いているそうですが、そこで興味深いことを書いていた、というのを記事で紹介されていました。
アルウェンが最期にケリン・アムロスの丘に一人で向かい、孤独に死んだとされています。この結末にはショックを受けましたね。
一体どうしてトールキンはルシアン=エディス夫人の再来であるアルウェンの最期をこのようなものにしたのかと、謎でもあります。「これ書いた頃トールキンは奥さんと何かあったんじゃないか」なんてことをおっしゃる方もいました(笑)
しかし、West氏は、「指輪」本編での次の一節に注目し、新しい解釈をしているそうです。
フロドたちとロリアンを訪れたアラゴルンがケリン・アムロスを去るときに、地の文で「現し身の人間としては二度とここには戻って来なかったのです」と書かれています。
これをWest氏は、生きた人間としては訪れなかったけれど、死後の霊的な存在となって訪れた可能性はあるのではないか、そうやってアルウェンとケリン・アムロスで再会していた可能性もあるのではないか、というようなことを書いているそうです。あくまで仮説としているそうですが。
この解釈、なんだか救われるような気がしました。アルウェンがわざわざ一人でケリン・アムロスに行ったのは、アラゴルンと初めて出会った場所で、アラゴルンと再会するためだったのだと思えば・・・
実際にアラゴルンが霊となって現れたのではないにしろ、アルウェンの心にはアラゴルンが一緒にいてくれるように感じられたかもしれないなあ、とも思います。
先のアラゴルンが「現し身の人間としては二度と戻って来なかったのです」というくだりは、切ない言葉として初読の時から心に残っていました。この言葉が、ケリン・アムロスの夢のような美しさとはかなさの印象を強めていたかもしれません。
実際にケリン・アムロスの情景描写を読んで思い浮かべてみると、「・・・何だかヘンなところだなあ・・・」と思わないでもないのですが(頂上あたりにだけ枝のない木がひょろーんと生えているところとか(汗))
ケリン・アムロスは、アラゴルンの思いいいれだけでなく、フロドたちも心奪われていて、作中では素晴らしい場所として描かれています。
トールキンがこんな不思議な形の丘に行ったことがあるとは思わないのですが(汗)もしかして何か特別な思いがある場所をケリン・アムロスになぞらえていたりするのかな、なんてことも想像してしまいますが・・・考えすぎかなあ。
なんにしろ、この解釈のおかげで少し救われたというか、暖かい気持ちになることができたように思います。
やっぱりトールキンは奥が深いですねー。これからも色々なファンや研究者の意見を知りたいなあと思ってしまいました。英語ができれば世界はもっと広がるのでしょうが・・・(汗)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニュルンベルクのナチス遺跡その1

2006年08月20日 | 旅行
今回行くことになるまで知らなかったのですが、ニュルンベルクは1933年にナチスが政権を取って以来、毎年党大会が開かれていたのだそうですね。
ニュルンベルク裁判とかは聞いたことがありましたが・・・それでニュルンベルクで裁判やったんでしょうか。
で、ニュルンベルクには当時ヒトラーが主導してナチスが立てた建造物が一部残っているのですね。
というのを「地球の歩き方」で読んで知ったのですが、時間ないから当初は行かないつもりだったのでした。
が、地図で見たらLotRシンフォニーのコンサートがあるマイスタージンガーハレの割と近くだと判明したので、会場の下見も兼ねて行ってみようかな、という気になったのでした。
中央駅からトラムに乗って、マスイタージンガーハレの二つ先のDocu Zentrum(ドキュメント・センター)に行きました。
ここにはナチスの大集会場の建物が一部残っていて、その一部(半円状の右翼部分)に当時の写真や映像などを解説と共に展示しているDocu Zentrumがあります。
昔の建物の古い部分(主にレンガ)に、近代的な金属やガラスなどの無機質な部分を取り入れた、なかなかセンスのある建物でした。

これは大集会場の半円形の外側ですね。このすぐ左にDocu Zentrumの入り口があります。
展示部分の最初に流れている導入映像がまたセンスが良くて。スケートボードに乗ってビデオカメラを持った若いカップルが、ナチス遺跡?の周辺を走っている映像なのですが、現在の平和そうな公園などの風景に、当時のモノクロの映像を被らせたりして、なかなか印象的な映像でした。こういうの原爆記念館とかでも作ればいいのに。(って大分昔に行ったきりですが(汗))
英語のオーディオガイドも貸してもらえますが、真面目に全部聞いていたらものすごい時間かかると思います(汗)
ナチスによる焚書のことなども書いてあって、トーマス・マンやヘッセの名前は書いてなかったけど、このあたりでマンもヘッセも亡命したんだよなあとか思いました。そういう意味では今回の文学巡りとも無関係ではありませんね。
党大会の映像や、建造物を建築中の映像なども見られました。
ものすごい規模の党大会だったんですね・・・北朝鮮の集会とか思い出しました。
沿道では、いたいけな少女が熱狂的にヒトラーに手を振る映像も・・・
この党大会、党員だけのものだったかもしれないけれど、これだけ街が熱狂している中で、党員じゃないからと知らん顔はできたものでしょうか。党員にならないこと自体が白い目で見られることだったかもしれないし・・・
ちょうど「ブリキの太鼓」のギュンター・グラスがナチスの親衛隊に所属していたという告白が騒がれていますが、当時のそのような状態で、「ナチスに協力的」でいないでいられたものか・・・
もし自分がその当時のドイツ人だったら、処刑の危険を犯してまでナチスに抵抗したりはできなかったろうと思います。そもそも、ナチスがやっていることが悪いことだという認識も持てたかどうか・・・
そういう意味で、人は簡単に加害者になれるものなのだ、ということをひしひしと感じながら、展示を見ていきました。
展示を観に来ていた人はそんなに多くはなかったですが、皆かなり真剣に見ている感じでした。結構若い人が多かったような印象でした。

展示部分から、「濡れてない天気の時だけ出てください」という注意書きつきで(汗)集会場の内側に出られます。トップの写真はそこから撮ったものです。
元々はこの半円形の上に屋根もあって、屋内集会場だったそうです。
とにかく大きい! その大きさに背筋が寒くなるような思いでした。大きさに、権力の大きさと誇示を感じるようで。ピラミッドや紫禁城にはそこまでは感じないのにナチスの建造物には感じるというのは、やはり時代が近いからかな(汗)
赤レンガのせいか、なぜか広島の原爆ドームを思い出しました。
この建物、残ってはいるけれどあまりきちんと保存はされていなくて(まあナチスの建造物をお金かけて保存するのはまずいかもですよね)、右翼はDocu Zentrum、左翼はニュルンベルク・シンフォニーのセレナーデ・ハウスとかいうおそらくコンサートスペースとして使われているようでした。後はそのまま放置されいる感じ。
さきほどの半円形の内側も、公園側の外から普通に歩いて入れます。

これは下から撮ったもの。右の低くなっている部分がDocu Zentrumとして使われている部分です。

半円形の外側部分の回廊にも普通に入れました。Docu Zentrumの導入映像だと、ここから扉を開けて内側に入ったりしていましたが、さすがに鍵がかかってしいました(笑)

なんだか導入映像がカッコよかったせいで、他の建造物もみたくなってしまい、とりあえず地図に出ていたZeppelin Fieldに行くことにしました。この話はまた次回に・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JUANES "Mi Sangre"

2006年08月20日 | 音楽(主に日本のHR?)

私としては珍しいジャンルのCDを勢いで買ってしまいました~(汗)
なんだか新聞等でやけに大々的に宣伝していたのですが、コロンビア出身でスペイン語で歌っているというのに惹かれまして。(シャキーラもコロンビア出身なんですか? まあ英語で歌ってる人はどうでもいいんですが(汗))
試聴もせずにいきなり買って、全然好みじゃなかったらどうしようとドキドキだったのですが(ポップスもR&Bもブルースもいわゆるラテンも苦手なので・・・)、ロックバンドやってたというから大丈夫かなあと。
実際聴いてみて、ポップスとロックの中間、曲によってはややラテンテイストも、という感じでした。デビュー当時、ロックのラジオ局にはポップすぎると相手にされず、ポップスのラジオ局にはハードすぎると相手にされなかった、というのに非常に納得(笑)ロック寄りの私としてはちょっと物足りないサウンドでしだか、メロディーラインが単純にポップスではなかったので、まあまあ楽しめました。
やっぱりスペイン語の歌はいいなあと。モロにラテンだとまたついていけないのですが、このくらいだとスペイン語を楽しんで聴けますね。
やっぱりちょっとラテンテイストが入っている曲の方が面白いかも。リズム感がメチャクチャ良いのは、やはりラテン系のミュージシャンには染み付いているものなんですかねえ?
シングルカットされてヒットした曲というのが、たいていラテンっぽい曲だったので、ラテンシンガーとして認識されているのでは、なんて思ったんですが・・・
歌詞の内容も、ベタベタなラブソングだけではなく(スペイン語のラブソングってなんでああベタベタなんでしょーか(笑))、平和を願う歌、戦地の兵士が恋人の元に戻ることを願って歌う歌、わが子のための歌、なんてのもあって、なかなかいいかなーと。
ボーナストラックのLa Camisa NegraのDJバージョンのリミックスは、リミックスなだけにヴォーカルが淡々と歌っててちょっと残念でした。
しかし、Mi Sangre(我が血)の邦題が「愛と情熱の絆」ってなんででしょー(汗)ラテンだからってベタすぎないか?(汗)

実は私が彼のアルバムを買おうと思ったのは、コロンビア出身というだけでなく、彼がメディア上で、コロンビアのことを知ってほしい、と言っていることでした。
バルデラマやイギータも、サッカーを通してコロンビアのイメージを良くしたいと言っていたなあと思い出します。フアネスも音楽を通して同じことをしたいと言っているのですね。
しかし、「暗いイメージだけれど、コロンビアはいいところだよ」と言われても、従兄弟や友達が銃撃や誘拐で亡くなっているとか聴くと、やっぱり怖いよ、と思いますが・・・(汗)
「僕たちが日常的に体験していることが今は世界のあちこちで起こっているから、共感してもらえるのではないかと思う」という発言にもうーむ、と思ってしまいました。テロや内戦が日常的に起こっているということですよね・・・
本来は美しい自然と陽気な人たちが住む美しい国であるはずのコロンビア。ガルシア=マルケスの小説を読んでも、カリブ海の街の気だるい雰囲気にあこがれます。
少しずつでも平和を取り戻して、いつか気軽に訪れることのできる国になることを影ながら祈ります・・・
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

BBCラジオドラマ聞き返しその17

2006年08月20日 | 指輪物語&トールキン
ようやく落ち着いてきたのでラジオドラマ聞きなおし再開しました・・・もしかして3ヶ月ぶり?(汗)
これ聞き終わらないことには朗読CDも聴けないので・・・(汗)
フロド・サムルートから再開。キリス・ウンゴルの階段を登り、「物語」の話をして二人が眠り込むところで場面が切り替わります。
この後のゴラムが原作ではいいのですが、ラジオドラマはちょっと違ったような。スクリプト見ながら聴くのは初めてなので、このあたりも興味森々ながら、これは次回回しです。

続いてミナス・ティリスのファラミアとデネソールの場面。ラジオドラマのデネソールは映画のデネソールと演技が似てるなあと思ってましたが、こうして聞いているとまだまだ正気ですねえ・・・やっぱり映画はなあ。うーむ(汗)
ファラミアは最後までクールで、前回聴いた時はもうちょっと揺らぎがあっても、と思いましたが、これもまた悲しいかな・・・
そしてファラミアに「父上はそなたを愛しておられる。最後にはそのことに気づかれるであろう」と言うガンダルフの言い方がとても慈愛と悲しみに満ちていて、グッと来ました。声はイアン・マッケランとそっくりなんですが、印象が全然違うなあ・・・(いやイアン・マッケランのせいではないんですが(汗))

それから死者の道を抜けてエレヒに向かうアラゴルン一行。カモメの声に心奪われる?レゴラスの様子も描かれていました。こんな状況でカモメに心奪われるレゴラスが、やっぱり不思議な雰囲気です。こういうところがレゴラスのいいところかな、と。
でも、死者を連れての恐怖と沈黙に包まれた行軍の最中ですから、レゴラスの声も静かな抑え気味の声です。これがまたいいなーと。ラジオドラマのレゴラスの声はどうも熱すぎるなーという場面が多いのですが、こういう演技できるならそうやってくれよ~、と思ってしまいます。(エルロンドも・・・(汗))
ギムリとの会話で、これもレゴラスが、「アラゴルンは全く恐怖に侵されていない。なんという不思議な人だ。彼が指輪を手にしたらどんな王になるだろう」と言っていた台詞が印象的でした。(前回は全く聞き取れず(汗))
これは私も常々思っていたことなので・・・ブライアン・シブレイもそう思ってたんだろうなあとか思いました(笑)
しかし、風向きが変わることをレゴラスが先に気づいていて、ギムリに「ドゥリンの息子よ、君の顎鬚を立てたまえ!」という会話はなくて残念・・・ここ大好きなのになあ。風向き変わるの知ってて教えないレゴラスの根性も(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする