波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

大樹寺の魅力と秘密、お教えします。

2017-05-03 00:19:09 | お出かけ
こんばんは、白黒茶々です。
GWに突入したのですけど、皆様はいかがお過ごしでしょうか?なかには9連休という、うらやましい方もいらっしゃるかも知れませんね。 そういう私は、5月の3、4、5日の他は日曜日だけという、飛び石連休であります。 その連休初日となる……… いや、連休とは分離独立している4月30日の日曜日は、たつぴ、をともなって、愛知県の岡崎市を訪れました。 私たちがまず向かったところは………



岡崎城のある岡崎公園からに北に3kmほど行ったところに構えられている、浄土宗の名刹の大樹寺というお寺でした。



このお寺は、安祥城主で松平家第4代当主の親忠が招いた勢誉愚底の開山によって、文明7年(1475年)に創建され、それ以降は松平氏の菩提寺とされてきました。
ちなみにこちらの立派な三門は、寛永18年(1641年)に徳川3代将軍の家光によって建立されたものです。



せっかくなので、お寺の内側からもその三門をバックにして、写真を撮っておきましょう。 その門の向こうにも、さらに門があることにお気付きでしょうか?



大樹寺の南側は現在、大樹寺小学校となっているのですけど、三門の真っ正面となるそのグラウンドの向こうに、お寺の総門が見えます。 いわゆる、本堂から三門、総門が一直線に連なっている形ですね。いや、それだけでまだ驚いてはいけません。 実はそのまた先にもまだ、惑星直列的なことが起こっているのですよ ここからではちょっと遠くてわかりにくいので、学校にお願いしてその近くまで行かせていただきます。



ということで、総門に大接近しました。 あ、こちらでの箔波ちゃは、仁王様か狛犬のようなものとしてご認識くださいませ。その門から見える風景をズームアップしていくと………



なんと、岡崎城が見えるのですよ 大樹寺と岡崎城の立地はともに小高い丘で、その間は低い谷となっています。昔から双方を結ぶビスタラインは守られてきて、現在でもそこに高い建物を建てないように規制しています。



大樹寺小学校の校歌にも「南の門のまん中に 岡崎城も絵のようだ」とありますね。 その大樹寺小学校も、その景観を守るためにグラウンドに構造物は設けず、本来なら校舎と体育館を渡り廊下で繋ぐところなのですけど、その通路は地下に通しています。



惑星直列……… いや、大樹寺と岡崎城の繋りの話が済んだら、お寺の境内を探っていきますよ。 三門の西側には、何かを意味しているような石像のアートがありました。 特に首の角度は生物学的には危険で、これは絶対に真似してはいけません。 そのアートを見ながら西のつき当たりまで歩いていくと………



初層が正方形、二層目が円形の多宝塔にぶつかります。 この建物は、天文4年(1535年)に松平家7代目の清康によって再興さたもので、大樹寺内では現存最古。国の重要文化財に指定されています。



さらにその北側には、松平家歴代当主8人+徳川家康のお墓があります。永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いで総大将の今川義元を失った松平元康(のちの徳川家康)は、18人の手勢とともに、このお寺に逃げ込みました。 しかし、間もなくして追っ手に囲まれてしまうことに。「もはやこれまでか」絶望した元康は、松平家先祖代々の墓の前で自害しようとしました。



そんな彼に大樹寺住職の登誉上人は、「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」の教えを説いたのでした。それは「戦乱で穢(けが)れた世の中を平和な浄土にする」ということを意味しています。それによって、元康は生き延びて天下を平定し、その言葉を旗印にして、戦のない世の中を築いていく決意をしました。その8文字は、本堂内にも掲げられていますね。
話はもとに戻って、元康一行をかくまったお寺は追っ手の野武士一隊に取り囲まれていて、ピンチのままでした。 そのような状況の中で、寺僧の1人の祖洞和尚が総門のかんぬきを持って打って出たのでした。その棒を振り回し、70人力で奮戦し敵を蹴散らしたと云われています。 その際彼の足元には、数人の撲死体が転がっていたとも。



大樹寺は、安政5年(1855年)に火災に遭い、伽藍の一部を焼失。本堂方丈は、その2年後に再建されたものです。



その本道の横には、昨年完成したばかりの徳川家康の石像があります。かなりの大きさと迫力で、実物よりは盛られていると思われます。



あとこちらの位牌堂には、徳川幕府初代将軍の家康から、14代将軍家茂までの実際の身長と同じ高さの位牌が納められていて、入場料の400円を払えば、それらを見学することができます。 ただし内部は撮影禁止なので、その様子を記録して持ち帰ることはできません。ちなみに主立った将軍の身長=位牌の高さは、初代家康159cm、2代秀忠160cm、5代綱吉124cm(小さっ!)、8代吉宗155,5cmでした。



大樹寺は徳川家のルーツとなっているだけあって、歴史がある上に文化的価値のある建物も立ち並んでいて、ビスタラインも楽しめるという、魅力の詰まったお寺です。 それから私は長年、大樹寺は「だいじゅじ」と読むと思っていたのですけど、そのお寺の音声解説では「だいじゅうじ」と言っていました。正しくは、どちらなのでしょうか? ということで、地元民のアルパパさんに聞いてみたら「一般的には『だいじゅじ』地元では『だいじゅうじ』」という答えが返ってきました。なんか笑福亭鶴光さんの、正式名=「つるこ」通り名=「つるこう」みたいですね。
この日、白黒茶々家の2人と2頭が岡崎市を訪れたのは、このあとに地元のサモエドやスピッツ仲間たちと、岡崎公園の五万石藤を見に行くのが本来の目的でした。 そちらのほうの様子については、次回の日記で触れさせていただきます。


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コメント (3)
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