こんばんは、白黒茶々です。
2月11日の日曜日は絶好のお出かけ日和で、私は波と狛を引き連れて渥美半島をほぼ1周しました。 その途中で菜の花ガーデンや伊良湖岬を巡り、さらに田原市内の5つの廃校にも立ち寄りました。
それだけでも欲張りコースなのに、私は市の中心部にある名所旧跡にも行きたいと言っていますよ
波と狛はもちろんですけど、皆さまも懲りずにお付き合いくださいませ
そのような勢いで私たちが行き着いたのは、吉胡貝塚でした。 こちらは縄文時代後期から晩期の集落の跡で、国の史跡に指定されています。
波と狛が乗って……… いや、乗せられているのは、遺跡の中央にある矢崎岩です。 縄文時代からここにあって、吉胡貝塚のランドマークともいうべき存在です。
こちらには、発掘された時の様子が再現されています。 大正11年(1922年)から翌年にかけて、京都大学の清野謙次博士が中心となって本格的な調査がおこなわれました。
そうしたら、300体を超える人骨が発見されて、一躍注目を浴びました。
それらの人骨のうちの1つの19号人骨が出土したのは、このあたりみたいです。 50代の女性が屈葬の状態で、両腕には貝の腕輪がはめられ、朱がまかれていました。
そうしたら、波と狛には車の中で待機していてもらって、私は園内にあるシェルマよしごという資料館を見学することにしましょう 200円の入場料を払って、いざ館内へ
こちらには、吉胡貝塚の歴史や発掘された時の様子、出土品などが展示されていて………
先ほど話に触れた19号人骨が「ヨシさん」という名で展示室の案内人を務めていました。 しかも、屈葬の状態のままで。
あ、彼女はレプリカなので、どうかご安心(?)くださいませ。
これは「ヨシさん埋葬の図」でしょうか? 家族によって葬られるところですけど、犬も見送っていますね。
さらに埋葬された犬の骨も、発見されました。 「第1号犬」という名前が割り振られ、「複製」のような断り書きがないので、出土したままのものがそのまま展示されているということに。
縄文人にとっても犬は、大事な家族だったのですね。
あと展示室の中には、自分の顔がどれぐらい縄文人に近いか判定する装置があったので、試してみました その結果は……… すでに画像に出ていますけど、41%でした。
吉胡貝塚を堪能した私は、再び波と狛を伴って………
田原城にやって来ました こちらは私たちにとっては、今年4つ目のお城となります。
とはいっても、入ろうとしているのは駐車場からの通用口で、空堀の跡を渡っていく通路に繋がっています。
そのあたりは本来の通り道ではないので………
お城の正面にワープしました。 ちなみに後方に見えるのは、平成4年(1992年)にRC製で復元された桜門にございます。
その両側には水堀と石垣が広がっています。 そのうちの東側は昔からのもので、立派で見応えがあります。
桜門を潜ったところには、二の丸櫓がありました。 田原城には天守がなくて、城内で唯一のこの2層の櫓がお城のシンボル的な存在となっていました。
現在、その跡には………
昭和32年(1957年)にRC製で建てられた模擬櫓があります。 その建物はミニ資料館となっていて、無料で開放されています。
まだその時間内なので、内部を見ておきましょう
1階は田原城の復元模型が、2階には吉胡貝塚も含めた田原市内の遺跡からの出土品などが展示されています。 ただし、2階の窓はハメ殺しとなっているので、そこからの眺望を楽しむことはできません。
そのあと、本丸跡に鎮座する巴江神社にもお詣りしました。 時刻は17時ちょっと前。
日没の時間が延びてきているおかげで、まだなんとか活動できそうです。
それならば………
この日の最終目的地として予定していた池ノ原公園も、行っておきましょう 田原城からは歩いていける距離なのですけど、時間や波狛ちゃの疲労も考えて、真ん前まで車で来ました。
それよりも、スマホのバッテリーの残量が10%を切っていて、写真の撮影がギリギリです。
とにかく急ぎましょう
波狛日記の人物伝でも採り挙げたことがあるのですけど、田原は江戸時代後期に田原藩の家老を務め、さらに画家で思想家で蘭学者でもあった渡辺崋山の出身地です。彼が蛮社の獄で幽閉生活を送っていた居宅が、この公園内に復元されています。
幽閉居宅の隣には、納屋も建てられています。 天保12年(1841年)10月11日に、崋山は藩や家族を守るために、ここにあった納屋の中で自害しました。
享年49歳。彼のお墓は田原市内の城宝寺さんにあり、妻と母親のお墓に囲まれて眠っています。
さらに幽閉居宅のある一角には、渡辺崋山の像が立って、いや、座っています。 しばらく来ないうちに造り換えられたのか?それとも塗り直されたのか?像が綺麗になっていました。
そういえば、なんとかここまでスマホのバッテリーをもたせることができましたね。
とにかく、めでたしめでたしです。
私たちが池ノ原公園を出る頃には、日没が始まっていました。 この日は我ながらかなり欲張りコースにしてしまいましたけど、すべてを廻ることができてよかったです。
それよりも、こんな私に最後まで付き合ってくれた波と狛のことを労わなければなりません。
さらに、皆さまも私たちの珍道中をずっと見守っていてくださり、ありがとうございました。
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