波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

高取城の猿と熊(伊賀・大和路散策その4)

2024-11-06 01:28:55 | お城

ハッピーハロウィン!白黒茶々です。

この挨拶をするのには思いっきり出遅れてしまいましたけど、その直近となる前回の日記ではワケあって、謎のパスワードで入らなければなりませんでした。 だからといって、ハッピーハロウィンのかけ声をしないまま深秋を迎えるのはイヤですし。 仮装やゾンビの真似などはしなくても、せめて景気づけにこの挨拶を使わせてくださいませ。 その一方で波狛日記では、私・の1人と2頭は、宿泊先(車中泊)となる道の駅吉野路大淀iセンターで9月16日の朝を迎えました。

前日の不安定な天気とはうって変わってこの日は朝から快晴で、青空も見えていました。

こちらの道の駅はドッグランはないので、その周辺を散歩しました。 そんな感じで、ぐるっと廻ったら………

波と狛の朝ご飯の時間と相成ります。 彼女らが食べ終わったら………

私がモーニングをいただきますよ 道の駅の中にはレストランときんさんがあって、そのお店にはモーニングメニュー(こちらは630円のほう)が用意されています。 こちらで美味しく楽しく朝の活力を注入したら………

今回の旅の大本命の目的地となる、高取城跡に向かいますよ そのお城は、標高583.6mの高取山の山頂に築かれました。 麓から歩いていくと1時間以上もかかり、波と狛に厳しい山登りを強いるのは気の毒なので、できるだけ車で上れるところまで行くようにしました。 とはいっても、その山道は曲がりくねっているうえに幅が狭い 頼むから、対向車は来ないでくれ〜 とかなんとか言っているうちに………

お城の主要部の片隅に位置する、壺坂口郭の近くまで行き着くことができました。 このあたりには車を止められるスペースがあるのですけど、そのまた先は通行止めとなっているので、ここからは歩いていきます。 それから間もなくして………

壺坂口門跡に差し掛かりました。 そこで立派な石垣が、私たちを出迎えてくれました。 ………って、詩人的な表現というか、擬人化してしまいました。

そんな高取城の全体像は、こうなっています 最頂部に当たる二の丸跡本丸跡天守台などは目と鼻の先なのですけど、お城のスケールを実感しつつ皆さまにもその姿をお見せするためにも、山頂部の正面入口となる二ノ門跡まで廻りこみますよ さらにその近くには、ぜひ見ておきたい謎石もあるのですよ 有無を言わせないのですけど、波と狛も頑張って付いてきてくださいませ。 壺坂口門跡を通過してから、30分程かけて………

私たちは、二ノ門跡に到着しました ここから本丸跡までの標高差は110m、距離は872mもあるそうです。 かなり遠くまで来てしまいましたね。 引き返すのは大変なのですけど、その前に………

その手前にある猿石に癒してもらいましょう ※猿岩石ではありません。 この石は、高取城築城の際に石垣に転用するために飛鳥から運ばれたとも、郭内と城内の境目を示す「結界石」としたとの説もあるのですけど、真意は謎のままです。 それでも、このお顔は愛嬌があると思いませんか?
そんな猿石を前にして、このお城の説明をさせていただきます。 高取城は、南北朝時代の14世紀に越智邦澄によって築かれたのが最初とされています。 それから250年程後の天正12年(1584年)に筒井順慶によって修復され、さらに羽柴秀長の支配下となってから、本多利久が大改修をおこない、今日見られるような近世城郭となりました。 そんな高取城をARで再現すると………

こうなります 険しい山頂部に高い石垣を築き、さらにその上に白壁で本瓦葺の天守や櫓、門、塀などが建っておられる このような立派なお城が明治初期まで存在していたなんて、驚きです そうしたら、再びその主要部に迫っていきましょう。

足場は多少ゴツゴツしているのですけど、所々歩きやすいように整備されていました。 それからしばらくして「国見櫓跡」なるところを示す案内板があったので、登城道から外れたところにあるその地点まで行ってみました。

この段階で、波と狛は少々お疲れのご様子でした。 そんな彼女らの向こうに見えた景色は………

素晴らしい眺望ですよ 高取の街並みはもちろんのこと、橿原市街、大和三山や、さらには遠く大阪のビル群、生駒山、遠く比叡山まで見ることができました なんか、天下を取ったような気分です。

それから間もなくして、私たちは矢場門跡まで来ました。 この山城っぽい感じは、なかなかいいですね。

さらに、ゴツゴツしたところなどを通っていったら………

大手門跡に行き着きました ここからいよいよお城の主要部に入ります。 さらに二の丸の入口となる十三間多聞跡を経たら………

太鼓櫓新櫓の石垣に行き当たりました。 高くて立派なのですけど、これまでに見てきた石垣のように苔むしてはいません。 それもそのハズ、こちらは昭和47年(1972年)に修復されたので。 その向こうに本丸跡があるのですけど………

そこに至る途中に、このような案内熊がいました ご覧の通り、見事な木彫りなのですけど、サングラス姿が強烈です それは誰かの落とし物だと思うのですけど、よく似合っています。

そんなサングラス熊が案内する本丸の虎口は幾重にも折れ曲がっていて、城内では際立って堅固な造りとなっています。

また、天守の土台となる天守台は高さが12mもあって、城内で最大の高さを誇っています。 その上に上ってみたら………

またしても狛が下を覗き込んでいました。 彼の勇気は認めるのですけど、どうか落ちないでください それはさておき、城内で最も高い場所となる天守台からの眺めは………

う〜む……… その真ん前とまわりにある木がジャマで、あまり良くありません。 位置的にも、国見櫓跡のほうが見晴らしがよかったですし。

あとは「これぞ高取城だ 」という場所で「高取城に行ってきました 」写真を撮って、引き上げるだけです。 城址碑の横に波と狛を座らせていたら、あとからやって来た登山者たちが「わぁ〜、カワイイ 」とか「大人しく座っていて、お利口さん 」のような声をかけてくださいました。 そんな彼らにも写真を撮っていただき、高取城でのミッションを終えました。 しかし、こちらのお城が私が思っていたよりも広く、見応えもあったので、予定していた時間をかなりオーバーしてしまいました。 そのあとは、宇陀市にある宇陀松山城跡に寄っていくつもりだったのですけど、そちらは時間と歩行距離を要するところでもあるのですよ。 しかも、波がかなり疲れている様子だったので、急遽予定を変更することにしました。 そのような流れで、私たちが次に立ち寄ったところは………

三重県亀山市にある、伊勢亀山城跡でした  中学校のグラウンドのフェンスに遮られているのですけど、高い石垣の上に白壁の多門櫓が見えるのが、亀山城であります。

この建物は、三重県では現地で唯一現存する城郭建築にございます。 ちなみに私がこちらのお城に来るのは、伊賀上野城と同じ11年ぶりとなります。 帰りの通り道からはあまり離れていなくて、歩行距離もあまり要しないので、今回の旅の最終目的地として、こちらを選びました。

伊勢亀山城は、文永2年(1265年)に関実忠が若山の地に築いたのが最初と云われています。 のちに中世の亀山城は現在地に移され、天正18年(1590年)に岡本宗憲によって修築され、天守が設けられました。 さらに本多俊次が寛永16年(1639年)から大改修をおこない、今日見られる規模のお城となりました。

ところが、出雲の松江城主だった堀尾忠晴は、幕府から丹波の亀山城の天守を取り壊すように命じられたのに、間違えてこちらのお城のものをやってしまいました。 以後、天守は再建されませんでした。 それはさておき、今では伊勢亀山城のシンボルとなっている多門櫓は、無料で開放されているのですよ もちろん中に入っていき、皆さまにもその様子をお見せします。

この建物は、18世紀後半頃に建てられたと推定されています。 東西15.8m、南北10.9mの単層櫓で、屋根は入母屋造りの本瓦葺。 のちに壁を板張り、屋根は桟瓦葺などに改造されたのですけど、平成21年(2009年)からおこなわれた修理によって、創建時の姿に戻されました。 そんな伊勢亀山城を堪能したら、帰路に就きますよ

みえ川越インターチェンジからは伊勢湾岸自動車道に乗っていき、途中の刈谷ハイウェイオアシス(刈谷PA)で休憩したりして………

豊橋市まで戻って来ました。 自宅まであと少しなのですけど、その市内にあるびっくりドンキーで、今回はモーニングで注入したミニマムではないほうのチーズバーグディッシュのМ(1150円)を食べていきました。 そして、19時半ぐらいに無事に帰宅。  波、狛、お疲れ様でした。 それから、皆さまも長々と綴った旅日記を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


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