こんばんは、白黒茶々です。
今回は紅葉狩りのような季節感のあるネタではないのですけど、昨年の話になります。 それでも、その年のストックは今回と次回の日記で使い果たすので、安心して(?)読み進めていってくださいませ
ということで、話は昨年の12月15日にまでさかのぼります。
その年の私はお城運に恵まれていて、それまでに16ヶ所のお城を巡っていました。
そのような中で、静岡県内でもしばらく行ってないところがありました。
それはどこかといいますと………
掛川城でした 大手門駐車場の屋上からそのお城を俯瞰する眺めを、私は気に入っています。
寒空のもとで、風に吹かれながらその風景を撮影したら、お城に迫りますよ
………という勢いで、先程の画像の手前にも写っていた、大手門の前にまで来ました この建物は、本来あった場所から北に50mほどずらして、平成7年(1995年)に復元されました。
お城の正門にふさわしい大きくて立派な建物ですね。
その門を潜ったところには………
大手門番所があります 以前は魔改造を受けて他の場所に移築されていたのですけど、大手門の復元に合わせて、本来の姿に戻してこの場所に持ってこられました。
実は今からン十年前の昭和の頃に、私は魔改造時代の番所を見たことがありました。
そこから西に100mほど行ったところには………
観光名所によく置かれているような、顔出しパネルがあります。 安土桃山時代に城主となり、掛川城を近世の城郭に大改築した山内一豊と、内助の功で彼を支えた妻の千代をモチーフにしていますね。
波と狛を後ろで支える役は私一人しかいなかったので、2回に分けて撮った写真を切って繋げて、我ながら上手く合成しました。
ここまでだったらよくある顔出しパネルなのですけど、実はこちらのヤ ツには違うイジり方があるのですよ
そいつとの角度や距離を調節して撮ると………
後方にある天守と太鼓櫓が、一豊公の顔の穴にスッポリと収まるのですよ それは…………
マグリットさんの絵のようだと、SNSで話題になりました。 確かにアートといえなくもないのですけど、お城が飲み込まれているようにも見えてしまいます。
そのトラップ(?)をやり過ごしたら………
三の丸広場まで来ました。 このあたりは掛川城の三の丸だったところで、30年ほど前までは市役所が建っていました。
今ではその場所から、道路を隔てて掛川城の天守や四足門、太鼓櫓などを仰ぎ見ることができます。
そうしたら、踏み幅の大きい石段を上っていって………
本丸跡まで来ました 「ゆるキャン△」の主要メンバーのパネルがあるのは、掛川市がその作品のモデル地&聖地になったからだと思われます。
しかし、彼女らは掛川城は訪れてはいないのですよね。
ちなみに「ゆるキャン△」では、志摩リン(CV: 東山奈央)が同市内にあるきみくら本店(作中ではたかくらという名前で登場)に立ち寄っています。
また一段下がった二の丸には、二の丸御殿があります 御殿は城主の住まいや政庁として使われた建物です。
嘉永7年(安政元年・1854年)の安政の大地震の翌年から文久元年(1861年)にかけて建てられ………
明治以降は学校や役所、消防署などに転用されました。 現存する城郭御殿は全国に4つしかないことから、現在は国の重要文化財に指定されています。
もちろん、その内部まで皆さまをご案内いたします
順路の序盤に、御殿の魅せ場となる次の間が来てしまいました。 こちらは、城主と謁見できる身分の高い者だけが通された部屋です。 さらに、その城主が藩の政治をつかさどった公的な部屋となる御書院上の間(大書院)に続いています。
それから、このあたりは廊下まで畳敷きとなっております。
こちらは長囲炉裏の間ですね。 城主や奥方が使用した部屋で、現在は杉良太郎さんから寄贈された甲冑が展示されています。
大目付部屋は、藩内の監察・警備などを主要な任務とした大目付の部屋であります。 この畳敷き、竿縁天井の落ち着いた佇まいは、いいと思いませんか?
御殿の北側は一転して、板敷きの部屋や廊下が続いています。 このあたりには吟味奉行部屋や、下級武士を対象とした足軽目付、徒目付などが並んでいます。
あと、私がしばらく来ていないうちに御殿の販売コーナーが拡充していました。 お城グッズだけではなく、お茶やお菓子、レトルト商品といった食品の類も。
さらには、要冷凍の食べ物が入ったケースも置かれていましたよ
御殿を見学したら、共通券(410円)で入れる天守にも行きますよ
その建物は、長い石段を登っていった小丘の上にあります。 そういえば、波と狛をここまで連れてくるのは初めてでした。
そうしたら、せっかくなので………
天守をバックにして、写真を撮っておきましょう かなり至近距離なのですけど、なんとかフレームに収めることができました。
しかし二の丸御殿と同様に、建物内はワンコ不可なので、ここから先の案内は後撮りしたものとなります。
掛川城の天守は、山内一豊によって建てられたものを、平成6年(1994年)に全国で初めて本格的に木造で復元しました。 私たちが訪れた昨年で、ちょうど30年になりますね
1階は天井が高くて、そのぶん長くて角度が急な階段を上らなければなりません。
2階はやや狭められるのですけど、内側から花頭窓を覗くことができます。 また、お城のビデオを観たり、実物大のシャチホコの模型に肉薄することも。
3階は隠し部屋となっているのですけど、せっかくなので載せておきます。 天守の高欄の下の屋根裏の空間みたいなところで、窓はありません。
そして、最上階に到達しました その外側には黒漆塗りの回廊と高欄が廻っているのですけど、安全上の理由からでしょうか? そこを歩くことはできません。
それでも、窓(引き戸)から外を眺めることはできるのですよ 見晴らしがいいのはもちろんのこと、かなり切り立ったところからの高さを感じられます。
この日は空気が澄んだ冬の時季ということもあって、そこからは………
富士山を眺めることもできました 日本100名城にもなっている近世の掛川城の散策は、天守の最上階で締められるのですけど、私には時間と体力に余裕があったので………
掛川城から近いといえなくもないところにある、中世の掛川古城跡にも寄っていきました。 こちらは15世紀末頃に、駿河守護の今川義忠が朝比奈泰煕に築かせたお城です。
のちに、徳川家康と今川氏真による攻防戦がおこなわれました。
現在は、土塁や堀切りなどが残っています。
さらにその一角には………
龍華院大猷院霊屋があります。 明暦2年(1656年)に掛川城主だった北条氏重によって建立されました。
ちなみに現在の建物は、文政5年(1822年)に掛川城主・太田資始によって再建されたもので、県の文化財に指定されています。
この掛川古城が、私にとっては昨年の18つ目のお城となりました。
さらにその城跡には「どうする家康」にも出てきたお愛の方(西郷局)の記念碑も立てられています。
掛川古城も見応えがあるので、近世の掛川城とセットで巡ることをオススメします。
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