こんばんは、白黒茶々です。
今年は季節上は秋になっても、暑い日が続いていました。 それが10月下旬に入ったら急激に冷え込んだり、真夏日になったりと、気候がハッキリしないのですけど、皆さまは体調を崩したりされていないでしょうか?
しかし、今回は暑いほうで安定していた9月中旬の話となります。
私には、以前から行きたいと思っていたお城がありました。
そこは日本三大山城の1つなのですけど、交通の便が悪いこともあって、なかなか訪れることができませんでした。
奈良県の山あいの標高583,9mの険しい山の上に築かれ、最寄りの私鉄の駅からは麓まで徒歩1時間。さらに山道を1時間あまりも登っていかなければならないので、ある意味難攻不落の城でもあります。
そんな◯◯城を車で行く方法をなにげなく調べてみたら、難なく近付けそうでしたよ
さらにその方面に行くのなら、ついでに寄っていきたいところも続々と出てきて、その計画はトントン拍子に進んでいきました。
そして私は、三重県の伊賀地方を経て大和路になだれ込む「伊賀・大和路方面探訪計画」の行程表を書き上げました。
それには、もちろん波と狛にも付き合ってもらいますよ
それは、私にとっては数少ない連休となる9月の15日と16日に実行することになりました。
………とはいっても、実際にはそのまた前日となる14日の土曜日の夜に出発していきました。 天気予報ではその日から15日にかけては雨の比率が多かったのですけど、目的地では「時々曇り」のところに当たることを期待して、計画を強行することにしました。
そのような勢いで、東名高速道路から伊勢湾岸自動車道に入っていき、まずは刈谷パーキングエリア(刈谷ハイウェイオアシス)で休憩していきました。
ところが、そこに着いた途端に雨が降ってきたので、記念写真は屋根の下で撮りました。
その後も土砂降りに遭ったりしつつ、高速道路を進んでいきました。
しかし、四日市ジャンクション(JCT)のあたりが分かりづらくて、南下する東名阪自動車道に行くべきところを、誤って西に続く新東名高速道路に入っていってしまいました。 いずれも標示が「大阪方面」となっていたので、翻弄されてしまいました。
しかも16年落ちの私の車のカーナビでは、その道はまだ造られていなくて、その中では未開の山の中に進んでいました。
走りながらでは道を調べることもできないので、こうなったら最寄りのパーキングエリア(PA)まで行くしかありません。
そのようにして鈴鹿PAに行き着いたのですけど、その時の私にはそこの様子を撮る余裕はありませんでした。
それでも、そのまた先に引き返せるJCTがあって、そこを通っていけば多少遠回りになるものの、軌道修正ができるではありませんか そのようにして、私たちは本来目指すべき亀山インターチェンジに行き着くことができました。
さらに、そこから先は「名阪国道」と呼ばれる国道25号線に入っていきました。
そして………
日付をまたいだ15日の1時ちょっと前に、道の駅いがに到着しました 予定より早めに自宅を出発したのですけど、結果的に計画したのとほぼ同じ時刻にこちらに行き着きました。
そうしたら、今からここで車中泊をしますよ
ということで、おやすみなさい。
皆さま、おはようございます 私たちが滞在していた道の駅いがで、夜が明けました。
空は鉛のような雲で覆われていて不安定極まりないのですけど、今のところ曇りの状態を保っています。
そのような中で、道の駅の周辺を散歩したら………
ドッグランに入りましょう こちらの道の駅には、このような施設も設置されているのですよ
前の日の雨で地面は濡れていたのですけど、使えないこともない こちらでの運動を終えたら………
波と狛の朝ご飯の時間と相成ります もうじき7時で、私もモーニングを食べたいのですけど、道の駅のレストランは8時からとなっていました。
そんなに待てないので………
伊賀といえば、忍者の里としても有名ですよね 無料で利用できる道の駅いがの休憩所には、それに肖ったトリックアートやオブジェが作られていました。
それらを眺めながら………
売店で買ってきたものをいただきましょう 手前の大きなおむすびは芭蕉さんの五目満腹おにぎりといって、お店のオリジナル商品みたいです。
伊賀は江戸時代の俳人の松尾芭蕉の出身地でもあるからなのか、彼の名前を冠しています。
そのおにぎりは握りたてで、まだホカホカしていて美味しかったです。
それに味噌汁とコーヒーを付ければ、強力な朝食となりますよ
それらを平らげたら、15km程離れたところにある、この日最初の目的地に向かいますよ
………ということで、たどり着きました 「上野城跡」と表記されているのは、伊賀上野城のことであります。
私がこのお城を訪れるのは、11年ぶりとなります。
その時は1人で列車に乗ってきたので、車を運転してきたのも、ワンコを連れてきたのも、今回が初めてとなります。
その本丸の西側には………
全国で高さの1、2位を競うほどの、30mにもなる石垣があるのですよ せっかくなので………
その上に来ました そこから下を覗き込むと足がすくむほどの高さなのですけど、自ら見に行くなんて狛は好奇心旺盛というか、チャレンジャーです
伊賀上野城は天正13年(1585年)に、伊賀盆地の小丘の上に筒井定次よって築かれたのが最初となります。 その後、この地方の新たな領主となった藤堂高虎は、大坂の豊臣方との決戦に備えるために、お城を大改築しました。
この高石垣は、その時に築かれたのですよ
その伊賀上野城には、現在………
3層の木造の天守が聳えています。 藤堂高虎はこの天守台の上に5層の天守を建造したのですけど、完成間近となった頃に大暴風で倒壊。
やがて大坂の陣が終わったこともあって、以降は再建されませんでした。
それから300年もの時を経た昭和10年(1935年)に、この地方の代議士の川崎克氏が私財を投じて建てたのが、今日見られる天守なのですよ
彼は「伊賀文化産業城」と名付け、新たなお城を築いたとされているのですけど、実質的には史実とは異なる模擬建築となります。 それでも、内部を見学していきますよ
入ってすぐのところで、ご当地キャラのた伊賀ーくんが出迎えてくれました。 タイガーは藤堂高虎に肖っているのですけど、うまい具合に名前に伊賀を組み込んでいますね。
そういえば、コレとは別に伊賀市にはいが☆グリオなるキャラクターもいたような。
現在の天守は天守台いっぱいには建てられていないのですけど、3層天守にしては規模が大きめです。 それに初層は天井が高くて、柱も太くあらせられる
2階も、味があっていいですね 建てられてから90年にもなることもあって、建物には風格が漂っていました。
そして私は、最上階となる3階へ。 その天井は高級感のある格天井となっていて、その間には………
完成を祝って寄贈された色紙がハメ込まれています。 それらの中には、川崎氏と親交があった横山大観の「満月」の絵もあるのですけど、違うものを撮ってきてしまいました。
それはさておき、その最上階の窓からは伊賀の市街地はもちろんのこと、伊賀盆地を囲むまわりの山々も眺めることができます。 このあと、私たちはちょっと離れた次の目的地に向かうのですけど、キリがいいのでここで一旦仕切らせていただきます。
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