こんばんは、白黒茶々です。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、織田秀信(清洲会議で織田信長の後継者に決められた三法師)が追放され、それに伴って彼が居城としていた岐阜城は廃城となりました。 その石垣や建造物などを転用して築かれたのが………
加納城であります こちらは高くて険しい金華山を利用した山城の岐阜城とは対照的で、平地に築かれたフラットな平城です。
また私たちにとっては、前回岐阜を訪問した時以来で、4年ぶりとなります。
かつては川や水堀に囲まれていたのですけど、それらは埋め立てられ、現在はそのあたりもフラットとなっています。
それでも、本丸を囲む石垣はほぼ完全な状態で残っていて、国の史跡に指定されています。 そうしたら、今からその本丸内に入っていきます
その入口には、このような高札仕立ての案内が。 終戦まで、本丸跡には陸軍第51航空師団司令部という軍の施設が置かれました。
さらに昭和50年(1975年)までは自衛隊の駐屯地となっていました。
今でも夜間に重厚な扉を閉めて封鎖するのは、その名残りでしょうか?
それよりも、加納城主を名乗っているのは誰ですか?
その内側は、かなり開放的な広場となっています。 そこで子供たちが遊んでいる風景には、休日感がありました。
その頃には、波と狛は疲れが取れたみたいで、表情にも余裕が出てきました。 私はもう少し加納城を探求してくるので、車の中で待っていてくださいませ。
加納城の石垣には、主にチャート(珪岩)が使われています。 本丸の北側の立派な石垣を眺めてから、私が向かったところは………
かつて二の丸があったところでした。 現在は岐阜地方気象台の敷地となっているところには、天守に相当する御三階櫓の土台の一部が残っています。
こちらには岐阜城天守を移築改造した建物があったのですけど、享保13年(1728年)の大火で焼失してしまいました。
加納城からの現地レポート(?)は以上で終わりです。 そういえば、日記のタイトルにもなっている「移築門」がまだ出ていませんでしたね。
それは、私たちがこれから向かう最終目的地にあるので、そちらにたどり着くまでお待ちくださいませ。
ということで、加納城がある旧加納宿から東に4里半(約18km)行った旧鵜沼宿に移るところなのですけど………
その前に、その1年前に行った大垣城を挟ませていただきます。 そのお城の大半の建物は、明治時代初期に取り壊されました。
なんとか残された天守や艮櫓も、昭和20年(1945年)7月の空襲で焼失し、城跡には昔からの建物は現存していません。
………なのですけど、波と狛の視線の先あたりにあった本丸の鉄(くろがね)門が、そこから遠く離れた各務原市の旧鵜沼宿に………
移築されて残っているのですよ この建物は大垣城が廃城となった際に、各務原市蘇原の安積家が譲り受け、その地に移築。
さらに近年になって、旧鵜沼宿の現在地に移されました。
その名前の通り、柱や門扉には鉄板が打ち付けられているのですけど、屋根は重厚な本瓦ではなく、簡略的な桟瓦葺となっています。
私はこの移築門のことが気になり、さらにそのまわりのことを調べていったら………
そのあたりは宿場町として一部が復元・整備され、さらに無料で公開されている施設もあるというではありませんか 向こうに見える旧武藤家住宅は町家館となっていて、内部も見学できるので、さっそく見させていただきます
そこは昔ながらの佇まいでした。 江戸時代には「絹屋」の屋号で旅籠を営んでいたのですけど、昔の建物は明治24年(1891年)の濃尾大震災で倒壊。
その後再建された建物を近年になって修復し、公開しています。
そんな旧武藤家住宅も含めて、旧鵜沼宿にはチェックしておきたいところがいくつかあります。 そうしたら、西に向かいながらそれらを順に見ていきましょう。
菊川本蔵の酒蔵は、現在でも使われているみたいです。 かつてその場所では、旅籠が営まれていました。
そこに良質な井戸水が出たこともあって、明治時代に酒蔵を営むようになって、現在に至ります。
その斜め向かいには………
脇本陣があるのですよ まだ真新しさが感じられるこの建物は、かつての図面や、他で現存している脇本陣の意匠などを参考にして、平成22年(2010年)に復元されました。
しかも無料で見学できるというので、遠慮なく入らせていただきます
脇本陣は普段は一般の旅人を受け入れる旅籠として営業していました。 また、大名や公家が本陣に入りきれなかった際には彼らも受け入れる、いわゆる臨時の本陣としての役割りも持っていました。
そういうこともあって、土間からの入口は広めで立派です。
しかし、最も見応えのある上段の間がなぜか撮影禁止となっていたので………
湯殿を撮っておきました。 やはり実際に使うのはムリなのですけど、お湯をなみなみに入れて、ザッパ〜ン
ぷはぁっ ………と、やってみたいです。
旅籠の丸一屋坂井家住宅、茗荷屋梅田家住宅、梅田家住宅、若竹屋安田家住宅が連なっている風景も、壮観です それらは普段は人が住んでいて公開されていないのですけど、昔の宿場町の面影がありありです。
あと、話の流れの都合で順番が逆になってしまいましたけど、大安寺川と国道21号線を渡った東側には、宿場町の起点に設けらた高札場が復元されています。 私たちがこちらを訪れたのは夕暮れ時で、日没と各施設の閉館時間が迫る中だったので、駆け足で廻らざるを得ませんでした。
旧鵜沼宿は私が期待していた以上に魅力的で見どころ満載だったので、次に来る際にはゆっくり見学できるようにしたいです。
その鵜沼宿は、木曽川を隔てた犬山の対岸に位置しています。 そういうこともあって、江戸時代の「木曾街道 鵜沼ノ驛 犬山遠望」には犬山城がデフォルメされた姿で描かれています。
そのあたりは帰りに通っていくので………
ホンモノの犬山城を眺めていきました まわりはかなり暗くなっていたのですけど、ライトアップされた国宝天守の美しい姿を見ることができました。
そのあとは小牧ICから高速道路に乗っていき………
ドッグランがある豊田上郷SA(上り)に寄ったりしながら、21時頃に無事に帰宅。 秋の金華山・岐阜方面散策シリーズは、これにてお仕舞いとなります。
レポートは年をまたいでしまいましたけど、また歴史散策をしつつ波&狛との楽しい旅の思い出を刻むことができました。
皆さまもそんな旅日記を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
「デフォルメ犬山城の天守はロッククライミングでもしなければ登れないのでは?」と突っ込まれた方は、こちらに投票してやってください。
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