波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

悲しげな笛の音が聴こえる、野田城

2020-02-15 01:25:02 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

2月初旬の日曜日に、私はを連れて、愛知県東部の山間地の新城・設楽方面を訪れました。 久しぶりの歴史散策なのですけど、その手の企画は昨冬にブログを再開して新装開店(?)してから初めてということになります。 果たして今回はどのような出逢いや発見があるのでしょうか?

………ということで、私は波と狛とともに、JR飯田線の野田城駅にやって来ました。 今回の最初の目的地となる野田城跡は、ここから徒歩20分ぐらいのところにあります。

そのお城に、なんとか到着しましたよ なんか、ここまで歩いて来たような演出となってしまいましたけど、実は私たちは車で来ていて、それに乗ってひとっ飛び、いや、ひとっ走りといかせてもらったのですよ。 こちらには見学者用の駐車場は設けられていないのですけど、お城の入口付近の路肩に2台ほどなら止められるスペースがあります。

野田城は永正5年(1508年)に菅沼定則によって築かれた、中性の平山城です。 そして、定則の孫の定盈(さだみつ)の代まで菅沼氏の居城となりました。小高い丘の上に本丸、二の丸、三の丸が連なっているのですけど、現在そのうちの二の丸と三の丸は雑木林となっているので踏み入るのが困難で、それらの輪郭を確認することはできませんでした。

それでは、さっそくその城内を散策しますよ 二の丸跡からこの土橋を渡っていけば、本丸跡に至るのですけど………

その両側には、曲輪(くるわ)を仕切る堀切が現存しています。

本丸跡は、広い空間となっていました。 さらにその南側には………

柵に囲まれた「井戸」がありました。 もちろん、皆さまに代わってその様子を確認しますよ

今では枯れ井戸となっていて、底が見えるのですけど、けっこう深くなっていました。

その本丸跡を囲むようにして現存している土塁の上には城址碑が設けられていたので、こちらで記念撮影をしておきましょう。
元亀3年(1572年)12月の三方原の戦いで徳川家康に圧勝した武田信玄は、翌年の1月に3万の軍勢を率いて徳川方の属城となっていた野田城を攻めました。 これに対して、城に籠った菅沼定盈の城兵はわずか500人。 圧倒的に不利だったのですけど、武田軍は攻めあぐね、1ヶ月ほど経っても攻略できませんでした。そこで信玄は甲斐から金山の坑夫を呼び寄せて地下道を掘り、水の手を断ち切ることで落城に追い込む作戦を採ったのです。

これによって定盈は野田城を明け渡し、武田勢の捕虜となりました。三河の守備の要の野田城が武田の手に渡ったら、徳川方の重要な拠点となっている吉田城(豊橋市)や岡崎城(岡崎市)は風前のともしび。 まさに絶体絶命でした。ところが、そこで信玄が重い病に冒され、武田軍は引き揚げていってしまったのでした。

野田城が築かれた丘の西側は深い谷となっていて、現在そこには法性寺というお寺があります。 その山門は、野田城の城門を移したものと云われています。

さらにその境内には「⇐= 武田信玄が鉄砲で撃たれたという場所」なる案内がありました。 もちろん、皆さまの好奇心を満たすためにも、そこまで見に行ってきます

ハアハア……… 深い谷を挟んだ対岸ということもあって、かなり登らされましたよ。 ちょっと管理の手が入っていないみたいですけど、それっぽいところとなっていて………

そこには、新しい案内看板も立てられていました。 落城寸前の野田城からは、松村芳休が吹く美しくも悲しげな笛の音が毎晩聴こえてきました。 それに聴き惚れて誘い出された信玄を、鉄砲の名手の鳥居半四郎が城内から狙撃 お城側には撃った地点を示す案内看板があるそうですけど、私はそいつを見落としてきてしまいました。 その時のケガが原因で、信玄は亡くなったとも云われています。
野田城は小さなお城なので、1時間足らずでサラッと見学できてしまうのですけど、このお城をめぐっておこなわれた攻防戦に思いを馳せると、それは濃厚なものとなります。 といったトコで、私たちは次の目的地となる新城市の中心部に向かいました。

話は変わって今月の10日に、の3代に渡って岡崎公園などで交流し、仲良くしてくれたサモエドのアルファ(アル)君が亡くなりました。 享年12歳と8ヶ月。彼や飼い主のアルパパさんは、犬種が違っても分け隔てなく箔たちを受け入れてくださり、スピッツとサモエド界の橋渡しをしてくださいました。

 

また、その大きくてもふもふした体は、箔母さんも含めた多くの人を優しく包み込み、魅了しました。 岡崎公園では春は五万石藤の下で、秋には紅葉狩りでいつもいたアル君にもう逢えないなんて、すごく寂しいです。 それでも、アル君が遺していった楽しい思い出や、彼を通してできたワンコのお友達は、私たちにとっては大事な宝物となりました。アル君、今までありがとう。そちらでは辛い病気から解放されて、お母さん犬のCooちゃんや箔と再会できたでしょうか?アル君のご冥福を心からお祈りします。



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2 コメント

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上田ももさん♪ (白黒茶々)
2020-02-17 12:27:39
岡崎公園での集まりに行けば必ずと言っていいほどいたアル君にもう逢えないなんて、寂しいですよね。
それでも、彼は私たちにたくさんのものを遺してくれました。 今度はGWの五万石藤の下にアルパパさんたちをお招きし、アル君の話ができればと、思っています。
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Unknown (上田もも)
2020-02-16 15:09:30
🌸春🍁秋、岡崎公園オフ会に出かけると、大手門で🍀フサフサの大きな体と優しいまなざしで待っていてくれたアル君、ありがとう💞ご冥福をお祈りします。
アル君のつないでくれたサモエドさんたちといっしょ🎶の素敵なオフ会、これからも楽しみにしています。
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