こんばんは、白黒茶々です。
GWのこどもの日を前にして、白黒茶々家では今年も五月飾りが出され……… いや、私が出しました。 そいつをただ眺めるだけではナンなので………
兜をかぶった兜犬の出番と相成りました これも毎年のお約束というか、すっかり恒例行事となっています。
狛にとってはちょっと重いのですけど、私の支えナシでしっかりと堪えておられる
ただし、少し厳しそうな表情をしているのがなんとも。
そうしたら今度は………
女の子ですけど、波にもかぶってもらいますよ こちらも頑張って自立しているのですけど、にこやかにとはいかないのは、やむを得ません。
この五月飾りの試練、いや、儀式を終えたら………
波と狛を浜松まつりの凧揚げ会場に連れていきました。 その催しは3日3晩に渡っておこなわれるのですけど、私は最終日となる5月5日の凧揚げには参加しないで、観衆として観に行くことにしていました。
それに、その賑わっているところには、波&狛と一緒に行っておきたいですし。
正式な開始時間のちょっと前ですけど、すでにいくらかの凧が揚がっていました。 それでも揚げている側からしたら、本番前の準備とか調整のつもりはないと思われます。
こちらは元浜町の凧ですね。 浜松市の市章に「元」の字を入れて元浜としておられる。
それよりも、近くに立っている人と比べると、かなり大きいです。
まだ地上にある凧が多いので、陣屋に置いてあるのを見て回ることにしましょう
龍の絵の凧印は、下飯田町のものにございます。 こちらの地域は天竜川に隣接しているので、水を治めるという発想から、龍の絵にしたそうです。
私が凧を撮る際には、その真ん前に立っていた町内のおいちゃんは気を利かせて避けてくださいました。
その好意に応えるためにも、下飯田町の凧印を広めさせていただきます。
兜の凧印は、北田町であります 勇壮な兜をモチーフにしていて、葺きおろし「しころ」に大鍬形、鉄面を配し、図案化しております。
せ金やつ? いえ、西伝寺町の「せ」と金折町の「金」、安松町の「や」、都盛町の「つ」がたまたま並んでいるところでした。
ところで皆さまは「つ」で始まる都盛町は読めるでしょうか?
正解は「つもりちょう」です。
そうしたら今度は防潮堤に上って、そこから凧揚げ会場を眺めてみましょう。 この堤防は海岸に沿った南側に造られていて、会場全体を見渡すことができるのですよ。
3年前にコロナで入場制限があった時には、私たちはここから凧揚げの様子を見ていました。
まずは俯瞰した凧揚げ会場をバックにして、記念撮影をしておきましょう
それにしても、広い凧揚げ会場にかなり人が集まっていますね。 それに、あちこちから威勢のいい太鼓やラッパの音が聴こえてきますし。
そのような中に………
我らが萩丘組の凧が揚がっていましたよ しかも、かなり高いところに。
なんか、私が参戦していた時よりは勢いがあるような。
それはさておき、揚がっている萩丘の凧と波狛が同じ画面に入れるチャンスはなかなかないで、ちゃっと凧のほうに行きんよ
焦っていてつい地元の遠州弁が出てしまいましたけど、「急いで凧のほうに行ってください
」といったことを意味しています。
その結果………
奇跡の3ショットを撮ることができました 私が思い描いていた絵とは少し違うのですけど、ヨシとしておいてください。
ちなみに萩丘の凧印は、昔は三方原大地には萩の花が咲き乱れていたと言われていて、さらに町名の「萩」の字を大紋に図案化したそうです。 萩の花の絵の上に、これでもかと言わんばかりに「萩」の字を押すなんて、グッときませんか?
再び地上レベルまで降りていったら、先ほどより会場が混んでいました。 写真も撮れたことですし、さらに混雑する前に私たちはさっさと退散することにしましょう。
そういえば、凧揚げ会場では他のワンコ連れは見かけなかったような。
そのぶん波と狛は、法被を着たコワモテのおいちゃんなどに、もふもふされたりしました。
そのあとは、会場から出ていく時に数頭とすれ違っただけでした。
駐車場から凧揚げ会場までの距離はけっこうあって、さらに賑わっているその会場内を連れまわされて、それに加えて駐車場に戻るまでの距離も歩かされて、波と狛は疲れたことと思います。 なので、あとは家でゆっくり休んでいてください。
そういう私は、まつりの衣裳に着替えて、たつぴと一緒に意気揚々と萩丘の夜の練りに繰り出していきました。
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