いよいよ、陽も傾き始めました。わずか半日程の時間でしたが、駆け足で関ヶ原の戦いをなぞる事が出来ました。まだまだ行きそびれた史跡も多いのですが、自転車ツアーはそろそろお仕舞いです。一同、起点となった歴史民俗資料館に戻ります。
自転車を返却し終えて、皆の所に戻ってみると、皆不安気な表情を浮かべています。我々が乗ってきたハイエースの直下に小さなオイルのしみが・・・・。どうやら車体から漏れ出ている様です。JAFに電話して、見に来てもらう事に。到着まで時間が掛かるようなので一同民俗資料館に入館し、展示物を見せて頂きます。小振りな資料館ですが、結構楽しめます。ここの解説は明らかに石田光成よりで、家康については、辛口な記述が目立ちます。敗者が悪い様に言われるのは、世の常ですので、あながち的外れとも言えませんが、NHKの大河ドラマ史観に毒された私から見れば、多少違和感を憶えましたが新鮮ではありました。展示されていた劇画チックな家康の肖像画からは、どす黒い欲望が滲み出し、背景は悪魔の放つオーラが渦巻いています。一方の光成はそれに対抗する正義の人という画で知性あふれる表情を湛えています。ここまで扱いに差があれば少し引いてしまいます・・・。とは言え、光成の居城佐和山と関ヶ原は距離的に近く、領地経営も上手くいっていたことから、関ヶ原近辺の人は親近感があるのでしょうか?それに、西軍に協力した地元民に対し、戦闘後に東軍がひどい扱いをした様で、その時の遺恨が伝えられているのでしょうか・・・。西軍に対する温かい思いと、一方的な肩入れがある様に感じます。
この季節、民俗資料館は4時半閉館してしまいます。まだ明るいので次から次へと何も知らない観光客が訪れ、閉館を知りショックを受けて帰っていきます。よその町の施設とは言えどうにかならないものかと思います。施設は閉館してしまいましたが、外にはたくさんの女性たちが武将姿の若者たちを取り巻いています。武者姿をした若者達は<関ケ原東西武将隊>と言い町?の観光事業の一環としてイベントや観光ガイドに活躍している様です。我々も昼間、いくつかの陣跡で活躍する武将たちを目撃しました。各武将イケメンをそろえている様で 各武将ごとに追っかけする熱心なファン達で宝塚状態です。各武将たちも記念写真やらサインやらファンサービスに務めています。またファン同士での情報交換なんかで、異常な熱気があたりを覆っています。そんな賑やかな状態も武将たちが自転車で帰宅?す ると同時に潮が引く ように静かになりました。
気が付けば広い駐車場には我々の姿の他は見えません。あたりが暗闇に染まる直前、JAFのトラックが到着。我々すべてがサンダ ーバード<救援隊>到着とばかり喜びますが、JAFのおじさんはハイエースのシートを上げてエンジン廻りを確認し<レッカーで移動して、調べてみます・・・>との無常の宣告。金目校長と阿波影氏は、ハイエースにつき添い自動車工場へ。残る3人はJAFのトラックに乗りきれないので電車で移動する事に。やがてハイエースの巨体はウインチでトラックの荷台に引き上げられ、売られて行く黒牛の様に我々の視界から消えていきました。
電車組がJR岐阜駅についた頃、ハイエースの応急処置が済んだのでこれから合流するとの連絡が。JR岐阜駅前でハイエース組を待ちます。駅前広場には当地の英雄<信長>の立派な黄金像がライトアップされています。戦国の世を終わらせた関ヶ原に至る道筋の始まりには、この人がいました。信長は本能寺以降の流れをどう思っているのか?直系の子孫は遂に歴史の主流に乗る事が出来なかった事?自分の部下達が争い、自分の考えたのとは違う歴史をつくった事をどう思っているのか・・・・。聞いてみたい事がたくさんあります。今にも黄金像が口を開きそうな気がしてきました。が、返ってくる言葉は<このうつけ者!手打ちにいたす>と言われそうな気がしますが・・・・。やがてハイエース組との合流が叶い、我々5名はそろって本日のお宿、長良川温泉<きんか>に向かいます。到着予定に相当遅れてしまいましたが、宿のスタッフは温かく迎えてくれました。早々に 夕食をいただきます。まずはビールで乾杯の後、次から次へと出される前菜をいただきます。それらのグレードの高さに圧倒されてしまいます。おかげでメインの飛騨牛が出てきた頃には満腹状態でしたが、ステーキ一切れを頬張ってみると、その脂と肉の絶妙のバ ランス、風味、柔らかさに思わず笑みが浮かびます。口の中でお肉が解けていく感じが何とも言えない・・・。これは凄いぞ!心の中で叫びます!中居さん曰く<肉質は5等級に匹敵します>との事。皆さん、昼間の疲れも忘れて、おそらく今年食べた中で最高の牛肉の味を楽しんでいます。
こうして、色々あった岐阜の夜も更けていきます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます