7月2日、政府から、羽生選手に、個人では史上最年少で、国民栄誉賞が授与されました! 本当におめでとうございます!!
国民栄誉賞と共に贈られる記念品が何になるのかなどが話題になっていましたけれども、
羽生選手は、まだ現役選手であることにより、また、「皆さまの代表として」の受賞であって、自分の想いをあまり出したくない、との理由から、記念品は自ら辞退したとのことです。
そうでしたか… さすがですね。
こちらが、国民栄誉賞を授与された時の表彰式の様子。フジテレビ公式ニュース動画
国民栄誉賞授与式と受賞後インタビューの映像の入ったTBSニュース公式動画はこちらです
こちらも、動画です
確かに凛々しくて、紋付羽織袴姿が似合っていますね!
分かってはいましたけど、今回の姿は、今までで一番良いかも。
羽生選手、貫禄が出てきましたね。
しかし、あの「春よ、来い」の衣装が似合うことの方が、さらに奇跡と個人的には思いますが…(笑)
どんな格好しても似合いますね、と安倍総理に話しかけられた羽生選手は次のように答えました。
「いえ、やはり何か… 本当はもっと… 伝統ある所作をしなくてはいけないかな、という風には思っていたんですけれども、やはり自分はスケーターであるので、
またここで表彰されることも、やっぱりスケーターの一人として表彰されるということもあるので、まあ自分らしさもあってもいいかな、と思い、あの、ちょっと立ち姿とかそういうものが伝統的なものではないかもしれないんですけれども、スケーターとして、羽生結弦として、ここにいられたら、と思いました。」
「殿!利息でござる!」を見たという安倍首相。 これからのことを聞かれた羽生選手が答えたのはこちら。
「まずは、試合にいくつか出て、それまでにしっかりと準備を整えてからですけれども、自分が達成したいこと、達成したい技、色々まだありますので、そちらを優先して、自分の身体を磨きつつ、頑張っていけたらな、という風には思っております。」
どうかお身体に気を付けて、目標へ向けて、楽しく頑張っていってほしいと思います…!!
羽生選手、本当におめでとうございます!!
こちらは、国民栄誉賞の表彰状の文面を拡大写真にしてくださったもの。(スポニチ公式インスタグラム・長久保カメラマン撮影)
囲み取材での羽生選手の一問一答の様子・動画です。
こちらはテレ朝ニュース動画・国民栄誉賞受賞・羽生選手喜びの会見ノーカット版その1
こちらはテレ朝ニュース動画・羽生選手喜びの会見ノーカット版 (その2)
「本当にこういった賞というのは、自分だけでとれるものではないですし、また、ここまで切り開いて下さった方々が沢山いらっしゃる中で、こうやって代表として、多分僕は、環境にも恵まれながら頂いた賞だと思うので、本当にこの賞と、そして皆様の期待と共にこれからも進んで行きたいなという風に思っています。」
記念品辞退の理由について。
「自分の中でみなさまを代表して、という気持ちがすごくあり、みなさまとともにだからこそ取れた賞という気持ちがすごくあったので、僕個人の気持ちとかそういうのは、あまり出したくないなと。そういった意味で記念品というものは、辞退させていただきました」
羽生選手が着ていたものは、「仙台平」だというのはわかっていましたけど、
なんと、こちらのデイリー記事によれば、
「これは江戸時代に仙台藩で生まれた最高級絹織物「仙台平」の人間国宝、甲田綏郎氏から贈られた袴」だったのだそうです!!
羽生選手によれば、
「甲田様が直々に贈ってくださったもので、伊達藩の藩主の方々が使っていたこともあって、非常に素晴らしいものです。自分は袴とかには詳しくないのですが、本当に快適に身に付けさせていただいてます。羽生家の紋をつけさせていただきました」
人間国宝の方が『直々に贈って下さった』って、プレゼントだったということでしょうか…?!
凄いですね。
良かったですね…!!
羽生選手に仙台平を贈った人間国宝・甲田さん自ら、提供を打診したそうです。こちらの記事より
「復興の象徴だし、仙台市民として着てほしい」として、完成までの30工程は本来なら半年かかるところを、短期間で急ピッチで仕上げたそうです。
「羽生くんに似合うものが作れてうれしい」「羽生さんの個性が魅力的。華麗なスケーターを続けてほしい」とのコメントまで!
うわ~、羽生選手、良かったですね!!
半年かかるところを、ほぼ1か月で仕上げたというのも凄いですね。
羽生選手もかなりの職人気質なので、職人さんにはより共感されやすいのかもしれません。
次の五輪について聞かれた羽生選手は、こちらの記事によれば
「特に考えていません」と回答。
「今、自分が思っていることは今、自分がやりたいこと、自分がスケートを通じて磨いていきたいこと、成長していきたいこと、そういったことを自分が納得できるようにしたいと思っている」
「このように素晴らしい賞をいただけるということは、普通ではいけないんだなって自分の中ではちょっとけじめをつけている」
「これからも私生活含めて、いろんなことに気を遣って、後ろ指さされないような生き方をしていきたい。それは自分のスケート観においても一緒で、これからも全力で自分の名に、そしてこの国民栄誉賞という素晴らしい名に恥じないようなスケートをしていくことが、まずは大事かなと今は思っている」
最年少受賞については、
「自分の中では最年少という気持ちは大きくなくて、ずっと自分の気持ちの中ではここまで応援してくださった方々も含めて、みなさまの思いが背中を押してくださったと思っている。最年少というよりはみなさんがそばにいてくれて、ここで自分が受け取ることができたのかな、と感じている」と謙虚に話した、とのこと。
羽生選手の一問一答。
―率直な感想を。
「こういった賞というのは、自分だけで取れるものではないですし、また、ここまで切り開いてくださった方々がたくさんいらっしゃる中で、代表として、たぶん僕は環境にも恵まれながら頂いた賞だと思うので、本当にこの賞と、そしてみなさまの期待とともに、これからも進んでいきたいなという風に思っています」
―きょうの袴姿について。
「袴が仙台平という、人間国宝である甲田(綏郎)さまが直々に贈って下さったもので、伊達藩の藩主の方々が使っていたということもあって、非常に素晴らしいものですし、自分はちょっと袴とか、そういったことには詳しくないんですけども、身につけていて本当に快適に身につけさせて頂いています。羽生家の家紋もつけさせていただきました。」
―記念品を辞退した。
「やはり、自分の中でみなさまを代表して、という気持ちがすごくあり、みなさまとともに、だからこそ取れた賞という気持ちがすごくあったので、僕個人の気持ちとかそういうのはあまり出したくないなと。そういう意味でも、記念品というものは、辞退させていただきました。」
―今後の目標は?
「競技会に向けてしっかりとまずは準備していくことが大事かな、と。ケガの具合も少しずつ良くなって、できるジャンプ、できる技がだんだん増えてはいるので、そういった中で、自分の体と相談しながら、試合に向けて準備を着々と進めていければと思っています。」
―最年少の受賞について。
「自分の中では、あまり最年少という気持ちは大きくはなくて、やはり、ずっと自分の気持ちの中では、ここまで応援してくださった方々も含めて、みなさんの思いがこの背中を押して下さったと思っているので、… なんか、最年少というよりは、なんか… みなさんがそばにいてくれて… ここで自分が受け取ることができたのかな、という風に感じています。」
―国民栄誉賞の受賞者としてどういう人生を送っていきたいか。
「ここまで、つい昨日までアイスショーなどを行ってきました。そういった中で、受賞が決まった時に、やはり、たくさんの方々からおめでとうという言葉を頂きましたし、日本の方々だけではなくて、一緒にアイスショーで滑っていた海外のスケーターの方々からも、やはり「おめでとう」という言葉が聞けたのが、すごく印象的でした。だからこそ日本人として、誇りを持って、これから、日本だけじゃなくて海外にも目を向けて、僕はスケーターとして滑っていきたいと思っていますし、海外の方から見ても素晴らしい賞であるからこそ、せっかくいただけた賞の名を背負って、これからいろんな活動のきっかけとなるような機会になっていたらな、と思っています。」
―どんなスケーターになっていきたいか。
「スケーターとして、人間として、このように素晴らしい賞をいただけるということは、なんていうか… 普通ではいけないんだなっていう風に、自分の中ではちょっとけじめというものをつけています。これからも私生活含めて、いろんなことに気を遣って、一人の人間として後ろ指さされないような生き方をしていきたいと思っていますし、それは自分のスケート観においても一緒で、これからも全力で自分の名に、そしてこの国民栄誉賞という素晴らしい名に恥じないようなスケートをしていくことが、まずは大事かなと今は思っています。」
―次の五輪への意気込みは。
「特に考えていません。とりあえず今、自分が思っていることは、今、自分がやりたいこと、自分がスケートを通じて磨いていきたいこと、成長していきたいこと、そういったことを自分が納得できるようにしたいなっていう風に思っています。」
―仙台の被災者へメッセージを。
「僕は仙台のスケートリンクで当時、練習中に被災して、それから本当にたくさんの方々にご支援していただき、様々な形でもお力をいただきました。そういった意味で、被災地の方々からも応援されていた立場だからこそ、やはりみなさんの力になればという思いで今もいますし、また、僕は何かを作ったり、直接的に何か手助けをできる立場ではないので、本当に… 実質的な復興の力にはなれていないかもしれないんですけれども、スケーターとしてフィギュアスケートをやっている人間として、やっぱり自分のスケートだったり、自分がこうやって国民栄誉賞をいただいたことで、少しでも希望を抱けるようなきっかけだったり、自分を通じて、みなさまの心が1つになるような存在であったり、そういう風になっていきたいなという風に思います。」
―スポーツ界での自分の役割、やりたいこと。
「将来的には日本だけではなくて、本当にトップに立ちたいと思っている選手は全世界にあふれているので、そういった方々の支援ができるような立場になれればな、という風に思っています。やはり、こういう賞をいただけたからこそ、日本人としての誇り、文化、考え方、そういったものにもしっかりと思考を巡らせて、そういう立場に立ちたいなという風にも思っていますし、こういう五輪2連覇であったり…
そういった みなさまの評価というか、そういった結果をいただけたからこそ、できることって絶対にあると思うので、僕にしかできないこと、僕しか感じてこられなかったこと、僕しか学べなかったことを伝えていけるような存在になりたいと思っています。」
―あらためて、授与が決まった時、どんな気持ちだったか。
「まず、大変恐縮な気持ちが多くありました。ただ、国民栄誉賞をいただけると聞いた時に、やはり自分は、自分の報道とか自分の結果とかスケートとか、そういったものを通して、みなさまの力がみなさまに還元されているんだなっていう風に思えたので、そういった意味でも今回の明るいニュースがみなさまにとって、やっぱり明るい光になっていただけたら嬉しいなと思ったし、そういう存在にこれからもならなくてはいけないとあらためて思いました。
だからこそ、言葉で表すのはすごく難しいけど、1人の人間としてだけじゃなくて、1つの存在として、羽生結弦っていう存在として、みなさまの力が僕に注がれていて、その力がみなさまにまた巡っていってということになるためには、やはり、その期待に応えなくてはいけない。そして、その期待に応えられるだけの努力、技術、芸術を持っていなくてはいけないという風に強く思っているので、これからもさらに身を引き締めて頑張っていきたいなという風に思っています。ありがとうございます。」
「ありがとうございました。」
大変な決意ですね… !
でも、羽生選手はいつも通りに頑張っていれば、それで大丈夫と思います。
その後、羽生選手は復興庁にスーツ姿で姿を現し、感謝状を贈られたとのこと。
吉野正芳復興大臣に「被災地に夢と希望と元気と感動を与えてくれた。復興の力となってくれた」と感謝状を贈られると、
「大変恐縮な気持ちです。復興の力と言っていただけるのは、僕を応援してくださる方々のお力があってこそだと思います」と笑顔を見せ、
「仙台のスケートリンクで練習中に被災して、その後支援をしてくださった方々、本当にたくさんの方々のお力添えがなければ、スケートを続ける選択肢がなかったかもしれない」と振り返り、今後については
「スケートが皆さんにとって幸せな気持ちになるものになればと思います。皆さんの心が一つになるきっかけになるようにこれからも努力していきたいと思っております」
と答えたそうです。
こちらが、その動画です
羽生選手は、受け答えも本当にしっかりしていますけど、何を言っても何をしても、勝手に後ろ指さす人たちや、文句をつける人たちも必ず世の中にはいたりするので、そこのところは、あまり気にしないことですね。
この受賞があまりプレッシャーにならず、気負い過ぎず、ただ、今後のやる気につながっていくといいですね!
全知全能の神様からの守りと、大いなる祝福とが、今後も豊かに羽生選手に注がれていきますように…!!
そして日本中への祝福につながっていきますように…!!
主イエス=キリストの御名によって祈ります。アーメン!