5月28日追記: 日刊スポーツの高場記者のこの記事に感謝します。日刊スポーツはかつて一時期、反羽生な記事続きだった時期がありましたが、ある時期から重大なことに気がついたようで、羽生選手への立場や態度を変えて下さったと私は感じてきました。感謝します。記者の方々も、自称関係者が嘘をつけば、虚偽を見抜けず信じて載せてしまうことも時にあろうかと思いますし、どこかからの圧力等、個人の自由や想いの通りにはできないことも、あったことでしょう。
しかし、本当に羽生選手をずっと本気で見てきた人や、本当にフィギュアスケートファンだった人たち、真剣に羽生選手を見ている人たちなら、誰が本当のことを言っているのか、書いてきたのか、必ずわかります。(だからこそ、絶対に乗せられてはいけない人もいます。)
同じものを信じていないと、使命の共同体としては、決して機能しないからです。
アスリートは、怪我をしたらそこで選手生命が終わりです。また、信用というのは、築くのに時間がかかっても、失ったら取り戻すのには何倍もの時間がかかります。演技は、演技で見えるもの、伝わるもの、出せた技術で評価が決まるのであって、「タイトル」が意味するものは大きな意味をもちます。
サタニストたちにとっては、「Origin」は、悪魔のことになります。
羽生選手はもちろん、自分の最高の憧れであり続けてくれた、熱烈キリスト教徒で有名なプルシェンコさんへの敬意と感謝を込めて、自分の「Origin」が何なのかを明確にするプログラムにしようと努力してきたのです。
羽生選手がアイドルや芸能人と根本的に全く違うのは、競技の結果で人生が決まるアスリートであり、ファンの数や人気などは、競技の結果には関係ない点です。もし関係あったら、羽生選手はソチ五輪で金メダルなど、絶対に獲れていなかったのですから。
いついきなり、予想外の怪我で現役を強制終了させられるともしれない恐怖と闘う覚悟もなしに、前人未到の危険な大技になど、挑戦できません。氷上スポーツのフィギュアスケートは、普通の競技より転倒による怪我のリスクが非常に高い競技で、高難度技術には、一歩間違えれば命の危険をも伴います。妄想ファッションショーとは対極の世界です。人生を真剣に生きている人なら、フィギュアスケートをスポーツと認定しようとも、あるいは芸術と認定しようとも、どちらにしても、今回の問題の尋常ならざる深刻さは絶対にわかるはずですし、わからない人が、本当は関わってはいけないのです。
高いリスクの中で、最高難度の技に挑戦しながら、自分の思い通りのタイミングで引退できる男子トップ選手は本当に稀。それがフィギュアスケートという競技ですし、プルシェンコさんを見てきた人なら、その大変さを理解していない人などいません。
その覚悟を常に胸に、毎回の一つ一つの試合に臨み、ソチ五輪の金メダル獲得後から、何年も何年も全力で、人生をかけて本気で試合をし、全身全霊で表現しようとしてきたのが羽生選手。
真実を明らかにすることで自分が傷つくと言って苦情をいったり、違う羽生選手像を押し付けようとして、ずっと意図的に自分の都合の良いように虚偽を流布してきた人は、「その真実を生きてきた羽生選手」を認めたくない、つまり、真剣に生きてきた羽生選手の本当のファンではないというだけの話です。
「羽生選手が本当に信じているもの」と「本当に大事にしているもの」が何なのかを、きちんとわかっている人たちには、簡単に見抜けるはずのものを、嘘も100回繰り返せば押し通せるとばかりにやりつづけた人たちが、自称関係者や自称ファンブロガーの中にいて、違う方向へと扇動してきては、羽生選手を苦しめました。(今後はそういう人の利益に貢献しないよう、ご注意下さい。)
真の神様は全てを先にご存知で、羽生選手を驚異的な形で次々と守られました。
その道のりには、想像を絶する大変さや痛さ、悲しみも時に伴いましたけど、人間の思惑や計画ではどうにもできない、驚異の奇跡としか表現できないようなものが、公開してきた数とは比較にならないほど、まさに数えきれないほど起きてきました。
そういったことへの想いもまた、
この「僕とプログラムたちの道のり」に 表現されていると、私は思います…♪
羽生選手から届いた「2011年3月11日から今までの、僕とプログラムたちの『道のり』」という、「室内・陸上」冒頭メドレー演技集!はこちら! 3つ分連続です。
前回、演技集のその1を見たので、今回はその続きです。
続きの「その2」と「その3」は、「その1」の真剣さや全力さと比べると、
ちょっとだけ慣れてきたのか、羽生選手の画面左からの「登場」と「退場」の仕方に、余裕とゆとりが感じられ、
なおかつ、ちょっと遊び心が見え隠れしていて、特に退場の仕方が、見ていてだんだん、かなり笑える映像になってきます。
次の演技の僕にバトンタッチするよ、という雰囲気を醸しているだけでなく、最後に右に消える直前に、画面に残る手の表情のつけ方が、どことなく「お笑い」風です。
「その2」と「その3」の分かれ方には、羽生選手なりの意味がいくつか込められているのがわかりますが、あえてそこは私はノーコメントにしておきます。
この動画が出た時、各新聞社の記者の方々が、「新型コロナ収束への祈りを込めた」とコメントされていましたけど…それは、その通りとも思います。
この動画の出た、5月6日は、羽生選手が友情出演で、
殿様役で出演した映画「殿!利息でござる!」が、またテレビで再放送された日でしたが、
「殿!収束でござる!」と言ってもらえる日を、
羽生選手も、3月から今日まで、期待して待ってきた日々だったとは思います。(笑)
今週、日本は急激に緊急事態宣言解除が進みましたので、これを書いても良いのかどうか。
「収束」と言い切れるのかどうかわかりませんが、改善されて良かったですね…!
自らをハゲ増しながら、人々を励ましてきた、あの涙ぐましい殿の姿の明るさは、
ちょんまげを隠せば、やはり太陽にも負けない威力となって、
自粛期間も、家の中にまで、抜群の輝きを放ってくれたようです。
「殿!終息でござる!」になればもっと良いのですが…
本当の意味での世界中からの完全終息は、神のみぞ知る、という感じですね。
「天と地のレクイエム」の冒頭のところ…
その2の、2つ目の動画は、「レッツゴー・クレイジー!」のあたりから、明らかに、見ている人がクスっと笑えるように、羽生選手は演技も動きの流れも、
工夫して作ってくれていると思います。(笑)
「バラード第一番」は、最も羽生選手の「記録」「功績」を作り上げたプログラムで、芸術性の評価も高く、ご本人も最後の試合で最も理想に近づけて納得できた快心の演技でしたし、クラシックの曲で、本来は「笑うような」演技では全くありませんけれども、
この動画では、冒頭部分だけのメドレーになっていたため、
ある意味、一番「悲惨なことに」…
否、一番「お笑いに」なってしまったのが、この「バラード第一番」だったと言えるかもしれません。
音楽が始まっても、最初の15秒は下を向いて静止しているプログラムですが、もちろん羽生選手は、何の余計な演出もなく、忠実にまじめに再現してくれました。
直前の[「レッツゴー・クレイジー!」は、真剣に正面を見つつも、ちょっとお笑い風だったのに、「バラード第一番の」、静けさと共に全く動かないその「まじめっぷり」に、
(まさか、最初の首回りぐるん、というところだけで終えて右に消えていくのでは…)と多くの人たちに思わせておいて、
やっぱり、期待に見事に応えてくれちゃった羽生選手でしたね…!(笑)
この「バラード第一番」は、平昌五輪のショートでもあり、今までの歴代最高点を更新し続けてきたプログラムでもあり、
また今年の4大陸選手権で、羽生選手が再びショートに選び、今までで自分でも一番だったと納得したほどの素晴らしい演技を披露できた、羽生選手自慢の納得プログラムだと思いますが、
試合では、ソチ五輪直後の、2014年-2015年シーズンから滑り始めたのが一番最初です。
ピアノ曲を希望した羽生選手に対し、振付師のジェフリー・バトルさんが、当時これを選び、
冒頭部分をわざわざこのような振り付け、つまり、あえて「静止」にしたのには理由がありました。
羽生選手が、ソチ五輪で金メダル獲得後、あらゆる方向からみんなが羽生選手を引っ張っていこうとするような大変な状況が、この頃の羽生選手の周囲に生まれていたことをよく理解していて、元世界選手権王者でもあるジェフリー・バトルさんが、羽生選手のためを思って作ってくれたプログラムです。
そういった、あらゆる雑音や喧噪から切り離され、全方向から自分を引っ張ろうと伸びてくる手や、力関係といった、金メダリストの周りに生じる大変な社会的状況から、少しでも解き放たれて、自分の声に耳を傾けて自分に集中できるように、という深い願いを、あの冒頭部分には込めてくれていたのです。
だから、今シーズン、衣装により、「羽生結弦らしくなれない」で苦しんでいた羽生選手が、自分に集中して、見つめなおして自分を取り戻せるように、という意味では、変えるのに最も適切なプログラムでもあり、首回りが自由に動かせないような酷い妨害衣装による苦しみから脱出する意味でも、
音楽や演技・技術面だけでなく、最も「羽生結弦」に戻れるであろう、深い意味のあるプログラムでした。
(バラード第一番の衣装は、そもそもデザイナーさんが全く別の、ベテランの方に作られたのものでもありましたし、最も問題の全くない衣装でもありましたので。)
技術面でも、表現面でも、最も真剣に時間をかけて、自分らしさや自分なりの表現を真摯に追求してきたショートでもありました。
全方向から羽生選手を「引っ張ろうとする」ような力から解き放たれ、また、首回りを、障害なく自由にグルンと1回転させることができる、そのようなスタートの振り付けとなっているプログラムであったことも、「羽生結弦でありたかった」、「理想の羽生結弦になりたかった」羽生選手にとっては、何よりも重要な点であり、有難い点だったと思います。
4大陸選手権では、今までで最高レベルの演技として、これを披露できたと思いますし、羽生選手もそれが何よりも嬉しそうで幸せそうで、良かったですね…!
だからこそ余計に、このメドレー動画では「たったこれだけで」終わっているお笑い演技になっちゃったところが、非常に対照的で面白かったです…(笑)
「その2」の最後は、「ノッテ・ステラータ」の白鳥で終わりましたが、
非常に気持ちもノッテ 演技を披露して下さっている様子で、ご本人も内心楽しんでいるのが伝わってきて、そんな羽生選手がちょっとユーモラスで面白くもあり、
丁寧で情感溢れる表現が素敵な、その2 動画でしたね…!
「その3」の動画は、平昌五輪後のプログラムで構成されていて、
「秋に寄せて~ Otonal」と、「Origin」、続きましたけど、どちらも、冒頭部分は非常に印象的でした。
黒い練習着が、インパクトのあるその冒頭部分の振り付けの動きを、どちらも際立たせていて、力強くも美しい、改めて目を見張る演技になっていました。Otonalの動きは、きれいに決まると、特に本当にハッとさせられますね…!
黒いジャージ姿の羽生選手で、その想いのこもった、本来の最高の動きを明確に焼き付けられ、内側から伝わってくるものがとても良くわかる演技でしたので、大変素晴らしかったです…♪
「春よ、来い」も、黒い練習着で演技を公開披露されるのは初めてだったかな…?
でも、短くても、本当に真っ直ぐな、優しい思いやり深い心の伝わってくる演技で、色々な意味でため息が出ました。
本当に羽生選手の演技の良さや素晴らしさは、動きそのものや、全身からこちらへと伝わってくる「心」にある、ということが、
その1からその3まで通して、とても良くわかる連続動画になっていて、
その点が何よりも価値の高い、陸上(室内)冒頭演技集だったと思います!
特に羽生選手にとって、今のこのタイミングだからこそ、また非常に意味のあった、そんなメドレー演技動画になったと思います!!
ラストは、「SEIMEI」の冒頭部分で終了。
「SEIMEI」には、本当に様々な想いが込められていますので…
「僕とプログラムたちの『道のり』」は、羽生選手の人生としては、まだ途中ではありますけれども、この動画はここで終了。
「道のり」を振り返ると、私には奇跡の光道しか見えないほど…
本当に大変なことだらけでしたが、それを上回るほどに圧倒される、見たことのない宝石だらけで出来た、夜空の天の川のような輝きの道だったかもしれません…
最後、世界選手権が中止になるという、羽生選手の現役時代においては、初めての状況で強制終了した今シーズンでしたが、最後の4大陸選手権が残したもの、意味したもの、そこで成し遂げたことは、とても大切なものだったと思います。
今シーズンの闘いは、羽生選手にとっては、精神的には、今までで最も困難なもので、普通ならまず考えられない、そんな性質のものだったかと思います。
でも、最終的に、羽生選手の本音を誰よりも良くご存知の神様の用意されていたもの、4大陸選手権でのスーパースラム達成や、
これを通して気づかせたかったことや、神様が羽生選手に「たどり着かせたかった地点」、用意してくださっていた花束や贈り物は、色々な意味で、
未来のためにも、絶対的に、非常に大切なものであり、
また、今後ますます、意味の深くなるものとなるだろうと、私は思います。
新型コロナ・ウイルスによる、この前代未聞の国を挙げた「自粛期間」の中で、神様が気づかせてくださったもの、
教えて下さったことは、私個人は、今後もとても大事にしていきたいと思っています。(笑)
驚くことも沢山ありましたけど、
全く想像もしていなかった、幸せな発見もいくつもあったのが、幸いです。
忙し過ぎると、大事なことを見落とすことや、見つける時間がなくなってしまうので…
「SEIMEI」(生命)について、今まで以上に考えた人が世界中で多く出たであろう、そんなここ数か月ですけれども、
「真珠」を本当に大事にし、「幸せのかけら」を運び胸に抱きつつ、
光と希望の道を、様々な「真っ暗」にしか見えない状況に何度も襲われても、
その中をもめげずに、ここまでつなごうとひたすらに歩んできてくれた羽生選手には、
フィギュアスケートマガジンの最新号のタイトルの通りに、
本当の意味で「強く美しき生命」として…
そして、それ以上に、「本当に優しく美しい生命」として、
命の限り、咲き続けながら、より「羽生結弦らしく」
遠慮なく 輝いてほしいなと、私は思っています…!!
後から写真を追加します