“視界ゼロ”の韓日関係…知韓派教授「ゴールポスト動かすなら…」(1)
2018年12月06日16時09分
[ⓒ 中央SUNDAY/中央日報日本語版]
仙台で金起林を考える「日韓市民ネットワーク」所属のメンバーが先月30日、仙台東北大学で金起林の詩碑「海と蝶」の除幕式を行った。(写真=在仙台総領事館)
韓日関係が視界ゼロ状態だ。
10月30日、韓国大法院(最高裁)の初の強制徴用賠償判決に続き、先月21日には和解・癒やし財団の公式解散、続く29日には2つ目の大法院賠償判決が下されながら1965年韓日基本条約締結以来、最大危機に直面しているという言葉が出るほどだ。
韓日関係氷河期の始まりという言葉も出ている。
政治では支持層を意識して代案のない決定を次々と出し、相手国大使を呼んで抗議し、政治家は連日刺々しい言葉を吐き出しているが、韓国人と日本人は今日も会って別れてまた会っている。
先月30日、仙台の東北大学では「日韓市民ネットワーク」が日本強占期の韓国モダニズムを代表する詩人・金起林(キム・ギリム、1908~?)を賛える詩碑を建立した。
日本国内では尹東柱(ユン・ドンジュ)・鄭芝溶(チョン・ジヨン)に続き3人目だ。
詩人・金起林は1936~39年に同校で学んだ。
この日、東京からは、2010年朝鮮王室儀軌返還に決定的な役割を果たした故仙谷由人氏の追悼式に彼が「政治的師匠」と呼んだ崔相龍(チェ・サンヨン)元駐日大使が駆けつけて追悼の挨拶を述べた。
先月27日、仙台の東北学院大学で会った松谷基和准教授(43)は東北地方で韓国学を教える数少ない人物だ。
松谷氏は東京大学(修士)-ハーバード大学(博士)で韓国近代史を専攻した。
松谷氏は生まれて初めて知った韓国人が金大中(キム・デジュン)元大統領だったと言った。
教会牧師だった父親と高等学校社会科教師の叔父は、韓国の民主化支援に情熱を傾けていた。
松谷氏は「父親は牧会をする傍ら、日本とアジア諸国の和解のために故郷福島に国際交流センターという小さな団体を作った。
私は農業技術や日本語を学びに来た韓国、中国、ベトナムなどアジアの学生たちと一緒に暮らした」とし「自然に年上の韓国人たちと交流が生まれ、韓国に対する親近感と関心が生まれて大学の時に延世(ヨンセ)大学に留学した」と話した。
松谷氏は「韓国に行くと父や叔父のが話していた理想的な韓国とは違った」としつつも「失望はしなかった。
かえって韓国政治、社会、歴史に対する好奇心は高まり、結局、韓国研究者になった」と付け加えた。
--金起林の詩碑建立に参加したきっかけは。
「あまり知られていないが、中国の知性とあがめられる魯迅が東北大学の留学生だった。
東北大学に魯迅記念碑と銅像がある。
15年前に訪日した当時江沢民中国国家主席はわざわざ時間を作って仙台を訪れて献花をした。
日中関係が非常に良くなかった魯迅の留学当時(1902年ごろ)、彼を熱心に指導した藤野教授という人がいた。
魯迅は中国に戻った後、藤野教授を賛える文章を書き、いま中国の教科書にその文章が載っている。
金起林の詩碑建立も私には同じ意味がある。
東北大学出身の金起林の詩碑を建立したのは始まりにすぎない。
魯迅のように金起林の留学時代を復活させて(それが)韓国と日本を橋渡しになるよう願う」
--韓国で日本の詩人の詩碑を建立することは期待しにくいが。
「なぜそうなのかは知っている。敗戦の影響で戦後日本には国を信頼しない進歩指向の市民が多くなり、たとえ多数はではなくても自分の考えを堂々と主張する文化が定着した。
自身の主張ができる空間は韓国よりも日本が今はるかに広い。
今後、韓国と深い関係を結び韓国文化を愛する日本人を称える碑が韓国に建てられることを期待している」
--最近韓国が取った一連の措置に対する日本国内の評価はどうか。
「韓国の事情をできるだけ理解して日本の人々に説明してきた立場から、今は非常に厳しい。
特に20年前に結んだ金大中-小渕恵三共同宣言を通じて、歴史問題が完全ではないがそれでも解決されたと思っていたが、再び過去に戻るようなことが起きて残念だ。
日本人は今回の措置が韓国の国内政治事情によって起きたと考えている。
韓国民の同意がなく韓日間の合意を受け入れることができないという言葉は理解するが、それならこれからはこのような代案なら良いという程度の説明があるべきなのにそれもまだない。
国家間の外交関係において変化がないということはありえないが、『ゴールポスト』を動かすならどちら側に動かすのかとはっきり言わなければならないのではないか。
私もどんな解決策があるか考えている」
--安倍政権はどのように対応するとみるか。
「安倍政権に批判的だが、正直(2015年の)韓日慰安婦合意については驚いた。
これまで極右派のように行動していたが、社会党と民主党首相の話をそのまま継承して日本の過ちを認めた。
政権が変わっても国家の一貫性を保とうとしたことは首相として立派な仕事をしたと考える。
ところが韓国は(今になって)これを受け入れることができないと言えば、むしろ安倍政権には韓国を攻撃する言い訳を与えたことになる。
合意当時、支持層からの罵りがひどかったが、(安倍政権は)今回の事態を契機にこれ以上の罵言を聞いてまで妥協はしないだろう。
強硬な方向に進む可能性がある」
--どこから解決方法を探すべきか正直分からない。
「直ちに解決する処方せんがあるようには思えない。
韓国は良く言えば民主主義が発達していきつつあり、悪く言えばポピュリスト指向が強まっている。
どうせそのような流れを押し止めることができないなら、国民と市民社会の声が単に賛成か反対ではなく、イシュー別に『これは日本が問題』『これは韓国が問題』というようにさまざまな声が出てくるようになればと思う。
日本国内にも多様な声がある。
日本に『一つの日本』だけがあるのではないように、韓国も『一つの韓国』だけがあるわけではないと思う。
国家間、政府間に問題があっても、日韓両国で声が同じ者同士、小さなことから協力していけばいいと思う。
ものすごいことではないが、
『この立派な韓国の詩人が仙台で暮らし、その人の詩と人生を振り返ると立派な人なので賛えるのは当然』と考える人々が互いに会い、そのような小さな動きがずっと続くこと、それが重要だと思う。
民間次元で日韓友好増進は1970年代から今まで続いてきている。
村山政権の時も、小泉政権の時も、安倍政権の時も日本市民社会の立場はブレない。
韓国または日本の政府が変わろうが、政府同士衝突しようが無関係に、民間次元でできることは継続していくだろう」
--最近、韓国若者の日本留学や就職が急増している。
「韓国外交部が推進中の『3+1』プログラム(韓国3年、日本1年卒業後に日本就職)に我々の大学も関心を持っている。
ところが、韓国のことをよく知らないある同僚教授が聞いた話だと言って教えてくれたのだが、
『1965年日韓基本条約を問題にしている韓国が、韓国の未来を引っ張っていく若者を日本に行かせるから受け入れてほしいというのは矛盾ではないか』と言った。
私もすぐに説明できなかった。
韓国の未来である若者を日本に行かせるというのは、政治家が言葉では強硬に出て表面ではあらゆるパフォーマンスをしながらも現実がこうなら欺瞞ではないかと思ったが、基本的に日韓間に堅固な信頼があったからだと思うことにした。
そのような面で韓日関係を楽観することができる。
政治家がこれからは『問題がなくはないが、韓国と日本は互いに助け合ってこそやっていける国』と正直に話してほしい。これが現実なのに隠すことはできるだろうか」
2018年12月06日16時09分
[ⓒ 中央SUNDAY/中央日報日本語版]
仙台で金起林を考える「日韓市民ネットワーク」所属のメンバーが先月30日、仙台東北大学で金起林の詩碑「海と蝶」の除幕式を行った。(写真=在仙台総領事館)
韓日関係が視界ゼロ状態だ。
10月30日、韓国大法院(最高裁)の初の強制徴用賠償判決に続き、先月21日には和解・癒やし財団の公式解散、続く29日には2つ目の大法院賠償判決が下されながら1965年韓日基本条約締結以来、最大危機に直面しているという言葉が出るほどだ。
韓日関係氷河期の始まりという言葉も出ている。
政治では支持層を意識して代案のない決定を次々と出し、相手国大使を呼んで抗議し、政治家は連日刺々しい言葉を吐き出しているが、韓国人と日本人は今日も会って別れてまた会っている。
先月30日、仙台の東北大学では「日韓市民ネットワーク」が日本強占期の韓国モダニズムを代表する詩人・金起林(キム・ギリム、1908~?)を賛える詩碑を建立した。
日本国内では尹東柱(ユン・ドンジュ)・鄭芝溶(チョン・ジヨン)に続き3人目だ。
詩人・金起林は1936~39年に同校で学んだ。
この日、東京からは、2010年朝鮮王室儀軌返還に決定的な役割を果たした故仙谷由人氏の追悼式に彼が「政治的師匠」と呼んだ崔相龍(チェ・サンヨン)元駐日大使が駆けつけて追悼の挨拶を述べた。
先月27日、仙台の東北学院大学で会った松谷基和准教授(43)は東北地方で韓国学を教える数少ない人物だ。
松谷氏は東京大学(修士)-ハーバード大学(博士)で韓国近代史を専攻した。
松谷氏は生まれて初めて知った韓国人が金大中(キム・デジュン)元大統領だったと言った。
教会牧師だった父親と高等学校社会科教師の叔父は、韓国の民主化支援に情熱を傾けていた。
松谷氏は「父親は牧会をする傍ら、日本とアジア諸国の和解のために故郷福島に国際交流センターという小さな団体を作った。
私は農業技術や日本語を学びに来た韓国、中国、ベトナムなどアジアの学生たちと一緒に暮らした」とし「自然に年上の韓国人たちと交流が生まれ、韓国に対する親近感と関心が生まれて大学の時に延世(ヨンセ)大学に留学した」と話した。
松谷氏は「韓国に行くと父や叔父のが話していた理想的な韓国とは違った」としつつも「失望はしなかった。
かえって韓国政治、社会、歴史に対する好奇心は高まり、結局、韓国研究者になった」と付け加えた。
--金起林の詩碑建立に参加したきっかけは。
「あまり知られていないが、中国の知性とあがめられる魯迅が東北大学の留学生だった。
東北大学に魯迅記念碑と銅像がある。
15年前に訪日した当時江沢民中国国家主席はわざわざ時間を作って仙台を訪れて献花をした。
日中関係が非常に良くなかった魯迅の留学当時(1902年ごろ)、彼を熱心に指導した藤野教授という人がいた。
魯迅は中国に戻った後、藤野教授を賛える文章を書き、いま中国の教科書にその文章が載っている。
金起林の詩碑建立も私には同じ意味がある。
東北大学出身の金起林の詩碑を建立したのは始まりにすぎない。
魯迅のように金起林の留学時代を復活させて(それが)韓国と日本を橋渡しになるよう願う」
--韓国で日本の詩人の詩碑を建立することは期待しにくいが。
「なぜそうなのかは知っている。敗戦の影響で戦後日本には国を信頼しない進歩指向の市民が多くなり、たとえ多数はではなくても自分の考えを堂々と主張する文化が定着した。
自身の主張ができる空間は韓国よりも日本が今はるかに広い。
今後、韓国と深い関係を結び韓国文化を愛する日本人を称える碑が韓国に建てられることを期待している」
--最近韓国が取った一連の措置に対する日本国内の評価はどうか。
「韓国の事情をできるだけ理解して日本の人々に説明してきた立場から、今は非常に厳しい。
特に20年前に結んだ金大中-小渕恵三共同宣言を通じて、歴史問題が完全ではないがそれでも解決されたと思っていたが、再び過去に戻るようなことが起きて残念だ。
日本人は今回の措置が韓国の国内政治事情によって起きたと考えている。
韓国民の同意がなく韓日間の合意を受け入れることができないという言葉は理解するが、それならこれからはこのような代案なら良いという程度の説明があるべきなのにそれもまだない。
国家間の外交関係において変化がないということはありえないが、『ゴールポスト』を動かすならどちら側に動かすのかとはっきり言わなければならないのではないか。
私もどんな解決策があるか考えている」
--安倍政権はどのように対応するとみるか。
「安倍政権に批判的だが、正直(2015年の)韓日慰安婦合意については驚いた。
これまで極右派のように行動していたが、社会党と民主党首相の話をそのまま継承して日本の過ちを認めた。
政権が変わっても国家の一貫性を保とうとしたことは首相として立派な仕事をしたと考える。
ところが韓国は(今になって)これを受け入れることができないと言えば、むしろ安倍政権には韓国を攻撃する言い訳を与えたことになる。
合意当時、支持層からの罵りがひどかったが、(安倍政権は)今回の事態を契機にこれ以上の罵言を聞いてまで妥協はしないだろう。
強硬な方向に進む可能性がある」
--どこから解決方法を探すべきか正直分からない。
「直ちに解決する処方せんがあるようには思えない。
韓国は良く言えば民主主義が発達していきつつあり、悪く言えばポピュリスト指向が強まっている。
どうせそのような流れを押し止めることができないなら、国民と市民社会の声が単に賛成か反対ではなく、イシュー別に『これは日本が問題』『これは韓国が問題』というようにさまざまな声が出てくるようになればと思う。
日本国内にも多様な声がある。
日本に『一つの日本』だけがあるのではないように、韓国も『一つの韓国』だけがあるわけではないと思う。
国家間、政府間に問題があっても、日韓両国で声が同じ者同士、小さなことから協力していけばいいと思う。
ものすごいことではないが、
『この立派な韓国の詩人が仙台で暮らし、その人の詩と人生を振り返ると立派な人なので賛えるのは当然』と考える人々が互いに会い、そのような小さな動きがずっと続くこと、それが重要だと思う。
民間次元で日韓友好増進は1970年代から今まで続いてきている。
村山政権の時も、小泉政権の時も、安倍政権の時も日本市民社会の立場はブレない。
韓国または日本の政府が変わろうが、政府同士衝突しようが無関係に、民間次元でできることは継続していくだろう」
--最近、韓国若者の日本留学や就職が急増している。
「韓国外交部が推進中の『3+1』プログラム(韓国3年、日本1年卒業後に日本就職)に我々の大学も関心を持っている。
ところが、韓国のことをよく知らないある同僚教授が聞いた話だと言って教えてくれたのだが、
『1965年日韓基本条約を問題にしている韓国が、韓国の未来を引っ張っていく若者を日本に行かせるから受け入れてほしいというのは矛盾ではないか』と言った。
私もすぐに説明できなかった。
韓国の未来である若者を日本に行かせるというのは、政治家が言葉では強硬に出て表面ではあらゆるパフォーマンスをしながらも現実がこうなら欺瞞ではないかと思ったが、基本的に日韓間に堅固な信頼があったからだと思うことにした。
そのような面で韓日関係を楽観することができる。
政治家がこれからは『問題がなくはないが、韓国と日本は互いに助け合ってこそやっていける国』と正直に話してほしい。これが現実なのに隠すことはできるだろうか」