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「日本人よ誇りを持て」 日本の高校生を泣かせた、92歳マハティール首相のスピーチ

2019-04-10 18:01:26 | 日記

デイリー新潮 - DAILY SHINCHO

マハティール・モハマド(Yanbei/Wikimedia Commonsより)

マハティール・モハマド(Yanbei/Wikimedia Commonsより)(他の写真を見る

 

92歳の首相就任

「日本人よ誇りを持て」 日本の高校生を泣かせた、92歳マハティール首相のスピーチ

国際2018年5月14日掲載

92歳の首相就任

 マハティール・モハマド氏がマレーシア首相に返り咲いたことを伝えるニュースでは、その92歳という年齢への驚きがメインに扱われていることが多い。

 なにせ首相の年齢が高いことが問題視されていた日本ですら、首相就任の最高齢は77歳。

マハティール首相と同じ年に生まれた有名人を並べてみれば、三島由紀夫、マルコムX、野中広務、橋田壽賀子……。

いかに92歳で首相就任ということが異例であるかがよくわかる。

 ただ、日本人がマハティール首相について知っておくべきポイントは、これ以外にもある。

前回首相をつとめた際には「ルック・イースト(日本の経済成長を見習おう)政策」を掲げたほどの親日家であるマハティール首相は、

自国民に日本の素晴らしさを伝えると同時に、日本人に対してもさまざまな形で熱いメッセージを送り続けてきた。

たとえば2002年11月には、マレーシアを訪れた東京都立国際高校の修学旅行生に向かって「あなたたちは日本人の勤勉な血が流れているのだから、誇りに思いなさい」と訴えている。

これを聞いた高校生たちは、「感動した。こんなことを言ってくれる日本人の政治家はいない」と感激し、涙を流していたという。

少し前のスピーチなので、現状とは異なる部分もあるが、メッセージそのものは現在の私たちの胸にも響くところが多い。 

マハティール首相の著書『立ち上がれ、日本人』に収録されているそのスピーチを全文ご紹介しよう(同書の「序章 日本人よ誇りを持て」)。

 ***

発展途上国であるマレーシアは、日本から多くのことを学びました。

首相に就任した1981年、私は「ルック・イースト政策(東方政策)」を国策として採用しました。

これは第2次世界大戦で焼け野原となった日本が、たちまちのうちに復興する様から学ぼうとした政策です。

かつて読んだソニーの盛田昭夫元会長の本に描かれた、日本国民の強い愛国心と犠牲を払っても復興にかける献身的な姿は、私に深い感銘を与えました。

労働者は支給される米と醤油だけで一生懸命働き、近代的な産業を育てるため寝る暇を惜しんで技術を磨いていったのです。

日本人の中でも私がとりわけ尊敬するのは、戦後の日本を築いた盛田昭夫氏と松下幸之助氏です。

いずれも先見性を持ち、パイオニア精神と失敗を恐れずに挑むチャレンジ精神、そして独自の考えとやり方で技術革新を生みました。

さらには日本の経済成長を助けるマネージメント能力を兼ね備えていたのが、彼らのすばらしいところです。

私が初めて日本を訪れたのは1961年、家族旅行でのことでした。

当時の日本はまだ復興途上で、あちらこちらに爆弾による破壊の跡が残されていました。

それでも、大阪では水田の真ん中に建つ松下の工場が私の度肝を抜き、オリンピックの準備中の東京では、日本橋の上に高速道路が建設されつつあるのを目にしました。

このとき、私は日本と日本人のダイナミズムを体感したのです。

人々が国の再建と経済を発展させるために献身的に尽くす光景は、今もまぶたに焼きついています。

その後も訪れるたびに発展していく日本の姿を見てきたからこそ、首相になったとき私は日本と日本の人々から学ぼうと思ったのです。

もっとも注目したのは、職業倫理観と職場での規律正しさによって、品質の高い製品をつくりあげるという姿勢でした。

戦前の日本製品は「安かろう悪かろう」の代名詞でした。

しかし戦後は品質の高い製品を次々に生産し、日本は国際社会で大きく成功しました。

労働者は職業倫理観が優れていて、管理能力も高い。

多くの国民が戦争で命を落としましたが、残された者が立ち上がり、新しい産業を興し、日本はすばやく発展していきました。

電子産業の革命を起こしたソニーもその一社で、すばらしい技術でテープレコーダーを生み出しました。

松下は戦後再建し、多くの大企業が次々と復活しました。

米占領軍は財閥を解体したけれども、新しい形態の会社が次々と生まれていったのでした。

日本の大企業のシステムは、欧米の会社のシステムとはずいぶん違っていました。

会社同士は競争しても、会社は社員の面倒を見る。

終身雇用という形態は、西側諸国にはないものでした。

社内で従業員による混乱は少なく、労働組合によるデモも就業時間外に行われたため、生産活動には支障を来さなかったのです。

多くの製品が生まれ、輸出され、外貨を稼ぎ、結果として日本は大きく発展しました。

私たちが日本からコピーしたかったことは、日本型システムなのです。

国を発展させるための政府と民間企業の緊密な関係を、私は「日本株式会社」と呼んでいます。

私たちはこの日本から学ぶことで、他の発展途上国に比べて早く発展することができました。

東南アジアをはじめとしたアジアの近隣諸国もまた、日本とともに働き、日本の繁栄と技術から学びたいと思っているのです。

日本の新しい技術を学ぶことによって、域内全体が繁栄することは間違いありません。

日本人よ自信を取り戻せ

マレーシアは、近隣諸国を豊かにすることが、自国にとっても大事なことであると確信しています。

けっして、貧しい国を置いてきぼりにしてはなりません。

近隣諸国が貧しければ、多くの問題が自分の国にふりかかってきます。

貧しい国から難民がどっと入ってくれば一大事ですが、近隣諸国が豊かになれば自国製品を輸出することもできる。

だからマレーシアは、近隣諸国を富ます政策を積極的に取り入れているのです。

戦後、独立国として生まれ変わったマレーシアには、日本など海外から多くの投資がなされました。

日本の企業が進出したおかげで多くの雇用が生まれ、失業率は著しく低下し、国民は完全雇用の状態となりました。

このため、海外からの労働者を雇わなければならなくなったほどです。

マレーシアは日本にとっても、良い市場として生まれ変わりました。

日本は投資したものを回収しただけでなく、豊かになったマレーシア人に製品を売ることもできる。

2倍儲けることができたというわけです。

これが私たちの経験であり、多くの発展途上国でも同じことが起きてほしいと願っています。

マレーシアは近隣の国々に手を差し伸べ、投資し、職業訓練のために彼らを招いています。

その国の発展のために、公共事業にも協力しているのです。

最も大事なことは、国が域内はもとより世界の平和のために努力するということ。

けっしてひとりよがりにならず、他の諸国が発展するお手伝いをするということです。

他国が豊かになれば自国も豊かになり、よりよい世界を築くことができる。

そうすれば戦争は起こらず、テロ行為の恐怖におののくこともありません。

いま私は、自分の国に自信をもっています。

その一方で、米国型の極端な経済改革を行なおうとしている今の日本では、失業率も高く、国民が自信を失っているようです。

最近の日本の若者は、もはやかつての日本人のように献身的ではなくなったと私は聞かされました。

確かに、貧しい人はそこから抜け出そうと必死に働きますが、ひとたび豊かになると人生はたやすいと思ってしまう。

そして努力することを忘れてしまうのです。

しかし日本を再びいい国にするために、ぜひ頑張っていただきたい。

皆さんには勤勉であるという日本人の素質が根づいているのだから、

他国の言いなりになるのではなく、自分の考えで行動してほしい。

そして自信を取り戻し、日本人であることに誇りを持ってもらいたいと思うのです。

辞任にあたって伝えたいこと

マレーシアは「ビジョン2020」として、2020年に先進国入りする目標を掲げています。私は22年の首相在任期間を通じて、そのレールを敷く努力をしてきました。

1997年に始まったアジア通貨・金融危機では、これまで私たちが汗水たらして築き上げてきた国の富を瞬く間に失ってしまいました。

しかし欧米型の処方箋を用いず、独自の資本規制などを実施することで、ようやく乗り越えることができました。

私は辞任の潮時をいつも考えてきましたが、国内経済がやっと落ち着いてきた2002年、私が総裁を務める最大与党・統一マレー国民組織(UMNO)の党大会で辞任を発表しました。

誰にも相談しませんでしたから、周囲にとっては青天の霹靂(へきれき)だったことでしょう。

本当はすぐ引退したかったのですが、まわりからもう1年だけ頑張ってほしいと嘆願されました。

2003年10月のイスラム諸国会議機構(OIC)首脳会議を終えてから引退するようにと――。

足るを知る。私が幼いころ、母はそう諭しました。

お腹いっぱいになる前に食べるのをやめなさい、というのが母の口癖だったのです。

この22年間で、マレーシアの1人当たり国内総生産(GDP)は2倍以上に増えました。

日本を目標にした「ルック・イースト政策」が功を奏したことは間違いありません。

完全ではありませんが、私たちは日本から多くを吸収することができました。

社会のシステムや職業倫理、技術――、そして何より文化に学びました。首相を退任したいまも、私は日本の支援に心から感謝しています。

経済危機の最中にも本当に大きな力になってくれた日本は、私たちにとっての真の友人です。

数十億ドルの支援や、マレーシア政府発行の国債に対して保証を打ち出してくれたことでどれだけ助けられたことでしょう。

固定相場制を導入できたのも、日本がバックにいるという安心感があったからなのです。

ちっぽけな東南アジアの一国の民として、私は日本にいつまでも熱いまなざしを注ぎ続けることでしょう。

どうかいつまでもアジアの力となり、手を差し伸べてほしい。今こそ日本に、リーダーシップを発揮してほしいのです。

 ***

愛国主義の大切さ

なお、こうしたメッセージに対してはとかく「愛国心を不要にかきたててはいけない」と説く人も登場しがちなので、そういう方に向けてのマハティール首相の言葉もご紹介しておこう。

「軍国主義はよくないことだが、愛国主義的であることは悪いことではない。愛国主義は国が困難を乗り越える上で助けになる。

祖国を守ることと攻撃的な軍国主義は同義語ではない」

「はっきり申し上げれば、いまの日本人に欠けているのは自信と愛国心です。

日本が『愛国心』という言葉に過激になる理由は、私にもわかります。

確かに、過去に犯した多くの過ちを認める用意と意思は持たなければならない。

しかし半世紀以上も前の行動に縛られ、恒常的に罪の意識を感じる必要があるのでしょうか

デイリー新潮編集部

 

 

 

 

 

 


文在寅の“ピンボケ政策”で苦しむ韓国経済

2019-04-10 17:32:28 | 日記

文在寅の“ピンボケ政策”で苦しむ韓国経済、

米韓関係も破綻で着々と近づく破滅の日

デイリー新潮2019年04月05日16時30分

文/鈴置高史

韓国経済に暗雲が漂う。

半導体市況の急落に加え「無謀な最低賃金引き上げ」や「米国とのケンカ」といった文在寅(ムン・ジェイン)政権の失政が原因である。

サムスン電子、利益60%減

サムスン電子は4月5日、第1四半期(2019年1−3月)の連結決算(速報値)を発表した。

売上高は前年同期比14・1%減の52兆ウォン(1ウォン=0・098円)、営業利益は同60・4%減の6兆2000億ウォンだった。

前期比ではそれぞれ12・3%、42・6%減少した。

4半期の営業利益が10兆ウォンに達しなかったのは2017年第1四半期(9兆9000億ウォン)以来初めて。

最高だった2018年第3四半期(17兆5700億ウォン)と比べ3分の1の水準だ。

売上高営業利益率は11・9%で前年同期(25・8%)の半分にも満たなかった。

 事業部門別の収益は4月下旬に発表するが、

多くのアナリストはDRAMなど半導体部門の営業利益が約4兆ウォンと前期(7兆7700億ウォン)の5割、

過去最高の2018年第3四半期(13兆6500億ウォン)の3割の水準に留まったと分析している。

テレビ向けの液晶パネルなどディスプレー部門も収益が悪化し、スマホを中心とするIT&モバイル部門の利益も前年同期に達しなかったとの見方が多い。

DRAMの価格は1年前と比べ半値に落ち、市況の回復は今年後半以降と見られている。

先安感から買い控える需要家が多く、半導体メーカーは数量面でも苦戦している。

サムスン電子は韓国株式市場の時価総額の4分の1を占める。

この決算発表が市場にショックを与えないよう、

同社は予め3月26日に「市場の期待水準を下回る決算と予想される」との異例のお知らせを発表していた。

サムスン電子 の変調は国全体の不振と歩調を合わす。

4月1日に韓国・関税庁が発表した3月の通関統計(暫定値)によると、同月の輸出は471億ドルで前年同月比8.2%減だった。

輸出の20%前後を占めてきた半導体の不調と、25%前後の対中輸出の不振を反映した。後者は米中経済戦争の余波を受けた。

輸入は同6.7%減の419億ドルだったので貿易収支は52億ドルの黒字を確保。

しかし前年同月の64億ドルの黒字と比べ、18.6%減少した。

生産・投資・消費がみな縮む

注目すべきは韓国経済の不振が外的な理由に留まらないことだ。

それを示すデータが相次ぎ明らかとなっている。

3月29日に統計庁が発表した「2月の産業活動動向」によると、全産業の生産指数は前月比1.9%下落した。

2013年3月に2.1%減となって以降、最大の下げ幅だ。

製造業の平均稼働率は71.2%に下落。

それでも出荷の減少に対応できず、在庫率は114.5%にまで上昇、

2月としてはIMF(国際通貨基金)危機当時の1998年以降、最高値を記録した。

設備投資指数は前月比で10.4%も減少。

これも2013年11月(11%)以来の低い水準だった。

消費動向を示す小売売上高指数も同0.5%減だった。

2月の景気同行指数(循環変動値)も前月比0.4ポイント落ち、11カ月連続で下落した。

IMF危機の1997年9月から1998年8月まで連続して下落した記録に次ぐ長さだ。

最大手紙、朝鮮日報は「政府は堅実と言うが…生産・消費・投資の『トリプル墜落』」(3月30日、韓国語版)と文在寅政権を責め立てた。

韓国では2017年5月に就任して以来、

最低賃金を2年間で3割近く引き上げる など、

現実を無視した文在寅政権の人気取り政策が景気の悪化に油を注いだ、との見方が一般的だ。

人件費の負担増加に耐えきれず、廃業する零細商店やコンビニが続出する。

それは当然、雇用の機会も減らした。

2018年の年間の失業率は3.8%で2017年の3.7%から0.1ポイント上昇した。

2019年1月の失業率(季節調整済み)は4.4%で、2018年12月の3.8%から急激に悪化した。

1月としては、リーマンショックの余波が残る2010年の4.7%以来の高さだ。

雇用が悪化すれば消費が縮む。

消費が縮小すれば投資も減る。

「賃金を上げれば消費も投資も増える」とのキャッチフレーズで始めた「所得主導成長」が完全な裏目に出た。

仮にその理屈が正しいとしても、2年間で一気に3割弱も最低賃金を上げれば、雇用を生み出す源泉たる企業を潰してしまう。

それを左派政権は考えに入れていなかったのである。

来年から人口減少

そもそも韓国では、人口減少による経済規模の縮小が懸念されていた。

そんな微妙な時に文在寅政権の「ピンボケ政策」は実行に移された。

統計庁は3月28日に将来人口推計を発表、

韓国の人口は早ければ2019年の5165万人をピークに、

2020年から減少すると見通した。

韓国の生産年齢人口比率は2017年の73%をピークに下降している。

これは全人口に占める15〜64歳の人口の比率で、

仮に人口が減らなくとも1人当たりの生産性が上がらなければ経済規模が縮小することを意味する。

「経済の縮み」の打撃を真っ先に受けるのが内需産業だ。

量販店など流通業が本格的なリストラに乗り出した。

大手のEマートは従業員を2017年末の2万7657人から2018年末には約1540人減らした。

就職情報会社「インクルート」によると、流通企業646社のうち11.9%が2019年には新規採用しない計画だ。

「確実に採用する計画」を持つのは28.6%に留まった。

これらの数字を報じたのは朝鮮日報。

「『風邪をひいたので面接に行けません』という日本流通業の求人難深刻…

韓国は構造調整」(4月2日、韓国語版)で、リストラに突き進む韓国の流通企業を人手不足に悩む日本と対照的に描いた。

「経済は堅調」と言い張る

景気の悪化は出生率の低下を呼ぶ。

職が得られず、将来に希望を持てない若者が結婚も出産も控える。

文在寅政権の失政は人口問題にも影を落とし始めた。

2月27日に統計庁が発表した2018年の韓国の出生数は前年より3万人あまり少ない約32万7000人で、過去最少だった。

合計特殊出生率は0.98。

統計を取り始めて以降、初めて1を割り込んだ。

日本の1.43(2017年)よりも低く、世界でも最低水準だ。

韓国の合計特殊出生率は2001年以降2016年まで1.08から1.30の間で推移していた。

それが、文在寅政権がスタートした2017年に1.05に下落した後、2018年には0.98に落ち込んだのだ。

しかし、文在寅政権に反省の色は全くない。

大統領自らが「経済は堅調だ」と言い張り続ける以上、各省庁は「無理な賃上げ」など人気取り政策を変えるわけにはいかない。

世界でも類例のない少子化には、異常な学歴重視という社会背景がある。

ことに韓国の教育費は高く、普通の親は「競争力」を付けさせるには1人しか子供を持てない。

21世紀に入ったころから韓国政府も少子化対策を打ち出してはいる。

だが、こんな社会的な要因を除去するには息の長い取り組みが必要だ。

というのに、5年の単任制という仕組みの下で、歴代大統領は短期間で成果の上がる分野に力を集中しがちだ。

ことに文在寅政権は、北朝鮮との関係改善という目標1本に、政権の力を注ぎこんでいる。腰の据わった少子化対策は望むべくもない。

最大のリスクはトランプとのケンカ

今、韓国の経済界が最も恐れる「文在寅リスク」は、米国との対立である。

2月27、28日のハノイでの米朝首脳会談で「非核化せずに、制裁だけ緩和させよう」との北朝鮮の意図が露わになった。

さらに韓国が北朝鮮の核武装を幇助しているとの認識も世界に広まった。

米朝首脳会談が物別れに終わり、

米国が制裁を維持しようとしているのに、

北にドルを渡すための事業である開城工業団地と金剛山観光を再開すると言い出したからだ

(詳しくはデイリー新潮掲載の拙稿「米国にケンカ売る文在寅、北朝鮮とは運命共同体で韓国が突き進む“地獄の一丁目”」参照)。

韓国が裏切るたびに米国は「為替」で脅してきた。

「通貨危機に陥りやすい」という韓国の弱点を突いてお灸を据える方法である

(拙著『米韓同盟消滅』第2章第4節「『韓国の裏切り』に警告し続けた米国」参照)。

折しも、韓国の貿易黒字は急速に減っている。

1997年、2008年、2011年の韓国の通貨危機はいずれも貿易収支が悪化したうえ、米国との関係が悪くなるなど外的な環境が厳しくなった時に起きている

(デイリー新潮掲載「韓国、輸出急減で通貨危機の足音 日米に見放されたらジ・エンド?」)。

まさに今、その「悪夢」が再現しかけている。

4月11日、文在寅大統領はトランプ大統領とワシントンで会談する。

この場で文在寅大統領が開城工業団地と金剛山観光の再開を言い出せば、米韓関係は破局に至る可能性がある。

パニックに陥った市場参加者は、一斉に韓国からおカネを引き上げるかも知れない。

3月に入ったころから、ウォンの対ドル相場は少しずつ弱含んでいるのだ。

鈴置高史(すずおき・たかぶみ) 韓国観察者。1954年(昭和29年)愛知県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。

日本経済新聞社でソウル、香港特派員、経済解説部長などを歴任。

95〜96年にハーバード大学国際問題研究所で研究員、2006年にイースト・ウエスト・センター(ハワイ)でジェファーソン・プログラム・フェローを務める。

18年3月に退社。著書に『米韓同盟消滅』(新潮新書)、近未来小説『朝鮮半島201Z年』(日本経済新聞出版社)など。2002年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。

週刊新潮WEB取材班

2019年4月5日 掲載