元駐日大使の憂国の弁 文在寅政権は我が韓国の「信用」を失った
【全文公開】――文藝春秋特選記事
2018/12/14(金) 7:00配信
文春オンライン
元駐日韓国大使・柳興洙(ユ・フンス)氏
黒田 今、日韓関係はここ数年で一番冷え込んでしまっていると言ってよいかもしれません。
10月30日、韓国の大法院(最高裁判所)は、「第二次大戦中に日本企業に徴用されて強制労働させられた」とする韓国人男性が新日鉄住金(当時・日本製鉄)に損害賠償を求めた訴訟の差し戻し上告審で、訴えを認める判決を下しました。
11月29日には三菱重工業に対する判決も言い渡されました。
いわゆる「徴用工問題」では長年、日韓両政府は「1965年の日韓請求権協定で解決済み」という立場を取ってきたにもかかわらず、です。
また、11月21日、韓国政府は、2015年の「日韓慰安婦合意」に基づく元慰安婦支援の「和解・癒やし財団」の解散も一方的に発表しました。
日本の世論は「韓国は国と国との約束を守れないのか」と相当、反発しています。
そこで、“知日派”として知られ、日韓慰安婦合意の時に駐日大使をされていた柳さんのお話を聞こうと思ったわけです。
柳 直近のこういった出来事が韓日関係を悪化させているのは間違いありません。
また日本人が「韓国がやっていることはおかしい」と考えるのもよく分かります。
私の愛読書に、アメリカの生物地理学者ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』があります。あらゆる研究分野の知を結集して人類史の謎に迫ったベストセラーです。
その本の中に、次の一節があります。〈韓国人と日本人は成長期を共にすごした双子の兄弟も同然だ〉。
私も心からそう思います。
韓日両国は本来、互いを兄弟だと認め合い、協力して生きていかなければならない存在なのです。
しかし今、私たちはそれとは真逆の方向に歩いて行こうとしている。とても悲しいことです。
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柳興洙(ユフンス)氏(81)は、韓国有数の“知日派政治家”である。
韓国南東部の慶尚南道・陜川生まれで2歳の時に家族と共に渡日し、少年期を京都で過ごした。
1949年、小学校5年の時に帰国。1
962年にソウル大学を卒業後、内務省(現・行政安全部)に入り、治安本部長(警察庁長官)、忠清南道知事、全斗煥政権の政務首席秘書官等を歴任した。
1985年に国会議員に初当選。
2004年の政界引退まで国会議員を4期務め、日本語は完璧で韓日議員連盟幹事長に就くなど日韓交流に尽力した。
落選期間中の1989年には京都大学に1年間留学し、ロシア思想史研究の大家・勝田吉太郎教授に師事した。
2014年から2年間、朴槿恵政権下で日本に豊富な人脈を持つ人物として駐日韓国大使に起用された。日韓国交正常化50周年となる2015年の「日韓慰安婦合意」に舞台裏でかかわった。
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柳 黒田さん、覚えていますか。私の大使就任をスクープしたのは、韓国のメディアではなく、日本の産経新聞だったことを(笑)。
黒田 あのネタは情報機関筋から入手したんですが、あの時、電話で「僕はソウル京都大学同窓会の会長ですが、京大の“後輩”にあたるあなたが僕に連絡しないのはケシカラン」と冗談半分で言いました(笑)。
柳 そうだったかな。でも、大使になるかどうかは、家内にしか相談していなかったんですよね。
安倍晋太郎と爆弾酒
柳氏は朴槿恵大統領に仕えた
黒田 改めて、大使に就任した経緯を教えていただけませんか。
柳 2014年7月のことですが、朴槿恵大統領の金淇春秘書室長から電話がかかってきました。彼は私のソウル大同級生です。「最近どうだ」「忙しいと思って連絡しなかったよ」。一通り世間話を終えた後、翌日の朝食に誘われました。
翌朝、ソウル市内のホテルで会った金氏から「今、韓日関係が非常に悪い。キミは日本語もできるし、人脈も多い。日本大使には一番適当だ。やってくれないか」と言われたんです。私は歳も歳だった(76歳)ので非常に驚き、「2、3日考えさせてくれ」と言ってその日は帰りました。色々と考えて、「健康状態はまだ大丈夫だ。韓日友好のために自分が力になれれば本望じゃないか」と思い、引き受けることにしたのです。
黒田 朴槿恵大統領からは、直接何か言われましたか。
柳 はい。「来年(2015年)は国交正常化50周年という節目だから、新しい韓日関係の元年になるように私も頑張るので」と言っていたことを覚えています。実は、昔から朴槿恵大統領のことはよく知っています。彼女は国会議員の後輩で、国会の外務委員会ではずっと隣の席だったからです。よくメシに誘ったのですがいつも断られました。彼女は真面目すぎて冗談も言わない。人とあまり食事もしないんですね。
黒田 朴槿恵大統領は、その生い立ちや両親を政治的事件で早く亡くしたことなどから、人間不信や警戒心が強かったと思いますね。このトラウマが大統領としての政治的力量不足にもつながったと思いますが、大使として赴任された後、一番大変だったことは何でしょうか。
柳 「日韓慰安婦合意」をめぐる水面下の交渉はもちろん骨が折れるものでした。しかし、個人的に思い出深いのは同じ年の6月22日に行われた「日韓国交正常化50周年記念レセプション」です。
この日は、東京・ソウルの双方でレセプションが同時開催される予定でした。しかし、直前まで韓日両首脳の出席は未定のまま。3日前になり、日韓議員連盟幹事長の河村建夫さんから急に「もし安倍総理が東京で出席すれば、朴槿恵大統領もソウルで出席できますか」と電話があった。「はい。私が責任を持ってそうさせます」と即答しました。そして調整の末、安倍総理は東京、朴槿恵大統領はソウルで出席し、尹炳世外相が東京で朴槿恵大統領の祝辞を代読することが決まりました。これで上手くいく――そう思いました。
ところが当日になって、日本の外務省が「安倍総理は国会が忙しいため自分の祝辞を述べたら帰ります」と言ってきた。驚いて、「それは絶対にダメだ。朴槿恵大統領の祝辞を聞かずに帰るなら来ない方がマシだ」と言ったんです。
黒田 記念行事の「真実味」がなくなってしまいますからね。
柳 そうです。時間も迫っており、事務方と話しても埒が明かない。そこで私は信頼する日本政界の大物に電話をして、「これでは韓日関係はもっと悪くなる。総理が忙しいのは分かるが、何とかならないか」と頼んだんです。その方は「分かった」と言いました。結局、安倍総理はレセプションの最初から最後まで出席してくれました。そして11月には首脳会談が行われ、12月に「日韓慰安婦合意」が実現したのです。
黒田 そういえば、柳さんは安倍総理のことは昔からよく知っているとお聞きしています。
柳 お父上の安倍晋太郎さんと親しかったのです。1980年代、晋太郎さんが外務大臣をお辞めになる直前、釜山で一緒に爆弾酒(ビールとウイスキーを混ぜた韓国式カクテル)を飲み交わしたことがあります。隣の部屋には秘書が待機していたのですが、それが若き日の安倍晋三さんでした。彼は決断力のある優れたリーダーになりましたね。国益が何かを柔軟に判断できる「実利的」な人だと思います。
10億円はどこへ?
黒田 ここからが本題です。こうした柳さんたちの努力によって形づくられてきた「良い日韓関係」は今、音を立てて崩れつつあります。
たとえば慰安婦合意に基づいて日本が10億円を拠出して設立した「和解・癒やし財団」の解散ですが、朴槿恵政権の後に誕生した文在寅政権は発足当初から慰安婦合意に否定的でした。そしてわざわざ検証委員会で調査し、今回、「真の解決にはならない」と解散してしまいました。
日韓慰安婦合意は国際的にも米政府や当時の潘基文・国連事務総長が肯定的に評価するなどウケは良かった。それを一方的にひっくり返した韓国に対し、日本では不満と不信が噴出しています。柳さんは文在寅政権のこの判断をどう見ましたか。
柳 今回の一方的な合意破壊はよくない判断だと思っています。
この合意は韓国にとって日本との“外交交渉”としては画期的で評価すべきものだと自負しています。なぜならば、慰安婦問題に関して日本から3つの大きな譲歩を引き出しているからです。(1)日本が〈軍の関与〉を明確に認めたこと。(2)〈安倍内閣総理大臣は、日本国の内閣総理大臣として(略)心からおわびと反省の気持ちを表明する〉と初めて総理の名前で謝罪をしたこと。(3)10億円の資金は国家予算から出ていること。特に(2)について、日本政府はこれまで総理の名前で謝ったことはありませんでしたから。
黒田 3点とも市民団体をはじめ韓国側が執拗に日本に要求してきたことですよね。それに「10億円の資金」については、当事者である元慰安婦の70%以上はすでに支援金の支給を受け、合意を了解しているという事実があります。
柳 そうです。韓国人としては非常に言いにくいことですが、支援の市民団体と一緒に行動して日本を延々と非難しているハルモニ(おばあさん)は今や少数派なんです。大多数は合意にOKしていたのです。
黒田 現在、存命のハルモニは27人。市民団体の運動に加わっている人は10名足らずだと思いますが、市民団体や政府が、少数の意見を元慰安婦の総意であるかのように主張しているという構図は、韓国でも意外に知らされていないですね。
柳 当時、間接的に耳にしたところによると、市民団体の人たちも、政府サイドから「今後もあなたたちが活躍できるような、例えば『国際的な女性の人権』という分野など立派な仕事がたくさんあるではないですか」と言われ、内々では合意を了解していたという話もありました。
検証委員会の調査結果を受け、文在寅大統領は「手続き的にも内容的にも重大な欠陥があった」と指摘しましたが、具体的な内容には文句をつけていません。結論ありきの「言い訳」という感じでしたね。
黒田 韓国では国家が後退し、市民団体や労働団体などの“無理筋”の声が強くなったせいでしょうが、文在寅政権はそれらが支持基盤ですから、その声に弱いんですね。
それから、「徴用工問題」です。日本社会は「なんであんな判決が出るの?」と驚き、反発しています。
柳 1965年の日韓請求権協定に基づき、当時の韓国政府が日本政府から無償3億ドル、有償2億ドルの供与を受けたのは歴史的事実。私は、元徴用工に関する請求権もこの協定に含まれていると考えています。国家と国家が締結した協定は絶対的に守らなければならないのは外交の大原則です。
黒田 しかし、大法院は判決で「元徴用工“個人”の請求権は『日韓請求権協定』では消滅していない」と言っていますよね。
柳 その点は留保すべきだと思います。私は法律の専門家ではありませんが、確かに“個人”として元徴用工が請求できる法的権利までは失われていないと考えています。
黒田 と、したとしても、それは韓国政府が代わって資金を受け取っているわけですから、韓国政府が処理すれば済む話ですよね。
柳 だから、「韓国の民事判決」が“韓日決裂”という外交問題に発展している今、それを解決する責任は間違いなく韓国政府にあるということです。「司法の判断であり行政は関係ない」と知らん顔をしてはいけません。韓国政府はどう解決するか悩みに悩む必要がある。文在寅政権がそれをするかどうか、心配です。
強くなりすぎたNGO的発想