Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

心のドアの取っ手―開け閉め

2019-03-05 | 人間関係

一般に心を感情系、頭を考える思考系に例えて

慣用的に使っている。


心を開ける、心を閉ざす、心で言う、

心が痛む、心が泣く、心が舞う、

心に沁みる、心が冷たい、心が熱い、

心が明るくなる、心が暗くなる、

心に鬼、心が伝わる、心が無い、

心がある、心が変わる、心で聴く、

心に触れる、心だけ、心を添える、

心を見せる、心で見る、心一つなど

心を感情や気立て、心構えとして使い分けている。


多種多様な状況変化や様々な状態に応じて

『心』は柔軟に対応できる語句でもある。

その中で、私は特に心の開け閉めに関する語句がしっくりくる。


人が人に対し、心を開けていると

意志の疎通が円滑になり、話が流れるようになる。

だが、ある人がある人に対し、心を閉ざすと、

まるでドアを閉めたように、

人の間で事柄情報の出入りができなくなる。


心を閉ざすのは一方的で、割と簡単にできるが、

心を開けるのはそう簡単にできない。

ある人が人に対し、“心を開く”と言うのは簡単である。

その言葉を聞いた人が『開けることを閉ざす』ことも簡単である。

人に対し、心を開くべき根拠が充実で誠であっても、

聞いている人にとっては

その正しい根拠も虚しいことばだけになりかねない。


何歳からだったか忘れたが、

実際私は全ての人に対し、心を閉ざした時期があった。

心を閉ざした時は、

ドアがパータンと閉まる音を出すように

空気が切れるような音がした。


心を閉ざすと、人の言葉が聞こえても意味を成さなくなる。

外見上、自閉症のような症状に最も近くなる。

自分の世界に閉じこもるように見えるが、

そこまで自分だけに拘ることも無い。

ただ、人との関りを保つための努力を

しないだけだったような気がする。


私の姉は私が心を閉ざしていた時期のことを

“無口”だったと言った。

姉は私が言ったことを何も思い出せないとも言ったので、

後になってその記憶が無いことが

正しいと言ってあげたことがある。


もしかしたら、私は自閉症で生まれてきたかもしれない。

何故なら、何も話さない時の方が、

気が楽で平穏を感じるからだ。

その傾向なので、

話をすることは私に結構なエネルギー消費になる。


塾長をしていた時は、

個人の性格要因と公の役柄を弁えていたから

割り切ることができたが、

今、私は公的にも私的にも話す義務が無い。

それが何よりの幸せでもある。


その長年の経験からか、

私は自閉症に関して軽々しく言えない。

その肉体的な体験をしていないようなカウンセラーが

学校で習った理論を自閉症の子供に

実験をしているのを見ると心が痛む。


また、自閉症の子を持つ親が

自分の子を正常でないように話す時も、

やるせなさも感じる。

自閉症を正常の状態に直すべきだと思う社会観念にも

悲しくてならない。

正常な子の尺度から自閉症が判断され、

自閉した子は頑張って

正常にならなければならない責務みたいな強制が課される。


しかし、自閉の子からみて

正常の子達は異常なほど同じ性格に見えるかもしれない。

俗で言う正常は、行動傾向が類似し、

行動が規格に適したある範囲内に収まることを言う。

自閉の子はその標準外だけの行動様式を持っているだけかもしれないのに、

正常の人はそれを認めない。


実際、私も生きるために

心地良い自閉から出なければならなかった。

自分で生きなくてはならないと

生命の危機に直面した時、

自閉の部屋を選ぶか、

恐怖に満ちた外側に出るドアを開けるかは

確率の問題かも知れない。


外に出るドアの取っ手を握る勇気、

それを回し開けるまでの心の格闘

外に出てみて見える自分がいた部屋は小さかったのに

ドアは大きかったと分かること

そのドアの取っ手は外側に無く、

中にいる人にしかついてないことを確認する瞬間


それらは心の自閉は一瞬から始まり、

一瞬で閉ざされ、

閉ざされた長年の苦しみも

一瞬で飛ばされる。


その一瞬に開け閉ざしの空間がある。


 

追記

今回の記事が長くなってしまいましたので

和文の英訳はゆっくり時間をかけてアップしていく予定です。

Comments (16)
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