Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

Casta Divaをバレエで(坐禅的に)

2024-12-17 | バレエ

この前の土曜、ポワントでソローを踊りました。

普段冬の発表会では子供たちの見せ場だけで大人クラスは参加しないのですが、

先生が私に舞台経験させる意図もあるらしく、

1幕の最後のパートで大人は私だけでした。

恐らく、あの会場で私が一番歳っとっていたでしょう。

 

坐禅訓練のおかげか、自分と役割を分離できたので、

緊張感や不安感に振り回されなかったです。

落ち着いて、自分が見せたい物語に集中できたのは、

坐禅の基本が知らずのうちに身についたからかもしれません。

 

ヘルニア手術後、バレエに再復帰してから、

私は基本だけを正確にしようと心に決めていました。

坐禅も自我はこうだ、いや自我の本質はあれだとか、

全く分析、定義などしないで、

坐りたい時に坐って、坐れない時も

坐禅が教えていることは何なのかだけを考えていました。

 

その姿勢はバレエでも同じく一貫していて、

バレエのテクニックを追うよりは

バレエの基本原理を理解することをメインにしていました。

 

しかし、上に言及したのは全部理論に過ぎず、

その心構えが如何に徹底していても、

体の運動神経を鍛錬しない限り、

空の雲にすぎません。

 

完璧に理解した理論はそれを土台に

更に踏み込んでいける踏み台にはなれます。

理論家がスランプに落ちるのは、

理論の整理が完成した後、次の段階に飛び移る時に

飛べる筋力が無いからでもあるのでしょう。

 

理論は数学問題を解く公式に似ています。

公式を理解しても問題を解く算術がわからなければ、

正しい答えを得られないのと通じています。

 

坐禅の究極の目的地は解脱でしょうか、

無我に至る境地でしょうか。

いずれにせよ、坐禅で得られたい利得に縛れている間は、

坐禅をしている自分が偉いという感覚に

縛れていることになるでしょう。

 

バレエもバレエをやっている自分が好きだとか、

難しい踊りをしている自分が偉いと思っている間は、

自分を自分が束縛していることに気付けないと思います。

 

私はまだ自分の踊りを撮ったビデオや写真を観ていないのですが、

観なくても観客の反応で分かります。

観客の反応だけではなく、自分の身体の角度、ジャンプの高さ、

私に見えた角度から私の体がどこに位置していたのが分かるから、

実際観て確認する必要も無いです。

 

発表会があった日、夫に写真一枚だけ撮ってくれることを頼んで、

急いで帰宅しました。

帰って夫と記念写真だけ何枚か撮って、夕飯支度をして

土曜に定期的に観ているNetflixシリーズを観て

バレエについては何も話さなかったです。

 

一つびっくりしたのはバレエを観ること自体

もううんざりになっていたことでした。

そんなに観ることさえ嫌な気分を感じたのは初めてでした。

寝ようとしたら、自分が足りていなかったことや

正しくできなかったステップが爆弾のように爆発してきました。

 

激しく自分が嫌になる感情、

その瞬間は坐禅の訓練も役に立たないくらいでした。

しかもクラスメートの一人が

私の舞台写真一枚を親切に送ってくれたのです。

あの間違ったポーズの写真をわざわざ、

あの人にはそれが見た目良かったでしょう。

 

撮ってしかも送ってくれたことに感謝いっぱいでしたが、

あの間違ったポーズは、

私がその瞬間に感じていた不安感や練習不足を全面的に写していました。

 

心では坐禅のおかげで私は偉く落ち着いていたとか、

表現に集中できたとか自分の都合よく考えていたのに、

その写真一枚は現実を残酷に見せていたのです。

そんな訳で、日曜は何もしないで家事だけに集中しました。

 

今日は月曜、音楽の解釈にお世話になったフェイスブックの友たちと

教えてくれた先生、応援してくれる夫をタグして

属している音楽グループで感謝の投稿をしておきました。

 

そして、今はブログ友の皆さんに

今思っていることを報告兼ねて書いているのです。

今回は日本語を分かる人たちの中で

私が感じていることを真っ先に共有したいがために

和文だけを投稿しておきます。

この自己嫌悪の感情の波が過ぎてくれば、

坐禅の概念が表れている部分だけ編集、通訳して

改めて投稿する腹つもりです。

 

見せてもいい写真があれば写真もアップしますね。

ビデオは無理でしょうね、きっと。

 

Comments (4)
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