身体感覚受容(認知)とは
自分の身体行為が他人にどう見えているか、
自分の身体器官が空間内にどのように位置し置かれているかを知る、
あるいは推測できる脳内感覚を指す。
例えば、筋肉、腱、関節のセンサー、身体のバランス維持、
鏡を見ないで自分の身体の位置を感知することを示す。
英語ではProprioception
ネット通訳では固有受容覚、内性受容感覚などで訳されているが、
私にはそれらの訳を読んでも何もイメージ出来ないので
我流に考えた『自体自覚感覚』のほうが
少しでも本来の意味に近いかなと思う。
私はこの感覚を鍛え始めてから3年ほどだが、
未だにその感覚が掴めない。
この感覚はその言葉をわかっても、
その概念を理解しても、
その感覚を実際に体感で得ることはできない。
その感覚を確かなものにするには、
長年の筋肉トレーニングと運動神経の磨きの過程が必要不可欠である。
では、この感覚が鋭いのと鈍いのではどの差があるのだろうか。
その簡単な例として、あるプリマバレリーナと
バレエを趣味で習っている人の動きの差を挙げられる。
プリマバレリーナは自分の動きについて、
完璧な計算ができる人である。
自分の動きが観客にどう見えているかについて、
自己感覚と他人感覚とを完璧に一致させる能力がある。
なので、自分の動きを他人の感情経路に完全につながらせて
共感、共調させることができるのである。
反面、バレエを習い始めた人の動きを見ると
先生が見せた動きとは少し似てはいるが、
何か違っているように思える動きをする。
そのビギナーがその違いに気づけて
先生の動きに少しでも近づけるために努力し始めたと仮定した場合、
その近似数値的な結果を得られるにも、最低3年はかかると思う。
中には身体能力が優れた人がいて、
習ったその場で出来てしまう人がいるかも知れないが、
少なくても私にはそのような例を目撃したことが無い。
昨日、全ての現実を無条件に受け入れる覚悟をして、
一ヶ月前にあったバレエ発表会で
夫が撮ってくれた写真の確認作業をした。
写真の大部分は自分では90度の角度のつもりであったのに、
40度くらいにしかできなかったり、
正しいと思う筋肉の使い方をしたはずなのに、
実際は間違ったポーズになっていたりと
『思いと行いのズレ』が9割以上であった。
自分では自体自覚感覚を鍛えてきたと思い、
それを確認する時期が来たと思ったが、
結果は半分も進んでないことが判明したのであった。
この記事を読んでくださった方へ
このProprioceptionの概念は奥が深くて、
坐禅の基本概念と通じていると思っています(個人的に)
なので、言いたいことが言えるまで書いてみようと思って
その①を書いて一旦投稿して参考の英訳は次回にまわします。
それと、この記事のために適切な発表会での写真があるかと
探してみたのでしたが、全く酷いものしかなかったので
何年か前に庭で撮っておいたキレイな写真をつけておきます。
毎年、自分の写真を撮るのが確実に嫌になってきますね。