Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

A concept of a self-自分という観念

2016-11-06 | 日記

私の日課の一つはYouTubeを観ることだ。
One of my daily routines is watching YouTube.

その時に関心がある分野を検索して
Searching a field that interest something at the time,

1時間以上の講義スタイルを好んで観ている。
 -and preferred to watch a style of lecture more than 1 hour length.

学校の授業よりも、分厚い本を読むよりも
手っ取り早く、多くの情報を取り入れるからだ。
Because of they are shorter-cut to get more information
-than classes in a school or reading a thick book.

約6週間前にいつものように物理学か坐禅に関する
ビデオを探していたら、
About 6 weeks ago when I was looking for a video that
-related with physics or zazen,

ちょうど60分の長さで『心 南直哉』というビデオが現れた。
-A video has appeared in just 60 minutes’ length
-titled『Kokoro Minaminaoya』

南直哉さんは曹洞宗派の住職で
-Minami Naoya is the chief monk of Soto-sect,

NHKが撮った彼のインタビュー番組を誰かがアップロードしたものだ。
Someone has uploaded his interview program which filmed by NHK broadcast.

不思議なことにアメリカへ移住してから日本語を聞いていると
心が落ち着く...
Strangely when I listening Japanese since immigrated to US,
-my mind calms down…

日本にいた時は英語のビデオしか観ていなかったのに...
= Though I had listened only English video when I was in Japan…

そのビデオの中で、彼は自分という観念について語っていた。
In the video, he was telling about the concept of a self.

自我というのは、トウナッツの丸い真ん中のように
A self is, it is alike the middle center of a donut,

在るのたが、取り出して見せようとしても
Although its existence, to try to show as taken out

真ん中が物質的に無いため取り出せないと言うのだ。
-said that it cannot be taken out because of the center is materially empty.

はっとした。
Startled.

正にそうだと思った。
I thought he is exactly right.

思わず聞き入ってしまい、
何回も何回も理解できるまで繰り返し聴いた。
I got into listening attentively,
- to be able to understand repeated many many times.

自分というのはなにものかという問いに一つの答えのように聞こえた。
It sounded can be an answer for the question of what is a self.

自分という観念について根本的な疑問を持ち
He has the question of concept of a fundamental self,

それについて納得できるまで考え抜いた過程を語っていた。
-telling the process of thought out till made sense at all.

当時私は、自分という一つの者が
At that time my thought was, so called myself it has a self,

韓国での自分、日本での自分、アメリカでの自分これら3つが
-as the self in Korea, as the self in Japan, as the self in US,

それぞれ違い、物質としての身体の中で
-these 3 selves are different in each, as a material physical,

独立した他人同士のように存在していて
-they exist as if strangers coexist independently each other,

自分というのは過去の記憶が成す結果に過ぎないと思っていた。
I thought that a self is a mere result of memory of formed by the past.

彼の説は私の考えをバックアップしてくれるデーターになった。
His theory became my data for backing up my thoughts.

どうにかして彼のブログを探し読んだら、
Somehow I found his blog and read,

面白くなり彼の読者になりたくなった。
-got interested and wanted to be his subscriber.

彼の読者になるには、同じブログを持たなくてはならない。
To become his subscriber, I had to have the same blog site.

それから初めてブログを書き始めた。
Since then I started to write my blog for the first time.

独りよがりのブログを書いたら、
As I write a smug,

誰かが私の読者になってくれた。
-someone subscribed for my blog.

その時の驚きは言葉では言い尽くせない。
The astonishment at that moment was ineffable.

人に読まれている感覚は、
The sense of being read by people is

心が澄まされるような、クリアになる必要性を与えられるような
-as if making clear my mind, given the necessity to be clearer

窓をキレイに拭いてからこそ見える外側の風景のようだ。
-smilingly it is like a scenery which can visible
-only when after wiped out the window till clean.

ある自分がある自分と関わる...
A self relates with a self…

その関わっている自分同士は身体の物体を持つ、
The selves related with each other that possessing objects of bodies,

実体の無い、記憶の塊に過ぎない煙かもしれない。
-no entity, it may merely be a vapor like a mass of memory storage.

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2 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
再読と英語 (紫苑)
2020-04-24 08:52:34
桂蓮さんのブログは、一応目通ししたので、今度は再読です。優しい英語で深い内容を書いていらっしゃるので、英語で読んでみることにします。改めていいブログをありがとうございます。
返信する
Unknown (柴苑さまへ)
2020-04-24 10:44:09
この記事を書いてた時は
ブログを始めたばかりのころでした。
書く技術や通訳力は今に比べて
野暮ったいところがありますが、
恥ずかしいからといって削除してなかったのは
自分の発展過程をそのまま残したかったからでした。
英語を読むにつれて、
この時期の翻訳方と近頃の差に着目して読むと
恐らく、面白い何かが見つかるかもしれませんね。

私も柴苑さまのブログ記事を
少しずつ読んでいます。
いつか、お互いのブログ読み終わって、
昔はああだった今はこうなのにね、と
いつか言える日がきたら、大笑いするのですかね。
返信する

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