Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

アナログ式エゴ・デジタル式思考Analogic-ego & Digital-thinking

2020-06-09 | 時空間

人の思考パータンは時代の変化に伴い

影響される受動態の性質を持つかもしれない。

Humans thought it might have a passive pattern

influenced by changing generations.

 

アナログ時計を見ると時間を示す針があって、

時間の流れが見える。

When looking at an analog clock,

there are hands for indicating the hour, minute, second,

and it shows the flow of time.

秒針が一秒一秒動くのを見ていると

一秒が案外長いなと感じて驚かされる。

Watching the hand moves from one second to another

makes me astonishing that the one second is unexpectedly longer than it is.

 

ところが、デジタル時計は秒と秒の間の動きが見えず、

突然のように現在の時刻が表示される。

However, a digital clock abruptly displays current clock time only

and it does not show the movement of second to seconds.

デジタル式には時間、分、秒が瞬時に表れて、

過ぎた時間は存在していなかったように完全に消えてしまう。

On the digital system, hour, minute, second is appear instantly

and they completely disappear like the passed time even never existed.

時間の経過が見えず、常にその時刻しか見せていない。

The passage of time invisible and shows only the current clock time.

 

私は便利なデジタル時計よりは、

時計らしいアナログ時計のほうが好きだ。

I prefer an analog-style clock than a convenient digital one

which is more suitable as a clock.

アナログ時計は12時間の経過がひと目で見えるし、

計画的に時間を使えるのに約立つからだ。

Because analog clock shows the passage of 12 hours at a glance

and useful for planning time to use.

 

たまに、時計の針が動くのをじっと見てしまう時がある。

Occasionally, I stare at the clock hand movement.

時計を眺めている1分がとても長く感じられるし、

1分1分がとても大切に思えるからでもある。

It is because as I look on the clock,

one minute comes to feel longer and

each of one minute becomes pretty precious.

 

私達の考えや意識もデジタル時計の時刻表示版のように、

突然現れては嘘のように消えてしまう。

Like the digital clock display,

our thoughts and consciousness also suddenly pop up

and be gone like a lie.

一つの考えに前後関連があるように思われても、

考え自体の全面像を巨視的に視ると

記憶の断片に過ぎないことが多い。

Even though a thought seems to be related consequences,

but it is often only a fragment of memory

as perspective it microbially

to grasp the whole picture of the thought.

 

過去のあるできごとが感情と強く結び付くと記憶に鮮明に残り、

意識されることが多くなる。

When a past episode combines with emotions strongly,

it remains vividly in-memory system and becoming more conscious.

その記憶が今の感情と更に結びつき、感覚の連鎖を作る。

Such memory knotted up with current emotions additionally,

creating chain reactions to sense.

 

私達の意識は時間の経過が基盤になって、

過去から残された記憶が空中に飛び交うイメージの世界に似ている。

Our consciousness is primarily based on the passage of time,

and it resembles the world of the image

in which the leftover memories from the past

flitting around in the space.

意識自体には秩序が無く、

ランダムに飛び跳ねては泡のように瞬時に消える。

In the consciousness has no order,

and it jumps and bouncing randomly

then disappearing instantly like bubbles.

意識は常にフルに可動している考えの工場かもしれない。

Consciousness maybe like a fully activated factory

that produces thoughts.

 

 

10年か前に、仕事絡みのストレスに潰れそうになった時があった。

Ten years or more than before,

I was almost crushed by work-related stresses.

そのストレスな状況は変えられなかったので、

何か自力でできることがあるだろうかと真剣に解決策を探した。

That kind of stress unchangeable so,

I seriously sought a solution to see if I could do anything by myself.

 

だが、大部分のストレスに関する情報は、

ストレスは何かを説明していて、

対処方法も漠然としていたので、私には効き目がなかった。

But most of the information about stress was

just define what stress is

and the way to deal with it was also indistinct

so those did not work for me.

効き目の無い知識は無用である。

If knowledge does not have efficacy it is useless.

 

そこで外部からの知識に頼ることをやめて、

ストレスの根源にある自分の意識について

考え直し始めたのである。

Therefore I quit relying on external knowledge

and began to reconsider my own consciousness

which brunched to stress.

 

意識は、自分の意識なのに常に部分しか見えない。

The consciousness can see only a part even though it belongs to me.

意識の全貌を見渡すには意識自体の枠から出ないと意識が見えない。

To take an extensive view of the whole figure of consciousness,

it does not allow us to see unless we get out of the frame.

 

では、どうすれば意識の枠から出られるのだろうか。

Then, how can we get out of the conscious frame?

以下は、私が試したいくつかの方法である。

Below are some of the trials I experimented with.

 

①楽に座り、動作を止める

1st: sit comfortably and stop moving.

 

②座る動作を維持する

2nd: retain the sitting motion.

 

③座る動作に意識が向かなくなるまでじっと待つ

3rd: wait until the consciousness loses attention to the sitting motion.

 

④目で見えることに意識がどう反応しているかに意識を向ける

4th: direct conscious toward how it reacts to what you see with eyes.

 

⑤見ていることに慣れると過去のある記憶が突然表れる

5th: when adjusted to seeing,

     a memory of the past suddenly popping up.

 

⑥その記憶にぐっついている感情が何かについて意識を向ける

6th: directing to the conscious to see what emotion is attached to the memory.

 

⑦その感情を最大に具体化する

7th: maximize the emotion to concrete.

 

⑧その感情に今も痛みが伴うならその痛みに直面する

8th: if the emotion still accompanies a pain then face to the pain directly.

 

⑨その痛みが架空の痛みなのか実感なのかを見極める

9th: make clearly sure the pain is a fictional or solid feeling.

 

⑩浮かんだイメージが記憶なのか今の事実なのかを見極める

10th: ascertain the popped-out image came from

        wherein memory or it is the current fact.

 

⑪断片的に表れる記憶をただ再生させる

11th: let the partly appeared memories replaying.

 

⑫イメージが表れては消えるさまをただ観る

12th: just watch the shape of the image as it appears and disappears.

 

⑬記憶が見せる映像のようなイメージをただ眺める

13th: just look over scenery like the image that represented by memory.

 

⑭そのイメージが過去にあったことか今のことなのかを知る

14th: know the image is happened in the past or is in the present.

 

⑮いつ起きたかを判断することを止める

15th: stop judging when it happened.

 

⑯どっちなのかの識別することを止める

16th: stop distinguish which it is.

 

⑰思えてくることを判断することを止める

17th: stop judging what comes to mind.

 

⑱考えないようにすることすら止める

18th: stop even the try not to think.

 

⑲考えているか、考えていないかを確認することを止める

19th: stop checking out whether you are thinking or not.

 

⑳ただ、その瞬間にいる

20th: just be at the moment.

 

以上は意識を休ませる順序である。

The above are systematic sequences of resting consciousness.

人によって前後する箇所はあるかも知れないが、

意識を休ませることによって、

結果的にストレスから出られることになる。

Maybe a number of the list moves back or forth

depending on personal cases

but by resting consciousness,

it leads you to get out of being stressed.

 

要するに、時間の枠の中に閉じこもることから開放されるのである。

In other words, it frees you from stuck in the inside of the frame of time.

時間の外側に自分をおくことができるようになる。

It allows to enable to put yourself outside of the time.

 

アナログ的なエゴつまり、過去の鎖でつながれて、

自分のエゴの中でしか動かすことのできないことからも開放される。

An ego like an analogic system that chained with past

and mobilizes within one’s ego only, it also will be free.

 

デジタル的な考えつまり、瞬時に表れて

泡のようにあっけなく消える考えに

無駄なエネルギーを消耗することからも開放っされる。

A thought like a digital system that

appears instantly and vanishes abruptly like bubbles,

it allows you freed from wasting the energy.

 

アナログもデジタルも時間という現象を表示する方式にすぎない。

Either analog or digital are just ways of displaying the phenomenon of the time.

エゴも意識も生きている時に表れる泡のような現象かも知れない….

Maybe both ego and consciousness are bubble-like phenomena

that appearing while alive….

 

 

 

 

 


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39 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (桂蓮)
2020-06-23 15:23:08
まあ、敢えて『それ』について何とか、頭をひねてみると、
それは、わかることへの共通の関心かもです。
うちらは常に宇宙、物理、力学などの番組を観ます。
観てから、それがなんだったのか、話し合います。
なので、変容する余地が無いのです。
元々、宇宙物理学が縁で出会いましたからね。
私の英語も好きなことをしゃべると
なんだか不自由しないので、
おダク同士なんでしょうね、きっと。
返信する
Unknown (ZIP)
2020-06-23 13:46:52
好きになるという誤解によって結婚した者は、相手の「それ」を理解することで別れるか、もしくは忍耐を知るということになるわけだ。
忍耐という許容範囲内に納まる程度であれば続くことは可能だが、夫婦でいる為の努力はどうしても欠かせない。
本来であれば、牧師さんの前で誓う以前にお互いが「それ」を理解していて当然のことではあるはずなのだが。
本音本音と力んでみたところで自分の「それ」を捨てることさえ厭わないほど人を好きになることは不可能なことではないと思うのだが。
返信する
Unknown (101000dotline)
2020-06-23 09:25:26
お返事ありがとうございました。

恐らく
その通りで
間違いない
と思います。

伝わって
安堵しました。

心より

ご夫婦のこれからを応援しています。
ありがとうございます☺️👋
返信する
Unknown (こうりゅうさんへ)
2020-06-23 08:41:41
こうりゅうさんは私が何を伝いたかったかが
根本的に分かった方かなと今、返信を読んで確信できました。
恐らく、私と人間関係の面で似たもの同士かもしれません。
本当に言いたいことを言えないーこのことは
私にとって未だに課題として目前にあります。
本音、本音、私も気軽に言ってはいますが、
これ、本当に勇気が要るのです。
本音で人との関係が切れて
破綻されて
人に嫌われて
人から罵られて
人から罵倒されて
縁が切れて
もう散々な思いをしてきました。
だけど、私は最終的には本音を選びます。

私の夫
彼と結婚した矢先、
価値観のズレで大喧嘩をしました。
その喧嘩の原因はもちろん私の本音でした。
もし、離婚になれば
私はまた日本か韓国に帰らなければならない状況でした。
空に浮く、日本の住まいはとっくに無くなって
韓国には今更帰れない、かといって
気持ちを押し殺してまで
結婚生活はできない、そんな状況でしたね。

けれど、私は言いたいことを全部言いました。
結果、離婚でも仕方ないと思いましたね。

で、うちらはそれをくぐり抜けました。
私は一度も彼に気持ちの面で嘘をついたことが無いです。

本音で勝負
それしか私は持っていません。

こうりゅうさんがここで書いてくださって
私もブログ関係で言いたかったことを
吐き出すことができました。
本当に感謝します。

これがいわゆる人間の関係なのですね。
返信する
Unknown (101000dotline)
2020-06-23 08:05:12
桂蓮さん

先日は、私のblogの方にコメントをくださり、ありがとうございました。
そちらにお返事書かせていただきました。

私が発信した文章
桂蓮さんというフィルターを通すと
こういう受け取りかたになるんだな
と、私は受け止めています

同じことの繰り返しになっているのであれば、
しつこくてごめんなさい。

母、父、夫、、兄弟、叔母、知人に
「こりゅうの話は長い」
「しつこい」
と、数回言われたことがあります。

この春になって、母に、
「約束の時間に遅れて相手を待たすということは“意地悪”をしているのよ」とはっきり言われ、
こりゅうは、他人さまに気を使って生きてきたつもりだったけれど、
遅刻という意地悪は、小学生の頃に小学校に行くときから、幼馴染みのMちゃんにしてきたんだな…
しかもそれから30年以上治っていない悪癖なので
その間、待たせた人の数と時間は
それこ天文学的な迷惑行為(意地悪)の集積だ…

辛くなってきますし現実から目を背けて
今まで遅刻を見逃してきましたが

今日ここにコメントを残したこと
残すことを事前に許してくれた
桂蓮さんに感謝して

現実的には
『遅刻は厳しく禁じる』
自分の心の声の中では
「意地悪こりゅうを卒業して、意地善こりゅうに弟子入りするぞ❗」
という想いで、
一歩一歩
日進月歩の努力
をしてきたいと思います。

桂蓮さん、
「大きなお世話」として、仲裁の勇気を出して下さったZIPさん(文中での御礼の言葉になりすみません)
誠にありがとうございました。

今日もお身体、お互いに大切にしましょう。

101000dotline こりゅう
返信する
Unknown (桂蓮)
2020-06-23 02:38:36
>机は机として使われることで机になり、それを使う人は、使用している間は、「机を使う人」として存在する以外、存在のしようがないということになります。「使う」行為が「机」と「人」を生成するわけです<

意識は意識として使われることで意識になり、
それを認識する人は、
認識している間は、
「意識を意識する人」として存在する以外、
存在のしようがないということになります。
「認識」行為が「意識」と「存在」を生成するわけです。
引用した箇所を意識として置き換えて
代入が成立するか、やってみたのだが、
これといった解にはなれない気がする。
まあ、もっともな感じはするが。
返信する
Unknown (ZIP)
2020-06-22 01:26:48
机を使うという行為が人を生成するというわけだから、使うという行為をする限においてのみ人が生成されるというわけだ。
即ち、使うという行為に人を向かわせるものが机という情報になるわけだ。
すると、机という情報が無ければ使うという行為をする人は生成されないわけだから、机を使う行為に向かわせる情報を持たない人は、人として生成されないということになるわけだ。
即ち、人は行為をする限においてのみ人として見なされるわけだから、情報が行為に向かわせる人を生成するということ。
人は情報が無ければ、生きていくことはおろか、寝ることも、引きこもることも、死ぬことさえもできはしない。
返信する
Unknown (桂蓮)
2020-06-21 12:12:28
人の書く行為は
書く人への愛情の枝分かれかもしれない。
否定的でも
批判的でも
真価を問われる追求でも
無視されるよりはマシか
或いは、そうでないか
考えても言った、書いた事実は取り消すことはできない。
コメントが不都合といって
削除する人がいる。
条件付き。。。。。。
良いコメント
悪いコメント
私はその境を決めることができない。
悪いコメントで良いコメントが成り立ち
良いコメントが悪いコメントを決める。
わたしは
その
良い、悪い決めつけが大の嫌いなのである。
人の気持を計量する計量器が私にはもう無い。
とっくに捨てた。
あって有害であるだけだからだ。
なので
私は何でも受けて容れる。
なんでも来い。
来なくてもそれでよろしい。
それだけ。
返信する
Unknown (101000dotline)
2020-06-21 08:50:09
hasunohanaさんへ

ありきたりな社交辞令ですか
そして、ZIPさんの投稿での言葉をお借りすると、馬鹿にしてるのかと受け取られたしてもおかしくない文章なのですね

この手の投稿はしてはならない暗黙のルールがあるのですね。しかも周知の事実なのですね。
そも線引きが昔から難しいです。

ごめんなさい。
返信する
要素主義??? (桂蓮)
2020-06-21 04:46:37
あるブログ記事で思うことなど:
>「要素主義」は、存在するものを要素に分解して、その組み合わせでものの存在を説明する考え方です。<
中略
>しかし、このナイーブなアイデアは、少なくとも最終の「要素」は「実体である」と言って打ち止めにしないかぎり、成り立ちません。<

上記は記事の部分を切り抜いただけなので、
引用した部分は全体の文脈とは関連性が切れるが、
その部分が討論の余地があると思われたので、
勝手に自分の所見だけを書いておく。

あくまでも、書くことで
私自身の頭を整理するためであって、
反論、批判のつもりはない。
また、そのブログにはコメントをうけつけない設定になっているので、他の人の意見を参考にすることもできない。

超弦理論は、
プランク長程度とすると 10-35mの極めて小さい弦を宇宙の最小基本要素と考え、
自然界の全ての力を数学的に表現しようというのが、
いわゆる弦理論(超弦理論、M理論を含む)の目指すところであり、
物質の基本的単位を、大きさが無限に小さな0次元の点粒子ではなく、
1次元の拡がりをもつ弦であると考える立場を示す。

だが、この理論を実証するためには、
実験に必要なエネルギー量はおおよそ人類に扱える範囲を大幅に上回っていると想定され、
「実証不可能」「永久に仮説」と言われるらしい。
(ウィキペディアの解説を参考)

その理論を根拠に
>『最終の「要素」は「実体である」と言って打ち止めにしないかぎり』<
引用した部分を考えると、
書いた筆者は
最終の要素が素粒子だと仮定して言っていると思われる。
または、弦の理論を対比していないことから
最終の要素が何かについて明確にしていない。

調弦理論が証明されていないことであっても、
要素について明確な提示なくして
結論は出せない。

科学の事実を明かすことを省いて
AとBの対比が成り立つわけがない。

私は自分が体験したことをあくまでも偏見でもって勝手放題書いている凡人にすぎないが、
上記の引用した記事を書いた筆者は
宗教界で知られている人で、
一部の人の間では影響力を持つ。
公的な書き手でもある。

書く前に、事実を明かすべきではないかと思うのもあって、
自分のブログのコメント欄で
鬱憤を晴らしてはいるが。。。






返信する
Unknown (ZIP)
2020-06-20 17:23:05
大きなお世話

桂蓮さんにとっては社交辞令というよりも、人を馬鹿にしてるのかと受け取られとしてもおかしくはない文章ではあるのだが、こりゅうさんに悪気はないのは確かだな。
テキスト上だけではあるのだが、ある程度の付き合いがある私を含めた常連さんならば、この手の投稿はしてはならない暗黙のルールになっているのは周知の事実。
プローフィールに加筆しておくことも必要かと思うわけだ。
むやみやたらなフォローもどうかと思う。
返信する
Unknown (こりゅうさんへ)
2020-06-20 12:41:18
こりゅうさん
私はありきったりの社交辞令が本当に嫌いな人です。
だから『ありがとうございます』とか言わざるを得ない状況でも
一息飲んで、そのことば以外な伝わり方をしようとしてきました。
決まりきった話しかできない状況に置かれると
嘘は付きたくないから
ただ黙って何も言わない方法を選びます。

社交辞令が悪いとは思いませんが、
私は自分が社交辞令の対象になるのが
大の嫌いなので
自分が嫌いなのを人に押し付けたくないからでもあります。

感謝の言葉は『ありがとう』以外にも無数にあって
考え方を少し変えれば
いくらでも、ありがとう、他にもあると思います。

こりゅうさんは
人と本音の本音でぶつかりあったことがない方なのかな、と感じます。
思ったこと、感じたことを言う前に
相手を案じてしまうからでしょうね。

相手を先にたてる優しさで
自分の気持なんかは置き去りにされてもいいと
覚悟していると感じ取れます。

ただ、こりゅうさんの気持ちを
ありのままで汲んでくれた人に出会えていない感じもしますしね。

私は運良く何人か私より私を分かってくれる人に出会えました。
しかし、その運は私が掴んだものです。
ただ待ってて転がり込んだ運では無かったのです。
自分が先に
『相手に開く』こと無しに
人と本音でぶつかりあうことは無いのです。

私も外側は
韓国人、日本での韓国人、アメリカでのアジア人
などのラベルがついてますが、
私もただの個人の一人にすぎません。

このブログが縁で
こりゅうさんの勢いに出会えたのも
社交辞令に安住しないで、
自分の本音に従って書いたからでもあります。

また、何か話したくなったら
先に計らうことを譲って
ご自身の気持ちを先に行かせてみてください。
私が汲めなかったら
きっと、
汲んでくれるひとに
出会えるかも知れません。
返信する
Unknown (101000dotline)
2020-06-20 07:51:31
hasunohana1966 さんへ

Hello.

お元気ですか
あなたにお変わりはないでしょうか。

先日は、私のことにコメントで言及してくださり、ありがとうございました。

あれから何度も、hasunohana1966さんと101000dotlineのやり取りを反芻しつつ、お返事の時期を探っておりました。

そうですね(^_^(・。・)

私が、実際に体験したことを活字にすると、
hasunohanaさんにはこういう風に受けとられるのだな
と言うのが、第一印象でした。

会話でジェスチャーを交えながら伝えると、もう少しニュアンスが伝わったのだろうなと思いました

言霊を言葉にする難しさ、
更には活字にする難しさ
そして、3か国語を操る貴方と、ネイティブという意味においてはほぼ1か国語を話す私との意志疎通の厳しさ

でも、それでも
コメント欄で言われたことは、狭義においては当たっていました。さすがです。
広義においては、違うかなというところがちらほらあったので、今日はコメントしますね☺️

まず、義母と弟が権力的との見方ですが
私はそうは思ってないのですよ。
これが綺麗事で私が言っているなら、まだましなのかも知れません
理由は「直接言われた方が、陰で言い続けられるよりは10倍ましだ」と思っているからです

次に前の投稿になりますが

褒めることは難しいかも
けなす(敢えて平仮名にしますね)ことは簡単かも
ということについて

このコメントをもらってからも、私の生活は続いていたので、夫との関係や友人知人とのやり取り、お互いの家族との会話や、隣人との会話はが新しくアップデートされて、日々更新しているわけです

日々自分を更新し続ける中で
やっぱり私は けなす2割褒める8割位の割合で生活しているなと感じるし、
母親世代の知人を昨日褒めたときに
「いつもこりゅうさんはいつも上手に言ってくれるから…」と、上気したお顔で言われたんですよ。
その方は日本人で60才台後半位の女性です

私は、長所を見つけたら、なるべくすぐその事を本人にすぐ伝えようと努めて数年になるので、その時もよかれと思って言ったわけです
すると逆に少しひかれてしまいました
なので
「これはわざわざ褒めているのでなくて、貴方のこういうところが素晴らしいな、長所だなと思ったから言わせてもらったので、他意はないですよ。努力家だな、と思ったのでお伝えさせていただきました。どうぞお気になさらないでください。気に障ったならごめんなさい」
というやり取りに発展しました。
結局、お互いが、それぞれに抱いていた「貴方のこういうところが素敵ですよ」ということをハニカミながら言い合い、その方からは「また教えてくださいね」と小声で言われて、さようならとおわかれしたのです。

今回この例で、hasunohanaさんに伝えたかったことは、日本に留学した時に、みんながhasunohanaさんのことをよく知りもしないうちから褒めたのが寂しかった
と書いていたので
私は地球上に「そう感じる人がいる」ということを知った上で、自分がいつものように褒めてみてどう思ったかです

私は、日本生まれの日本人で、海外に出たのは大学生時代に旅行で
オーストラリア
インドネシア バリ島
イタリア
バチカン市国

30台後半、2012年12月に旅行で
韓国
その5ヵ国です。最初のオーストラリアのみ14日間ユースホステルはしごの旅(ブログ内でも初期の頃に書いたことがあります)

後は一週間以内です。1人旅はありません。

直近は韓国で
あとの4ヵ国は20年前後前です。
(トランジットは含めず)

hasunohanaさんさんに縁のある韓国に行った時は12月で
雪がいっぱい積もっていて寒かったです
大陸の寒さとは、これか!と思う位、日本の四国の寒さとは次元が違う氷点下体験でした。

私は夫の当時の会社の社員旅行に、社長さんご夫婦のご厚意で付いて行かせてもらった(旅行代は自分持ちだが、滞在中の食事代は9割5分社長さんが出してくれました)のです。
社長さん夫婦、私達夫婦と、あと後輩の10才台の男性社員1人の計5人で行きました。
他の社員さんもいたけど、その年に社員旅行に行ったのはこの5人でした。

旅行積立を夫がしていたし、私は社長さんご夫婦と会社とは別のつながりで夫が入社以前から知り合いだったので
「韓国旅行行ってみたいです」と、たまに言っていたのですが、それがその時に実現しました。
尤も、社長さんご夫婦の娘さんが結婚後韓国に住んでいたので、ご夫婦からすると、韓国に行くのは
「ちょっと東京出張に行ってきます」位の頻度で数十回と行かれていたので、韓国語はご夫婦とも話せます。

状況説明が長くなって申し訳ありません。本題に入ります。

韓国語、自分なりに挨拶くらいは自主勉強して行きました
ハングル文字も書いてみたりしました。

実際は
インチョン空港到着
大きくて清潔な空港
ハングル文字、ただの一文字も読めない
韓国語 ほぼ聞き取れない。アニョハセヨとカムサハムニダとあと少しだけは使って帰った
免税店で買い物は、気に入ったピンク色のカバンと、茶色のオロビアンコのリュックと、あと化粧品数点、キムチとか海苔とか数点

免税店の店員さんも、露店で暖かい手袋を購入したときも、社長さん奥さんに、せっかく韓国に来たからと、垢擦りエステに2人で行った時も、ほとんどの店員さんが親切で、日本語が上手だった
不親切な人だなと感じた人は、いなかったのです。

でもそれは、実はそうではなかったのかもしれない。なぜなら、私は言葉がネイティブのようにわからないから。
ネイティブほどわかる社長さん夫妻は、遠くで言い合いっぽくしているので言語を聞き取れるから、「日本人がまた来たぜ。いいもん食いやがって」みたいに噂してた可能性はなくもない
しかもハングル文字は教えてもらっても、中国語や英語のように馴染みがないので5秒持たずに忘れるという状態

更に今日コメントした理由に言及します

貴方と、ここで知り合えて良かった
あなたが、お姉さんのすすめでも200ヵ国以上ある世界の国の中から日本を選んでくれて
留学してくれてその後も日本で働いてくれて塾の講師にもなって子供に教えたりもして

そのなかで座禅
に出会い
特に次はアメリカに渡ろうと決意して
実行して
弁護士をされているという旦那さんとの会話を
私に理解できる言語
日本語で伝えてくれて
また、たまったものは吐き出してしまうと楽になりますよと、案じてくれて。
ただ嬉しいです。感謝しかないです。
心ない人々の差別に耐えて、よく1人で頑張ったね。
立派だと思います。

hasunohana1966さん、ありがとうございます
偽らざる、本心です。
直接お会いしたことも、電話でお話ししたこともなく
日本にいらっしゃった時に出会えず
私が韓国に行った時も知り合えなかったけれど

尊敬しています

伝わったかな?

2020年6月20日日本時間で現在7:51 101000dotline またの名を呼理百(こりゅう)
返信する
Unknown (ZIPさんへ)
2020-06-16 17:11:15
まあ、雑念のシステムでしょうね。

実は無意識やらに10代から関心がありまして、
人を見る時
その人の無意識の隠れに焦点をあてて見る癖があります。
ブログで知り合った人は
(会っていない場合)
その手かかりは文調、単語の選択
書いていないことなどで判断するわけですが、
ZIPさんのは今データ集める段階で
これといった特徴はあげられないですが、
この頃のいくつかの返答から
私の殼をこじあける動力がありますね。
ZIPさんの殼も私以上に頑固だと思いますが、
掘り下げにアクセルがかかった感じです。

この前、坐禅は掘り下げに近いと言ってましたね。
あの言葉がゴロゴロ坂道を下っている感じかな。
あれには打たれました。
返信する
Unknown (ZIP)
2020-06-16 16:38:17
一つ文字を打つことで、変換候補が何の脈絡も無く、てんでばらばらに表示されたとするなら、即ち、何らかの事象が起こる確率が等しく同じだとするなら、それは情報が一切無いということになるわけだ。
返信する
Unknown (ZIPさんへ)
2020-06-16 15:12:57
なるほど、そう自動変換的な選択肢に操れるわけですね。
分かってきました。

厳密に考えてみれば、
本当の自分の意思で選択したのは
心理学の専攻を選んだこと、
物理学を学ぼうとしたこと

日本での留学は姉が選択してくれたから
レールが引かれていたし、

ここまで考えると
そうか、このブログは完璧な自分の意思だったかな、
それも疑問が残る。

結婚は相手に選ばれたことが多かったかな。

結構、深層に掘っていけましたんで
その面、感謝します。

どのカウンセラーもここまで
掘れなかった。
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Unknown (ZIP)
2020-06-16 11:35:52
大方の人は自分の生き様を自分の意志で選んで生きてきたと、そう思いたいのではあるのだが、残念ながらそうではない。
選択する際の情報は、それ以前の情報によって発生した確率に左右されるわけだから、自らの意志は無意識に自動変換されているということになる。
要するに、キーボードに一つの文字を打つことで変換候補が決まってくるわけだな。
返信する
Unknown (ZIPさんへ)
2020-06-16 10:57:52
そおか、その意味だと
私はアナログがベースでデジタルな選択は数回しか許されてないでしたね。

結構、考えさせられますね。

ZIPさんのコメントスタイルは
アナログシステムにデジタル表示かも?

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Unknown (ZIP)
2020-06-16 10:30:58
生き様としての意識、という観点から観れば、アナログは成り行きで、デジタルは選択と言えるわけだ。
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Unknown (ZIPさんへ)
2020-06-16 10:07:10
その意味でしたか、勘違いしました。

そおですね、確かに、
過去にも未来へも向けられない人々のために宗教は待っていますよね。
多すぎるのが問題かも。
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Unknown (ZIP)
2020-06-15 18:02:21
警官に首根っこを押さえつけられ殺された人の家族や
理由のない突然の災害や事故・事件で突然身内を失くした人達や、戦場帰りの元兵士とか、自分で自分を支えられない人達の為にも宗教というものがあるがわけだ。
誰にでも時間が流れなくなる可能性は往々にしてある
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Unknown (ZIPさんへ)
2020-06-15 16:57:08
時間が滞ると腐りますよね。
腐ると臭いますよね。
臭うと人が避けますよね。
でも本人はその臭いを嗅げない。

それが、不燈明
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Unknown (ZIP)
2020-06-15 10:48:54
時間が流れない人もたくさんいるから燈明として万能ではないな。
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Unknown (wdn110446sitさんへ)
2020-06-15 08:48:05
この前も結構、コメント頂きながら
お返しできず、すみませんでした。

ここは差別反対デモが全国的に広がって
なかなか収まりませんね。
私は日本で韓国人として26年間暮らしましたが、
国籍による偏見や歴史的なことから生じた、優か劣かの価値判断をされることが結構ありました。
個人的に人様の価値判断については
歴史的な視点から理解しているため、
私個人攻撃として受け取ってはなかったのでしたが、
アメリカ移住の際に
空港で明らかな差別を受けました。
強烈だったため心に残ってしまったようです。

まあ、そんなことから
今アメリカで起こっている差別反対デモが
他人事でなく、政治を超えて複雑な心境にさせるというか、
簡単に片付けられない感じになります。

だからニュースは決まった時間にしか観ないようにしますが、
それでも結構影響されますね。

日本では暴動だとか、容易く言っていますが、
そこまで至っだ経緯はそっくり消えていますから
他人の家が燃えている火事を遠くの安全なところで見て
可哀想に、と言っている人達のように思えたりします。

あれやこれやでブログ関係から離れていましたが、
私を忘れていない方々がまだいて
励まされましたね。

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Unknown (ZIPさんへ)
2020-06-15 08:22:37
自灯明・時灯明・法灯明
これ、もしかして三位一体??
返信する
こんばんわ (wdn110446sit)
2020-06-14 20:35:21
私の場合はアナログ思考、デジタル対応。などと以前言っていたことがありました。様々考えるのは時間をかけて、関連性なども含めながら。あとは様々な事柄に対応できるように。機に臨み変に応ずと言う事にもつながるのではないかと思います。
返信する
Unknown (ZIP)
2020-06-13 14:36:47
生きることのカオスを時間によって限定することで取り除かれる不確かさ。
要するに「時燈明」
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Unknown (ZIPさんへ)
2020-06-13 14:34:29

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Unknown (ZIP)
2020-06-13 10:15:22
やはりロビンソンクルーソー漂流記だね
返信する
Unknown (榮久さんへ)
2020-06-12 13:26:06
純粋な知識は
難しいことを簡単にする、ことだと思っています。
ですが、訓練の一つ道具として
易しい問題を難しく考える時もあります。
例えば、次元とか超紐理論とか、化学式とか。
そうすると思考の紐解きみたいなワクワク感があって、
意外な横道、逸れた道を発見できますしね。

塾をやってた時、
子供達はみんな難しさを嫌って
少しでも分からないと
もう目を開けたまま、ポカーンとなります。
自分が言っていることの難易度は
子供が一番詳細に教えてくれましたね。

その癖があって、
何でも優しくしないと自分が嫌な感じになり
自分の考えを簡単にまとめるためにも
夫に解説したりしてます。

何を言おうとしているのかというと
榮久さんは
『難しいことを通した』または
とおしても良かった地位 があったとのことです。
それ、贅沢ですよね。

難しいままにいられること
人に媚びなくていいとの地位を持っていたことですからね。
私も塾やってなかったら
自分の難しさを紐解かず
そのままを楽しんだと思います。
人に合わせる必要ない、これ贅沢ですよね。

私にはその贅沢さが持てなかったな。
返信する
Unknown (榮久)
2020-06-12 09:36:20
時の表現方法より
「時」の捉え方を考えてしまいます

でも、
何時も周りから指摘される
難しく考える癖「漢字で考えると」ね


異なった言語を知ることは
異なった世界の見え方を会得することだと


イヌイットには白色に相当する
何十もの言葉が
私には単色の北極圏世界が
彼らには多彩に感じられるのでしょうか

バレエ教室は少人数での
レッスンでスタッフの方々が
妹も時々覗いているよう


体育館の様な規模でも
再開に苦心している現況では
まだまだ先の開始でしょうね
無収入でも4~5年はスタッフを
支えていけると話していましたから
閉ざすつもりは無いようです
返信する
Unknown (101000dotlineさんへ)
2020-06-11 16:34:46
トランプ氏は個人的に大統領だと呼ばれる資格がないかなと思っているから、敢えて氏だと書きました。
気にかけてしまいましたね。
ブログでもFacebookでも、政治関係に触れないようにしていますが、抑圧の度がすぎると漏れて出る時があります。
それが人様の気にふれることにもなるかと思います。
不愉快な思いをさせたならお詫びします。

文章を読んで、厳しい人間関係の中で
正気を保っているけなげなさが伝わってきました。
皮肉やジョークが通じないと
それは、話が通じないことより苦しく感じてきますよね。

私も結構、素が短気なので、
夫にすぐ怒って、挙げ句は手を出したりします。
その度に、夫はジョークで私を救ってくれています。
本気で怒っているのに、控えめにジョークを言われると
私も怒っていられなくなって、
笑っちゃうのです。
まあ、家の事情はその程度なのですが、
Dotlineさんの事情は
権力欲じみた(失礼しました)厳格なまじめさが強いられる環境のようですね。
笑えない状況ですよね。

本音を言っては関係が壊れる危機
まあ、そんな感じがしますね。
本音を言ってはいけない、わらってはいけないような状況だと、逃げるところは
自分の中だけになりますかね。
寂しくなりますよね。

人から自分を守るために
自分を強く保てなければならない状況に置かれると
人は『生きている心地がしない』ようになるかなと思います。

言うこと、言いたいことを
いちいち考えなければならない状況は
あまり望ましくないですよね。

もし、よろしければ、
言いたいことを何も考えないで
ここでただ書いてください。

私は返事したくないと思ったら
絶対返事返さないし
返事したくなれば、何が有っても返事はするので、
私の気分や社交辞令など考えないで
思いついたままを書いていいです。

出るべきものが全部出たら
ことは済むようになるので
何でも思いつくまま書いてみてください。

私も指が動くままに
深く考えずに、書いています。

しかし、文章からだと
相当な重荷を抱えているように感じ取れますね。
根が結構深いようですね。

ちなみに私は自分が書いた文章を再度確認せず
そのまま勢いで投稿します。
後で誤字脱字、文法ミスなど散々見つかっても
そのまま、放置して
人様がその失敗を笑いたければ笑わせるように
しておくのです。
人の失敗や欠点を笑う者も結構いますよね。
それはそれで生き方だからしようがないですけどね。
返信する
Unknown (101000dotline)
2020-06-11 15:17:43
早速のお返事、有難うございます。

「褒めることは難しい
貶すことは簡単かもしれない」

という表現、具体例を挙げて書いてくださったので、わかりやすかったです。
有難うございました。私も、自分に置き換えて考えてみました。

メールや手紙などの文字の文章ではなくて、直接会ったり
電話だったり、今でいうとインターネットを使っての所謂ビデオ通話(相手の顔を画面で見ながらのリモート通話)
と褒める手段も貶す手段も多々あると思います。

数年前に、夫をあることで怒らせてしまい、LINEに、写真で「ごめんなさい」という思いで頭を下げて、それを自撮りし、送ったことが一度あります。
そのときは、夫をますます苛つかせることになり、逆効果でした。

会って話して謝ると、ゆるしてもらえました。

その画像を撮っている時点、その画像を送ろうとしている時点での、私のあざとさ、こざかしさが
彼には透けて見えたからなのかな
と思い、それからはそういう方法はやめました。

家族ですので
「ブラックジョーク」っぽいやり取りは、うちでも頻繁にありますよ。
でも、それを、夫の母や弟と一緒の車で出掛けた時に同じようにしてしまうと、
「(息子/兄)のことを、けなしている」
「聞き苦しい、聞いていられない」
「馬鹿にした物言いに聞こえて不快だ」
という意味のことを言われました。
因みに、陰口ではなく、直接その時に言われました。
私達夫婦は
「俺たち/私達はこれで上手くいっていて楽しいんだからいいんだよ♪」
と、その時は2人とも言ったのですが、
やっぱり、
わきまえて
家庭内での顔と、
義理でも自身でも親兄弟姉妹との顔は、
使い分けたほうが、お互いにとってbetterな選択なのだろうな、と、その後に思いました。

あなたさまの表現で、気になる部分は
政治的なことに関して一国の大統領について書かれている部分のところで、少しありました。
アメリカ合衆国では
共和党政権と民主党政権があり
今は共和党政権のトップである彼が大統領ですよね。
私は、日本国民なので、アメリカの選挙権はないため、自由に発言できるのかもしれませんが、どちらかと言えば、民主党を応援しています。直接的には何もアクションは起こしていませんよ、念のため。
その上で、です。

結局、
人を、人が、裁いたり決めつけたりすることは、仕方がない事だとおもいます。
今までの私の経験上で選択した、怒らない方法、怒りを鎮める方法としてひとつだけ言えることは
「他人さまを裁いたら負け」
ということです。
何故かというと「裁いたときに出した自分の負の波動は、必ず自分に返ってくる」と、知っているからです。そこに気がついてからも、裁いてしまうことはありますが、最近では、「今、自分が何かを裁いたな、決めつけたな」と気がついたときに、即座に神様に「ごめんなさい。今、○○のことを裁く波動(=気)を出してしまいました。もうしわけありません」と謝ることにしています。
○○は、必ずしも人間ではなく、例えば草引きをしていて、抜けにくい草があった時にも、対立の思いで無理やり引こうとするのではなく「草さん有難う。今までこの庭で光合成をしてくれて、いい空気を作ってくれたんだね。感謝しかないよ。ありがとうね。今日は、ひかせていただくね」と声を掛けたり頭の中で念じて優しく扱うと、雑草も思いの外スルッと抜けてくれたりします。
日本に「北風と太陽」という絵本?童話?がありますが、それと似ているのかなと、よく思ったりします。

とりとめのない文章になり、申し訳ありませんでした。思うとことが少しでも届くといいなと思い、敢えて発信させて頂きました。
返信する
Unknown (101000dotlineさんへ)
2020-06-11 14:22:30
もちろん、褒めることです。
選択しようとも思わないのが、身についてしまったからかもしれません。
ですが、家の夫にはブッラクジョークのように
蔑んだ皮肉な表現をして二人で笑ったりすることはありますが、
基本的には人を否定するような表現はしません。
第一、自分が貶されていい気分になれないから
他人もそうでしょうね。

心理学を専攻していた時、
恩師から、形式的にただ褒めることは失礼になるかも、と教われましたね。
褒めることは認めることだと教えてもらいました。

人を正しく理解してないのに
ただ褒めると、それは無礼になる可能性もあります。
私が日本に留学し始めたころ、
人は私を褒めて褒めてくれました。
あの時、褒められて寂しかったです。
偉いと言われて、すごく嫌でした。

だから、人を褒めるときは
その人を分かって、理解してから
未来に向けて開けることを願って
肯定的に言っています。

褒めることは難しいのです。
貶すことは簡単かもです。

しかし、人への理解無しに
決まりきった褒め方をすると
それは貶すこととそう変わらないと思います。

その人を理解するには
その人を正しく読まなければなりません。
人を正しく読むには
その人を判定することをやめないとできないでしょう。
説教調になりましたが、
褒める、貶すことに敏感なので、
思いつくままを書いてみました。

失礼な言い方や傲慢に思える表現があったなら
お詫びしたいです。
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Unknown (101000dotline)
2020-06-11 13:29:32
Zen禅 -in USA のブログの書き手の貴方さまへ

いつも、目から鱗がおちるような投稿に感心しつつ、投稿を読ませて頂いております。
そして、私の拙いブログを度々訪れてくださり、足跡を残してくださること、本当にありがとうございます。

今日は、アメリカ合衆国在住のあなた様に、今、日本に住んでる101000dotlineこと、私から、ひとつだけ聞きたいことが見つかったので質問しますね。回答は、しなくてもいいし、どちらでも構いませんので、宜しくお願いします。
最初にお断りをしておきますが、私は、あなたの現状打破の力に、少しでもなりたいと思っているので、不快に思われたなら、このコメントを無視してくださって差し支えありません。

それでは、質問しますね。

あなたは、
他人をほめることと
他人をけなすこと
の2択だと、
どちらが楽ですか?

一応、私の家族にも先に直に聞いてみました。
答えは、
最初に書いた方で、即答でした。
私の回答は、やはり最初に書いた方です。

世界情勢がこのような状況になっていることで、日本でも、日本以外の国でも、自らの祖国でも、赴任先でも、あらゆる国々が疑心暗鬼と、自粛生活のストレスで、揺らいでいることと思います。

でも、そういう時にでも、太陽は地上を照らしてくれるし
飛行機に乗ってみたら、厚い梅雨の雲の上には青空や夜空が広がっています。
月も、満ち潮と引き潮によっても、地球を動かす助けになってくれています。

1人では誰も生きていかれないけれど
1人になりたい時もあるのが
わたしたち
「人」
ではないかな?と思います。

無理だけは、お互いにしないように、パートナーと、その周辺の人々に感謝しつつ、今日も生き抜いてみせましょう。
応援しています。

令和2年6月11日 木曜日 101000dotline より
返信する
Unknown (栄久さんへ)
2020-06-11 13:14:36
今回はフィルターがかかっているような文のように感じられたので、どう返事するかについて少し悩みました。
榮久さんは哲学的に巨視的にものを考える習慣が定着しまったようで、自分の文の難易度について、他人の視点からあまり考えたことが無かったかのように思えます。
私の知識体系が農家であれば、
榮久さんのはお城かもです。
難攻不落のお城みたいな、
貴族だけが住んでいるお城

それも格好いいし、
私の農家もそれなりに小粋だと思ったりしますが。

確かに、榮久さんの文は私のブログの品を格上げしてくれますよね。
その面にはいつも感謝しております。

宇宙の始まりについては
狂ったように知ろうとした時があって、
まだ満足いけるような理論に出会えていないため、
まだまだ言えるようなレベルではないのが残念です。

今週に入って、なぜか返事することが億劫に感じなくなりました。
体調戻りつつあります。

妹さんのバレエスクールはまだまだ再開できないでしょうね?
返信する
集積? (榮久)
2020-06-11 05:05:23
私たちは「AはBである」と言うが
そう言えるのはなぜなのか

「出発点が間違っている」

表現の「難解」の向こうに
思念自体の持つ難解とも
言うべきものがある

「宇宙とはそもそも
 何だったのか」

人生が何がしかのもので
なければならない理由など
どこにもなかったのに

在ることの非意味
その退屈

歴史は事実の記録帳ではない

直線的な時間感覚から
相反して立ち上がる意識
返信する
Unknown (ZIPさんへ)
2020-06-09 23:12:38
ZIPさんの辛口は激辛の超級ですよね。
苦い味がメインで
稀に甘い味が隠れたりしますよね。
その苦さも薬系の苦味で飲むのに困るし、
だけど、
私は何でも辛口派で
常にさらなる激辛に挑戦するタイプだから
まあ、大した辛さでもないですけどね。

返信する
Unknown (ZIP)
2020-06-09 22:23:17
主観的にアナログを経験したければ自分で車を運転して目的地まで行くこと。
デジタルを経験したければ運転を他人に任せて助手席で寝ていればいいわけ。
目的地までの間における自分の意識はどうだったか?

デジタルでは持続性は感じられないはず。
何故なら、今と今のあいだ、即ち、その都度その都度注意を向けるという意識が身体の操作と伴っていないからだ。
つまり秒針という意識が欠けているが故に、時間は流れていないということ。

坐禅は意識を無くすのではなく自意識の解体、つまり自意識を拡張させることで境界をなくすこと。

車両感覚は、車と同じ大きさに自意識を拡張できればこそ身につくということ。
一度身についた車両感覚によって、ぶつけたり擦ったりすることはまず殆ど無いはず。
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