般若心経を読むと
『無』『空』『色』という文字が多く書かれている。
Reading Hanyasinkyo which is a scripture of Buddhism
『Non』『Empty』『Color』characters are written much.
それらの文字の意味は英語圏内の人には
直訳や意訳にしても伝えることは困難である。
It is hard to convey those meanings to English speakers
even with literal translation or transitorily.
翻訳経験が豊かな人でさえ
文化的な背景を注釈したとしても
Even to a translator whose translation carrier is rich
and annotated for cultural background.
その言葉の現象を天秤にかけて等しくなるように
重さ加減をすることは難しいだろう。
It is also difficult to adjust words weight to take balance
like a steelyard to be equal.
私は坐禅関連の翻訳を始めているが
I have begun translation related with zazen.
その仕事を全うするには
To carry out my work,
般若心経の内容を知る必要がある。
I need to know the contents of Hanyashinkyo the scripture.
それで般若心経をじっくり読んでみたのだが
That is why I tried reading over it.
般若心経の解釈が人によって異なり
宗派によっても見方が若干違うことが分かった。
However, I found that interpretation of Hanyashinkyo is
slightly different from people’s perspective and sects.
解釈や見方が違うというのは
The reason why those viewpoints have differences
原文に書かれている本来の意味が
on the original book written primarily,
数学の公式のように原則として
定まっていないからでもあろう。
it might not determine as a principal like mathematic equations.
また、英訳した般若心経を読み比べても
Also, I compared other English translations of Hanyashinkyo,
英訳した人の英語言語能力の差によって
表現の違いや単語の選択による個人差があった。
I found that there are individual differences of expression
and picking words on the translations by translator’s English capacities.
それなら、般若心経を私流に解釈してもそれほど
外れたことにはならないはずだ。
Then I thought, if I translate Hanyashinkyo in my perspective,
it may not be such out of ways.
そのような経緯で
With those reasons,
これからしばらくの間は
from now for a little while,
般若心経を英訳してみることにしたのである。
I decided to interpret Hanyashinkyo into English.
だが、全文を通訳する前に
However, before interpreting the full text
基本の土台として
as a fundamental base
経典の基本概念である『空』を明らかにする必要がある。
I need to make clear the fundamental concept of “Emptiness” in the scripture.
『空』をグーグル通訳にかけるとそら(空)になる。
When put “Emptiness” for Google translation,
it interprets into word meaning of sky.
初めてその自動通訳を読んだ時は
滑稽で笑ったのだが
When I first read the automatic translation,
I laughed because it was ridiculous.
『空』について更に深く考えていくことにつれて
However, as I have been thinking more deeply about “Emptiness”
『そら』の空、その空気の構成要素の分子構造と
Sky which is air, the molecular structure and components,
それほどかけ離れていないのではと思うようになった。
it seems for me to think that the phenomenon is somehow related.
ウィキペディアの空気に関する説明によると、
According to Wikipedia about atmosphere,the air
『地表付近の大気の主な成分は、比率が高い順に、窒素が78.08%、酸素が20.95%、アルゴンが0.93%、二酸化炭素が0.03%である。水蒸気は最大4%程度になるが1%を下回ることもあり、場所や時間によって大きく変動する』
『The main components of the atmosphere near the surface are 78.08% nitrogen , 20.95% oxygen , 0.93% argon , 0.03% carbon dioxide , in order of the highest proportion . Water vapor is about 4% at maximum but sometimes it is less than 1%, it varies greatly depending on place and time.』
一方の般若心経では
In the Hanyashinkyo,
色即是空=形あるものはそのままで実体がないものである
A form is formless=A form which has a shape, it does not have substance as it is.
色即 (visible phenomenon, a form)
是空 (invisible phenomenon, a formless)
空即是色=実体がないことがそのまま形あるものとなっている
A formless is form=A formless which does not have substance, it does have form as it is.
空即 (invisible phenomenon, a formless)
是色 (visible phenomenon, a form)
上記の般若心経の『空』の文字イメージに
Above Hanyashinkyo, make an image onto “Emptiness=Invisible”
空気の気体構成成分である元素を当てはめると
Substitute for element which gas constitution of gas,
色即是空≒元素はそのまま実体が見えないものであり
A form is formless≒Element is invisible as it is.
空即是色≒実体を持てない性質がそのまま実体になっている
A formless is form≒The formless element be visible as it is.
即ち、窒素や酸素、水蒸気はそのままでは実体として見えないが
Therefore, nitrogen, oxygen, and water vapor are not seen as they are,
雨や雪、氷になって視覚化でき
but can be visualized by turning into rain, snow, ice
また実体として現れるのである。
they appear as a visible entity again.
雨や雪、氷はまた蒸発して
Rain and snow, ice evaporate again
形の無い、実体の無いものになっている。
and it becomes formless, without substance.
『空』は空気のように
“Formless” is like air
この世に存在しながらも
it exists in this world,
実体を得たり、得なかったりする現象を例えている。
it also represents the phenomenon that obtain form or formless.
その空に関して分かることは
What can understand about emptiness(formless) is
空気のように目に見えないことや対象も
an invisible thing or a subject like air
空気の元素のように存在しているから
it exists like an element of air.
目に見えないからと言って
無いとは言えないことであろう。
It cannot be said nothing because of it cannot be seen.
また、目に見えたからからと言って
それらが不変しない訳ではなく
Also, visible in sight but it does not mean immutable.
水が蒸発するように
As water evaporates
やがては見えたものも
The thing can be seen at last also
存在として見えなくなるとのことでもあろう。
It will not be seen as an existence.
書きながらも
仏教の専門家から
文句や苦情を散々言われるだろうと思いながら
溜息つきながら書いてしまった。
エリックからも英文の矯正のメスが入るだろうし
Tからは論理法や思考法について
訂正が必要な箇所を指摘されるだろうし、
Zさんなら
わざとUnknownを使って
表現力軟弱性について学術的な批評を
バッサバッサ入れられるだろうなと思いながらも
先週、更新さぼったから
今日こそはと気合を入れて
投稿したのである。
50も過ぎているのに
まだ習っていて
他の達者から指摘を受けている自分に情けない感じもするが、
事実は甘んじて受けるのが
私の生き方でもあるので
欠損しているところを浮き彫りにしている。
今回の記事は
読ませるのに恥ずかしいのだが
それも渡らざるの橋なので
血を流しながら
あばらの道を歩むことにした。
エンサイクロメディア空海
『死と生』対談(第四章抜粋)での「釈迦の悟りとは」とか、その他の言及でも、又、本店言語録でも・・・、
黒●さんは、
(他説・通説とは異なって・・・)『私は個人的にはこう【思う!!】』という言い回しがほとんどの様な気がする(実存の存在理由)。
定説・定理・公理を淡々と教える教師というよりか、
仏教新時代の創設者の様な感じがある。
(もともと絶対的真理なんて何処にも無いんだから・・・)
それが、無師迷悟の『私流仏教です』と言う事であろうか。
(釈迦・道元が私の絶対的老師です、とはならない・・・。)
つまりKさんの好きな、『ユニークである【私という自我】が描いたイメージでは~~ですねん!!』と言う形が出てくるようだ。
まあ、イメージとは自分の思考に拘束される事、
広い世界が見れなくなる事デアルとも言える・・・なぜなら一旦自分がイメージを構成してしまうと、もはやそこから抜け出せなくなるから・・・
ホントは諸行無常なんだが、自分のイメージに固執するという訳だ。
ーーーーーーー
『われ思う故に我在り』の実存が黒●さんを構成している訳であるが、
釈迦が説いたとされる「非思量せよ」とか、「非想非非想せよ」とか言う言葉の間にギャップが出来る。
しかし、それは仏教者の宿命というべきか??
なぜなら、仏教は『考えるな!!』と教える一方
『よく考えよ・・・よく考えて八正道スベし』、と衆生を躾ける訳だから・・・
ーーーーーーーー
mmmmm、やはり適切な表現は難しい・・・
Kさんではないが、自分でも、わけ分からなくなって、エイヤーって言葉を投げ捨てる。
自分のイメージは他者と共有できないのだから、
あとは相手任せだぜ!!・・・
これが今回記事のKさんイメージだよね??
人には向き、不向きがある。
仏教を学ばなくても人は生きていける。
仏教思想と他の思考法との間に【重さ】の差はない。
人間の脳が描き出した色々な種類の意識の中の、
一つの意識体系に過ぎないと思って居る訳だから・・・
近くに仏教環境が全然ないし、物理的に仏教に接す手段が無い訳だから
仏教もなかなか面白い事を言うよな~と思うだけで、それなりに好奇心が出るが、自分が仏教徒になる予感は絶対ない・・・
(一つの参考資料との位置付けになる・・・まあこれがTの本心・・・)。
ただKさんが英雄好みの一環で、イメージがらみで道元禅師や黒●さんに親しみを感じ、
米国で道元禅道場、即ち、仏教道場を開くのが今後の目標だといって、
その到達過程として、過渡的に、ここで自己イメージ記事を展開するなら、
それはそれで、誰かが応答ないし応援する人がいるのは好ましい事だと思える。
しかしKさんは今回の日本旅行によって、
拠るべき老師がみつかり(=イメージの定着)、
自分が行くべき方向性がハッキリしてきた感じがするので、
このブログ&コメもあらたな段階にきていると思われる。
Kさんが、「本気で」「真剣に」仏教探査を始めるについてはTには何の異論・反論はない。
今後、禅僧としての資格を取る予定があるのだろうか?
禅を心理学と絡(から)めて研究したい・・・、
言い換えれば、
脳科学と連結させたいと表明していた・・・、
とTは思っていた。
だから、【道元禅】というより、
宗教色を抜いた【マインドフルネス】の方に行くのだとばかりTは思っていた。
しかしKさんは日本旅行を通して、
道元禅を遣りたいのだと言って関係者の間を行脚して、道元禅への嗜好をドンドン深めて行ったようだとTには感ぜられた。
仏典にも傾倒し始めたようにTには思えるし・・・
アメリカに於いて、道元禅道場を開くのが自分の夢
と言う事なら・・・、
その看板を掲げるつもりなら・・・、
其れなりの資格を曹洞宗本山がKさんに課すのかもしれない訳だが、Tにはわからない・・・
Where are you, K san??
T的にいえば、Kさんが日本びいきになってくれるのならどんな形でも嬉しい。
(まあ、多少、お取り扱い注意!!イヒヒの部もあるが、そこはエヘヘと乗り越えて・・・・・・
無印良心さんも宜しく・・・)。
予定は未定で
夢は大きく!
子には旅させろ!
コメントは毒舌がおいしい!
英語に不完全な者が
禅師の翻訳を始めた!などなど
全部は無謀な無常な訳です。
無法で無謀
それがK無ですかね。
T無はT痔法ですよね?
Z無は是無でしょうね...
ガッカリしたよ。
ちっと冗談が過ぎましたけど、
私の夢はただの翻訳をして
翻訳家としてブレイクして
お金をめちゃくちゃ、ハチャメチャ稼いで
金を水のように使って
洋服を全部一流ブランドに総入れ替えて
セール品とか値下げとか
アウトレット品とかは
見向きもしない、贅沢三昧な生活をすることですよん。
なので、その無茶苦茶贅沢な夢実現のためには
坐禅を研究する必要があるーーーそれだけです。
純粋に世欲的な夢で
坐禅道場も作って
有名な禅師を
ファーストクラス便で呼んで
講演会や体験会を開く妄想などなどです。
私はその架け橋で
お金や名声を得る等など
妄想の天獄にいるのです。
Where are you, K san??→I am at 妄想の天獄