Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

平衡の中心点Central point of Equilibrium

2017-10-11 | 坐禅

陰と陽

Shadow and Brightness

プラスとマイナス

Plus, Minus

肯定と否定

Affirmation and Denies

静と動

Static and Dynamic

明と暗

Light and Dark

苦しみと幸せ

Suffering and Happiness

それらの対極現象は

対になっている単のものである

Those counter electrode phenomena are

-a singular consists with pairs  


磁石も陰極と陽極があって磁場になり

Magnet also makes electric field with minus pole and plus pole

電流を発生させている

Both poles outbreaks electric current

プラスとマイナスがあって

加わったり減ったりする加減になる

There are plus and minus and they make measurement

-with addition and subtraction


肯定が無いと否定は指定できない

Denial cannot be specified without affirmation

否定が無いと肯定できない

Cannot affirm without denial


静の状態で動が見える

Can be seen a motion in a static state

動の動きは静に向いて働く

Dynamic of movement works to be state


苦しみを得て幸せになる

Be happy throughout suffering

幸せもやがて苦しみになる

Happiness eventually becomes suffering


それらの対極性は常に片面だけで表れ

These parings always appear on one side

もう一方の片面は意識できる領域から隠れる

And the other side hides from the aware range

意識は常に全体を照らすことができないので

Since consciousness cannot illuminate all over for whole picture

一面を見せてそれらが認識できると

It shows one side and when after recognizing it

次の一面を見せてくれる

-it shows the following side

意識自体では対になっている全体像を見ることはできない

With consciousness it is impossible to see the entire picture of paring



心が流れている時

When mind is flowing

流れていく方向は見えるが

The direction of flowing is visible

流れてきた原点は見えない

-but the starting point of flowing is invisible


だが、坐禅を行うと

However, when do zazen

陰と陽、プラスとマイナス

肯定と否定、静と動

苦しみと幸せ、明と暗などの対極性が

Such counter electrodes

Shadow and Brightness, Plus and Minus

Affirmation and Denies, Static and Dynamic

Suffering and Happiness, Light and Dark

同時に、一か所の同時空間の中で

動きを持つ静けさで現れてくる

They appear as serenity which has dynamism

-in single dimensional space at same time


坐禅の行為その無動は

The action of immobility of zazen

対極にある現象の境目であり

It is a boundary point of phenomena at counter electrodes

片面から両面を見渡せる中心点になる

It becomes central point where can look around from one side to both

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204 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2017-10-12 21:22:23
Gestaltkreis
返信する
いいね (hk)
2017-10-12 23:02:21
何時も そうだね と感じる事があります。ときには難しく?と思う事も。貴方の考えは今の私の生活の中で感じることがあります。又、貴方の考えを示して下さい。
返信する
Unknown (蓮の花)
2017-10-13 03:30:33
http://www.topowiki.de/wiki/Gestaltkreis

https://de.wikipedia.org/wiki/Viktor_von_Weizs%C3%A4cker

以上の二つのリンクは
unknownさんのGestaltkreisに関するネット情報です。
右クリックで英語とその他の言語に変換できます。
返信する
Unknown (蓮の花)
2017-10-13 03:39:33
hkさんへ

今回の記事は私の坐禅イメージ、静と動のダイナミズムを書いたのですが。

書いていた時も
書いてからも
これは他の人が理解できないだろうと思って
難解だと言われることを承知で書いたのですが
日常で私と共感するものがあると言われて正直驚きです。

私も日常生活の中で坐禅のイメージを描くので
その過程が似ているかもしれませんね。
コメントをするのに慣れていない感じがあるのに
わざわざ書いて示してくださってありがとうございます。
励みになりました。
返信する
身の周りのことなど (蓮の花)
2017-10-13 04:01:30
身の周りのことなどーーーTへ

もう木曜ですね。
時間があっという間に過ぎて
心が時間の流れについていけなくなりました。

窓から見える庭はもうすっかり色が変わって
空気も寒気がしてきます。
今日は日差しがよくて晴れていますが
寒そうな日差しのようです。

明日はアレルギー性皮膚炎の薬服用の結果を診てもらうために診察所に行きます。(Doctors office)

コレステロール値の処方箋も出たので
二日前から服用始めています。
血液が汚れてドロドロだと
アレルギー性皮膚炎とつながるようですね。

私の担当はきはきした親しみのある若い医者です。
日本での20年間担当した医者は
70代以上の聞いたことしか答えない無口な医者でしたが
3年に一度くらいはジョークを言ってくれましたね。

私を診察所に連れていくのにエリックは仕事を休み
ついでに連休も取って
今度の土曜の朝、カナダに向かいます。

カナダまで車で4~5時間かかるようで
彼は仕事関係(カナダ人の歌手ビッキーがクライエント)で結構行っていたようです。
私には初のカナダ旅行ですけどね。

Tも私やエリックに会うのは面倒で嫌でしょうけど
デレクさまと地雷さまと一緒にみんなで(みんなでなら怖くない症候群)
カナダ旅行はどうですか?
予定は未定なので予定倒れになっても
計画している時はワクワクなので。


返信する
まあ(ネ)・・・が好きなTさん (T)
2017-10-13 09:33:58
成程ね、旅行ですかァ~。
躍動的に、且つ興奮気味に、心がワクワクして居られる時が、まあ一番生き生きしますよね(How exciting it is!!っていう心境かな、・・・まあ小学生時代の遠足とかね・・・)。
(注;思い出したけどTにはそういう小中学校時代の想い出は無かったなァ~。)

まあ、旅行によって非日常性の出来事を体験するのも悪くはないですよね。

でもまあ、老人的には何となく面倒臭くなっちゃったりして・・・・、

ならばまあ、わざわざ旅行に行かなくても、
日常の中にも非日常性の経験は、
考えようによっては幾らでもあったりして・・・、

例えば、庭を見たり、季節を感じたり、
近所を散歩したり、
TV Japanで出てくる色々な人間像から自分の知らなかった別の人間性の存在を発見したりで・・・、

毎日が・・・、日常生活そのものが・・・、
常ではない(=無常の世界での)旅行と言う訳でもある訳で、
まあ左様に、簡単に非日常性(=変化)を感じる事が出来てしまう訳だし・・・

まあ、実際の旅行をしても、目新しい事はさして発見出来ないのも事実だし・・・

で結局、旅行してから、
家に帰って来て感じるのは、
自分の家が一番心が落ち着くと言う発見であったりして・・・

mmmmm、
まあ米国の活性化にTはあんまり役だたずで・・・すんまへん!!
返信する
振り子の中心を知る!! (T)
2017-10-13 12:43:32
坐禅は振り子(Pendulum)の中心点を知る事である・・・
振り子を外から眺めれば、人生の在り様が見通せる。

しかし澤木老師が言う(per お月さん@本店米10-13,07:26:42)、『坐禅は人間の修養ではない。人間の廃業である」と・・・・

たしかに文明開化の無かった釈迦時代に於いては、
坐禅で達する事が出来たのは、
生きとし生けるべきの心の放棄、その滅失・・・、
即ち人間性の完全否定であった。
で、それ故に、坐禅は人間の廃業とならざるを得なかった。

・・・が、
Kさんの言う、振り子の中心を知る・・・とは
人間性の修養と言う事では無いのだろうか??
返信する
Unknown (T)
2017-10-13 14:57:26
坐禅のイメージが『動と静のダイナミズム』というなら、
座禅の究極目標にある【非想非非想】とか【滅尽定(想受滅)】とどういう関係にある事に成るのでしょうかね。
なんか「非想非非想」や「滅尽定」は振り子の中心のゼロポイントに留まったままの【絶対的静】の状態を指しており、到底【動と静のダイナミズム】を感じる状態ではない様にも見えるけど???
返信する
追加 (T)
2017-10-13 15:08:28
坐禅で、
非想非非想や滅尽定に達すれば涅槃(解脱?)状態になって、その状態で脳が固着するかも??

脳を使わない事となって、脳が劣化(化石化する・・・認知症と同じパターン化)する・・・という科学的事実に直面してしまうかも???
返信する
Unknown (Unknown)
2017-10-13 16:37:25
ファントム空間論
返信する

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