カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

将棋A級順位戦プレーオフ

2015年03月11日 10時32分18秒 | 将棋

将棋A級順位戦プレーオフ2局目、久保が勝ち上がる

今期〔2014/04-2015/03〕将棋A級順位戦は10人による対戦でしたが、すべてが終了した時点で、久しぶりに6勝3敗の同率者4人が誕生し、パラマス式で下位から勝ち上がるプレーオフが行なわれています。

ほかでは結果をまだ知りませんが、こちらによると、4人のうち下位から2番目だった久保が2連勝と勝ち上がり、03/16に行なわれる予定の対行方〔なめかた〕戦で挑戦者争いの決着がつくことになっています。

なお参考程度にリーグ戦の結果もご紹介しておきました。


言行不一致

2015年03月11日 08時36分05秒 | 生き方

言行不一致とは何か。いつも悩みますね(笑)。


とにかく、外国人は中国人のこういう言行不一致のやりとりを理解できない。

このような状況は、中国人にとって非常に大きな負担となっており、毎日、われわれは他人の気持ちを推し量らねばならない。

もし相手が親しい友人ならまだいいが、相手が権力者や高級官僚、あるいは大金持ちで、どうしても彼と近づきにならなければならない場合、あなたは、彼が心の中で何を考えているかを模索しなければならない。これは大変な精神の浪費だ。 

:柏楊(ポーヤン)「醜い中国人」張良澤・宗像隆幸(共訳)光文社1988/06/25 12刷発行 


中国や北朝鮮を見ていると、

言っていることと正反対の行動をすることがよくあり、さっぱり意味が分りませんでした。

日本人に対する見方もそうで、「いつもニコニコしているが、何も不満を言わないので、日本人はさっぱりわからない」のと好対照でしょうか(笑)。

そういえば同じ日本人でも各地で対応が異なってくるようです。

大阪の人間はおもしろいけれども信用がないし、京都になると考えているのと正反対のことを言うようで、これまた信用できない、としますが、京都の場合、それほど外からの侵略に悩まされてきた長い歴史を暗示していて、自然に発生した自己防御本能なのかも知れません。

客人が帰るそぶりを見せる、あるいは客を帰らせたい時に、京都人が用意しているせりふ「まぁお茶漬けでも」が、「京の茶漬け」という落語の中心です。これは、やはり大阪人制作による皮肉落語でしょうが、大阪人の妙な懐疑心あるいはおもしろさを表現してはいても、京都人が信用できるとする落語ではありませんね(笑)。

讃岐の高松(現在の香川県)では、客人が帰ろうとしたときに「まぁまぁ、あつかんで」と言うのですが、真に受けて(まにうけて)待っていても客には「お酒の熱燗(あつかん)」は出てこないとのこと。つまり「まぁまぁ、あつかんで」は「扱わない、お構いはしませんが、ごゆっくり」という意味らしい(笑)。

一方、関東が信用できるかというと、「賢そうなことをゴタゴタと並べる」だけで、やはり信用ができるとは言えないらしく、日本のどこへ行っても本質は変らないので、言葉だけで相手を全面的に信用するものではない、と落語では戒めているのでした。

どこでも何かの縁があったり上層部で固い絆がある場合には、下層部で競争させながら、結局はなんとか落ち着くのですが、これを「信頼関係があるから」だとは言いにくい。

ただしこれが国同士の交渉ごとになると、やや趣が変ってきます。

現在のところ、さまざまな仕組みがことなる最大の組織が「国」だとすると、これはある程度やむを得ません。

しかしそこに相互の信頼感がなければならず、嘘八百を並べて、都合和悪くなると突然交渉を打ち切る、なんて裏切りをしてはいけません。この点では上で引用した柏楊(ポーヤン)の言葉は正しいと言えます。

中国などでは

一党独裁ゆえ交代させられる心配がないから一方的にごり押しできるのですね。為政者が、相互に妥協してまとめるという訓練を経験していないようで、まことにあはれな国というべきか(笑)。

そもそも国民が為政者を選ぶ制度がなく(総選挙がない)、異なる意見を政府が許さず弾圧・黙殺してきました。政府が一番賢明である、と自惚れているのに対して、それはちがうと2014年に香港の学生が不満を訴えたのでした。 


 80年前に書かれた中国民族「退化」論 

張君俊は、民国時代に活躍した民族心理学者である。アメリカ、コロンビア大学に留学後、帰国して大学で教鞭を執っていた。

・・・・中略・・・・ 

「北方人は何をしても、何をしやべっても、大体豪快でさっぱりして、南方人のように細々しく、まわりくどくて、言行不一致ではない。北方人の性格は西洋民族的である」 

「南方人は狡猾で、特に江三浙(江蘇・三浙一帯)人が代表である。南方人の狡猾さには、その出発点がある。すべての北方人が南方に渡来して、大半は比較的聡明な人であり、最初は北方人の豪快ぶりを持っていたが、環境の変化に合わせて、今のような様相になっていたのだ」 

そして、張は、南北中国人の違いをこう語る。

北方人の保守性南方人の進取性は、北中国と南中国を根本的に区別する」 

この南北の特徴を張は、中国では欠陥になると指摘する。 

「およそ偉大な眼光をもつ民族は、いつも保守中進取あり、進取中保守ありである。しかし、中国民族は違う。2つの特性を彼此(ひし)と分けて、合作させないのである」 

北方人の遅鈍」と「南方人の敏捷(びんしょう)」の原因について、張は「北方民族は、歴史的に異民族の攻撃を受け、才智ある人間は南方へ移動し永住してしまった。北方に残留したのは大半遠見性に欠け、冒険心に欠けている人間であった」と分析する。 

また「北方には黄河の水災があつて、毎年多くの人間が南方へ移り住んだが、その人々は聡明で、自然に適応をし、独立生活ができていた者であった」とする。 

張の中国人種改造論は大変興味深い。彼は、南方人の北方移動を唱え、はなはだしくは、「日本人と通婚し、ことに欧米人と婚姻する」ことを強調している。 

張は、1930、40年代の日中戦争期に、中国民族の危機を感じたに違いない。彼は、中国人は必ず欠陥がある民族で「面積は日本より30倍大きく、人口も日本より8倍も多い中国が小さな日本に脅迫されている」のだから、中国人の退化を人種的改良策として「日本人と通婚」を提唱したのだろう。 

実は、中国では現在でも日本人と比較して、中国人の民度、素質が日本人より、はるかに劣っていると認識している中国人も少なくない。私も洛陽や北京、上海、大連の知人やタクシー運転手からも、日本に比べて、中国は50年も80年も遅れているから、中国人は日本人に学ぶべきだとの主張をよく耳にした。:金文学「進化できない中国人」祥伝社 平成26年3月20日初版第1刷発行 


こういうのは貴重ですね。

人は物事を判断するときに「典型化」しがちで、それが理解を早めるのに必要なのでしょうが、「典型化」はややもすると「決めつけ」「潜在意識」へ潜り込む心配があります。

これが一里塚であり、一方では、あることについて徐々に詳しく分ってくると、違いが分りはじめ、区別し始めるのです。

野球を好まない人なら、読売も阪神も、福岡も北海道も、みな同じに見えます。

三弦を理解しない人は、津軽三味線も端唄小唄も地唄も三線も、みな同じように聞こえるものです。ところが興味をもち始めると、津軽三味線は太棹で音質が異なるし、大阪と京都でさえ三味線の音が異なり、三線はもっと軽く速い、と分ってくるのです。

同じように、一党独裁とはいえ広大な中国ですから、地域差が大きく異なり、これらを「典型化」から「違い」へ理解を深めたいものです。そうすることが、大きい誤解を避けることに繋がるはずですから。

それにしても一党独裁は危うい! 党が崩壊すると国が崩壊するのですから(笑)。

いろいろな混血があり一言では言えないのでしょうが

  • 北方人:がんこで保守的、短期の視点にこだわる
  • 南方人:新しいものに取り組み長期の視点をもつが狡猾

には一応の説得力がありそうです。