北東アジアの「味方作りゲーム」:朝鮮日報 2019/02/05←会員専用記事
米朝会談(2019/02/27-28)の前ですが、記事では
- 金正恩が北朝鮮を「わずか2年の間に北東アジアの孤児から寵児(ちょうじ)」に導き
- 文在寅が韓国を「北朝鮮の報道官から始まり、対北朝鮮制裁を解除しようとする解決人にした」
と、朝鮮半島の南北を描写し、文在寅の無批判な北朝鮮寄りを非難していました。
その後、米朝会談が決裂し、ますます文在寅の責任が重大になってきたはずです。
しかし文在寅が自らの責任を感じるはずはないのです。
- こういった大統領を選んだのは、ほかでもない韓国民。
- もしも文在寅に責任があるとするなら、最初は極めて高い支持率を誇ったのに2年足らずで50%近くにまで落ち込んだことから、文在寅を選んだ韓国民にも責任があったのでしょう。
しかし
- 韓国民が「文在寅に責任がある」と考えるのはいいとして
- 国の首脳者である在寅までもが韓民族らしく「自分ではなく、他者に責任がある」とするのも間違ったことではなく昔からの韓民族の伝統に従っただけなのです。
- 昔からいくつも伝統があるでしょうが、その中で何を残し何を変えなければならないか、これを韓民族自身が考えなければならないのです。
朝鮮半島では、ずっと長いあいだ
「自分ではなく、相手に責任がある」ことにしてきました。たとえば「日本」が悪い、などがその典型です。
こうなれば「韓国人に何も責任はない」として安寧(あんねい)が保証される世の中になり、国の大統領も職を辞してからほぼ例外なく逮捕され、こうして一層「安寧」が保たれるという次第です。
これこそ、アニョン(安寧)ハシムニカ、ですね。
このような「偽装」で朝鮮半島は発展してきたのです。
もしも
- 韓国の法体系に問題があるなら、なぜ法体系を改善しようとしないのでしょう。
- 韓国人が、ほぼ例外なく「大統領職を辞した人が逮捕される」慣例を見ていて、「これではだめだ」と思うならば、なぜ法体系を見直せないのでしょうか。それもまた「日本が悪い」からですか(大笑)。
- いやそれとも「これではだめだ」とも思わず「日本が悪い」ことにしてしておけば、法体系を見直すという情緒的な韓民族にとって「やっかいな」作業をしなくて済み、永遠に安寧が保証されることでしょう。
韓民族の欠陥の一つは、責任を他者に押し付けるゲームを延々と続けていることで、北も南も情熱が高まるあまり異論を許さないまま同じことを延々と続けております。
韓民族にとって
「異論を許さない」、「責任を他者に押し付ける」のどちらがより根源的かという問題です。いろんな考えがあるでしょうが
①責任を他者に押し付ける→②異論を許さない
ので「責任を他者に押し付ける」ことがなくなれば、自然に「異論を許せる」ようになると私は思います。
しかしこの分だと、「責任を他者に押し付けなくなる」のに、あと100年は必要な勢いです。
記事では
- 米国が、自分の国中心の二流国になり
- 中国が、良き隣人ではなくなり
- 日本が、新軍国主義に心酔している
とし
韓国をどこへ導こうとしているのかを提示するよう少しは期待していたのに、韓国がどんな役割を果たせるかを2019年の年頭の演説で文在寅が示せなかった、とします。
つまり北東アジアではこの2年のあいだ、韓国が味方づくりゲームで失敗し、文在寅は国内外(経済でも安保)でさっぱりダメだったと匙を投げているのです。
ここからは私の主観になりますが・・・・・・
これら「指摘している認識のいくつかに誤りがある」ように思いました。
米朝会談が決裂したのちでは、北朝鮮の立場が危うくなり、むしろ韓国の存在価値が上がりそうなのに、それが不可能なようにとらえているのです。
いくら文在寅が日和見主義者であろうとも、心から反省しさえすれば、まだチャンスが残されていると思うのです。
しかし上記の著者は、これだけ文在寅大統領を批判的に見ているのに、文在寅を日和見主義者とは言えずに、日本の安倍晋三を日和見主義者としています。
反文在寅のあまり親日的過ぎるとみられて、読者から大きく反発を受けることがないよう表現に苦労している、のでしょうか。
▲一昔前の日韓関係(いびつでした)
日本:反韓は、政府レベルで辞任させられ
韓国:反日は、政府レベルで推奨された。
▲今の日韓関係(特に2018年後半ごろから)
日本:閣僚が韓国に疑問をもつのは、普通になり
韓国:米朝会談後、政府レベルでの反日が縮小か
特に文在寅はこの1年ほど異様な言動をとってきましたが、それが徐々に変わってきましたか。
どん底の韓国が、這い上がれるか、さらに下降するか、今までの言動の間違いに気づけるかどうかでしょう。
日韓で共通しているのは
政府の間で対立しても一部庶民の間で深化した
という点です。
ただし日韓では
法律の位置づけと、「名誉」の扱い方が大いに違うらしく、さらに政治家のありようがかなり異なっているようです。
政治家で
日本または韓国で、双方から好かれる、いや少なくとも、双方から毛嫌いされない人が、出てこないものでしょうか。
そんなことをおもふ、けふこのころ・・・・・・
さてさて、皆様はどう思われますか。