城巡りのためにわざわざ掛川にいらっしゃった母の旧知の友人さんの案内のために、一日雇われ運転手です。
このために仕事を断ったので、母がバイト代をくれました。
まずは高天神城(の搦手門駐車場)。ナビの案内で、大手門側でなく搦手門側に着いてしまったけども。
熊野古道に挑む前に、まずはこのあたりでトレーニングですかね。
左手に進むと二の丸だったか元本丸だったか。とにかく山の上の広場というだけで、建物がないのでさっぱり。
分かれ道まで戻って右手に進むと高天神さまのお社。なかなかの急勾配。
この注連縄が茣蓙を巻いたようなもので、初めてみた。ここなら訪れるヒトが少なそうだから、受験の願いが叶いやすかったかな?その浅ましさでダメであろう。
天神様の下には、金気が強い水がでたという、かな井戸がありました。
歴史があっちょんぶりけなんでなんですが、高天神が、戦国時代の、戦のための山城で、時代が下り平地に移したのが横須賀城のようです。
この可愛らしい丸石の石積みは、後世に再建されたものみたい。忍者でなくとも登りやすそう。
彼岸花に誘われ。
高台の本丸からの眺め。海が遠いなぁ。目の前が海ならロケーション最高にいいのになぁ。
裏手に回って北の丸の遺構。今はイベント広場になっているのかしら。
否、歴史はわからんので、案内はできません。
とりあえず、まずは約束の時間に15分遅刻。玄関外でお待たせしてすみません。
まずは高天神城(の搦手門駐車場)。ナビの案内で、大手門側でなく搦手門側に着いてしまったけども。
地元の方によれば、距離は同じ、階段が整備されてる分、コチラが正解!トイレもあるし。
お客様は、「徳川家康」の新聞連載小説を読んで、高天神城跡に来たかったそうです。地元民ですら来たことがない人が多い(ワタシも母も)のに、ここ歴史的に重要なのか、百名城のひとつだそうでびっくり。
どうりで駐車場やたらある。おんな城主直虎の当時は訪れる人も多かったのかも。今は(T_T)
いや、県外ナンバーの車も数台停まってました。
熊野古道に挑む前に、まずはこのあたりでトレーニングですかね。
ストック持ってて正解、杖もありましたのでご安心を。
階段を登り切ると左右に分かれていて。
左手に進むと二の丸だったか元本丸だったか。とにかく山の上の広場というだけで、建物がないのでさっぱり。
ワタシは行かなかったけど、有名な石牢はもう閉じてあったそうです。
分かれ道まで戻って右手に進むと高天神さまのお社。なかなかの急勾配。
この注連縄が茣蓙を巻いたようなもので、初めてみた。ここなら訪れるヒトが少なそうだから、受験の願いが叶いやすかったかな?その浅ましさでダメであろう。
天神様の下には、金気が強い水がでたという、かな井戸がありました。
天神様の裏手をゆくと尾根沿いに、また三の丸とやらに続き、切掘があったり、戦いのようすが忍ばれます。
どうもワタシだけ、道中ずっと蜂にまとわりつかれて、ズボンの足元を狙うんですよ。刺されてないけどとまられただけで痛い感じ。やはり山では黒は禁物ですね。
ワタシだけ先に逃げ降りました。階段まではずっと着いてきた。なにフェロモンでてんのか?
やれやれ、ちょうどクルマに戻ったところで雨、次の横須賀城跡へ移動します。
歴史があっちょんぶりけなんでなんですが、高天神が、戦国時代の、戦のための山城で、時代が下り平地に移したのが横須賀城のようです。
ここは石積みだけです。
昔は横須賀城の前が浜で海と繋がり、掛川城とは逆川で、江戸とは海運で結ばれ、江戸の文化や物資が運ばれ、横須賀は江戸の華と呼ばれたとか。
もともとの東海道は、この海沿いを通っていたようだし、街道筋にはその面影がありますね。
が、地殻変動で浜が遠くなり、すっかり廃れてしまったうえに、明治維新で廃城。お城を建てたくても、図面がなくて無念だそう。
この可愛らしい丸石の石積みは、後世に再建されたものみたい。忍者でなくとも登りやすそう。
彼岸花に誘われ。
高台の本丸からの眺め。海が遠いなぁ。目の前が海ならロケーション最高にいいのになぁ。
裏手に回って北の丸の遺構。今はイベント広場になっているのかしら。
目の前の物干し竿のようなところに、大量のS字フックがかかってました。S字フッククラブ?
クルマに戻ってナビでトイレを探してから解ったのですが、確かに大手門でしたが、またしても正規駐車スペースでないところから入ったみたいです。
正解どころにはトイレが整備されていることがわかりました。
お昼ご飯を食べに御前崎にと思ったのですが、お客様の希望で、その前にもう一箇所寄ることに。
でも、hayane-hayaokiさんの案内で、城址廻りができるので楽しい
続きをお願いします。
コメントありがとうございます。
いやー、歴史が苦手でして。
せめて地元の史跡の大まかな歴史や由来くらいは説明できるようになりたいなぁと思いましたよ。