日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

われらを分かつまで

2020年04月29日 | 死について
みんなそうかもしれないけど、人間じゃなくてもとても大切な家族もいる。

そして人間の場合もそうだと思うけど、いつかはなんらかの形でのお別れがくる。

はなは結婚してすぐの頃に道でないてた子猫で、3年前に死ぬまで海外の赴任先にも一緒に連れて行った。
(長い間に一緒にいられない時もあってそれは本当にいやなことだった)

19才になる頃咳をするようになって胸にできものができていることがわかったけれど、結局手術はしなかった。
息が苦しそうになって獣医に勧められた酸素テントを借りたことを、友人が「延命だよね」と言った。

そうかもね。

だけどまちがいや無駄なことを私たちはするんだよ。
どうせ悩むし泣くし、そしてどちらにしろ後悔はするんだ。

はなは酸素テントをしばらく使った。
2、3週間かな。
苦しいと自分からビニールの中に入って寝た。

胸の腫瘍がどんな風に大きくなったのか位置が変わったのかわからない。
どういう具合かその後呼吸は楽になり、最期はゆっくり穏やかに死んだ。

酸素テントを借りたことは微塵も後悔していない。死ぬほど満足してる。

正しいこと、なんてない。

どうなるかはわからないし後悔はする。

だからね、したいことをしていいと私は思う。














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センザンコウの鱗の波の

2020年03月30日 | 死について
うつさないために人に会わない近づかない、お散歩に。

曇りだけどなにいろとも言えない白グレイ青のグラデーションが綺麗。

ずっと集めている貝殻が今日はたくさん打ち寄せられていた。

それ食べられるの?と鳩が来たけど、ごめん今日は食べ物持ってないのよ。

病に苦しむ人死んでいく人その周りの人のことを思う、情けなくちっぽけなこの波打ち際。

でもそうだね、死ぬことは不幸ではなくて自然のなっていく一部。

みんなが健やかでいられますように。

その時がきたらうまく還っていけますように。




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東京駅でスイカジュース

2019年07月28日 | 死について
東京駅が大好きなんだけれど、いつも賑わう構内を歩いていると母にと買い求めたものの記憶がよみがえる。
最後に入院していた病院に行くために乗り換えたのが東京駅だから。
 
難病で少しずつ話せなくなって、咀嚼することも難しくなっていって、母は大好きなビールも塩を振ったスイカも口にできなくなった。
 
きっと頷く人も多いと思うんだけど「普通」とされる能力を失っていく家族のために、なんとかならないかと目を皿のようにして探す時期があった。
 
羽のように軽いスプーン。
筆談機として活躍したDS。
携帯用の小さなすり鉢。
 
だから東京駅のジューススタンドでスイカジュースを見つけた時も心が踊った。
 
その時はまだ歩いていて口からものを飲み込めた母は、スイカジュースを飲んでは何度も手でOKサインを出した。
美味しい、と。
 
いろんなものを失っていく下り坂のような道のりを、今振り返ってみると、それもみんな贈り物のような時間だった。
 
あー、でもあのスイカジュース。
塩をふってあげたらよかったな。
 
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終わっていく

2019年07月18日 | 死について
「私」が終了していく

「私」が大切にしたすべて

「私」が大切にしなかったすべて

「私」が愛したものも

終わっていく

それは悲しいことではなくて

おそらくは成就

昇天

完成

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二年たちました

2019年05月04日 | 死について
久しぶりにみんなが実家に集まった。
賑やかな気配に紛れて母がいてもおかしくないのにと思う。

「薄着で来ちゃったから寒いや」と言えば、「ちょっと待ってて」と着るものを探してくれそう。

服を探しに行く後ろ姿がありありと浮かんで、なんだか不思議な気持ちになる。
もう物理的にはいなくても、母は私にとって相変わらずある程度リアルな存在だ。

存在は関係性の中にある、五感に染み込んだ感触だ。

私はあんまりお墓に行かない。
仏壇にお線香もあんまりあげない。

いや、行くときは行くし、あげる時はあげるけど。

うまく言えないけど、そこにも理由はある。

私と亡くなった母とはちゃんとつながっている。

間にお墓や仏壇は必要ないんだ。

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