
家の中心に位置する場所にあった謎のコードの塊。
ずっとからまってて埃に塗れているのが気になっていて、でも大切なんだかゴミなんだか私にはわからないので手を出せずにいた。
その核心がするすると一新された。
息子がそこを使うからと言う。
あれこれ捨てながら二人で休み休み片付けた。
部屋だけでなく頭の片隅に放置されていた何ものかが解けて、溶けていく。
ものごとが動いていく。

数年ぶりくらいだったんだけど、友だちの感触は変わってないのに、自分が変化してるのがわかった。
そういうところが、会う以外にはわかりようもないリアルの面白さだ。
もちろん全て変わってはいるんだろうけど、私から見えるものに限って言えば、自分の反応の仕方が変わっていた。
それは関係性の変化もあるかもしれないけれど、以前より自分が揺れないということのようだった。
シャドウのように「揺れる過去の私」が見えた。
友だちの現実的で思考寄りのアドバイスを丸ごと受けてどこかで密かに傷つくのではなく、今の私はそれをひとつの補助線として受け取る。
そしてまた
相手からの照り返しでぼんやり浮かび上がるものをそのまま心に留める。
何もかもを言葉にせず(この文章以外には)そのままそっと大切にして、祈る。
出会うこと、の有り難いこと。
交差する命がそれぞれらしく展開してゆくように。

あたり一面、古いもの隠していたもの無理に抑えていたものが噴き出して大変なことになっている。
全世界的な災厄のパンデミックもあるし、オリンピックもあるし(あるのか)それも含めて影響をしあい、機能不全の国のもと、もうこれ以上取り繕えない、なにかそんなタイミングなんだろう。
流れの速さ、勢い。
180度ひっくり返る様子を、世界、社会から知り合いレベルまで、はー、と静かに驚いて眺めている。
今までの地図はそっとしまって。
みんな、打ちのめされず大事なものだけ手放さず、できればうまく流れに乗ってね。
