四十九日はこの上ない晴天だった。
車で実家に移動して
法要を引き受けてくれた友人のお坊さんと身内と合流した。
遺骨と位牌と線香とライターと供物を持って
誰がどの車に乗るか決めて、霊園に向かう。
わかりにくくはないはずなのにいつも見つけるまでちょっと迷う。
東京は地震が多いからか墓石がなかなか動かなくて
石屋さんが苦労して時間がかかった。
みんな珍しいので開いた墓の中をのぞきこんだ。
いいかわるいかわからないけど、母は真ん中にどんと落ち着いた。
選んで買った白いダリアとピンクの百合とトルコききょう。
花の向きを直したり消えたろうそくに火をつけたり
どくだみが強く匂うなか、私たちはそれぞれできることをした。
終わってからみんなで青山通りまで歩いて中華料理で会食をした。
母の写真の前にはビールと焼きそばと春巻き。
母が好きなものを頼んでくれた人、ありがとう。
うまく言えないけど不思議な一日だった。
なんだか落ち着かないような、でも悪くない一日だった。
人が人とあることという不思議さ。あり難さ。
私たちは出会い、別れるけれど、出会ったことは失われることがない。
強く香るどくだみのように、見えなくてもそこにある。
母の不在という時間に私たちは入っていく。
新たに流れが戻っていくように。
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