自分のどの部分もけなすのをやめる。
自分は自分のもののように感じるけどほんとは自分のものじゃないから、好き勝手に粗末に扱うのは間違っている…気がしてきた。
世界が奇跡的にこのように私の前に立ち現れてあるならば、私もまた同じように奇跡的に表れたものであるはず。
どんなに至らなくつまらなく愚かで下らなく感じられても、それでも。
ひたすら生きるその動きは「(小さな)自分」のものではなく、その本性は自然の側にあるものなはず。
ありがたく丁寧に扱う。
その本性とは
仏性では。
コメント利用規約に同意する
フォロー中フォローするフォローする
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます