それぞれ飲んだり食べたりする様子が何十もスクリーンに並ぶシュールな光景。
(まあパンデミックの状況自体がとてもシュールではある)
なぜ私たちはそうまでして一緒に飲み食いしたいんだっけと遠いところまで思いを馳せる。
まばたきしないカメラにひりひり反応して顔がかゆくなる。
そもそも「一緒にいる」に重要なのは私たちの「側面」なのに、正面対面の図柄というのが辛い。
普段は頭を通さず体感から無意識へ直接生成される「場」「現実を載せる台」を、無理やり翻訳しながら作る慣れない作業に(うへえ)辟易とする。
タイムラグがあるので合唱も一本締めもタイミングを合わせるものはムリ。
(体の自動的な能力が封じられている)
とはいえ時間が経つと「脳が」調整してだんだん違和感を背景に溶かすので気にならなくなる。
脳すごい。
「人といる感」が増してきて、最初と最後の画像を比べれば顔の表情が違う。
そう、力がもらえる。
そういえば飲み会はそんなに好きじゃなかった。
でも今はやってみる価値はあるかも。
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